台北都市型フェス“Jam Jam Asia”はアジア音楽の“今”を見るショーケース―TRENDY TAIPEI 2024前編
2024年9月8日(土)、9日(日)に都市型音楽イベント『JAM JAM ASIA』が台北ミュージックセンターを中心に開催された。台北市内を使ったイノベーション×音楽のショーケース『TRENDY TAIPEI』の一環として、アジア各国のジャンルを問わず様々なアーティストが集まる大規模なイベントだ。ANTENNA編集部はアジアの音楽シーンが求めているものや、リスナーの空気感に着眼点を置き、2日間取材を実施。その模様をお届けする。
アジアで鳴らされる音へ、台湾の“今”が反応する
音楽フェスと言われればピンとくるが、ショーケースイベントとなるとあまりしっくりこない。そういう人は少なくないだろう。事実、沖縄で開催されるミュージックショーケース『Music Lane Festival』の創設者、野田隆二がタイの音楽メディア『COSMOS』のインタビューにて、日本でのショーケースという概念の認知についてこのように言及している。
「ほとんどの日本人はショーケースとサーキット・フェスティバル(複数のステージがあるチケット制のイベント)の違いを区別できないと思います。一番の理由は、日本にはまだミュージック・ショーケースがあまりないことなんです。東京には『TIMM』しかありませんが、これは日本国内のメインストリームに焦点を当てています。ショーケースの主な目的は、まだ接点がないリスナーをアーティストへ紹介することなんです」
従来のフェスとショーケースの大きな違いは、ショーケースが“お披露目会”であるということだ。リスナーのみならずメディア関係者やフェスのオーガナイザーの集まり、アーティストにとってはステップアップするための足場とすることが大きな目的の一つとなる。そのため、まだ国際マーケットで本格デビューしていない各国のインディーアーティストや、改めてその活動に火をつけたい中堅のアーティストにとっては貴重な場なのだ。
『JAM JAM ASIA』は東・東南アジアの音楽シーンにフォーカスしたショーケースということで、台湾はもちろん、タイやマレーシア、韓国、日本からもアーティストが参加した。アジア諸国のシーンで鳴り響いている音楽にはどのようなものがあり、それが台湾のオーディエンスにどのように受け入れられていくのか。それを間近で体験できるのは、今この瞬間のアジアの音楽シーンを切り取ったリアルな場となることを意味する。
今回ANTENNA編集部ではまだ日本のメディアではあまりピックアップされていないアーティスト、かつ編集部としても初見であるアーティストを中心に、全5アーティストのステージの模様を紹介したい。
異形の進化を遂げた未知なるアジア音楽の怪物、憂憂Yō-Yō(ヨーヨー)
憂憂は筆者自身ノーマークだった。というのも、彼らに関する日本語の情報がないのはもちろん、SpotifyやApple Musicにも音源が公開されておらず、Youtubeで一部の楽曲しかチェックできなかったからだ。それでもライブに足を運んだのは、当日の朝現地のスタッフから勧められたのがきっかけだ。
「いいバンドだよ。すごく興味深い音を鳴らすんだ。ぜひ見てみて欲しいね」
結論から言えば、この2日間で1、2を争う衝撃を与えてくれたのが彼らだった。そのスタッフには心から感謝を伝えたい。
伝統音楽の要素を大胆に取り入れたジャンルレスなサイケデリックミュージック。そう言ってしまえばそれまでなのだが、そこから想像できるインパクトを遥かに上回る熱気とトリップ感、そして超自然的なエネルギーを体感させる圧巻のパフォーマンスだった。
開始早々、どこか郷愁を誘うような憂いを帯びたメロディーと、何かが乗り移ったかのような禍々しいヴォーカルのアンバランスな掛け合わせが聴き手の五感へ強烈な一打を食らわせる。そして、ステージが進行するうち、斬新なサウンドでありながらどこかオールドスクールなロックに近い香りを感じる場面が度々あることに気づく。例えるなら、Led ZeppelinやCreamといった黎明期(60~70年代初頭)のハードロック。大所帯の複雑なアンサンブルがともすれば大仰なダイナミズムへと向かっていくことで、楽曲の力強さを増幅させていく案外シンプルな“聴かせ方”がサイケデリックなムードも相まって彷彿とさせた。
まだ数少ないながらYouTubeにアップされていたデモ音源から、そのメロディーや世界観といった片鱗を感じ取れる。ただ、そのサウンドの立体感、力強さ、スケール感はライブでしか体験できないだろう。まだ当分先になるかもしれないが、彼らのステージを日本や他の国のイベントで目撃する日を心待ちにしたい。
熱帯雲霧林へいざなう魅惑のマレーシアンインディーフォーク、Bayangang(バヤンガン)
アジアのインディーミュージックにスポットライトが当たるようになった昨今でも、マレーシアの音楽はまだまだ馴染みがあるとは言い難い。物理的にも心理的にも、少し距離があることが関係しているのかもしれない。旅先や料理、ビジネスや日用品などで考えてもマレーシアという国との接点はタイや台湾、韓国、フィリピン、などと比べあまり多くない印象を受ける。
そう言った背景も踏まえ、マレーシアのインディーフォークシンガーBayanganは未知なる音楽へと耳をそばだてるニッチで探求心溢れるリスナーたちにとってこれ以上なくそそられる存在だ。
低く、囁きかけるような有機的な歌声が、密林へと引きずり込んでいくよう。奥深く不明瞭な深遠さ、息苦しいまでの密度、そして、様々な楽器を用いながらもすべてが一枚岩になって襲い掛かってくる迫力。他のどんな音楽にも喩えようがない神秘に満ちた音世界が空間を支配していく。
ハイライトにあげたいのは最新EP『Dari Pinggiran』に収録された“Rebah”。霧深い森の中に一筋の光が差し込むようなシンセサイザーがきらきらと鳴り響く幻想的な一曲だ。この曲で象徴的なのは、そのあまりに特徴的な低く厚みのある声が完全に一種の楽器として、そのサウンドの中に一体化していること。鬱蒼とした森の中、一本の巨木が声なき声で語りかけるような、民間伝承の世界を体感しているような超現実的感覚を味わわせてくれた。超現実的な世界観に徐々に迫力を持たせ、異世界へとリスナーを連れていくという意味で、kikakagaku moyoやHAPPYといったジャパニーズサイケにも通じるものがある。ただ、それよりもはるかに物腰柔らかで飄々としていてより内省的、底が見えない不気味さがあった。
せっかくなので、今度は野外、自然に近い場所でお目にかかりたい。ただ、その超然とした魅力は、台北のオフィスビルの谷底にあるコンサートホールでも、充分すぎるくらいに伝わってくるものだった。
エンターテイナー鄭宜農(イーノ・チェン)が内包するシーンの広がり
台湾のインディーミュージックを代表するシンガーソングライターの一人、鄭宜農。台湾で最大規模の音楽フェスティバル『大港開唱 MEGAPORT Festival』では2024年5月に大トリを飾るなど、フェスにも頻繁に出演し、台湾内で数多くの受賞歴を誇っている。『BiKN 2023』で来日経験もあり、今回紹介するアーティストの中では日本のリスナーにも馴染み深い存在の一人だろう。
そんな彼女が見せてくれたステージは、バリエーションに富んだ音楽性とエンターテイメント性が詰まった非常にハイクオリティなものだった。そして、その“雑食”ぶりこそが今後の台湾シーンの可能性を予感させたともいえる。
トータル30分弱の出番、煌びやかなポップネスがファンク調のベースラインに乗って躍動する“街仔路雨落袂停”やドラムンベース調のサウンドに浮遊感のある歌に緩急を産む“新世紀的女兒”等、代表曲ともいえるセットリストで畳みかける。時にブリットポップ風味のタイトなバンドサウンドで疾走したかと思えば、レイドバックしたムーディーなバラードでしっとりと聴かせるなど、限られた時間で目一杯にその振り幅を見せつけるあたりはさすがの一言だろう。
鄭宜農について特筆したいのは、アシッドジャズやドラムンベース、ブリットポップ(と、そのリバイバル)といった影響を受けた音楽から単に手法を拝借するだけに留まらず、その音楽的なバックグラウンドを楽曲の魅力を増幅させる舞台装置として、完璧に咀嚼して見せていることだ。そのグルーヴやサウンドが楽曲の表情としてメロディの魅力を一層引き出すのに大きく貢献している。
ポップミュージックとして、ニッチな音楽リスナー以外にも届くであろう彼女の楽曲には、それに触れることで様々な時代、出自の音楽に触れることができる。それはリスナーの耳も彼女自身の音楽性と同じくらい柔軟なものになるかもしれない。今後の台湾シーンにおいて、どんな音楽が好まれどんなアーティストが生まれるのか。彼女の音楽がシーンに与える影響は決して小さくないはずだ。
エモやシューゲイザーを吸収したタイ版歌謡ロック、Television Off(テレビジョン オフ)
ステージ上に現れたメンバーを見て、どこか懐かしさを感じた。誤解を恐れずに言えば、衣装や髪形など90年代日本のヴィジュアルロック(所謂V系)や00年代初頭のビーイング系“J-ROCK”と形容されたアーティストを彷彿とさせる佇まいだったからだ。
タイの5人組ロックバンド、Television Off。トリプルギターが奏でる重厚なアンサンブルでシューゲイザーの影響下にあるギターロックを鳴らしながら、キャッチーでメロディアスな歌モノに仕上げているのが大きな特徴だろう。2020年結成とまだ活動歴は浅いながらも、確実にオーディエンスの心を掴み、確固たる音楽性を確立していることが伝わる充実のライブだった。
彼らが登場したのは初日のトリにあたる時間帯。こうした初見の来場者が多いショーケースイベントだからこそ、ノリのいい曲を持ってくるバンドが多い中、しっとりと聴かせるスロー~ミドルテンポの曲が中心のセットリストだった。それでも、ほぼ満員に近いまでに埋まった会場が熱気に包まれたのは、その複雑なギターのアンサンブルからは想像もつかないほどストレートな歌の魅力が大きい。
甘く中性的なヴォーカルはどちらかと言えばポップス寄りの透明感がある声質。メロディも温かみがある優しいもので、TVドラマの挿入歌で流れても違和感がない。繊細なメロディラインが瑞々しく凛と響くノイズポップ“Be My Youth”やラスト前に演奏され一番の盛り上がりを見せた比較的アップテンポなロックナンバー“Mantis”に至るまで、その特徴は一貫していた。
あくまで個人的な感想だが、やはり彼らの音楽からは90年代のV系に通じるものが感じられた。例えば、LUNA SEAがシューゲイザーやエモを独自のキャッチーな歌謡ロックに落とし込んでいたのを思い出す。自らの音楽的ルーツを隠すことなくメロディアスで多くの人が口ずさめるポップミュージックに落とし込むカルチャーが脈々と受け継がれているようだ。
まだ見ぬ衝撃from台湾、傻子與白痴 Fool and Idiot(フールアンドイディオット)
冒頭に紹介した憂憂に負けず劣らず、まだまだとんでもないバンドが台湾にはいるようだ。その名も傻子與白痴。2010年代のUKインディーロックやブラックミュージックの影響を受けつつも台湾らしいエモーショナルなメロディラインを歌い上げる4人組バンド。
サウンド自体は決して奇をてらったものではない。特に後半に顕著だった、ディスコポップ風の曲でフロアを温めつつ、しっとりとしたスローナンバーで小粋にチルアウト、泣きのメロディで掴みにかかるといった構成は王道といっていい。オリエンタルな演出や民族楽器、シティポップといった“アジアっぽさ”を前面には出さず、ある種普遍的なサウンドを基盤としながらもそこに違和感なく抒情的でどこかメランコリックで人間臭い歌を乗せることがこのバンドの神髄だ。
中盤に演奏された極太のベースラインが跳ね回る“OY”のようなダンサナブルな楽曲とラストを飾った壮大なエモバラード“At The Heart of Everything”のようなしっとりとしたナンバーの振り幅はかなり大きい。そのギャップに彼らのサウンドが持つ圧倒的な求心力と泣き叫ぶような剥き出しのヴォーカルが加わることで、ライブをよりドラマティックに魅せていた。
オルタナティブ/インディーにカテゴライズされるサウンドを鳴らしながらも、スケール感と表現力、そして抒情性がまるでスタジアムロックのような一体感を生む。その光景はまるでMUSEやTHE 1975を見ているのに近いものを感じた。
未知なる音楽を歓迎する土壌
『JAM JAM ASIA』を通して、台湾以外の国から参加したアーティストのライブにもある程度の客入りが確認できた。もちろん一部のニッチなリスナーが既にチェックしていてお手並み拝見とばかりに足を運んだケースもあるだろうが、個々のアーティストでいえば初見もチラホラ……ということも少なくないはずだ。
そうした中でも歓声が起こり、ライブが進むにつれてそれぞれの反応が見て取れるようになるのは、台湾のリスナーたちが未知なる音楽へと関心を持っていることの表れといえる。都市の中心部近くで行われたこともあるだろうが、日本のフェス以上に客層の幅広さが伺い知れた。来場者の年齢層は20代の若者を中心としながらも親子連れや少し歳を重ねた人の姿も目立つ。フェスというよりも、音楽祭。街のイベントとして、余暇の選択肢の一つとして、足を運んでいる人も少なくないだろう。
そうした中で、音楽をライブで楽しむということのハードルが下がり、その魅力をそれぞれの楽しみ方で咀嚼する土壌が生まれる場となっていくはずだ。アジア諸国のサウンドのバックグラウンドやバリエーションの豊かさを実感できるとともに、音楽へと触れる場の創り方を目の当たりにする非常に興味深いイベントだった。
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後ろ向きな音楽、胡散臭いメガネ、あまり役に立たない文章を愛でています。旅の目的地は、何もないけれど何かが起こりそうな場所。
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