【脇役で見る映画】「エピローグ」:ローディーは部活をやめる
(C)2012「桐島」映画部 (C)朝井リョウ/集英社
手洗い・うがい・マスク2枚!
どう?みんなちゃんとやってますか?
しばらく。ご無沙汰しております、映画ライターの川合です。
感染症拡大防止のための自粛、自粛、自粛。さらに自粛、それに次ぐ新たな自粛。
本来であれば町全体が薄紅色の祝福ムードで新たな門出を祝う季節ですが、今年ばっかりは勝手が違う。巷で噂の感染症はオロナインでは治らないらしい。子どもたちは休校。大人もあらゆる行動は制限されて阿鼻叫喚。おもろない記事なんて書いている場合ではありません。せめてやるなら高度なお笑いでなくては。
などと勝手に委縮しているうちに卒業ムードに浸るのをすっかり忘れてしまいました。それはもう、すっかり。退去する最後の瞬間に見たがらんどうの六畳一間のように。
というのも、僕はアンテナ編集部から卒業するのです。
長くなってしまうのでここでその理由を詳しくは語りませんが、なんとまあ喜ばしいことに編集長の堤さんはアンテナを去ると決めた僕に対して「脱退」や「辞任」などではなく「卒業」という祝福すべき語を与えて背中を押してくれました。ありがとうございます。
そんなわけで今日のテーマは「卒業」です。
アンテナ編集部員・川合から最後の記事をお届けします。
まあ、なんでしょう。ある種の答辞として。
昨今のごたごたに押しつぶされて卒業のセンチメンタルな空気を吸いそびれてしまったそこのあなたも一緒にウジウジ浸りましょう。
良き相棒・ウォーマシンのこと
テーマが「卒業」となれば、真っ先に思い浮かぶ映画はもちろんダスティン・ホフマン主演、1967年公開の『卒業』です。が、そんなベタなセレクトはあまりに気が引ける。
「ッンサイレンス……」などと歌っている場合ではないのです。
こればっかりで恐縮ですが、今回も「アイアンマン」の肩を借りて話をしましょう。
みなさんは覚えているでしょうか、アイアンマンの良き相棒・ウォーマシンことローディのことを。
上の写真の左側、アントマンの隣にいるコイツです。「アイアン・パトリオット」なんてふざけた名前を名乗っていたこともあるアイツですよ。
コメディに定評のあるドン・チードルが演じます。彼はオーシャンズシリーズなんかにも出ていますよね。鼻の形が特徴的で、似顔絵作家なんかには喜ばれるタイプでしょう。一度見たら絶対に忘れない愛着のある見た目と、ハムスターのような可愛らしいしぐさが特徴的。場を和やかにするベテラン俳優なのです。話をアイアンマンに戻すと、ドン・チードル演じるローディは、アイアンマンであるトニースタークのよき理解者であり、数少ない友人の一人です。
かといって「バディ」というわけでもなく、まして「ライバル」でもなく。このローディというキャラクターは「脇役」の冠に相応しい正中線ど真ん中の脇役なのです。
さて、ここからが本題。そんな「脇役」の一等賞のローディーをも凌ぐ脇役が存在するのです。今日はそんな彼のお話。その名をテレンス・ハワードといいます。
いないけど、そこにいる。
覚えている人いらっしゃいますかね。あなたがそうだとしたら、僕と友達になりましょう。テレンス・ハワードとは、「初代」のローディーを演じ務めた男。信頼できる隣人としてのローディというキャラクターを観客としての僕にはじめて届けてくれのがこの俳優でした。
『アイアンマン』の作中ではアイアンマンスーツを着たい欲望に駆られながらも理性で自制し、「また次にしよう」と自分を言い聞かせるようなシーンも。ほかでもなく次回作に対する目配せ。……だったはずなのですが、この伏線が回収されることはありませんでした。彼はスタジオとの契約トラブルが原因でこの役を降板。「また次にしよう」は叶うことなく、ドン・チードルに託されることとなりました。
がっかりした。
大切にとっておいた梨が痛んでしまったような、とてもこの世のものとは思えない絶望感。ドン・チードルに罪はないけれど、僕はテレンス・ハワードのローディが見たかったのに。あの日のことは忘れない。『アイアンマン2』を見た日は大股で映画館から出たのを覚えています。
もちろん、今ではすっかりドン・チードルのローディも板につきましたが(そりゃそうだ。何年もやってりゃさすがに慣れます)、当時はやっぱりどうしても納得できない気持ちが胸につっかえていました。テレンス・ハワードはもう「アイアンマン」シリーズには出演しないけれど、僕の頭の中にはずっとそこで役を演じている存在なのです。代わりに誰かが埋め合わせたとて、その穴が埋まることはない。
一度顔を見せた人間が姿を消すという現象には、多大なるエネルギーがともなうのです。
道ですれ違ったなんて軽さじゃない。日本とアメリカ。1万kmの隔たりはあるけれど、映画を見たこちら側からしてみればもう十分に隣人です。向こうは僕らのことなんて名前も顔も知らないけれど、関係ない。僕らはもう全部知った気になってしまっているのですから。
いないから、そこにいる
なんでこんなビックリ顔のオジサンがローディーをやっているんだ。あーあ。テレンス・ハワードが良かったのに。
そこにいないからこそ、かえって存在感が強まる。
たとえば
ほら
こんな感じで
不自然に空白が続いていたら
どうだろうか。
少しばかり冗談が過ぎてしまいましたが、『桐島、部活やめるってよ』をはじめ、もちろん古くからは『ゴドーを待ちながら』よろしく、時に不在こそがいっとう大きな存在感を発揮することがあります。空白にこそ合焦するのです。不在の空白は、重力の塊だ。質量は同じでも、重力が変化すればこれにともなって重量も変わる。真っ白なブラックホールは人の心を引き付けるのです。
ここからは妄想の領域に片足を突っ込むことになりますが、僕もまたこの類の不在の存在感を与えられるような人間になれたらなと薄ぼんやり願っています。僕の卒業式(といっても「ありがとうございました!」と編集会議で挨拶したくらいですが)はもう終わった。かれこれ数週間が経ちます。編集部員のみなさま、並びにアンテナ読者の皆様、僕の影は眩しいですか。そうですか。そうでもないですか。大口を叩いてすみません。
これから僕はアンテナから離れて脇役になります。
主役のみなさま。どうかお元気で。
フォーマルに袖を通さん桜の季節。最後まで普段着のような言葉でしたが、これが僕の紙面上の卒業式です。いままでありがとうございました。
またお会いしましょう。
映画館で、ライブハウスで、あるいは京都の街角で、それともやっぱり僕の大好きなインターネットで。
と!いいつつもこの連載は続きます!
まさかのスピンオフ。そういうわけで連載「脇役で見る映画」は言うなればシーズン2へ突入することになります。
シーズン2からは橋本祐生香氏が手掛けた連載バナーも付きます!やった~~~!うれし~~~!こんなに愛されて良いのだろうか。いいえ、大丈夫。脇役こそ愛されるのだから。主役じゃないからこそ愛おしいのだから。
肩を狭めて恐縮したかと思えば、過剰なまで自己肯定したり。未舗装の感情の紙面を歩かせてしまいましたが、これを答辞にかえさせていただきます。
いままでご愛顧ありがとうございました。引き続きご贔屓によろしくお願いします。
川合裕之
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WRITER
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95年生。映画ライター。最近大人になって手土産をおぼえました。
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「フラスコ飯店」というwebの店長をしています。