【漫画で読み解くストーリー:第3話】『AKIRA』に見るディテールの描き方
イラスト提供:中田アミノ
リアリティは二の次という漫画が多い中での『AKIRA』の挑戦
『AKIRA』って、とにかく細かいですよね、絵が……。
マンガの現場でもよく使うディテールという言葉は「細部」の事を指しますが、そこには「全体に対する末端部分」という意味もあるそうです。
例えばマンガで車がひっくり返っているシーンを描こうとすると、必要なのは「車の裏側ってどうなってるの?」という情報ですが、それと同時に「その車はなぜひっくり返っているのか?」「どの程度のダメージを受けているのか?」と言った演出上の情報も必要となります。だからマンガのアシスタント、あるいは舞台や映画の美術さんのような仕事ではストーリーやシーンにおける演出意図を把握するのは常識で、つまりそこで言うディテールはまさしくストーリー全体に対する末端部分、細部に対する演出に他ならないのです。
1982に講談社「ヤングマガジン」で連載が始まった『AKIRA』は、それまでニューウェーブの代表作家として知る人ぞ知る大友克洋先生が『童夢』の後にいよいよメジャーにやって来たぜ!というマンガ界には一大事件だったわけですが(当時のヤンマガは隔週連載だったけど、それでもすごい事だったんだよ!)、何より連載開始時の『AKIRA』からは今までとは違った大友先生の意気込みが伝わって来て、大袈裟ではなくマンガが変わる歴史的瞬間に立ち会ったような興奮がありました。
1970年代の終わりに大友先生が登場した頃は、マンガは少年誌と少女誌と劇画といったような大雑把な括りしかなく、全体的には「ストーリーは面白さ重視、リアリティは二の次」といった感じでした。例えば、少女マンガではどうしたら再現出来るかわからない髪型のヒロインがどこの国の人かよくわからないイケメンと恋をし、少年マンガは言うまでもなく破天荒でなんでもあり、劇画は一見リアルだけどピストルの残弾数なんかまるで気にしない作風だった……と言えばちょっとは伝わるかな?
ディティールの積み重ねがある種の予見をももたらした
そんな中で登場した大友先生の短編作品が衝撃だったのは、そこで描かれるすべてのディテールがリアルだったからなのですね。出てくるキャラクターはすべてゴリゴリの日本人顔+人体構造にのっとった体型。子供、大人、老人、すべてリアルで、マンガ的なヒーローやヒロインはいない世界。服のシワからピストルの発射音(「バキューン」は大友作品によって淘汰される)に至るまで、徹底的にディテールにこだわるその姿勢は、マンガより映画に近く、ストーリーのカタルシスというよりは当時のATGのようなアングラかつリアルな感情を扱った映画の影響を感じる作風でした。
20代そこそこの人がどうしたら大人から子供まで、殺し屋、チンピラ、落語家、心中しようとしてる一家、西部のガンマン……。のディテールまで描きわける事が出来るのか、驚愕の気持ちで読んでいた一方で、それらのストーリーを説明しようとした時にあまりに味気ない説明しか出来ない事も、もしかしたらかっこいいのかもな、と思ってました、僕は。
オリンピックから昨今のディストピア感まで予見したと言われる『AKIRA』ですが、未来の東京を圧倒的なディテールの積み重ねでリアリティを詰めていった結果そうした現象が起こりうる事は実はそれほど驚くべき事ではないかもしれません。何しろ冒頭に登場した未来のバイク(金田の乗ってるヤツ)一つ取ってもバイク業界のトレンドを変えてしまうのですから。2019年の未来の東京がどうなっているのか、そこにいる人間はどのような服を着てどのような生活をしてどのような喋り方をするのか、徹底したディテールの積み重ねはここに頂点を極め、それはもう画力だけの問題をとっくに凌駕しているレベルです。その圧倒的な観察眼と世界観に対する細部への演出力に関してこのマンガを超える作品は(おそらく世界レベルで)存在しないし、それゆえに大友先生にとってはディテールの果てに作る事の出来る物語への挑戦だったのではないでしょうか?
演出は細部に宿る。これは本当にその通りだと思います。
マンガだからといってなんでもアリの荒唐無稽さも確かに必要ですが、大友先生の挑戦はリアリティの無かったマンガに対するカウンターとして始まったディテールの復権がマンガとして王道を極める事が出来るか、という事だったように思います。『AKIRA』は王道ストーリーである『幻魔大戦』(平井和正・石森章太郎)へのオマージュであったとインタビューでも語られてます。『幻魔大戦』は宇宙的絶対悪である幻魔に対し、地球上の超能力に目覚めた少年少女達が自らの使命に葛藤しながら成長し、地球の存亡を賭けて戦うというストーリー。まさに少年漫画的スケールと悪と対峙するヒーローの成長を描いた王道の設定です。大友先生はその王道ストーリーとディテールの積み重ねの演出のバランスに関しては1979年のSF中編『Fire-ball』によってすでに検証されていました。不本意な形で終わった『Fire-ball』からキャラクター寄りのアプローチも見せた『童夢』を経て、満を期して望んだ『AKIRA』。まずはその圧倒的なディテール描写を細かく味わって欲しいと思います。
6巻全部読み終わっていかがでしたか?
僕は『AKIRA』は(こんなこと言うのもおこがましいのですが)太陽に挑戦したイカロスの如き壮絶な戦いの記録だと思っています。自ら作り出した精緻なディテールを一度破壊し尽くしてそこから新たなディテールを紡ぎあげる……。そうする事で王道ストーリーのダイナミズムを生み出そうとしたカウンターカルチャー出身作家の王道への執念。僕自身は結局最後までキャラクターにそこまで感情移入する事は出来なかったのですが、そのディテールの積み重ねによる存在感は生きている人間のそれでしたし、何より世界が丸ごとこのレベルで実在感を持って演出されている作品なんて世界のどこを探してもないでしょう。
結局のところ『AKIRA』のあらすじを要約すると『幻魔大戦』と同じくらいシンプルになる。その事をディテールの勝利と見るのか王道ストーリーの逆転勝ちと見るのか、僕にはまだわかりません。
ただ皆さんには「『AKIRA』はとにかくディテールを1コマごとに味わって欲しいマンガ」とだけ言って今回のコラムを締めたいと思います。
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WRITER
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石川俊樹プロフィール:1962年東京生まれ 大学卒業後浦沢直樹先生のアシスタントを2年勤めた後、マンガ家兼アシスタントとして業界で働く。現在名古屋造形大学造形学科マンガコース准教授。バンド「フラットライナーズ」Ba/Vo
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