INTERVIEW

日本三大祭り・神田祭の一町会から考える”騒ぎの作り方”

東京の下町・神田では、2年に一度神田祭が行われる。文化として1000年以上続き、計200基を超える神輿が上がる日本屈指の大規模な祭りでありながら、観光協会や大企業の介入がなく、あくまで地域の有志と氏神である神田明神の力で存続してきた。果たして”仕事ではないこと”にこれだけの熱量と人数が集まるのはなぜか。神田の人々を神輿へと向かわせるものは何か。神田出身在住のライター・ivyが担ぎ手の一人として迫った。

OTHER 2025.07.30 Written By ivy

気づいたら神輿を担いでいた

家族写真は、ほとんどが神田祭で撮ったものだ。祖母が亡くなった時は、棺の中に半纏を入れた。それくらい、我が家にとって身近で、祭が持つ意味合いは大きい。私は、東京・外神田で生まれ育ち、今も生家で母親と暮らしている。今の家は祖母方の曾祖父の代からあるが、家と共に受け継がれてきたのが、外神田の地域コミュニティと神田祭という文化だ。2年に一度、5月に催される神田祭は、日本三大祭の一つとして1000年以上の歴史を持つ。神田全体で108の町会と呼ばれる地区ごとのコミュニティが200基以上の神輿を出す大規模な祭だ。

 

写真を見返すとわかるが、私は0歳の時から神田祭に参加している。というのも、家の目の前が神田松富町会の神輿の発着拠点となるのだから、環境として生活に祭が介入するのはごく自然なことだった。5月のとある週末、家の前を通行止めにして、大人たちが朝から酒を飲んで上機嫌で踊り騒ぎ、爆音で祭囃子が家の中まで響き、差し入れの高級弁当やら焼肉やら稲荷寿司やらが食べきれないほど出てくる。物心がつく前から、五感には祭を擦り込まれていた。

数年前から、私も青年部に参加し、神輿渡御委員として先頭で神輿を抑えたり、音頭をとったり、当日までの準備や片付けも手伝うようになった。また、若手が少ないこともあり、周囲の友人・仕事仲間を誘って担ぎ手に加えている。

 

祭に長年親しんできてふと思うのは、「何が楽しくて、みんなが祭に集まってくれるのだろう」ということだ。神輿の担ぎ手はもちろん、運営している人ですらほとんどは無報酬で動いている。それに、強制されてやるものでもない。事実、大学時代、別の予定を優先して祭と距離を置いていたことがある。特にそのことを誰に咎められるわけでもなく、翌年からそれまでと何も変わらず参加することができた。

そうした中で、神田祭が規模を維持し、盛り上がりを毎回見せるためには個々人がモチベーションを持続させることが欠かせない。では、神田祭に参加する人たちにとってその源泉となるものは何なのだろうか。

 

そうしたものを紐解くべく、今回、私を祭に引き入れた張本人である母親・相川真理さんと、氏神様である神田明神の神職(権禰宜/ごんねぎ)・加藤哲平さんへのインタビューを行った。

真理さんも私と同様、外神田で生まれ育った。担ぎ手としての歴は40年を超える。2025年の神田祭では木頭(神輿の先頭に立ち、音頭をとる。名誉ある大役)を務め、地域では私も“真理ちゃんの息子さん”と認識されている。未成年の頃から現在まで神輿を担ぎ、今や運営の手伝いも率先して行っている彼女にとって、祭へ参加するように突き動かすエネルギーが何なのかをまずは、聞いてみた。

 

また、加藤さんは、元サラリーマン(両親が神職ではない)の経歴を持つ神田明神の広報担当だ。地域との交流も積極的に行っており、祭の前には氏子の家へあいさつ回りも行う“町の神職”。彼を含む神田祭の神職たちは、ほとんどが有志によって成り立つイベントにおける数少ない神田祭のプロと言える。そんな加藤さんには、地域における祭りの在り方がどう特殊なのかを伺った。

祭歴40年超、木頭・相川真理の場合

初めて担いだのは、14歳、もう40年(以上)か。こんなに続いた趣味は他にないね。お祭り以外にも色々やったよ。まず、ジャニオタ。“元祖”だから、私。高校がテレビ局に近かったのをいいことに毎日出待ちと追っかけばかりしていて、全然勉強しなかった(笑)。それから、社会人になって海外旅行を毎月のようにして、25歳でホノルルマラソンを走って……。あとなんだっけ、最近だとヨガ。ああ、そうだ!あとサルサダンスとかワイン同好会とか。

 

でも、お祭りほど面白いものはなくて。だから、一生神田を離れたくないし、いつでも地元にすぐ戻れる場所で仕事がしたくて、家から近い丸の内で働いてる。

なんでこんなに好きなのかは、考えたこともない。強いて言えば、“究極の生きがい”。全部お祭りのためだから。仕事はもちろん、他の趣味で唯一続けているヨガも、髪の毛を伸ばしてるのも、おばさんの割に美容に結構気を使ってるのも。少しでも祭りの時に装束が似合う自分でいたい。ちっちゃい頃から、BさんとかYさん、Kさんみたいな地元のお兄さんたちに囲まれてかっこいいなぁと思ってきて。そのイメージがずっとあるの。私が5歳の時、彼らは20代前半だった。

 

初めてお祭りに参加した時なんて、そのかっこいいお兄さんたちが「F-1のコックピットか」っていうくらい私の準備を全部やってくれて。足を出したら足袋履かせてくれます、履き終わったら「しゃがんで」って言われてすぐ髪まとめてくれます、そのままボーッと突っ立ってたら帯も結んでくれちゃいます……。「あれれれ」って気づいたら出来上がっちゃう。

だからってわけじゃないけど、今担いでる町会の女の子とか、最近だとあなた(筆者)の友だちとか。そういう慣れていない子が来たら全部、私が(準備を)やっちゃう。お花屋さんのTちゃんとか、初めて髪の毛結んであげたの覚えてるもん。要するに、私のあの装束を見て、その子たちの親御さんが、「来年そういう風にさせたい」とか「今年よろしくお願いします!」って預けてくれるの。

でも、そうやって続けてきて、木頭をやることになるとは一度も思わなかったよ。私が若い頃は、女が神輿の上に立つような時代じゃなかったから。単にかっこいい男の人っていいなって。「やりたい」じゃないの。「木頭の人、かっこいい」とか「うわ、木頭に惚れそう」みたいな。

今年、突然やることになったから、前日は緊張なんてもんじゃなかった。やってみて思ったのは、当たり前だけど神輿はみんながいないと上がらないってこと。だってさ、大通りの真ん中でいくら私が「神輿についてください!」って言ってもみんなが神輿をほったらかしで帰っちゃったら、裸の王様でしょ。私のことを知らない人がいっぱいいて、みんな炎天下で担いで疲れてるし、自分だって暑いしさ。「つきたくねぇよ」って思うかもしれない。「そこをなんとかお願いしますよ」っていう話なの。みんなが頑張ってくれて、最後、松富町にお御輿を持って帰れたときにすごく安心した。だから、本当に「みんな、担いでくれて、盛り上げてくれて、ありがとうございます」なんだよね。木頭がすごいんじゃなくて。こういうことは、20代、30代のうちは気づかなかったと思う。

祭を終えてみて思ったのは、みんな他の町会に負けたくないとか、うちの神輿が一番かっこよくあって欲しいとか、そういうことでみんなそれぞれ頑張っているんだと思う。仕事もあって、体力的にも大変で。でも、神田祭は華やかでギャラリーもいっぱいいて、だから楽しいし、頑張れる。誰が人っ子一人いないような裏道担いで張り切れるんだよ、って(笑)

 

だからこそね、私は松富町のファンを増やしたい。神田の神輿がいくつもある中で(外部の担ぎ手から)「来年も松富町で担ぎたい!」、「松富町で担げてよかった」って思ってもらえないとね。それこそ、神輿が上がらないから。今年の木頭で「もっとここああしとけばよかった」とか、YouTubeの動画見て「うわぁ、ここの仕草かっこ悪い、恥ずかしい!!」って思うこともあるし……。担ぎ手さんの差し入れもやっぱりキンキンに冷えたビールじゃなきゃとか、みんなが一番満足できるお弁当は何だろうとかさ、予算の中で考えちゃう。そういう小さな準備一つひとつに、松富町の盛り上がりがかかっているから。

いつから次の祭りが始まると思う?それはね、もう担いでる最中(笑)。次の時はこうなってるといいな。いや、次の時もっと人数減っちゃうかな、って。そのために、もう今からやらないといけないことがいっぱいあるからね。

 

ーー

 

真理さんにとって、祭に参加したきっかけは“無意識”だ。たまたま家の前でみんな参加するから行ってみた、という意味では私とさほど変わらない。そしていつしか、周囲の大人に触発され「いかに粋に、かっこよく担げるか」という自己表現の場として楽しんできた。

 

ただ、祭に参加するうち「少しでもかっこいいポジションで、楽しく神輿を担ぎたい」という一心で準備を手伝うようになり、気づいた頃には祭りが彼女一人のイベントではなくなっていた。それは、「松富町のファンを増やしたい、よそに負けないかっこいい神輿にしたい」という言葉に集約されている。そのため、下の世代に装束の基本や髪の結い方を教え、差し入れの手配や地道な裏方作業にも参加する。「究極の生きがい」というように、既にコミュニティの中で祭の灯を絶やさぬため、その営み一つひとつにやめられない理由がある。

神田明神、地域の担当神職・加藤哲平の場合

私は一般家庭で育ったんですけれども、親戚が埼玉県の小さな神社の宮司でございまして。前の会社にいる頃、先代が亡くなってしまって、加藤家から神主がいなくなる、と。分家の出身で、歳も若かったので、私に「どうだろうか」という話があったんです。私も興味があったので神職を目指すことになりました。会社をやめて、国学院大学に入り直して修行をして、という流れですね。そこから縁あって神田明神へ奉職(就職)することになりました。

 

学生時代に修行していたのが文京区の簸川神社(ひかわじんじゃ)です。そこでお世話になった先輩の神職が神田明神も兼務されていて、いろいろとお話を伺う機会がありました。その中で、神田明神ほど氏子との距離が近い、関係性が深い神社はなかなかないということを知りまして、興味を持ちました。ちょうどその時募集していたんですが、年齢制限があって、確か27歳以下だった気がします。私は当時30を超えていたので、半分ダメ元で受けたんですよ。先代の宮司がそこで採ってくださって、今に至ります。

 

今は、神田明神の広報と、外神田地区の担当禰宜を務めさせていただいています。修行時代に聞いていた通りで、本当に地域とのかかわりが強い神社だなぁと実感しましたね。よその神社でも、宮司さんと地域の代表者が交流を持つことはあると思うんです。ただ、神田明神の場合は、氏子がある地区ごとに担当の神職がついて、密にコミュニケーションをとるので。(宮司ではなく)一神職の立場でここまで地域と深い付き合いを持てるのは、本当に神田明神が独特です。私自身、奉職してから担当の地区を受け持つことが一つの目標になりましたからね。

 

印象に残っているのは、奉職してから間もない時期に担当した神田明神納涼祭ですかね。それまで、8月のお盆前後は閑散期で。とにかく暑いのと、お盆で帰省してしまうのと。そういう中で、どうにか人を呼べないか、神田明神へお参りいただけないかと始まりました。境内で盆踊りをするというのが、初の試みだったもので、ノウハウも、設備も、まず何からしていいかもわからない中で、地域の方の協力をいただいてどうにか開催へ漕ぎ着けられたと思います。それこそ、外神田連合の櫓をお借りして、当日の運営もご指導いただいて。松富町のBさんや文化体育会の皆さんのお力添えのお陰です。

神田祭のことも、神職になる前からもちろん知っていました。ただ、実際に神社の者として携わるようになってからは神社と氏子だけでここまでの規模で行われている祭がいかに稀少かということを実感しまして。ほかにも都内に大きなお祭りっていくつかあるんですけど、やはり観光協会が間に入ったりとか、町おこしとしての側面が大きいじゃないですか。神田祭に関しては、ほぼ氏子さんと、町会と神社との間でできてるお祭りなので、地域のお祭り。それでこれだけの規模の祭りができるっていうのは、おそらく全国で見ても、あまりないと思うんですね。

 

こうして、地域の人と一緒に仕事をするようになってから、サラリーマン時代の経験が生きているなぁと感じます。新卒の時はTV番組制作会社のADで、そのあとは自転車メーカーのマーケティング職。たとえば、自転車メーカーの頃の話で言えば、マーケターが拾ってきたネタを、企画書にして、実現可能かどうかを開発部や設計部が調整する。そこからデザイン、プロダクトデザインどう落とすかってデザイン部の先輩方と色々話し合って最終的に商品ができるんですけど……。神田明神での働き方はそういう、コミュニケーションを他部署や外部と取りながら進めていくやり方と通じるものがあるなと。

幸い、神職という仕事をしている人は珍しいようで、色々な地域の方や他業種の方とも飲みの席でご一緒する機会があります。神田明神というオフィシャルの立場を離れたうえでも皆さんとコミュニケーションをとったり、地域のお店に足を運んだりして、関係性を作るようにしています。お祭り一つとっても、まだ地域のことが右も左もわからない時に色々と教えてくれたのは外神田地域の皆様だったので。今後もつながりを大切にしていきたいですね。

 

先日の例大祭を持って今回の神田祭は一度終わりましたが、もう既に2年後、次のお祭りへの準備が始まっています。今、私が考えていることとしては、山車を復活させたいなと。今でこそ、神輿が主役のお祭りですけど、江戸時代は山車のお祭りだったので。江戸時代に使われていた山車を現代風にアレンジしつつ、登場させたら面白いんじゃないかと思っています。

 

ーー

 

加藤さんが働く神田明神は、地域のランドマークとして密接な関係を築いている。たとえば、外神田地域に住む人たちにとっては現在でも「明神様」という通称が定着していたり、日々のちょっとした集合場所であったり、かなり身近な存在だ。観光地でもありながら、地域密着のローカルな側面を併せ持っている。地域における神田明神の距離の近さこそがゆるやかな帰属意識のシンボルとして機能しており、祭という一つのイベントへ向けて人が集まる要因にもなっているのかもしれない。プロである神職の目から見ても神田明神と神田地域の関係性は特異なほど密接であることが伝わってくる。

 

神田における“ケの日(日常)”は、居住地というよりも商業地であり、仕事や遊び、社交など他者との繋がりが生まれていく場だ。筆者も含めそこに長年住んでいる人は多いが、職場が近い人や自宅兼商店で自営業を行っている人など、あくまでそうした「商売的な繋がり」の中で生活をしている人も多い。だからこそ、神田祭に参加する人は神田に住んでいる人だけではない。働く人やその友人、かつて何らかの形で神田に縁があった人など、“ケの日”で生まれた繋がりがそのまま神輿に表出する。半纏には日頃の商いの屋号が入っている人も多く、隣人や同僚と声を張り上げ神輿を担ぎあげるその様は“ハレの日”でありながら、かなり濃厚に“ケの日”の色を残している。

 

真理さんの「他の町会に負けたくない」「うちの神輿が一番かっこよくあって欲しい」という言葉には、そんな”ケの日”の自分たちを肯定したいという思いがにじみ出ている。日頃、仕事をしたり、買い物をしたり、繰り返してきた毎日とそこでかかわってきた人たちの積み重ねがこの2日間の盛り上がりに結集される。当たり前の毎日が決して意味のないものではないということ、それを今自らの肩にのしかかり、まばゆいばかりに輝く神輿が象徴している。

 

「おい!顔が怖いぞ!笑顔で担げ!(笑)」

 

神輿の先頭を指揮するベテランの担ぎ手、Yさんに冗談めかしてたしなめられた。肩にのしかかる神輿の重みに顔をしかめている場合ではない。今まで続いてきた、これからも続く営みのすべてを高く掲げ、賛美するこの瞬間を楽しむしかないのだ。私たちの営みが続く限り、この街に祭りは絶えない。

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