俺の人生、三種の神器 -岡安いつ美 ③写真編-
俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけは、その時は気づけないかもしれないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!
この連載を通して、アンテナ編集部メンバーの人となりを知ってもらえればよいな、という気持ちでスタートしたこの企画。ようやく最終周となりました。副編集長の岡安です。
他のメンバーの記事を読んでいると「そんな人生の転機となるような事柄がなかった」という言葉がちらほら上がっていたのを見ていると、私の人生は、要所要所に変な登場人物がいて、自分の人格をきちんと形成してくれていたのだなあと思うようになりました。またいろんなタイミングで起こるどんな出来事も、ひとつひとつの選択も、自分を構成する要素になっていることにも。これを読んでいる方にとっても、自分の転機を振り返るきっかけになるような連載になっていれば幸いです。
それでは本題、私の三種の神器3つ目、『写真』についてお話ししようと思います。
一眼レフを手にして
前回の三種の神器で紹介したSXSWを契機に、私は一眼レフで写真を撮り始めました。しかしそこで撮影したライブ写真は無残なものばかり。6年前のSXSWの取材を通して、写真に対する挫折感を覚えました。
自分で撮影した写真を、自分の記事では使うことができず。私は写真の才能が自分にはないと思い、取材の現場にカメラを持っていくことはなくなりました。なんなら、「一眼レフを持っている」と言うことすらおこがましいと思うほどになっていたのです。
京都に来て気がついたこと
私はライブ写真がとても好きでした。Showcaseのミヨシツカサさんや橋本塁さん、岸田哲平さんなど、お客さんの間でも有名なカメラマンの写真を見て育ち、『かっこいいライブ写真』へのあこがれは募る一方でした。しかし前述したように、自分には才能がないからやめておこうという気持ちが先行して、ライブの現場で撮影をしようという気持ちは微塵も浮かばず。どうやったら自分の好きなカメラマンさんと仕事ができるか、を日々考えるようになっていました。
京都に行くことになってもそのモチベーションはもちろん変わらず。関西にも東京と同じように、どんなハコにも、どんなバンドにもすごいカメラマンがついているもんだと思って京都の地へ乗り込みました。どんな写真を撮る人に出会えるか、わくわくしていたことをよく覚えています。
しかしどうでしょう。京都のライブハウスにはカメラマンがほとんどいない。有名なアーティストが来たとしても、カメラを持っている人はほとんどいない……。
真っ先に頭をよぎったのは「私はどうやって京都の音楽事情を伝えていこう?」ということでした。もちろん自分のテキストだけでも良いかもしれない。でも写真があれば、拡散力が格段に変わる(はず)から写真が欲しい。どうしたら良いのか……。そんな折に舞い込んできたのはとあるフェスのレポートの仕事でした。上記のように頼れるようなカメラマンは身近にいない状態。
「自分で撮るしかないか……」
半ば消極的に、カメラを持ち出し、現場に向かいました。レポートをしながらの撮影なので、とにかく必死にその日をやり過ごしたのをよく覚えています。その時のカメラは入門機であるNikonD3000。D3100が発売される直前の型落ち商品を3万円で購入したものでした。もちろん替えのレンズなんてないし、付けているレンズは付属のレンズ。暗い環境で撮影ができるほど性能のよいレンズではないのにも関わらず、『なんでシャッターがおりないのか』『なぜブレるのか』『F値って?シャッタースピードって?』という状態で撮影を行いました。これが私がライブ撮影を始めた原点。そこから調べて→試しての繰り返しで、やっとまともに撮影ができるようになったのです。
関西、という土壌
前述したフェスの会場に、キツネの嫁入りのマドナシさんが来ていて「写真撮れるの?」と聞かれたのがキツネの嫁入りを撮影し始めたきっかけでした。そこからかれこれ2年……いや3年?もうわからなくなるくらいにはキツネの嫁入りの撮影を続けてきました。初めて企画イベントを撮影した日はとにかく緊張したことを覚えています。
こういう仕事は1度やってみて相性が合わなかったり、良いと思えなかったら継続して依頼されることはありません。でもマドナシさんは今でも撮影が必要な場には私を呼んでくれていています。勉強したわけでも、仕事で写真をやっているわけでもない私に、撮影する場・チャンスと自信を与えてくれたのはキツネの嫁入りでした。
私は関西という土壌で写真を始められてラッキーだったなとよく思います。最近では身近なバンドにライブやアー写の撮影を頼まれることが増え、カメラマンとして周りの人に認知されるようになってきました。正直、東京だったらこんなことは起こりえなかっただろうなと思います。関東にはカメラマンが山ほどいるから。その狭き門の中で私は撮影の場を手にすることはできたか?なかなかうまくはいかなかっただろうと容易に想像がつくわけです。
関西には音楽界隈のカメラマンが(東京に比べて)圧倒的に少ない。その分自分のスキルが試される場も多い。そんな場にさらされて、実践的にスキルを磨くことができたからこそ、今の私があると言っても過言ではありません。京都で写真を始められて私は本当にラッキーだったと思います。
多くの人が「好き」なことをできる土壌としてのアンテナ
今は平日日中は会社員をして、平日の仕事の後や土日を使って撮影を行っています。アンテナの取材もあるので、カメラの出動率は日増しに上がっています。そんな生活をしていてよく思うことは、楽器を持たずとも音楽と関わり続けることができるということ。私はウェブメディアの運営と、カメラマンとして。その他にもデザイナーやライター、映像制作、ウェブ制作、マネジメント、イベント企画などなど音楽の業界を回すために必要な仕事はたくさんあるので、『音楽を仕事にしたいという憧れがある』という人はすぐにでも行動したらいいのになと思っています。
私はカメラを手にして、音楽との関わり方が大きく変化しました。自分がミュージシャンと対等に仕事をできている感覚を得られるようになったのも、写真を撮り始めてからでした。
音楽の仕事をするのは、金銭的にも体力的にも厳しいことはあります。若くないとできないとか、家庭があるとかできないとか……実はそんなことはなくて、30歳を手前にしても、音楽とは関係のない仕事をしながらでも、家庭があっても、音楽と関わり続けることってできると思うんです。そんな人が活躍できるひとつの場として、東京に行かなくてもそういったことができるということを証明するためにも、私はこれからもアンテナを育てていこうと思っています。
そんなたいそうなことを思えるようになったのも、写真を始めて、自分がミュージシャンに必要とされている実感を得られたから。自分には才能がないと思っていたことも、一歩踏み出すことですべてががらり変わるんですよ。これからもそんな思いを忘れないように生きていきたいものです。
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WRITER
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昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。
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