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『ブレードランナー』解析講座:過去からの影響と、未来への影響を8本の映画から探る – 中編 –

7作品目:境界に生きる『ボーダーライン』

2015年、リドリー・スコット総指揮のもとで『ブレードランナー』の続編はカナダ出身のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が担当するというニュースが流れてきた時、自分はこれ以上の適任監督はいないだろうと期待を募らせた。なぜなら同年に公開されたヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』があまりに素晴らしく、この監督のSF映画が観たいと思っていたからである。(実際には翌年2016年『ブレードランナー』続編より先に『メッセージ』というSF映画が公開されている)

『ボーダーライン』は麻薬戦争を扱ったポリティカル・サスペンス映画である、が、そう一言で説明するとキャサリン・ビグロー監督の『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012)のような映画を想像するかもしれない。あるいは麻薬戦争という題材からスティーヴン・ソダバーグ監督が2000年に撮った『トラフィック』のようなマルチアングルの群像劇でアメリカの病理を俯瞰するような映画を想像するかもしれない。しかし、ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』はいずれの映画とも違った、題材に対する”客観性”と”主体性”を併せ持った、ハードボイルドとドキュメンタリー風ドラマの中間を行くような独創的な作品だったのである。

 

冒頭麻薬カルテル絡みの誘拐事件の捜査でFBIのケイト・メイサーは郊外の一軒家に隠蔽された大量の死体を発見。その後上層部から対カルテル 特務チームに推薦され、持ち前の正義感からチームに参加する事になる。ありがちで直線的プロットならば主人公ケイトはより強大な悪に対峙し、ケイト自身も大きく強く成長するストーリーになるだろう。だが、映画は真相に近づくにつれそのような直線的な解決からどんどん遠ざかり、善と悪のボーダーラインを超えたグレーゾーンに突入していく。オサマ・ビン・ラーディン暗殺の隠密作戦を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』もまた、現代の戦争は正義と悪の境界が曖昧なものと言わんばかりの 作りだったが、キャサリン・ビグローの視点は常に大局を俯瞰するジャーナリスティックな演出なのに対し、ヴィルヌーブ監督はあくまでキャラクターの感情を追っており、ある状況にいる人間達の様々な感情を描く事で現実と直面する人間の脆さや曖昧さを描こうとしているように思う。

鮮烈なのはベネチオ・デル・トロ(好きな俳優!)演じるアレハンドロという男の、怒りと悲しみが人間的な感情を超える冷徹な彼岸に行ってしまっているキャラクター造形だ。彼がケイトに見せる一種の優しさは”大切だった人の面影”をそこに見たから、だけではなく、自分がすでに失ってしまった極めて常識的で人間的な 感情をケイトが持っていた事に対する郷愁だったのかもしれない。そんなわけでついつい観ている我々はアレハンドロにヒーロー的な”正しさ”を期待してしまうのだが(映画において復讐は常に正当化される)ラストシーンでケイトとともに我々はアレハンドロに銃を突きつけられる事となる。この地味だが目の覚めるようなラストの意味こそ2000年以降のドラマのリアリティとして前回のニコラス・ウィンディング・レフンもまた『ドライブ』において描きたかった新しい地平であり、ヴィルヌーブ監督が『ブレードランナー』の続編を作るにあたっての単なるファンサービスの懐古趣味にならない現代性の要素として大変重要なポイントになってくるのは想像できる。

 

現代ドラマにおける善と悪の描写の難しさ、複雑化した社会の価値観の多様性の中でドラマが表現すべきテーマは何か?1982年の『ブレードランナー』が来るべき未来における人間性のあり方についてのドラマであったのに対し、35年の間に当時想像もつかなかった社会が現実になって、ヴィルヌーブ監督はその続編をどう撮るか。この『ボーダーライン』で描かれる地獄のような状況は、まさに続編にふさわしい来るべき未来の雛形であり、その中で描かれるドラマからヴィルヌーブ監督が主人公をレプリカントに置く事への布石のような意志を感じる事が出来ると思う。

『ブレードランナー』解析講座:過去からの影響と、未来への影響を8本の映画から探る – 後編 –

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