俺の人生、三種の神器 -岡安いつ美 ②SXSW-
俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけは、その時は気づけないかもしれないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!
あの時、あの瞬間。あれがこうで、これがああでなければ今の私はない。
そんなことってありませんか?
最近、強く一瞬一瞬の大切さが身に染みて感じているのですが、中でも6年前に行ったSXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)が人生の中でも重要なターニングポイントだったなと思います。今回はそんなSXSWについてお話しします。
たどり着けるのか?ギリギリな状態での渡米
私が初めてテキサス州オースティンに降り立ったのは23歳のとき。3.11直後のことでした。 3.11直後、様々な場所で規制ムードが漂っていた最中、半年以上前から決まっていたSXSWに行く事をとても悩んでいました。こんな時に私はアメリカに行っていいのか?そもそも飛行機は飛んでるのか?自分の中で自問自答を続けながらも、旅行の準備は進め、渡米当日を迎えました。公共交通機関が完全停止状態から少しだけ動きを見せはじめていた頃で、“行けなくはない”状況にまでなっていました。 テレビで津波や倒壊した家屋の映像の流れるテレビを横目に、出発の朝まで行くべきか悩んでいました。最後の一押しになったのは「とりあえず行けるところまで行って、ダメなら帰ってきなさい」の母親の一言。まあ、たどり着けないならそこまでの運命なんだ、という気持ちで私はアメリカに向かって家を出ました。
あてにしていた成田空港行きのバスは、バス停に「本日運休」の張り紙一枚。成田空港まで向かう電車も、普段の三分の一しか運行しておらず、どの路線も常時満員。やっとの思いで到着した成田駅では、そこから空港まで向かう電車が運転見合わせ中……。成田駅に到着時点でフライト1時間前でさすがに終わったと思っていたのですが、旅行代理店に「タクシーに乗れ」と指示を受け、成田空港まではタクシーに乗車。普通の海外旅行なら2時間前くらいには受付して、空港を楽しんで、なんてことをするけれども、すでにフライト30分前。もうこれは無理だろ、と思いながら、空港に到着したのはフライトの20分前。アメリカンエアラインのカウンターまで走って事情を説明すると、すべてのゲートの横を通してもらい、搭乗口まで5分で到着。15分前に飛行機に駆け込む。あれ、これ私アメリカに行けるのか……と着席してから気がついたような状態でした。
予定調和のない空間
SXSWは次世代を担う、サービスや映画、音楽が一堂に会する見本市です。私はこの年ミュージック部門の取材で、渡米しました。音楽部門では100を超える会場で、2000を超えるアーティストが出演。事前のスケジュールチェックもまともにできないくらいの情報量で、半ば情報の収集は諦め気味でオースティンに向かっていました。『次世代を担う』ものが集まるイベントなので、有名なアーティストは数えるほどしか出演しないので、スケジュールを見渡すだけでは、何を取材するか決められないのです。
オースティンの中心地・6thストリートに到着すると、すでに街はお祭り騒ぎ。朝11時から、深夜2時まで街中で音が鳴り響き、路上ライブやパフォーマンスは当たり前、予想をはるかに超える人の多さに圧倒されていました。
率直に、こんな陳腐な感想しか出てこないくらいの空間がそこには広がっていました。 こんな世界があるなんて。そりゃあ世界は広いわけだ。 自分の小ささも、見ている世界の小ささも、まざまざと見せつけられた瞬間でした。
STUBB’S BBQというステーキがおいしいお店ではFoo Fightersがライブをしていたり(気づかずに入店して、やたら騒がしいと思ったらFoo Fightersだった)、The White StripesのJack Whiteがゲリラで路上ライブを行っていたり(それを知らずに、翌日の新聞の一面でその事実を知る)。そもそも大物アーティストに巡り合えると思っていなかったので、驚きの連続に脳みそがついて行っていない状況でした。そのあとに前回の三種の神器で紹介したPeelander-Zのライブに連れていかれて、いきなりステージにあげられて、マイクを向けられて、まさかのアメリカステージデビューまで果たしたり。事実を羅列するだけでも、なんかすごかった、と反芻できるイベント、それがSXSW。全体の2%しか楽しむことができないと言われているので、自分が見れなったところではどんな事件が起こっていたのだろうか?と思いをはせるだけでも楽しむことができます。
SXSWで人生が変わる?
私がSXSWでどう人生が変わったのか?簡単に振り返ってみます。
①写真を撮るようになった
私をSXSWに連れて行ってくれたチームは、各々が取材をし、記事を作るタイプの媒体でした。自分が見たものを記事化すること、その時からWEB媒体の記事には写真が必須であると思っていたので、SXSWをきっかけに一眼レフカメラを購入ました。
それまではプロのカメラマンさんとタッグを組んで記事を作っていたので、自分の撮影の下手さに絶望したことをよく覚えています。(上記写真参照)一眼レフ買ったら、ライブがカッコよく撮れるもんだと思い込んでいました。この体験がなかったら、ここまで写真を頑張らなかっただろうなと思います。今、私が写真をやっているのも、SXSWの取材があったからです。
②Peelander-Yellowとの出会い
前回の三種の神器で書いたPeelander-Yellow(以下、イエローさん)と出会ったのもこのSXSW。自分の生き方を見直す事ができたのはこのイベントだったと言っても過言ではありません。
私がここでイエローさんと出会ってなかったらどんな人生を歩んでいたのだろう?普通に東京でOLをしてたのか、と思うときもあります。
③京都に来るきっかけも、実はSXSWに
実は京都に来るきっかけとなった京都のバンドと出会ったのも、SXSW。あの時もし飛行機に乗れていなかったら、今私は京都に暮らすこともなく、アンテナも生まれていなかったと思います。小さな奇跡が積み重なって今がある。それを最近思い出してすごいな、と思ってました。
また行きたい
想いを馳せること6年。
今週末から、取材でSXSWに行くことになりました。
今回は、アンテナとして、です。
自分の人生を変えるほどの衝撃を与えてくれたイベントの取材を、自分たちの冠で行えることがアンテナをスタートさせた時からの目標でした。こんなイベントが世界にはあるんだよ!とたくさんの人に知ってもらいたい、そう思ってます。
先陣を切って編集長・堤が3月9日よりオースティンに向かい、そのあと11日より私もオースティンへ向かいます。 今年はどんな事件に出会えるのか、今から楽しみで仕方ありません。 大好きなアーティストへの取材も決まっているので記事がアップされるのをご期待ください!
ということで今回は岡安の人生を変えたSXSWのお話でした。
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WRITER
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昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。
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