【脇役で見る映画】『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 せめて浮気でおってよね
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イエローとブラック。そんな目に痛々しいほどの鮮やかな組み合わせのツートーンの作品といえば、と問われてあなたは何を思い浮かべますか。
キル・ビル?それともバットマン?コミック版のウルヴァリン?
いかんせん難ありの人が出てくる映画ですけど。僕が黄色と黒で思い浮かべる映画といえば『ウルフ・オブ・ウォールストリート』なわけで。の作品に出てくる人物もまたどうしようもない奴らばかりなのです。いかんせん難ありの映画ですから。
社員旅行は飛行機で乱交
徹底的にどうしようもない奴らしか出てこない映画。それが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』です。舞台はウォール街。ジョーダン・ベルフォート(実在の人物。映画の最後にもちょろっと出演している)は雇われのブローカーでしたが、かのブラックマンデーに襲われて失業。めげずに株式仲介会社のストラットン・オークモント社を設立。最初はガレージのオフィスで、地元の不良や主婦などをかき集めて作った会社でしたが、ジョーダンの口達者が奏功して次第に規模が大きくなってゆく。予告編によれば26歳で年収49億円だそうな。えっと、いち・じゅう・ひゃく・せん……僕の何倍?
金が金を呼び、欲が欲を呼ぶ。セックス、ドラッグ、金道楽。誰もかれもが欲望に歯止めが利かなくなってさあ大変。オフィスにストリッパーは呼ぶし、オフィスでめちゃくちゃセックスするし、社員旅行では飛行機を貸切って乱交したり。乱痴気、とはまさにこのこと。
千変万化多事多難。景気が良かった時は上り調子でしたが、駆け上がった階段から転げ落ちるダメージも果てしなく。挙句には奥さんとの関係も冷え込んで、やれ離婚だ、やれ娘の親権だ、で流血騒ぎの喧嘩をして――。
というか!
ひと悶着(3時間もかかる壮大なひと悶着である)こそあったけれども、最後の最後にはなんやかんやで復活。獄中でも持ち前の話術で「経済を掌握」し、刑期を終えても新天地でまた胡散臭い商売を……。元同僚は検察に売ってしまったし、奥さんとの関係も散々になったけれど、人間関係を代償に支払ってまで口八兆で金を稼ぐのがジョーダンの生き様なのだからしょうがないのかもしれな……
いやいやいや、ちょっと待ってよ!
みんな忘れてない?テレサという妻がいたことをさ!!!
今回スポットライトを当てる脇役はこの元妻のテレサ。彼女のことを思うと、彼女の半生を想像すると、暗澹たる気持ちで胸がタールで汚れていく。
リメンバー、元妻テレサ
テレサなんてひと居た?そんな声も聞こえてきそう。いやいや、居たよ。おったよ、確実に。
それも冒頭から1時間も。総弱ぜんぶで3時間もある映画だし、記憶に残らないのも無理はないかもしれません。なあんてフォローするとでも? あほか! あんな良い奥さんはおれへんよ。なんで忘れるんよ。
「徹底的にどうしようもない奴らしか出てこない映画」と申し上げましたが、唯一の例外がこのテレサという奥さんでございます。当初入社した会社で上司に仕事と心構えを教わり、さあ、これから!というその日がブラックマンデー。倒産。
「とりあえずは家電量販店の倉庫で働こうかな」
「今は株屋の仕事なんてどこにも無いよ」
と傷心するジョーダンに「仲介の仕事あったわよ」と広告を見つけてきてくれた立役者。縁の下の力持ちなんてそんな生易しいもんじゃない。メンタル面の大黒柱ですよ。わりかし「古風」とでも言うか、典型的な3歩後ろの人ではあります(この価値観は日米を問わずして少なからず今でも存在する)から、それに比べるとナオミはいささか彼女よりは主体的で今っぽいのが魅力なのかもしれません。でも、誰のためが内助の功だと言うのでしょう。それこそが彼女の主体的な選択だったに違いありません。そんな無下にするなんて。
浮気じゃなくて
「奥さんとの関係も散々になったけれど」と書きましたが、それは マーゴット・ロビー演じるナオミのこと。(ディカプリオとマーゴット・ロビーはここで共演していたんですね!)
「離婚騒動」の主役すらも新しい奥さんの方に取られてしまっているわけです。ジョーダンにとって、この元妻テレサは脇役どころか端役の存在なのかもしれません。ジョーダン・ベルフォートは実在の人物なので、齟齬があったら怒られるかもしれないけれど、「海を越えれば大抵のことは大丈夫」とCreepyNutsもラジオで散々言っていたから多分大丈夫。
閑話休題。かようにジョーダンはテレサからナオミへと妻を乗り換えるわけです。なんだかナオミが悪者みたいになってしまいましたが、彼女は彼女で苦労しているし、素敵な奥さんでした。
元モデル スタイル抜群 めちゃかわい。とまあ図らずも一句詠んでしまうような形になりましたが、所謂トロフィーワイフと言ってしまっても過言ではないでしょう。誰がどんな理由で誰のことを好きになってもあたしは構へんわけやけれども、素直に首を縦に振れないのは、ナオミが二人目の妻であるということ。ジョーダンはテレサと結婚しているときからナオミと関係を持っていたのでした。とまあそんな二股が発覚したシーンが想像を絶する緊迫感なわけですよ。ちょっと振り返ってみましょう。
テレサ:Do you love her ?
(あの子のことが好きなん?)
ジョーダン:<目を泳がせるのみ>
テレサ:Answer me.
(答えや、はよ。)
ジョーダン:<沈黙。汗を手で拭う。また沈黙 >
泣き崩れるテレサ。そしてカメラは引きで傍観するように二人を映す。目は口ほどに――と言いますが、こんなにも如実にかつ露骨な人間模様が表情に現れてしまうものなのか。(ここまでやって結局ディカプリオはアカデミー賞を獲れなかったけれども)
よめのめしも食わんとセックス・コカイン・キャッシュフロー。結局このシーンの日から3日後には離婚することとなります。こんな別れ方ある?作品内の尺としてもこの離婚騒動に時間が割かれることはなく、モノローグでさらっと済ませられる。
いやそんな扱いある? 何もかもを失いかけた時から支えて、成功を一緒に夢見てきたやんか。とんだ焦げ付きやわ。あたしはあんたと違って先物の売り買いは苦手やさかいに。ちゃうな、逆や。あんたは負ける株でも何でも売りつけんのは得意やからな。
好きでいてもらい続けるには、どないしたらええんやろうか。そりゃあ刺激は減る。飽きる、慣れる。隣の芝生には勝たれへんかもしれへん。穏やかな日々が心地よいと思っていたけど、それでは足りないと言われても困る。味噌汁に白い粉をいれてみるわけにもいかんし。別にあたしだけやのうてええけど、あたしのこともずっと好きでいて欲しかった。何でもしてあげてたのに。何でもしてあげるのに。
「このペンを俺に売ってみろ」とジョーダンがセミナー受講生に問いかけるシーンがあります。正解は「そこに名前を書け」です。名前を書く、という需要を生み出せば、そこに価値が出るからなのだとか。しかし、この映画の中では「名前を書き終えた後のペン」の価値にまで言及することはありません。すでに「持ってる」もんには、価値がない。婚姻届にサインした後のペンの価値とは、いかほど。
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95年生。映画ライター。最近大人になって手土産をおぼえました。
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「フラスコ飯店」というwebの店長をしています。