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【漫画で読み解くストーリー:第六話】『坂道のアポロン』に見るすれ違いの美学

イラスト提供:中田アミノ

マンガの教科書として何を読むかと問われれば、僕はこの小玉ユキ先生の『坂道のアポロン』をお勧めします。

 

2007年から小学館『月刊フラワーズ』で連載が始まったこの作品は、単行本9巻と番外編「ボーナストラック」が1巻というボリュームで完結しています。第57回小学館漫画賞一般部門を受賞し、2012年にはアニメドラマ化、2018年には実写映画化もされています。

坂道のアポロン

 

 

作者:藤本タツキ

連載期間: 2007年 – 2012年

掲載誌:月刊フラワーズ / 小学館

 

1966年長崎。東京から転校してきた繊細な高校生の薫は、ひょんな事でクラスの不良、千太郎とジャズを通じて友達になる。薫は千太郎の幼馴染みでクラスメートの律子が気になっているが、律子には意中の人がいることを知り、恋と友情の間で大いに揺れ動く青春を送る事となる。

あらすじだけ読むととてもオーソドックスなプロットで「ジャズ」というモチーフが少女マンガではややフックのある設定かな、と思います。画風も(誠に失礼な言い方を許していただければ)少女マンガ的なキラキラした絵と較べれば地味で、特にキャラクターの黒目にハイライトの入らない描写は「顔面で勝負するマンガとは違う」という潔さすら感じます。この『坂道のアポロン』が一見地味な感じのするプロットと絵柄でここまで大ヒットし、多くの読者の心を掴んだ理由は何なのでしょうか?

純粋な恋愛模様を描くための時代やモチーフの設定

手を変え品を変え設定やアイデアで奇抜さを競うマンガの世界で、それでもドラマの部分はそれほど奇抜なものは多くありません。多くは恋愛・友情・正義といった誰もがわかる普遍的な感情をドラマの軸に据えてあり、極端にいえばそのヴァージョン違いが毎週のように更新されていると言ってもいいかもしれません。『坂道のアポロン』も青春時代の恋のすれ違いをそのプロットとしており、誰もが経験するような普遍的感情を扱っている点では奇抜ではありません。ただこの作品の凄さはそこに真っ向から装飾抜きで取り組んでいる点なのだと思います。

 

『坂道のアポロン』は想いの誠実さをテーマとしています。そしてその想いが誠実であるが故にすれ違いや誤解が生まれる様子を描いています。この漫画のキャラクターはみんな他のキャラクターへの気持ちに誠実に生きています。他人を思いやる気持ちが強いからつい傷つけてしまう。そこに誤魔化しや言い訳がない。今時の恋愛事情からしたら少々アナクロなのかもしれません。しかし小玉先生はおそらくそこを描く事に強いモチベーションがあったのでしょう。その汚れなき美しい恋愛とそれゆえの不器用な葛藤をドラマにするために時代を昭和41年に設定し、言葉を超えた感情のやりとりとしてジャズというモチーフを選択されたのだと思うのです。つまり、この作品は昭和のよき時代を描いたものでも、ジャズを主題とした音楽マンガでもなく、あくまで純粋な恋愛模様が主題の作品なんですね。

 

多くのマンガの動機が設定やアイデアにあり、その落とし所として普遍的な感情をドラマに持ってくるのに対し、この『坂道のアポロン」はその普遍的な感情こそが主軸であり、それを表現するために「昭和」や「ジャズ」といった要素が機能している。だからこのマンガは人間関係を主軸としたドラマからブレないし、力強い。それが大きな感動を生み出しているのだと思います。

感情のすれ違いはストーリーテリングにおける原動力になる

人の想いはままならない。恋のすれ違いは「想い」が純情であればあるほど切ないし、不器用であればあるほど読者は引き込まれます。恋愛マンガにおいて「すれ違い」は展開のヒキとして大事なテクニックだし、想いが通じた瞬間がドラマのゴールになるのが定石です。読者はキャラクターの気持ちがわかっているからヤキモキするし展開に引き込まれていくのは、極端に言えばバトルマンガやスポーツマンガと同じであり、感情のすれ違いはストーリーテリングにおける原動力とも言えるかもしれません。問題はその感情のすれ違いの原因の深さです。単なる誤解だった、ではそこまで感動しませんよね。原因の深さはドラマの誠実さと比例します。僕がこの『坂道のアポロン』をマンガの教科書に推す理由はその深度の深さにあります。

 

感情のすれ違いの原因にそれぞれのキャラクターの事情が深く関わっており、特に戦後間もない時期にハーフとして生まれた千太郎の複雑な出生は長崎におけるキリスト教のあり方とも深く関わり、若者の恋愛というモチーフを超えて一人の人間の半生までも描き出します。人間を誠実に描こうとすればするほどすれ違いを解くハードルは上がり、そこを超えた絆はより深いものとして説得力を持つでしょう。すれ違いをドラマを盛り上げるテクニックとして利用するだけではなく、そこに人間ドラマの醍醐味を真っ向から描く小玉ユキ先生の誠実さこそをお手本として欲しいのです。

 

実は薫の想いが律子に通じたかと思えた8巻からナイーブな薫の想いは新たなすれ違いを生み出し、9巻でドラマは驚くべき展開を見せます。少女マンガ的展開ならばゴールは卒業も含めた学生時代に迎えるハズですが、残した感情のしこりを妥協なく拾っていく小玉先生のドラマは少女マンガの範囲を超えて、青年マンガのような骨太なドラマになっていきます。淡い恋愛ドラマから始まって最後番外編も含めて友情で結ばれた若者たちそれぞれの半生に至る壮大な展開と感動的なフィナーレ、僕は小玉先生の描くこのドラマのスケールの大きさと深度に、『坂道のアポロン』におけるすれ違いの美学を感じるのです。

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