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【カルト映画研究会:第6回】ベニスに死す(Death in Venice)

MOVIE 2020.08.31 Written By 石川 俊樹

名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作にして耽美映画の金字塔、『ベニスに死す』。

この回はゲストスピーカーに僕と同じ名古屋造形大学に勤める江津匡士准教授に参加していただいた。江津先生は美術家・図案家・装丁家・愛猫家・喫茶人(Twitterプロフィールより)で、セーラー服を始めとした古い洋装や風俗の研究家。まるでこの映画の主人公アッシェンバッハを体現するかのような美と退廃を愛する名物教授。今回の『ベニスに死す』はそんな江津先生のチョイスである。

 

江津先生プロフィール:https://www.nzu.ac.jp/teachers/rd/gozu/

あらすじ

自身の芸術の限界を感じつつ静養にベニスを訪れた作曲家アッシェンバッハは、そこで美の権化のような少年タージオに出会い、抗えない魅力の虜となっていく……。

性別を超越した美のミューズ、タージオ

『ベニスに死す』は同性愛がモチーフであり、ヴィスコンティ自身もバイセクシュアルを公言している監督ではあるが、この映画の耽美ムードは同性愛だけによるものではないと江津先生は解説する。この映画が描いているのは究極の美であり、少年タージオはアッシェンバッハの妄想の中でその普遍なる美の象徴なのである。

 

劇中で友人のアルフレッドは回想シーンにおいて芸術の真の永遠は直感の中にあるとアッシェンバッハに激しく説き、美の永遠を求めるアッシェンバッハは地位やモラルも捨て芸術的直感の中に生きようとする。アッシェンバッハの妄執は性愛を超えた美そのものへの渇望であり、その対象としてのタージオは性別を超越した美のミューズとして描かれているのだ。

 

実際タージオ演じるビョルン・アンドレセンの美しさは尋常ではなく、彼の美貌そのものがこの映画の説得力になっている点は奇跡のキャスティングだと思う。そこだけでも十分観る価値がある映画だ。

ある日突然、蔓延する病魔によって脆く崩れ去る人間の営みの中の虚飾

映画後半から物語に陰を落とすのはベニスに忍び寄る疫病のコレラ。水の都、観光都市としても名高い美しいベニスの街が次第に禍々しくなっていくシーンは、今観るとどうしても現在のコロナ禍を思い起こしてしまう。昨年度、勉強会の頃には全くなかったコロナの影響がこうも映画の印象を変えてしまうものなのか。

 

疫病は平民だろうが貴族だろうが分け隔てなく襲ってくる不条理である。

 

20世紀初頭の「ベル・エポック」と呼ばれる芸術全盛の時代において、ベニスは貴族や名士の静養地として繁栄の象徴だった。今観ても豪華極まりないホテルや宿泊客の装いは同時に何か危うい香りを孕んでいる。

 

劇中のアッシェンバッハの狂気とシンクロするようにベニスの街がコレラによって虚飾が剥がれていく様は頽廃の極致であり、瀟洒な世界がグロテスクに変容していくプロセスは今観るとさらに凄みを持って迫ってくる描写だ。この美しいベニス自体が疫病を隠蔽している紙一重の存在であり、それはそのままアッシェンバッハが求めるタージオの美への妄執が破滅を内包していることと重なる展開は非常にスリリング。

 

人間の地位や名誉も所詮は永遠ではなく、人間の営みの中の虚飾もまたある日突然蔓延するコレラによって脆く崩れ去る。そんな中で「永遠なる美」を求め、才能への失意と老いへの恐怖から一線を超えた狂気と妄執へ堕ちていくアッシェンバッハのドラマは、「美」そのものへ捧げる生贄の儀式のような気さえしてくる。

アッシェンバッハの最期はバッドエンドか、ハッピーエンドか

現在カルチャー全般がコロナによって変節を強いられ、様々な社会的試みが試されている状況の中で、『ベニスに死す』におけるアッシェンバッハの生き様はあまりにも無力であり、時に滑稽にすら感じるかもしれない。しかし我々の文化もまたコロナ以前の頽廃を孕んだ豊潤さから虚飾を剥がされ、もしかしたら芸術の真の意味を問われるような局面に立たされているのかもしれない。

 

とかく美少年タージオの存在で語られがちな『ベニスに死す』であったが、実際に疫病の不条理下にいる我々にとって、地位や名誉が意味を失いつつある頽廃は今でこそリアルに迫るものがある。普遍なる「美」を求める芸術はコロナではぎ取られた虚飾の後に何を見せるのか。美少年タージオに妄執しそこに直感的な永遠を見出し、果てるアッシェンバッハの最期をバッドエンドと見るかハッピーエンドと見るか、その答えは僕にはまだわからない。

 

コレラ禍のために消毒と焼却で薄汚れていくベニスの街中で、そこだけ切り取ったかの如く変わらぬ美しさを放ち続けるタージオの姿は、まるで永遠に手に入れることのできない人生の真実のように、そして悪夢のように、これからも江津先生や僕の中で輝き続けていくのだろう。

企画趣旨とその他の掲載作品一覧

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