
街とともに鳴り続ける音楽。積み重なる日々が生んだ京都の熱 – ナノボロ2025 Day1
京都の街に根付くサーキット・イベント『ナノボロ』が、8月30日、8月31日に今年も開催された。出演者もスタッフも観客も一緒になって作り上げるこの2日間は、京都の音楽が今、どんな形で繋がり息づいているのかを映し出していた。本記事では、初日の模様をレポートする。
真昼の熱気をそのまま持ち込んだ〈livehouse nano〉から、今年も『ナノボロ2025』が幕を開けようとしていた。
会場の中に入ると、大量に積み上げられたダンボールでフロアが天井まで埋まっている。ダンボールで作られた「ナノボロ2025」の文字からは、このイベントや『ボロフェスタ』が持ち続けてきたDIYの精神を感じる。
今年も『ナノボロ』スタッフのチームリーダーを務める村尾ひかりは、ダンボールの山に埋もれたまま開会宣言を行う。少しシュールな光景に、フロアの観客やスタッフ、出演者から笑いが起きた。スタッフの自由な発想で作られる会場だからこそ生まれるユーモアと村尾の明るい声が合わさり、会場の空気は一気に「みんなで楽しむ」モードに切り替わった。
舞台となるのは、今年も〈livehouse nano〉と同ビル2階の遊べる飲み屋〈□□□ん家〉、そして道路向かいにある〈喫茶マドラグ〉の3会場。これらを行き来するたびに、鳴っている音も、そこにいる人の熱も少しずつ違って見えた。
『ナノボロ』と秋の『ボロフェスタ』には、「ホストバンド」と呼ばれる役割のバンドが存在する。普段から京都を中心に活動しており、出演者かつスタッフとしてイベントを作って盛り上げるバンドのことで、今年はモラトリアム、降之鳥、THE HAMIDA SHE’S、コロブチカ、Joseの5組が参加した。
〈□□□ん家〉の担当PAを任されていたのは降之鳥の岡田慶之(Gt)。岡田は、学生時代からアルバイトで音響機材に触れ、現在もバンドのレコーディング依頼を受けるほどの腕前。PAの機材を指して「簡単なやつですよ」と彼は笑っていたが、実績や信頼があっての抜擢だ。
さらに、店内BGMのプレイリストは同じく降之鳥のJoe Kimura(Ba)によるもの。オートコードやazure、David Bowie、The Strokes、松任谷由実、吉田拓郎など、幅広いセレクトされていた。Kimuraの好きな曲を詰め込んだというが、老若男女に関わらず多くの人々から口々に好評の声が聞こえてくる。
京都生活の1ページを持ち寄る(さとうじゅん、ときめきポメラニアン、日髙晴野)
そんな〈□□□ん家〉に登場したシンガーソングライター、さとうじゅんのステージから観ていこう。静岡県出身で、大学進学とともに上洛。京都生活にどっぷりと浸かって感じてきた何気ない生活の雰囲気を、ときには大阪、東京、名古屋……と京都の外へも運んできた。この日も、何度も踏切に行く手を阻まれた宿敵の歌“嵐電”、自衛隊からの隊員募集が来たことを歌った“僕んちのポスト”と披露していき、観光地ではない「生活拠点・京都の景色」をシニカルかつ温和に映し出す。さとうのフォーキーな楽曲の数々は、ボードゲームや漫画の並ぶカラフルなこの会場の雰囲気をセピア色に変えていった。彼は「えー……次の「ソング」は……」と独特な言葉遣いをしながらマイペースに演奏を続ける。“ハント・バイシクル”では、放置自転車の撤去作業車や市政に苦言を呈した歌詞に、観客も共感の笑いを禁じ得ない様子。哀愁を纏ったハーモニカの音色も相まって、自転車の乗った作業車が遠ざかっていくなんとも切なすぎる光景が浮かび、笑えると同時に胸が締め付けられる。情緒溢れるギターやハーモニカの音色が、その哀愁をさらに引き立たせているようだった。演奏に聴き入るほどに、さとうじゅんの独特の再現力と裏表のないユーモアの虜になっていく。
京都には1960年代後半から、学生バンドのザ・フォーク・クルセダーズを始め、フォークが発展してきた。いわゆる学生の街であることも手伝って、現実への眼差しや強い意思のこもった音楽が、現代に至るまで鳴り続けている。さとうは、それを京都のリアルな生活の空気とともに受け継ぎ、現代における「京都系フォーク」の新たな輪郭を形作っていく先駆けなのではないか。そんな期待を抱いてしまうライブであった。
ときめきポメラニアンは、〈喫茶マドラグ〉のステージにアコースティック編成で出演。“月待つ犬のテーマ”のイントロでは、ヤハ(Ba)がオレンジの小さなタンバリンを叩き、途中でリコーダーに持ち替えては、のちにベースも弾くという三刀流を披露した。あさひ(Gt / Vo)はMCで、アコースティックゆえに「いつもよりたくさん歌詞を聴いてもらえる気がする」と語り、今回の『ナノボロ』で初披露だという新曲について説明を始めた。「憧れの友達について歌った曲です」というが、実際は穏やかな旋律で微笑みながらアイロニーをたっぷり詰め込んだ捻くれチューン。ふわふわとしたポメラニアンも、やはり犬。時折見せる鋭い牙のような歌詞もあってか、「ときポメはパンクだ!」と評価されることがある。そのギャップもまた、彼女たちの持つ唯一無二の面白さだ。8月に配信リリースされた“サマープレッシャー”では、ひさか(key)の奏でる爽やかで美しいメロディが〈マドラグ〉の空間を彩る。
「円町と西院の違いが分からない まだ」
岡山県で生まれ育ったあさひが、実際に京都に住んでいるからこそ感じた西大路通りあるある。「靴紐解けてたら教えてくれる街」という情景の浮かぶ歌詞も聞こえてくると、何人かの観客に温かい笑顔が。さとうじゅんとは音楽性が異なるものの、このバンドもまた、リアルな生活拠点・京都の姿を描き出していた。
〈喫茶マドラグ〉はお昼時となり、たくさんのフードの注文が舞い込み、美味しそうな香りが充満する。
そこへ登場したのは、シンガーソングライター日髙晴野。1st EP『白柵舎』に収録されている“海辺の白馬”では、相棒である7弦ギターの豊かな音色が響き渡る。曲と曲の間では、微かに日髙の鼻歌が聞こえてくる。力強さの中に柔らかな自由奔放さを感じる日髙の姿を見ていると、京都出身のミュージシャン中村佳穂の姿と重なった。新EPからは、“Hold me, Hold time”、“春の身体”も披露。声の強弱、弦の弾き方、演奏中に豊かに変わる表情……自らの持つ表現方法のすべてを駆使し、圧倒的な存在感を醸し出す。身一つ、ギター一本で舞台にいるのを忘れてしまうくらいの豊かな表現力。〈マドラグ〉に、糸がピンと張ったような少しの緊張感と音楽の温もりとが同居する空間が生まれた。続く“日記”は、大学時代を京都で過ごした日髙の鴨川のイメージをさらに膨らませた楽曲。はじまりはメロディではなくこのような語りから始まる。
「光って、川にうつると垂直に延びるんだな 川の中に、光の柱が立ってるみたいになる
実際鴨川の底には都市があって、ヌートリアは二足歩行し、オオサンショウウオの恋人たちが等間隔で川底に座っていて、雨上がりに干上がった人間たちを見物しに行くのだ」
優しい語りの後には、力強い歌声が空気を震わせ、旋律に乗った言葉が胸の奥底に飛び込んでくる。“日記”を歌う日髙の音には、かつて暮らした京都の時間が滲んでいた。彼女が描く京都は、地図には載らない。川底に沈むもうひとつの街、記憶の中で呼吸する風景。その幻のようなリアルが、〈マドラグ〉の昼下がりを満たしていた。
繋がって渦を巻くカオスなリレー(ヤジマX KYOTO、BLONDnewHALF、Akane Streaking Crowd、テレビ大陸音頭)
再び〈livehouse nano〉に戻ると登場したのは、ヤジマX KYOTO。ゲイリー・ビッチェ(Dr / Vo)のソロプロジェクトとして、モーモールルギャバンと並行して長らく活動してきた。ゲイリーはMCで「(自分たちは)この後に出るBLONDnewHALFと同じくらい最年長かな?平たく言うと、おじさんです!」と早速笑いを取る。このような自虐とは裏腹に、パワフルなドラムを叩きながらでもまったくと言っていいほど歌声がブレない。“羊飼いとサギ師”では、ベースとギターが加わったすべての音がバランス良く絡み合い、メンバーそれぞれの音が等しく立つ。その演奏や言葉はまさに、「確かな技術の上に成り立つ自由」。“コロニーの夜に”では、自然とフロアから手拍子が起こって温かい雰囲気に。観客との交流を楽しむユーモラスなMCをしながら、豊かな表情を見せて演奏を続けるゲイリー。何をするか分からないそのトリッキーさはモーモールルギャバンでもお馴染みの姿だが、このヤジマX KYOTOでは、心の内を伝えようとする真っ直ぐな眼差しが印象的だった。“ライブハウスで会いましょう”が始まると、ゲイリーがドラムセットから立ち上がって観客の顔を見渡しながら歌う。曲中に放った、「何度でも何度でも何度でも何度でも、ライブハウスで会いましょう!」という叫びは、自身が積み重ねてきたライブハウスでの時間そのもののように響いた。観客を笑顔にする一方で、純粋な音楽や言葉を届けるということも大切にする。そのブレのない演奏や言葉の端々から、そんな想いを感じとれた。
ゲイリーのMCでも名前があがったBLONDnewHALFは、2006年に「低学歴ハイセンス」をモットーに結成されたソリッドパンクバンド。フロアには彼らと同年代と思われる観客もいたが、出演者も含む20代ほどの若者がこぞって踊り狂っていたのが印象的だった。出番を直前に控えているはずのAkane Streaking Crowdのキタザトユタカ(Ba / Vo)は、真剣な眼差しでステージを見つめている。さらに、彼らを『ナノボロ』にブッキングすることを提案したのは、23歳のスタッフだという。現在の若い世代にも愛される、その答えがこの日のステージにあったと思う。
「神戸から来ました、BLONDnewHALFっていいます。よろしくお願いします」
家出ジョニー(Vo)の物腰の柔らかい挨拶から打って変わって、1曲目の“oka tengoku”から、BLONDnewHALFの持つ独特なカリスマ性が牙を剥く。繰り返しのベースラインに乗って激しく体を揺らし続けるフロアの様子は、もはやトランス状態のようだ。この渦に筆者も見事に巻き込まれ、メモを取る手がすっかり止まってしまった。続く“anti rolex”では、やはり淡々と正確に繰り返されるはまちゃんのベースとCOZのドラムに、ハイトーンを細かく刻むギターが絡みつく。ジョニーは、歌いながらリズムに乗って踊ることはするが、観客を煽ったり大きな声で何度もシャウトはしていない。この「特に乗り方を示さない」魅せ方は、観客それぞれに自由をもたらしていたと思う。自らのペースで思うがままに体を動かす若者たちの多くは、まるで何かから解放されたような笑みが漏れていた。
BLONDnewHALFも、先述のヤジマX KYOTOも、強烈な個性を支える確かな演奏力や姿勢を持つバンド。そんなキャリアを積んだ実力派と、新進気鋭のテレビ大陸音頭に挟まれる形の出演となったのは、Akane Streaking Crowdである。それぞれのスタイルやパワーがせめぎ合い、火花が散ること待ったなしの並びだ。1曲目の“BAD END”から、満員の観客を吹っ飛ばしてしまうのではないかと感じるほどの迫力ある重低音が響き渡り、我が道を突っ走り始めた。“忙しいんだが…”、“KARATE!”と、観客を踊らせ続ける楽曲が続き、フロアの熱気は最高潮に。“2001”の終盤では、キタザトユタカ(Ba / Vo)がサポートギターのからっきいに向かって「ボリューム上げろ」と合図。その瞬間にふとフロア最前列の上手側を見ると、オートコードのジュンジュニオール(Gt)の姿が。彼も同じように「上げろ上げろ!」と合図を送っている。「絶対に負けたくない」「絶対に負けんなよ」そんな盟友同士の声が聞こえてくるような場面であった。
この日のセットリストを考えたのは立本純嗣(Dr)。終演後に彼に話を聞くと、最初の曲を、“BAD END”にするか“2001”にするか迷ったというが、朝日が射すようなイントロからゆっくりと駆け出していく後者を締めの一曲に回し、“BAD END”つまり「悪い結末」と名のついたインパクト満点の前者を、あえて初っ端からぶつける曲順に。あらゆる状況やバンドの猛者たちに直面しては、捻くれながらも物怖じせず立ち向かっていく。そんなブレないAkaneらしさを感じる選択に胸が熱くなった。
そこに続いて、この日最も異色な雰囲気を放っていたのは、2023年に札幌の高校で結成された鬼才バンド、テレビ大陸音頭。アニメ『鬼滅の刃』主題歌のLiSA“紅蓮華”が流れる中、メンバーが入場。千代谷竜司(Gt / Vo)が、のらりくらりと「ロックンロール、ロックンロール」と言いながらセンターの位置につく。サポートメンバーの戸借晴亜(Ba)以外は昨年までは高校生で、表情にあどけなさもうかがえる一方で、その奥底には計り知れない音楽的狂気を持ち合わせているようにも思えた。フロアも「明らかに「新しいヤツら」が来た……!」といった雰囲気が漂っている。そして「カモーン!」という合図で、1曲目の“Mサイズの男”が始まった。脱力感のあるラップで、初っ端からチルアウトな空気になったかと思いきや、次の曲“死んだら終わり人生は”ではアップテンポなギターが掻き鳴らされる。さらに、千代谷が「あああああああ俺はクラスのヒーローになりたかったのに!」と大絶叫する“minutemen”と続き、テレビ大陸音頭の名を全国に知らしめた”俺に真実を教えてくれ!!“も披露。こうしてひとしきり大暴れした後、最後はまさかのバラード“生きいそぎyouth”で締めくくる。最後まで何が起こるのかまったく予想がつかず、輪郭をあえて有耶無耶にしたまま駆け抜けていくステージは、まさに思春期大爆発。どうしようもないものはどうしようもない。無理に決着をつけず不規則に暴れ回る。好き勝手にやって帰っていくのに、彼らのライブは不思議と心が満たされた。最初は戸惑っているような雰囲気だった観客たちの満ち足りたような顔を見ていると、京都にまた新たな風が吹き込んだように感じられた。
音楽が続く街であれ(フリージアン)
『ナノボロ2025』初日のトリは、神戸発の4ピースバンド、フリージアン。マエダカズシ(Vo)が「トリです!始めます!」と叫んで、“夕暮れとオレンジ”から賑やかに始まった。指を指したり歌詞に合わせて身振り手振りをしたりと、観客と会話をするように歌うマエダ。観客もそれに拳や笑顔で応える。続く“青瞬”では、MASASHI(Gt)と隆之介(Ba)が前に出てきて息ぴったりの演奏を披露。すると、マエダが2人の間に入って両者に満面の笑みを向けるという、仲の良さと信頼関係が伝わってくる場面も。この前半からの盛り上がりから一転し、マエダはMCで少し寂しそうな表情を見せた。フリージアンの地元、神戸で長いあいだ慣れ親しんだライブハウスが、いつの間にかマンションや駐車場になってしまったという話からこう続けた。
「ライブハウスってもんはさ、やっぱ人の力で繋がれてるもんやと思うんですよ。〈nano〉は、今も京都のライブハウスとしてずっとシーンをキープし続けてくれている。こうやって人が集まって音楽を聴く場所があるって、ほんまに素晴らしいことやと思うんですよ」
優しく熱のこもったこの言葉を、フロアにいる全員が静かに受け取っていた。そして最後、メンバーが降壇する間もなく起こったアンコールに、フリージアンは前身バンドであるCOSMOSの楽曲“遊びにおいでよ”で応えた。マエダは気持ちよく踊れるサウンドに乗せて、ライブハウスへの愛が詰まった歌詞を真っ直ぐに歌い上げる。音楽を愛する人々をいつも温かく迎えてくれる〈livehouse nano〉へ、演者も観客もスタッフも一緒になって感謝を伝えているような時間が、そこには流れていた。
いわゆる学生の街であり、独自のカルチャーに魅了された表現者が全国から集まってくる街、京都。この日出演したさとうじゅんやときめきポメラニアンのように、自分の目で見た生活拠点・京都の姿を音楽にして持ち寄ること、ヤジマX、BLONDnewHALF、Akane Streaking Crowdのように、独自のパワーを活かし互いを追い越さんとする勢いで音楽の道を繋いでいくこと。このような動きが人々や音楽を出会わせ、様々な化学反応を起こしながら、「京都の音楽」は続いている。そこには、出身も肩書きも関係ない。ライブハウスという存在が愛され、音楽の鳴る場所が続いていく尊さを体現したかのような『ナノボロ2025』初日であった。
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2001年梅雨生まれ。音楽の流れる景色を描くようなことばを紡ぎたい。
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