地域のライブハウス、フェスはどうやって生き残る?アジア各国での取り組みーTRENDY TAIPEIパネルディスカッション
2024年9月9日(日)、台北ミュージックセンターで開催された東・東南アジアのイノベーション×音楽のショーケース『TRENDY TAIPEI』。その一角で行われたパネルトークの模様をお届けする。複数のテーマについて3~5名のパネラーが登壇し、それぞれの見解をシェアする場だ。ここでは、東・東南を中心としたアジア諸国とオーストラリアのライブハウスとフェスについて紹介したい。
アジアで鳴らされる音へ、台湾の“今”が反応する
同じアーティストで、同じ曲であっても、演奏する場所が違えば全く違うサウンドに聴こえることがある。これは同じ『TRENDY TAIPEI』の中で開催された音楽イベント『JAM JAM ASIA』でも痛感したことだ。台湾のオーディエンスが持つ空気が、日本のライブハウスで感じられるそれと大きく異なっていたから、来日経験のあるアーティストのライブも非常に新鮮な感覚で見ることになった。
そこで演奏される音楽と同じくらい、音楽が“鳴る場所”が果たす役割は大きい。それぞれの環境要因や、アーティスト、リスナー、スタッフといったステークホルダーたちの性質も加わり、再現性のない唯一無二の空間が出来上がっていく。この日のパネルディスカッションに登壇した人たちは「1. 音楽フェスティバルのオーガナイザー」と、「2. ライブハウスのオーナー」たち。他でもない各地域の音楽シーンの当事者であり、能動的に今の音楽シーンを動かそうとしている「場所そのものを作り上げてきた」人たちだ。
このレポートでは、その中の2つ「国際的音楽フェスティバルの取り組み」と、「ライブハウスのサバイブ術」を紹介する。
フェスを耕し、育てる、その先に
広がりを見せるアジアのフェス
近年、特に南~東南アジアにかけて、野外フェスの規模も数も開催場所も徐々に広がりを見せているようだが、そのこと自体が大きな発見だった。元々タイやインドなどには、ヒッピーたちが自然発生的に開いていた野外パーティーがあり、温暖な気候も相まってそうしたイベントが定着しやすい風土はあったのかもしれない。
今回登壇したのは野趣溢れるフェスをオーガナイズする3名だ。インドネシア『Jazz Gunung Indonesia』CEOであるBagas Indyatmono、インドの『Ziro Festival』ディレクターを務めるLubna Shaheen、ベトナムの『Outlandish Festival』ファウンダー、Matthew MacPheeの3名。それぞれ音楽的にも規模や開催形式も異なる3つのフェスだが、いずれも自然豊かな環境で開催されていることが共通点だ。
主にインドネシア山間部で開催されるエスニックジャズフェス『Jazz Gunung Indonesia』は2009年から約15年にわたり続いているという。周辺一帯が国立公園となっている東ジャワ島のブロモ山で始まったこのフェスは、地域の人々(少数民族)との共存を強く打ち出している。島ごとに民族や言語がわかれ、多様な文化を吸収してきたインドネシアらしいテーマと言えるイベントだと感じた。
インド北東部で2012年から続く『Ziro Festival』は、ローカルのアーティストが他地域の人々と交流することを目的に始まった。ヒマラヤ山脈に近接する内陸部、人種民族でもインドの他の地域におけるマジョリティとは異なる人々が生活し、中央政府による開発が遅れてきた北東部は、独自の文化や風土が根付く“秘境”と位置付けられる。そうした地域において、国内外のリスナー、アーティストのハブとなる場が創られていることが特色だ。
そして、ベトナム北部の都市、フアビンで開催されている『Outlandish Festival』。アートやインディペンデントな音楽がまだまだアンダーグラウンドの域を出ないベトナム国内において、カルチャ―ハブとなるべくギャラリーやカフェ、ラジオ番組やアート展のキュレーションまでを手掛けている。ファウンダーであるMatthewはカナダ出身でベトナム国外のアーティストやコミュニティとも関わりがあり、この場所を震源地にしてまだ見ぬムーブメントが生まれていく予感を与えてくれる。
国ごとに文化が異なれば、受け入れられやすい音楽も違い、フェスの形式も異なる。更に言えば、晴れて開催にこぎつけたフェスがどのような姿へと変貌を遂げていくのか、大きな役割を果たすオーディエンスの挙動が場所を変えるだけで大きく変わるだろう。
事実、パネルトークでも三者三様。風土や社会情勢、辿ってきた歴史によって異なる価値観やフィロソフィーが音楽フェスという限られた事象であっても変わり得るものだということを実感できた。
非日常が日常と共存するということ
フェス(Festival)は、それが定期的なものであれスポット開催であれ、期間限定のものだ。1日だけのこともあれば、数日、中には数週間続くものもあるが、一度創り上げた空間が必ずまっさらな状態に戻る。非日常空間だ。
フェスが行われる場所ではその地域の日常があり、フェスは異質な存在であることに変わりはない。フェスが継続的に開催され、カルチャーとして根付いていくためにはその地域の日常と共存することは避けられない課題と言える。
例えば、日本でこそそれほど強く意識する機会は多くないが、他の多くの国において宗教との関わりは重要項目の一つだ。『Jazz Gunung Indonesia』を開催するにあたり、地域住民への宗教的配慮は特筆したい。CEO、Bagas曰くそれはフェスの成り立ちに欠かせないものだという。
「インドネシアでは国民のほとんどがムスリム(イスラム教徒)ですが、ブロモに住む人々はヒンドゥー教徒なんです。だから、彼らの生活にもインドネシアのスタンダードとは異なる文化と宗教が少し混ざっています。 イベントの初めに、通常、これらのヒンドゥー教の儀式が行われます」
フェスが日常と共存するには、ローカルたちにも当事者として楽しんでもらうこと、愛されることが最も近道だ。彼らの生活の延長線上にある、祝祭としてその場を共有する。
ここで、宗教や民俗に影響を受けることは必ずしもフェス自体を制限するものではないことにも触れておきたい。むしろ、そのフェスでしか生まれない魅力や空気感を醸成するファクターだ。特に、様々なアイデンティティが混在する多民族社会ほどフェスは相性がいいのかもしれない。
それは国内にも無数の言語や宗教が存在し、地域が変われば途端に言葉が通じなくなるというインドがわかりやすい。『Ziro Festival』を続けていくうちに、ディレクターのLubnaもこのことに手ごたえを感じているようだ。
「多様性に富んだインド社会では、音楽フェスティバルは異なるアイデンティティやコミュニティに属する人々をつなげる素晴らしいアプローチでした。フェスは決して、音楽だけを目的とするものではないですから。料理を例にとっても、どの州にも 1 つの料理だけではなく、5 ~ 10 種類の伝統料理があります。 どこかでフェスがあったら、そこに行くだけでその地域の知らない側面が見えてきて、刺激的な体験ができます」
これまで開発が遅れ、他地域と繋がる交通も整備されていなかったインド北東部にとって、地域の文化が外へと伝わり外部からの人やカルチャーが流入する入口にもなり得る。これは現地の人々のみならず、国外から足を運ぶフェスラバーたちにとっても魅力的に映るはずだ。
ここでの話は開発が進んでいない、伝統的なライフスタイルが息づいた地域での話が登場したものの、日本で行われている都市型フェスや郊外型フェスも同様のことが言えるだろう。フェスがあることがその場所で生活している当事者にとってどのような影響を及ぼすのか、ポジティブな面とネガティブな面を踏まえたうえで、少しでも当事者から歓迎される形を模索すること。このフェーズを怠ってしまえば、結果としてフェス自体が立ち行かなくなってしまうからだ。
ライブハウスの灯りを絶やさないために
多様なライブハウスの在り方
ライブハウス、という言葉自体が日本独自の言い方だ。世界的にはただ場所のみをさす「ベニュー」という言葉がよく使われる。そうした場所で多くのアーティストが世に輩出され、シーンが形成される場所であることも同じだ。
とはいえ、地域ごとにライブハウス事情は大きく異なる。コミュニティの観点でも、音楽シーンにおける役割も、そして、法令の観点でも。常設会場という特性上、フェス以上に外的要因に左右され、その在り方が変化している。
パネルディスカッションのパネラーとして登壇したのは、マレーシアのクアラルンプールの《Soundscape Records》のファウンダーを務めるMak Wai Hoo、オーストラリア、シドニーの非営利パフォーマンスアート施設《Phoenix Central Park》のディレクターJosh Milch、韓国ソウルの《KT&G SangSang Madang》プロデューサー、Jooran Jeong、東京渋谷の《duo MUSIC EXCHANGE》社長、西村良太の4名。
700人収容の《duo MUSIC EXCHANGE》や400人前後の規模を持つ《KT&G SangSang Madang》はメジャーアーティストの単独公演やメジャーへと巣立って行く登竜門的な場としてシーンに根付いている。それに比べて小規模な《Soundscape Records》はよりアンダーグラウンドなアーティストも出演する場所で、スモールスペースだからこそ家賃高騰や再開発の波の中でも長年経営を続けられている側面があるという。そして、他の3つのライブハウスと大きく性質が異なるのが非営利団体である《Phoenix Central Park》だろう。国内外のアーティストが無料ライブを行う場として行われ、常設の拠点を持ちながらも海外都市へのツアーも定期的にブッキングしている。
街の機能によっても、国の音楽シーンによっても、そして施設を運営する人の意志によってもその在り方が大きく変化するライブハウス。そうした中でも、今これから、生き残っていくために必要なことは何か。異なる視点からの意見が交錯するディスカッションがこの日は繰り広げられた。
デジタル時代においてライブ“ハウス”である意義
ライブハウスを取り巻く環境は年々変化の中にある。デジタルサブスクリプションが音楽の視聴方法の主流となった今、“生”の音楽を届ける場の在り方も変化を迎えている。常設の場、そこに足を運ぶ場であるということが持つ意味合いはこれからどのようなものになっていくのだろうか。
《Phoenix Central Park》のJoshがデジタルストリーミングによってオーストラリア国内の音楽シーンに現れ始めた影響について次のように言及した。
「実は近年、オーストラリアの国内音楽への需要が下がってきています。というのも、デジタルストリーミングでは海外の音楽に簡単に触れられる一方、次第にローカルの音楽へ触れなくなっていくんです。2023年、オーストラリアの国内ヒットチャートにはオーストラリアのアーティストがほとんどいないという状態が起きました」
オンライン上で音楽を探すときは必然的に多くの人から聴かれているアーティストほど露出が増え、情報が届きやすくなる。そうした中でこそ、《Phoenix Central Park》のような場が持つ意義が出てくるという。
「生のライブパフォーマンスに触れることで、オーストラリア国内のアーティストにスポットライトが当たるきっかけになるんです。私たちはライブを無料の抽選チケット制で公開しています。無料だから、まだ知らないアーティストの音楽に触れるハードルもそれほど高くない。そういう場こそ、地元アーティストにとってのプラットフォームとして機能するポテンシャルがあると思います」
生だからこそ知ることができる情報は、想定外のことが起こり得る。聴こうと思った音楽や知ろうと思った事柄、若しくは多くに人が求めている情報が届けられるデジタルとは異なる場としての意義が生まれているということだろう。
《duo MUSIC EXCHANGE》の西村も音楽シーンの基盤としてライブハウスの重要性が消えることはないと話していた。
「ライブハウスでできる経験が音楽シーンにとってすごく大事だと思うんです。アーティストも、スタッフも、そしてお客さんも現場での経験を通して音楽の仕事を学んでいく場所でもあります。アーティストにとってはオーディエンスの反応をダイレクトに感じることができる場所ですし、僕自身も成功体験とか、反対にスタッフ同士のトラブルとかそういうものを通して(音楽に携わって働くとはどういったものかを)学んできました」
デジタルストリーミングや無料動画配信を通して、ライブハウスでの経験がないまま大きな会場でのライブを実現するアーティストも少なくない昨今。そうした時代にあっても、大舞台を踏む前にライブハウスで得られる体験はアーティストにとっても有意義な物であることに変わりはないということだ。
ただ音楽を聴く場所、音楽を演奏する場所という位置づけではなく、音楽を体験する場所。デジタルにはない体験ができる場所。そういう意味でのライブハウス、そしてライブミュージックが持つ特異性が以下に伝わるのか。ライブハウスが存続していく上でのキーポイントとなりそうだ。
場所を守るために必要なモノ、コト
都市部への人口集中が加速するほど、家賃は高騰し、新たなスペースは見つかりづらくなる。先進国や新興国でも同様の状況が進んでいる昨今、スペースを維持するということが共通の問題となっている。
そうした状況下で、資金繰りを軌道に乗せていくために、外部からの支援が必要になる場面は少なくない。まず何よりも、ライブハウスを始める時点で企業や政府からの資金援助が影響する場合は多い。《KT&G SangSang Madang》はその名にもある通り、韓国唯一の煙草製造会社にして国内シェアの8割を占める巨大企業『KT&G』が母体となって運営されている。
「ビルの中にライブスペースだけではなく、ギャラリーやシネマも併設しています。他のアートに関わる8つのプロジェクトも提携していて、この施設自体が韓国の5大都市に跨るアートプロジェクトの一環です」
企業による文化活動支援は、社会貢献活動としての側面が強いため、新人アーティストの発掘を掲げるライブハウスの活動とも非常に相性がいい。事実、《KT&G SangSang Madang》でも新たな才能にチャンスを与える取り組みを続けているようだ。
「私たちは新進バンド向けのオーディションプログラムを主催しています。《KT&G SangSang Madang》で行われたパフォーマンスをYouTubeにアップし、一般投票で優勝者を決定します。どれだけローカルに貢献できるのか、更に言えばどれだけいい音楽が世に出ることをサポートできるか、それがこの施設の活動理念なんです」
とはいえ、企業の社会貢献活動としての資金援助は、常にリスクを抱えている。例えば情勢の変化や何らかの不可抗力で企業の経済状況が悪化した際、間違いなくその場は失われてしまうからだ。仮に援助を離れても経営を維持できるだけの集客と利益を維持できる状態へと向かう必要がある。Jooranは次のように続ける。
「ライブハウスが生き残るためには、他では替えが効かない唯一無二のコンテンツを提供することが必要だと思います。それこそ、ライブミュージックにしか為し得ないことですから。実はこれまで、韓国のライブハウス同士が提携することはあまりなかったんです。これからライブハウス同士が協力して生でしか味わえないコンテンツを提供することで集客を拡大していくことができるのではないかと考えています」
ライブは、その場にいる人しか体験できないことこそが魅力である一方、多くの人へ届けるという意味では弱点にもなる。それを補い、新たな集客を実現していくにはそれが届くための仕組み作りが重要となる。
ライブハウス同士が協力して動画配信サービスでのライブストリーミングが行われるケースも増えている。ただ、それ自体を知らない人がいたり、ライブハウス経由で知らない音楽に触れる、という形で配信を見る人がまだまだ少ない実情があったり、ライブミュージックがコンテンツとして多くの人の元に届くまでにはまだまだ課題があるというのが実情のようだ。
どう続けるか、という永遠のテーマ
何かを始めることより、続けることの方が何倍も難しい。誰が言い出したのかすら曖昧なほど口にされている言葉だろう。音楽の場合、“続ける”とはどういうことなのか。たとえば、ライブハウスであれば建物の老朽化や家賃の高騰など不可抗力によって店をたたまざるを得ない状況になる可能性は常にはらんでいる。もし今ある場所がなくなってしまった先に、残せるものがあるのか、バトンを渡せる相手がいるのか。それこそが音楽を、カルチャーを“続ける”ということだと筆者は定義付けたい。
その意味でも、西村が話していたライブハウスの“学びの場”としての意義や、Lubnaが言及していたフェスを地域文化交流の起点と置く考え方は極めて重要だ。
音楽自体は全ての人に必要不可欠な物とは言い難い。必要ではあるかもしれないが、なくても生命維持は可能だ。そうしたものだからこそ、音楽を通して何を実現できるのか、そのために今ある場は何を残していくのか。これを意識することがこれからの音楽の“場”が生き残るための最重要ファクターといえる。
時代の変化は止まることなく、状況は常に変化する。だからこそ、そのための手段も常に変化が求められる。実現したいことと、実現するためにやるべきこと。前者は変わらず、後者は変わる。そうして音楽は鳴り続ける。
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後ろ向きな音楽、胡散臭いメガネ、あまり役に立たない文章を愛でています。旅の目的地は、何もないけれど何かが起こりそうな場所。
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