今を生々しく鳴らす3組の、美しい物語の途中~『in-phase KYOTO』 @ 京都GROWLY 2017.07.07
七夕の日の京都。湿気をたくさん含んだ夕刻は、曇り空へ再会の期待と祈りを抱きながら夜を待つ。一週間前にも大阪にて行われた『in-phase』。仲手川裕介によるSPANK PAGEとACO率いるuncommon ghostの共演で人々が歓喜した同イベントの京都編は、さらにRopesからachicoを迎えた3組による七夕ミーティングとなった。SPANK PAGEの京都の庭と言ってもいい京都GROWLYでの、特別な夜を堪能する。
最初にステージに現れたのはachico。SPANK PAGEを彦星に、uncommon ghostを織姫に喩えた前提で、「私は天の川です!」とキュートな笑顔を客席に見せる。その冒頭の和やかな空気からachicoという天の川はさらさらと流れるのかと思いきや、ダンッと切り込まれたシンセサイザーの第1音目から強い流れに深く飲み込まれそうになる。そんな重い音に共鳴していくように、achicoの芳醇な歌声が会場の空気を揺らしていく。
手拍子やタンバリンの音、マラカスを振ったりしてあらゆる「リズム」をどんどんループするようにその場で録っていく。その上にこっくりとしたシンセサイザーを重ね披露されたのはRopesの “Drive”。初めて一人で奏でられたとは思えない作り込まれた音に、鈴の音のキラキラが彩り、そこに歌声が優しく寄り添っていく。achicoの天の川は、一人であるがゆえの不安と自由を、客席とともに思いっきり楽しんでいた。それは誰も隔てていなくて、むしろ人と人を繋ぐ優しさや強さに溢れていた。
次に登場したのはVo/Gt.ACOのuncommon ghostだ。甘く気怠いが煌めきのある歌声で、言葉をひとつずつ丁寧に届けるACOの魅力。近年はそれに加え、緻密でありながらシンプルなバンドサウンドと共存しているというイメージがあったのだが、uncommon ghostで英詞を操るACOはそのよく使いこまれた歌声のもっとビターでマットな魅力に溢れていた。オルタナティブなサウンドとの親和性も高い。そんな新たなバンドの音を、ここ京都でこの至近距離で浴びられる幸福たるや……!荒々しい中にもフォーキーでメロウな温もりを感じるのは、Dr.岩城智和 (LOSTAGE)、Gt.岩谷啓士郎というメンバーとの緩く優しいチームワークもあるのかもしれない。「日本語は音に乗せにくいんだよね」と言いながら、ACOの“Lonely Boy”を。uncommon ghostで表現するからこそ、その寄り添いにくい日本語とギターとドラムが不器用に歩み寄る美しさを感じることが出来る。
そして、新曲にはACOのソロ編成ではお馴染みのBa.中尾健太郎が1曲ゲスト参加すると、ベースによって曲が新たにキリッと輪郭を持ち、ざらついた音が際立っていた。
共演2組の生々しくも美しい音に、SPANK PAGEへの期待も高まる。1曲目の“ready for”から仲手川の清らかな歌声が気持ちいいのは言わずもがな、浮遊感があるのにその足裏にはどっしりと大地を感じるバンドサウンドが印象的で、思わず息を飲んでその場に留まらずにはいられない。 “grace”で神々しさを極める仲手川の歌声。“EAT”で鼓動を煽り、地面を揺らす水野雅昭のドラム。そして“please”では皮膚の下で血液が蠢くような中尾健太郎のベースに、仲手川の高音が絡みつく。歌を届けるための演奏に留まらない、研ぎ澄まされた音の層は、まるで地底深くのマグマから宇宙遠くの星空まで、私たちを取り巻く自然すべて感じられるように、圧倒的でいて優しい。
ラストの“throw”では清らかで祈りにも似たメロディーと、意志を持って走り出すようなバスドラムのビートが、この先のSPANK PAGEへの期待を高めていた。
「リリースツアーではありませんが、リリースするぞという気持ちがこのライブで高まりました」との仲手川の言葉に、客席は喜びを隠せない。“throw”の歌詞からも感じること、それは今日のこのライブを昇華してしまえばそれはそれで満足出来るが、今日の夜には必ず続きがあるのだということ。何度目かの出演になる京都GROWLYで、achicoとuncommon ghostとの共演で見せたSPANK PAGEの決意に満ちた堂々たる生音は、今彼らに少し見え出した少し先に向かって、確実に私たちを連れていってくれる。そんな幸福な期待に包まれた夜だった。また近い未来に、この場所でその物語の続きを聴きたい、心からそう願った。
残響から途切れることのないアンコールに応えて3組が登場すると、数多のミュージシャンによってカバーもされてきた名曲Radioheadの“Creep”をセッション。この3組で鳴らし歌われる“Creep”は、「美しさ」とは何なのかをあらためて考えさせてくれるものだった。それは今を泥臭く生きて、生命いっぱいで音を鳴らし続ける悲しくも美しい音楽そのものだ。生々しさゆえの美しさに触れ、私たちはまた再会のときまで歩み続けることが出来る、そんな風に思う七夕の夜だった。
WRITER
-
滋賀生まれ。西日本と韓国のインディーズ音楽を好んで追う。文章を書くことは世界をよく知り深く愛するための営みです。夏はジンジャーエール、冬はマサラチャイを嗜む下戸。セカンド俗名は“家ガール“。
OTHER POSTS