【小倉陽子の見たボロフェスタ2018 Day2】ハンブレッダーズ / Dos Monos / tricot / Koochewsen / ラッキーオールドサン
京都にまつわる音楽の話をするとき、しばしば「京都の」とか「京都っぽい」という言葉が使われる。生まれ育った街、音楽活動を始めた街として今もその街を活動の拠点とし、レペゼン○○を掲げるアーティストは10年、20年の間に増えてきたように思う。日本全国の地方都市では、進学で様々な地方から集まった大学生が縁あって出会い、バンドを組んで音楽を始めるということがよくあるだろう。しかし、メンバーそれぞれが就職し地元へ帰ったとしても、ライブや製作のために京都に集まり、「京都のバンドです」と名乗ることがある、これは他の地方都市からすると珍しいことなのだという。
どんなに環境が変わっても音楽を続けることを受容する器。今年のボロフェスタが掲げるテーマ「音楽を止めるな!」も、今更ながらあらためてそんな京都という街の器を感じるのだった。そして、そんな「京都っぽい」音楽フェス、ボロフェスタではもちろん、京都だとか京都じゃないとか、ロックかロックじゃないとか全て超えて、普段京都のライブハウスでは目撃出来ない音楽にも触れられる、一年で最も大きな器の日なのだ。
まさに「京都の」を冠して京都を代表するバンドのひとつになったHomecomingsから始まったボロフェスタ2日目。新たな試みとして日本語詞に挑んだ新曲が披露され、Homecomingsの、そして京都の音楽土壌の留まらなさに期待が高まる始まりだ。
ハンブレッダーズ
Homecomingsで上がったフロアの熱気をさらに上げようと、続くクィーンSTAGEのトップバッターにはハンブレッダーズが登場。大人の文化祭といった面持ちもあるボロフェスタに、終わらない青春を歌うハンブレッダーズはピッタリなアクトである。街の底STAGEに初めて出演したのが昨年、それからこの一年で初の全国流通版となるフルアルバム『純異性交遊』のリリースを始め、彼らの音楽活動におけるステージも駆け上がってきた。表立って冠することはないが、彼らも京都の学生として音楽とともにあった青春があり、このボロフェスタのパーティーオーガナイザー土龍が店長を務めるライブハウスnanoでその土台を作ってきたバンドのひとつだ。
ギターサウンドが零れんばかりの青さと酸っぱさを差し出してくる“フェイクファー”でフロアを沸騰させていく。バンドがしたい!音楽最高!という初期衝動を常に持ち続けながら、着実に自分たちの音を磨いてきたハンブレッダーズが永遠に味方でいるのは、青春時代に友達と遊ぶこともなく音楽に傾倒した自分たちだろう。彼らの音楽はアンセムであってアンセムでない。聞くたび心を掴まれる<一緒に帰る友達が いなくて良かったな>のフレーズが印象的な“DAY DREAM BEAT”で、大きなステージに立っても一人一人に届くロックンロールを撃ち鳴らした。
Photo:Furuhashi Yuta
Dos Monos
街の底STAGEがライブハウスの再現だとしたら、所謂ロビーに設営されたジョーカーSTAGEは人が通り過ぎ行き交い、そして立ち止まる路上ライブに似た会場ではないだろうか。しかしDos Monosに関して言えば、動物の鳴き声のサンプリングのような音や木々が蠢く音、濁流のような音、背後に流れる映像も相まって、ジャングルを思わせるオープニングサウンドで人々の足を止める。yahyelや向井太一にも楽曲提供をしているトラックメイカー荘子itのサウンドとラップに、TAITAN MANのラップが重なり、代表曲“in 20XX”へと繋げていく。Dos Monos3人目のラッパー没も加わり、フロアの興味はその多彩なサウンドとともに3人のラップのグルーヴに惹きつけられていく。サウンドも声も言葉も映像も全てが計算されており、ステージからフロアの境目まで身体を大きく揺らし表現する様はコンテンポラリーダンスのようでもあり、観客も身体全部で受け取るDos Monosの表現は刺激的だ。ヒップホップの本当の魅力を再確認したような心地だ。
ボロフェスタは2日目の深夜にclub METROで行われる「vol.夜露死苦」はもちろん、本編でもトラックメイカーをバンドと同等に尊び、その境目を飛び越えようと常に挑戦している。そんなボロフェスタに初登場したDos Monosのこれぞ音楽と言わんばかりのアクトは、バンド活動を経てきた彼らだからこそ説得力を持っている。「初めての関西だったので楽しかったです」と発するとフロアから「もっと来て!」と即答のラブコールが飛び、京都の早耳リスナーやオーガナイザーに熱い興奮を残していった。
Photo:Yohei Yamamoto
tricot
再びクイーンSTAGEには、2012年からボロフェスタの常連だったが今年は4年振りの出演となるtricotが登場。ボロフェスタにおかえりなさい、という気持ちで迎える。4年の間全国各地、世界中で爆裂してきた彼女たちは、吉田雄介(Dr)を加え再び4人になって帰ってきた。より一層無敵だと言わんばかりの強さを纏ったような佇まいに期待が高まる。キダモティフォ(Gt/Cho)がKBSホールに硬質な鋼の音を響かせ、ジャランと一呼吸置き、吉田のどっしりとふくよかなドラムからこれぞtricotとリズムを自由自在に操っていく“ブームに乗って”で客席が興奮に満ちる。“おもてなし”ではヒロミ・ヒロヒロ(Ba/Cho)のベースが轟き、フロアからは手拍子が沸く。キダが印象的なリフを繰り出しながら、真っ直ぐな眼差しで客席を見据える。tricotのお家芸と言わんばかりの変拍子を畳みかけ、フロアの温度が目に見えて上がる。しかしtricotの魅力はそれだけに留まらない。新曲“BUTTER”“Potage”と、メロウな演奏と甘美なコーラスワークで、また別の美しさを魅せてくれた。「土龍さんありがとうございました、また呼んで下さい!」と私信を投げ、久しぶりのボロフェスタをtricot自身も楽しんでいたようだ。最後に“メロンソーダ”を演奏すると、中嶋イッキュウ(Vo/Gt)の振り絞るような「ありがとうございました」という大きな感謝が、これまでの彼女達の軌跡に出会った人たち全てに届くようだった。
Photo:岡安いつ美
Koochewsen
急いでクイーンSTAGEを後にすると、2012年に「クウチュウ戦」として出演して以来に登場のKoochewsenを目撃するべく街の底STAGEへ。「若干ハタチ」のような表現は諸刃の剣だが、2012年くらいは彼らが多くの大人に「何かすごい奴らが出てきた」と期待と羨望の眼差しで見守られていたのだろう。そんなこと期待もどこ吹く風、彼らは真っ直ぐに音楽を信じ、より新しく美しいポップソングを追求してきた。
その結果生まれた、10月17日リリースのKoochewsenとしての新譜『sweet illusion』からの楽曲を中心に街の底STAGEを魅了する。80年代AORへの敬意も感じる“city rock”は音源で聴くよりも生っぽくロックバンドサウンド然としていて逆に驚いた。街の底STAGEに良く馴染む重厚で荒らいだ音の印象もある。Vo/Gt小林リヨの「今日はお祭りだし、みんな好きに楽しんで帰ったら?」という少々尖った煽りとはうらはらに、 “Englishman”では大きな起伏のない、強くて優しいバンドサウンドで Koochewsenの新境地を感じた。かと思いきや、ラストのサビ前ではつかの間の夢のようなエレピの響きで、やっぱりため息が薔薇の花になってしまうような甘美なプログレ感は健在なのだ。Koochewsenが持つ美意識はどこにも収まらないではみ出していくものと同義だと感じていただが、街の底STAGEの閉そく感を彼ら色に染めるのではなく、そのライブハウス然とした鳴りを最大限生かして、ありとあらゆる音楽への敬意を感じる美しいライブだった。
Photo:ヤマモト タイスケ
ラッキーオールドサン
本日2度目のジョーカーSTAGEではトリのラッキーオールドサンのリハーサル。観客も2人の歌を、リハから期待いっぱいで待ち望む、少し緊張感のある空間。昼間のDos Monosは彼らの魅力でカオティックな空間へと仕上げていたが、ラッキーオールドサンは間違いなくのどかな鴨川沿いの路上へと連れていってくれることだろう。メインステージからOGRE YOU ASSHOLEの怒涛のようなベースラインが漏れ聞こえている中、“坂の多い街と退屈”が始まると、ナナの意志の強さを感じる真っ直ぐな歌声と、篠原良彰の柔らかな歌声に包まれ、観客もステージに集中する。“とつとつ”が始まる頃にはメインステージのアクトが岡崎体育へと移り、激しい電子音が続いているが、それはそれとして受容し動じずひたむきに届けられる2人の音は、その楽曲の帯びている寂しさと温かさそのもののようだった。ギターとハーモニカ、歌という最小限で心細い編成での“ミッドナイト・バス”は、言葉のひとつひとつがより一層優しく響いてくる。<生まれ育った街をはなれ 君もいつか大人になってしまうだろう 魔法が使えなくなる>上京を歌ったであろうこの楽曲をここ京都で聴くと、地元を離れ京都で音楽に触れたこと、そしてまた京都を離れたことにも重ねられ、ボロフェスタに関わる全ての人を優しく奮い立たせるようだ。
アンコールで歌われた“渡り鳥と愛の薔薇”の<ここにいるよ 歌っているよ 色んなことが通り過ぎたって>というフレーズがまさにボロフェスタそのもののようで、ラッキーオールドサンの歌にしっかり2日目のボロフェスタを総括したのだった。
昨年アンテナで取り上げた【キャシーが見たボロフェスタ2017 / 番外編】の記事を始め、今年も各所のインタビューやブログで紹介されているように、このボロフェスタに関わる人としてスタッフにスポットを当てている、稀有なイベントだと思う。そう、ボロフェスタが大切にしているのは音楽そのものだけじゃなくて、それを愛する人たちの生活なんだな、ということを、やっと3年目のボロフェスタレポートを経て感じることが出来た。昨年まではとにかくそこで鳴っている音について伝えることに必死だったのだけど、そうしたら今年はライブの間で行われているイベントやフードもちゃんと味わいたいと、この日はラーメンやんぐの“魔法のラーメン”をいただいた。このラーメンやんぐ、かつてボロフェスタにもバンドで出演された店主さんの静岡のお店だそうで、それを後から知って先日の土龍さんとfireloop足立さんの対談を思い出した。例えバンドを辞めたとしても、音楽とともにある生活は止まることはないんだと。どうしたって生活から切り離せない、どんな形であっても切り離すべきではない「音楽を止めるな!」ボロフェスタからのメッセージとやんぐのラーメンが、もうすっかり冬の香りのする10月の夜冷えを温めた。
Photo:Furuhashi Yuta
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滋賀生まれ。西日本と韓国のインディーズ音楽を好んで追う。文章を書くことは世界をよく知り深く愛するための営みです。夏はジンジャーエール、冬はマサラチャイを嗜む下戸。セカンド俗名は“家ガール“。
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