【脇役で見る映画】 頼むから決めてくれ!『ショーシャンクの空に』
決まらない。決めなきゃいけないのは自分なのに。そうやって焦るたびに、映画『ショーシャンクの空に』の脇役である “アイツ” のことを思い出す。
会議が終わらない。手癖でコーヒーカップを口に手繰り寄せるけれども、中身は空っぽで不格好な茶渋が見えるだけです。目の前にひとが居るというのに、自分はまるでひとり湯船に浸かっているような感覚です。それも、心地の良い湯加減の贅沢なお風呂ではなく、175㎝の僕はギリギリ足を伸ばせないような、生活感のあるしょうもない湯船で、お湯加減も良いとは言えない。
おかしい。
さっきまで心地よかったはずなのに、もうすっかり冷めきってしまっている。身体を少しでも動かせば冷たい水が肋骨を撫でる。けれども、指一つ動かすことなくじっとしていれば、身体の周りを包む水はなんとか耐えられる程度のぬるま湯でいてくれる。このまま何もしなければ今を凌ぐことはできる。けれども、動かなければいずれは冷水になってしまう。はやく湯船から出ないといけないのに、どうも動くのが億劫だ。
そんな感覚の会議でした。終わらない。この会議、まったく終わる気配がない。
けれども、ここでいま僕が何かを言うと、何かが壊れてしまってまた会議が長引いてしまうのではないか。僕がまだアンテナ編集部に在籍していた頃の、ある日の一幕です。どうにかこうにか会議は終わる。なあんにも進んでいないけれども、各々が終わった気になって荷物をまとめて地下鉄に乗り込み家路につきます。
「今日のきみの役割は、決めることやってんけど。話を進めて決めるのが仕事やってんけども」給湯器知らずの冷水が僕の身体を打つ。ほかでもない編集長堤氏のことば。心臓が止まる。
決めるのは、難しい。
その営みそれ自体が仕事として成り立つくらいです。決めるのは、難しい。それからしばらく時間が経ちました。ありがたいことにフリーランスの物書きとしての仕事と裁量は時間と比例するように面白いほど増えてきました。けれども、これに伴って責任を負うべきこともまた増えてしまった。決めるべきことが増えたのです。増えたけれども、僕の器はあんまり変わらない。決めるのは、難しいまま。
「すいません、トイレ行ってもいいですか?」
「え?いいよ。いいからはよ行け」
映画『ショーシャンクの空に』の後半のシーンのやりとりです。ブルックスという心優しいおっちゃんがいます。刑務所の中では一番の古株。刑務所のことなら何でも知っているし、主人公のアンディの心優しい友人のひとり。彼は満を持して出所することになりますが、刑務所の生活に慣れすぎて、シャバの暮らしが上手くいきません。スーパーで仕事をしているとき、思わず彼は上司に許可を求めてしまいます。トイレに行ってもいいか、と。
お手洗いに行くことすら、誰かの許可を得ないと気持ち悪いのです。刑務所の中の暮らしは制限されすぎている。これ以上にない不自由に見えるけれども、それに慣れてしまえば心地よい。自由には、責任が伴う。今晩何を食べるのか。休日にどこに行くのか。ネットフリックスで何を見ようか。お茶の時間は何時からにしようか。仕事は何をしようか。自由な場所では自分の行動は自分自身が決定しないといけない。抱えきれないほどの自由は、不自由と同じだ。決めるのは難しいから。
くわえて、ブルックスはシャバの世界では歓迎されるような人間ではありません。ランドセルを背負った子が恋を3つも4つも経験するほどの膨大な時間を兵の中で過ごした人間です。資本主義経済の中で頭一つ抜きんでるような技術や能力もありません。
BROOKS WAS HERE.
そんな惨状に耐えかねて、彼は首をくくり命を絶ってしまいます。確かに自分が存在したことを梁にナイフで刻み、自殺してしまうのです。決めるのは難しい。自殺なんて到底褒められるべき選択肢ではないことは百も承知なのですが、これはフィクションだということに驕ることを許されるなら僕は彼のその行為を肯定してあげたいと思います。
決めるのは難しい。後ろ向きな決断はもっと心が苦しい。人との付き合いをやめる、仕事を断る、あるいは。そんなネガティブな意思決定は梅雨の日の頭痛なんて比べ物にならないくらい重たくて憂鬱なことでしょう。冤罪に負けじと模範囚となり、油断させたところを脱走する。そんなアンディの決断よりもうんと大変なことでしょう。
彼の自死は残念なことでした。もし彼にも自由を苦痛と捉えることなく大海を泳ぎ回るほどの力があれば。そういう人が一人でも多く存在すれば社会の窮屈さは変わってくるのかもしれません。
こっちはこっちで骨が折れる。やっぱり「ルールに従うだけ」の方が簡単で心地が良いのですから。飼われた動物は自由にどこへでも行けないかわりに、きまった量のご飯が保証されているのですから。そこから抜け出すのには、少なからぬ痛みを伴う。痛みをともなうけれども、きっとそれは必要なことなのです。
「今日のきみの役割は、決めることやってんけど」ほかでもない編集長堤氏のことば。給湯器知らずの冷水か。いいや、給湯器要らずの熱湯だったのかもしれない。コーヒーカップの底を覗くと、茶渋もまたこちら側を見つめてくる。BROOKS IS HERE. と書いてあるような気がした。
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95年生。映画ライター。最近大人になって手土産をおぼえました。
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「フラスコ飯店」というwebの店長をしています。