学生映画って何?! 京都国際学生映画祭×関西学生映画祭 関係者に聞く!
日本では見られないアカデミックな「尖り」
少なからず2人とも学生映画に魅力を感じて、お互いの組織内でやってきていると思うんですが、シネコン系やミニシアターの映画ともまた少し違う、学生映画の楽しみ方を教えていただきたいです。
商業にとらわれない自由な自主制作ができるところが魅力ですね。卒業制作とかも学生期間の技術と思考の集大成が商業や企業の意図などのノイズのない状態で純粋な表現されているところが面白いと感じています。特に海外の学生はこの特徴が顕著です。というのも日本の学生は文系なら大学4年で終わりですが、海外はプロになるまで学生なんです。30歳くらいの学生も普通にいます。しっかりとした技術を身に付けたうえで自由に制作しているので自然と良いものが出来ます。
お金はないですけどね。
そこをどう工夫してくるのかも面白いですね。個人の資金力ではなかなか爆破とか出来ないので。ビル丸ごと燃やしたり(笑)
世論を反映するような作品も多いのかもしれませんね。
そうですね
好き勝手やれるという点は高橋さんと同意見ですね。あともう一つ。学生が映画を作れば必ず学生映画になりますが、関西学生映画祭は映像系ではない一般学部の学生の作品が比較的多いので、僕はそういう文脈で”学生”と定義させてもらいますね。こういう一般学部の学生は映像とは別に専攻している分野があるはずなんですよ。文学とか歴史とか、もちろん数学や理工学でも構わないんですけど。映像と”もう一つ何かの”二足の草鞋” を履いている人間の作る映画というものに僕はずっと惹かれ続けています。
二足の草鞋?
僕らは世の中の「映画好きです」という人達がどこまで映画を読めているのかということが疑問なんです。言葉を敢えて選ばずに言うと、例えばアメリカ映画ひとつ見るにしても歴史知ってますか?文化わかりますか?この時の大統領は誰ですか?そもそも字幕だけ読んでいて100%理解できるんですか?ということです。これは自戒も込めてですが。こんな風に僕は映画には鑑賞にも制作にも、ある種のアカデミックな部分は必ず必要だと考えています。アカデミックな要素とクリエイティブな要素が融合した作品に到達できる二足の草鞋を履いた人の映画が面白いんじゃないのかなと。それも興行収入やスポンサーのことなどは一切度外視して作られた映画です。面白そうじゃないですか?
アカデミックな面はたしかに大事ですね。審査の初期段階では私も審査に参加するのでわかります。例えば、森の長回しから始まるドイツの作品がありました。ドイツは森に囲まれて攻められる時はまず森からなんですよ。だからつまりこれは不穏なことが起こることを予兆してるんですよ。イタリアのシチリアならこれが海になります。こんな風に日本の文脈では分からない表現に出会ったりするので、それを通じて各国への理解も高まります。逆に知らないと理解できないですし。
なるほど。それは通常の映画よりも顕著ですか?
学生映画だから特にというわけではないかもしれませんが、京都国際学生映画祭だからこそではあります。
例えばアメリカのシネコンで流れているような映画が日本で輸入された時、どこで流れるかって言うと意外にミニシアターなんですよね。日本のシネコンは配給の縛りがきついので海外で売れていても大きいところで流れないんですよ。海外で面白いと評価をうけているものも、今の日本で見れる機会は実はそう多くないと思います。海外のシネコンの作品を見ればその国の理解は深まるかもしれませんが、日本のシネコンで海外の作品を見ても配給の時点でドメスティックなのでそこは厳しいかなあと。
なので京都国際学生映画祭はあまり日本で露出されていないタイプの、海外の映画に触れる良い機会になるのではないかなと思います。
愛すべき映画に上映機会を用意したい
さっき「学生にこそ見てほしい」という風にお二人とも仰っていて、それが意外だなあと感じました。僕は学生の時から今も音楽やっているけど、学生なんかすっ飛ばして大人に見て欲しかったんですよ。引き上げてくれるのは結局大人なので。
学生映画を作って誰が引きあげるんだろう?という所は私もずっと考えていて、うちもその手助けになれないかなとは頑張っている最中です。TOHOシネマズ学生映画祭とかに出せば商業映画的には開かれるんでしょうけど。残念ながらうちに出したからどうこう、という段階ではまだないので。ただ、「国際」映画祭なので世界と日本との橋渡しになれば良いなと考えています。
プロの作品と言っても全然構わないような洗練された作品を流しているつもりなのですが、なかなか伝わっていないのが残念です。倍率10/500とかの世界なのでクオリティはある程度担保されていると思います。『舟を編む』の石井監督なども過去に受賞していますし『ショート・ターム』のデスティン・ダニエル・クレットン監督も受賞されています。
石井裕也はPFFも通ってますしね。僕は京都国際学生映画祭に通ったってだけで箔は付くと思いますよ。
関西学生映画祭は出品作すべての肌触りが良いとは言いきれませんが、粗が見える作品ほど面白いと僕は思っています。良くも悪くも若さで突っ走っている感じの作品が多いので。社会に出て贅沢の味を知ってしまってからしんどい思いしてアホな映画作る人は珍しいかもしれません。
逆にそこにとらわれずに純粋でかつ、尖った作品が見れるところが売りですね。愛すべき映画に上映機会を与えようっていう。
映画を作る人間の登竜門としても、この先しっかり機能していけるようになるといいですね。
あと個人的に思うのが、映画ってバンドとかと違ってモテないんですよ。
いや別にバンドもモテないですよ?(笑)
まあ、イメージで。「映画作ってます!」って言ってもあんまりカッコ良くないでしょ?
それちょっとわかります。ごめんなさい申し訳ないですけど。
『桐島、部活やめるってよ』の前田とか死ぬほどモテないじゃないですか。そういう人に少しでもスポットライトを当てようと。作り手本位ではありますが。
「作り手本位」という意味ではさっきも言いましたけど日本の学生映画と海外の学生映画がぶつかり合える、というメリットがうちにはありますね。東京にもまだ無いので。
なるほど。では苦戦している部分というか、困ったことはありますか?
作品を集め、審査するという映画祭の根幹となる部分はかなり堅いと思うのですが、一方でお客さんを集めるという広報面は苦戦しているな、と思います。観客を集めるためには、3-5年かけて大きくしていく必要があるとおもうのですが、学生なので組織の入れ替わりというか代謝が早い過ぎるんですよ。学生だけで運営しているので5年、10年を見通すことはなかなか難しいですね。
でもお互いにコンセプトや理念は引き継ぎ引き継ぎで大きくは変わらないので、逆に5年経っても10年経っても運営側が若くて新鮮な感性を持っているということでもあるので一概に悪いとは言えませんけどね。
学生が制作する作品を扱う以上、運営も同じ目線でいる必要があるわけですね。「学生映画」が何たるか少しわかったような気がします。
「京都国際映画祭」、「関西学生映画祭」のそれぞれの空気感の違いも伺うことができてよかったです。ありがとうございました。
京都国際学生映画祭は狭き門を潜り抜けてきた国内外の「これで学生?」と驚くようなクオリティの高い作品に出会うことのできる日本で唯一の国際学生映画祭。
対して関西学生映画祭は「学生だからこそ」出せる疾走感のある作品にもスポットライトが当たる奇祭。生々しい作品と予測不能の生トークが特徴かと思います。
どちらも共通するのは「自主制作映画」ということ。大人の事情を度外視した全力投球の表現を肌で実感することが出来るはずです。バンドも映画もモテませんが、映画も音楽と同じくらい情熱的で骨身の注がれたアーティストの分身。その姿は是非、皆さん自身の目で確認して欲しいです。
映画祭はどちらも今秋開催予定。詳細は以下。
京都国際学生映画祭 |
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日時 | 11月下旬 |
場所 | 京都シネマ |
リンク |
関西学生映画祭 |
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日時 | 11月18日(土) |
場所 | 十三シアターセブン |
リンク | kansaimoviefes12.velvet.jp/2017_6th/home.html |
WRITER
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95年生。映画ライター。最近大人になって手土産をおぼえました。
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「フラスコ飯店」というwebの店長をしています。