無数の音楽体験が持つきらめきをドラムンベースのリズムに乗せて
これまでに聴いた曲をすべて覚えているか。おそらく音楽が好きで、数多くの音楽触れていればいるほど、その記憶から零れ落ちている曲が多いはずだ。悲しいことに人間の脳のメモリーはそれほど性能がよくない。だからこそ、店でかかっていた曲をスマートフォンで検知して、結果をスクリーンショットで保存するのだろう。でもたとえ心を揺さぶるような音楽体験だったとしても、無意識に身体が動き出すような心地よいグルーヴだったとしても、忘れてしまう。まるでシャンパングラスの泡のように、浮かんではやがて消えていくのだ。
Maya Bridgetによる初音源であるEP『That Girl / White Lies』は、そんなこれまでに体験していつの間にか消えていった音楽の“泡”が行きつく先だ。間違いなく初めて聴く曲なのに、本能に訴えかけてくるような、遠い音楽の記憶が呼び覚まされるような感覚を味わえた。
Mayaは兵庫県神戸市出身。日英のミックスであり、現在は東京を拠点にシンガーソングライター、プロデューサー、そしてドラムンベースを中心としたDJとして活動している。そんな彼女が遂に世に送り出した初音源に収録されている2曲(とリミックス1曲)はドラムンベース調のリズムと多幸感に満ちた甘いメロディが弾ける珠玉のパーティーチューンだ。
収録されているのはたった3曲で、いずれもテイストは近いが、名刺代わりの作品としては十分すぎるくらいに彼女が創る音楽の奥行き、味わい深さを堪能できる1枚となっている。
Bloc PartyやThe Killersといった00年代のニューウェイヴ・リバイバルを思わせるキャッチーなギターのフレーズと、息つく暇もない目まぐるしくスリリングな展開で畳みかける“That Girl”は、どこか刹那的で愁いを帯びた世界観がループの中で少しずつ陰を帯びていく“White Lie”と好対照をなしている。
また、ドラムンベースDJのTomoyoshiによる“That Girl”のリミックスも秀逸だ。生音をふんだんに取り入れ、瑞々しくエモーショナルな仕上がりの原曲とは打って変わり、音を絞り込みドラムンベース色を強く打ち出している。サウンドのアプローチが変わっても流麗なメロディラインの魅力は一切損なわれず、スリリングな曲展開はリズムを前面にフィーチャーすることで全く違った色を持つ。
この3曲に詰まった、きらきらと輝く音の粒たちは、きっと一つひとつがMaya自身の音楽体験だ。インディーロックギターの音も、ティーンポップ風な歌いまわしやリリックも、目まぐるしく畳みかけるドラムンベースも、全てを呑み込んだ音。そこには、無意識下で脳の奥底に沈んだ記憶の断片を少しだけ残している。ライブハウスも、クラブも、レイヴパーティーも、ヘッドフォンで耳をふさいでいた帰り道も、そこで流れていた音楽と吸い込んでいた空気、見ていた景色すべてをひっくるめた体験の断片だ。
体験それぞれは“泡”のようにいつの間にか姿形をなくしてしまう。それは原型を失くしているからこそ、彼女自身の音楽として形成されていくはずだ。このEPに収められた曲は、そんな“泡”が弾けて、きらきらとグラスの中できらめく様を眺めているかのような気分にさせてくれる。
ある夜、フロアで聴いた素敵な曲は来週の同じ日には忘れてしまうかもしれない。それでも、その瞬間味わった高揚感や揺れ動いた感情は、決して消えることなく、どこかに漂っている。そのことを作品を通して証明してくれたMayaに心から賛辞を贈りたい。
That Girl / White Lies
アーティスト:J.COLUMBUS & MASS-HOLE
仕様:デジタル
発売:2023年9月23日
収録曲
1. That Girl
2. White Lies
3. That Girl(Tomoyoshi Remix)
配信はこちら
Maya Bridget
兵庫県神戸市出身、日本とイギリスのミックスで、現在は東京を拠点に活動しているシンガーソングライター、プロデューサー、DJ。2023年9月23日、現名義で初音源となるEP『That Girl / White Lie』をリリースした。DJとしては新宿のクラブ〈ドゥースラー〉にて、パーティー『smashee break』をオーガナイズしている。
Instagram: instagram.com/mayabridget_music
X(旧Twitter): twitter.com/bridgetjones_jp
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後ろ向きな音楽、胡散臭いメガネ、あまり役に立たない文章を愛でています。旅の目的地は、何もないけれど何かが起こりそうな場所。
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