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【漫画で読み解くストーリー:第10話】『茄子』に見る会話の技術

会話には方向性があります。

普段我々が深く考えることなく交わしているたわいのない会話にも何らかのベクトルがあり、締めには結論めいたものに至ります。いざ録音して後で聞いてみるとわかるのですが、自然な会話は噛み合っていないことも多く、それでいて不思議とお互い意思の疎通ができているものです。みなさんも何となく心当たりがあるのではないでしょうか?

BOOKS 2021.08.18 Written By 石川 俊樹

イラスト提供:中田アミノ

マンガ技術の醍醐味は会話作りのうまさ

これが創作物の話になると自然な会話は演出となります。キャラクターそれぞれがリアルに話しながらも、作者はそれとなく会話のベクトルを調整して話を進めていく必要が出てくるのです。

 

これがなかなか難しい!

 

ストーリーを進めようとキャラクターの会話をコントロールしすぎると、強引でわざとらしくなり、読者に作者の意図を見透かされてしまいます。読者はあくまで臨場感からドラマを体験したいので、そこはうまーく隠していきたいところ。反対にリアルにこだわるあまりだらだらと軽口を続けていると話が進まず、ページ数ばかりが増えていきます。

 

とかく絵のうまさが話題になりがちなマンガにおいて、実はセリフ運び、ひいては会話作りのうまさはマンガ技術の醍醐味として大いに注目していただきたい部分でもあります。

 

2000年から2002年にかけて講談社『月刊アフタヌーン 』で連載された黒田硫黄先生の『茄子』という作品(全3巻/新装版上下巻)は、黒田先生の筆を使った独特な画風や大胆な構図もさることながら、各話に凝縮された見事な会話術が素晴らしい傑作です。

 

まず茄子をモチーフに、場所や時代もまちまちなエピソードを繋ぐ手腕(構成力)が天才的。そしてそれぞれの決して長くはないエピソードが見事にリアルなんです。そこを短いページ数で両立させるのが黒田先生のセンスと才能であり、自分も当時、嫉妬したのを覚えています。

 

力しかもこれを読み切り1本ならともかく、連作で描くのは並大抵のことではなく黒田硫黄先生の才能と自信に満ちたオムニバス短編集がこの『茄子』という作品なんです。

茄子

 

作者:黒田硫黄

連載: 2000年〜2002年

掲載:アフタヌーンKC

血の通ったキャラクターが生み出す、軽妙な会話

『茄子』に登場するキャラクターはインテリ中年、女子高生、やくざ、トラック運転手、不良少年少女、自転車競技選手、江戸時代のお侍、近未来の技術者まで多岐に渡り、しかも全員がそれぞれの立場に見合った考え方、喋り方をします。またそこで描かれるそれらのキャラクターがいる舞台も、映画制作現場、借金苦の家庭、モラトリアム、ヨーロッパ、江戸、近未来の富士山などいろいろ。

 

キャラクターの会話もそれぞれの舞台のリアリティに合わせて見事に使い分けられています。特にスペインを舞台に繰り広げられる自転車レーサー達の会話は緻密な描写と相まって見事な臨場感を演出しており、このエピソードだけで2003年に高坂希太郎監督で『茄子 アンダルシアの夏』として独立した劇場映画作品になったほどです。

 

黒田硫黄先生の見事な会話構成は、舞台に対する綿密な取材がベースにあるのはもちろんのこと。さらに情報を入れ込むだけではない、その舞台に生きる人達のぼやきや矜恃までもがキャラクターと融合した全方向にリアルなキャラクター造形力は、大友克洋先生にも匹敵すると自分は考えます。江戸のやくざ、トラック運転手の不倫事情や田舎で「センセイ」と呼ばれるインテリ中年のどことなくハスに構えた諦観まで、いかにも血の通ったキャラクターの魅力として自然に活かされています。それらの人々の会話が黒田先生の見事なサンプリングによって実に軽妙に、テンポよくストーリーを運んでいくのです。

 

それを毎回舞台を変えて事もなげに繋いで見せる『茄子』という作品には面白さを通り越して(敢えて言わせていただければ)どこか不遜なほどの黒田先生の自信を感じるものがあります。

筋の面白さというよりは会話の気持ちよさの追求

この「自信」こそがこの作品の個性であり、その個性が上記のリアリティの部分から落語にも通じる軽妙なエッセンスだけをサンプリングして会話を作り上げているからだと思うのです。

 

大友克洋先生のキャラの会話は、リアリティに徹底することで事実から生まれるエピソードに寄り添ったもの。それに対し、リアリティを詰めた上で黒田先生自身のグルーブで会話をサンプリングした『茄子』は、リアリティと作劇が作者の個性を軸に融合し、リアルなようでリアルではない、噛み合ってるようで噛み合ってない、黒田先生独特の会話術が際立っているのですね。

 

そこには筋の面白さというよりは会話の気持ちよさとしての魅力があり、その話の落とし所の見事さには、まるで落語のオチのような話術の妙を堪能することができます。

 

『茄子』という作品のセリフには軽妙さ、愉快さと同時に人間の怖さ、危うさが同居しています。それらがエピソードごとにムードで区別されるのではなく、同じトーンで語られる会話の中に潜んでいて、よくよく考えるとゾッとする話だったり考えさせられたりします。まさに落語の怪談ですよね!

 

ストーリーを意識させない自然な会話は、時にその背景にある恐怖や暴力性も水面下に隠蔽してしまいます。黒田硫黄先生の会話術がリアリティのある日常会話にとどまらず、読者に深く印象付けられる秘密は、もしかしたら愛や暴力や恐怖といった演出を作画の効果に頼らずに軽妙な日常会話に潜ませる事でコントロールしようとしているのかもしれません。それはすなわち我々がリアルな日常でしている会話の水面下にさまざまな感情やドラマが潜んでいることを、『茄子』というマンガで暴こうとしているのかもしれませんね。

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