【漫画で読み解くストーリー:第11話】『ミステリと言う勿れ』に見る謎解きの延長にあるもの
日常には様々な矛盾や謎が潜んでいます。でも我々はその時に気がついた些細な疑問など気にしないか、そもそも気づく事すらなく日常を生きている。推理ドラマの醍醐味は探偵、もしくはそれにあたる主人公が見事な推論で難事件を解明するところにあるのですが、それは案外日常の小さな謎から解き明かされる事だったりするのです。
イラスト提供:中田アミノ
2018年から小学館「月刊フラワーズ」で始まった田村由美先生の『ミステリと言う勿れ』はちょっと変わった思考と蘊蓄を持つ大学生・久能整くんがいろいろ事件に巻き込まれながら鮮やかな推理で事件を解明していく推理ドラマ。すでに累計1000万部を超える大ヒット作品となり、2022年度にはTVドラマ化も決定しています。
名探偵には見えない主人公、立場が曖昧なままの整くん
主人公・整くんのちょっと変わった思考とは、日常のちょっとした謎や気づきを些細な事として扱わない事です。整くんはよく喋ります。でもお喋りな社交家というわけではないんですね。独り言も多いし、思った疑問を口に出すし、考えている事が口から漏れていると言ってもいいかもしれません。普通に考えたらかなり変なヤツです。しかしながら「僕は常々思ってるんですが……」から始まる突然の蘊蓄や素朴な疑問は不思議な説得力を持っていて、一見空気を読まないような唐突な発想が、会話を思わぬ方向へ導き、やがて真実が見えてきます。
整くんは第1話で殺人事件の容疑者として登場しますが、彼は探偵でも刑事でもない、まだ何者にもなっていない大学生という立場。なので職業的矜恃も持ち合わせておらず、殊更犯罪を憎む正義感でも、知的ゲームにスリルを感じるエリートでもない。友達や彼女もいない、自炊のカレーを楽しみにするような天然パーマの男の子です。このマンガの2番目の大きな特徴として、この主人公整くんの立場の曖昧さがあります。
第1話の事件から整くんは次々と事件に巻き込まれていく展開ですが、常に飄々としながら立場や権力を持たない整くんが思いついたことをその都度喋りながら様々な欺瞞を暴き、時にはその人の気持ちを楽にしてあげたりする。その無欲さが読んでいてとても気持ちがいいんですね。
確かにそんな整くんを名探偵と解釈するには無理があるし、田村先生の意図もタイトルが表す通りミステリというよりは「ただ整くんがひたすら喋るマンガ」という意識の方が強いのかもしれません。
作者・田村由美が整くんのお喋りに託したもの
それでもこのマンガには殺人事件もあります。でもこのマンガのすごいところは殺人事件ありきの推理ドラマではなく、整くんのお喋りの行き着くところに殺人事件の謎解きがある地続き感なんですね。つまり、私たちの日常の中に潜む様々な矛盾や謎は地続きで殺人事件にまで至っていることがある、ということなのです。
このマンガの凄さ(いや、田村先生の凄さ)は日常の謎が殺人事件にまで至る過程において、人間の矛盾や業が殺人と同列に語られている事なのです。
整くんが日々感じる疑問はそのまま社会の矛盾を内包していて、殺人事件はフィクションの中でお膳立てされて起こるイベントではなく、その矛盾の延長としてある。ここで描かれる数々の事件はその矛盾を可視化するためのものであって、整くんのお喋りによってテーマを浮き彫りにしていく過程こそが田村先生の描きたい部分なのではないでしょうか?
僕は、推理ドラマというプロットが推理のための舞台装置だとしたら、トリックや推理を都合よく動かすためには社会の矛盾や問題点からある程度距離を置いた方がストーリーは回しやすいと思っています。
もちろん社会派ミステリーとして社会問題と密接にリンクしていく傑作も数多くあるのですが、「アリバイ」や「トリック」という仕掛けだけ見るとリアリティがあるというよりは、そこは読者も知的エンターテインメントとして楽しむ部分なんですね。
『ミステリと言う勿れ』は、連載している「月刊フラワー」が女性誌という事もあって事件そのものはリアリティというよりはファンタジックな演出が前に出ている気がします。事件だけ見ると社会派ミステリーではなく、エンターテインメントとしての推理ドラマの印象が強い。それゆえに読者への敷居の低さを生んだことが累計1000万部のヒットの要因のひとつでしょう。
そしてもう一つはエンタメとしてのクオリティの高さ。しかし、田村先生がこの『ミステリと言う勿れ』に込めた真の意図は、整くんのお喋りに託した現代社会の矛盾や問題を「殺人事件」と言うファンタジックな舞台装置に繋げる事で読者に意識してもらうことなのではないでしょうか?
謎が解けてもスッキリとしない読後感の正体
推理ドラマではトリックが暴かれ真犯人がわかればそこがゴールです。読者は謎が解けてスッキリするはず。
『ミステリと言う勿れ』はそこまでスッキリしない。事件解決のスッキリ感はあるのですが、社会問題に接続した数々の疑問や問題提起を含んだ整くんのお喋りは、そのまま僕ら読者の中に燻り続けます。事件解決部分はスッキリ後腐れ無しのエンターテインメントなのですが、このマンガの整くんのお喋りには作者田村由美先生自身の社会に対する疑問や怒りが込められている「リアル」なテキストなのではないかと自分は思うのです。
『ミステリと言う勿れ』という奇妙なタイトルは挑発的であると同時に読み解くヒントでもあると思います。このマンガをミステリと呼ばないのであれば何なのか?むしろ王道的とも言える推理ドラマ部分をあえてミステリと呼ばないならどう読み解くべきなのか?
それこそが田村先生がこの作品から読者に投げたミステリなのかもしれませんね。
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WRITER
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石川俊樹プロフィール:1962年東京生まれ 大学卒業後浦沢直樹先生のアシスタントを2年勤めた後、マンガ家兼アシスタントとして業界で働く。現在名古屋造形大学造形学科マンガコース准教授。バンド「フラットライナーズ」Ba/Vo
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