俺の人生、三種の神器 -岡安いつ美 ①Peelander yellow-
俺の人生、三種の神器とは?
人生の転換期には、必ず何かしらきっかけとなる「人・もの・こと」があるはずです。そのきっかけって、その当時は気づけないけれども、振り返ると「あれが転機だった!」といったことはありませんか?そんな人生の転機についてアンテナ編集部で考えてみることにしました。それがこの「俺の人生、三種の神器」。
折角なのでもっとアンテナ編集部員ひとりひとりのことを知ってもらいたい!そんな気持ちも込めたコラムです。これから編集部員が毎週月曜日に当番制でコラムを更新していきます。どうぞお楽しみに!
アンテナ編集部・副編集長の岡安です。最近はカメラマンとしてたくさんの現場に呼んでもらうことが増えてきました。副編集長としてこれといって何かしているわけではありませんが、アンテナの創始者の2人のうちの2番目として、副編集長を名乗っております。
そんな私の「人生を変えた人」を紹介しようと思います。私の人生において、この人がいなければ、今の私はいないと言っても過言ではありません。
彼の名前はPeelander yellow( ピーランダー・イエロー、以下イエローさん )。はアメリカでPeelander-Z( ピーランダー・ゼット、以下ピーランダー )というバンドをやっている私の人生の師匠です。
ヘタクソでいい、10年続けろ!
イエローさんとの出会いは2011年のテキサス州オースティン。SXSWでピーランダーのライブを見たことがきっかけでした。戦隊ヒーローを彷彿とさせる風貌、日本語英語でフロアを沸かせる才能、そしてはちゃちゃなパフォーマンス。日本ではまず見ることのできないぶっ飛んだライブに一瞬で心を奪われ、気が付けばその年SXSWで行われたピーランダーのライブ7公演全てを見に行くほど、ピーランダーにはまりました。
2011年当時、私は卒業を1週間後に控えていた大学生で、傍でライターとして活動していました。人生で一番楽しく、今後の人生について一番悩んでいた時期です。
中学生のころから音楽に関わる仕事がしたいと思っていて、大人になれば音楽に関わる仕事ができると思い込んでいました。いざ就職活動をしてみると惨敗。狭き門の隙間にすら入り込めない時に、たまたま自分に舞い込んできたのがライターの仕事でした。ライターを志していたわけでもなく、訳もわからないまま媒体の世界に踏み込み、無我夢中でライターの仕事をしていました。それはもうお粗末な文章を書いていた時期もあり、振り返るのも恥ずかしいほどの活動もしていたと思います。(当時の関係者の皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです)訳がわからないながらも、自分の語彙力では表現に限界があることも、知識量が追いついていないことにも気付いていました。けれども音楽との関わりを絶ちたくない、その想いだけで必死に食らい付く毎日を送っていました。
ライターを始めて1年ちょっと。私はこのままライターをしていいのか、そもそもライターとしてやっていけるのか?募る不安をイエローさんに相談したときにこんな言葉をかけてもらいました。
『ヘタクソでいい、10年続けろ!10年続ければ今お前の周りにいるライバルはいなくなって、お前はプロになれる。だから10年続けろ!』
焦らず、くさらず、求めず。自分のやりたいことを地道に積み重ねていくことで、得られるものがあるとイエローさんが教えてくれました。この言葉が今でも私の原動力になっています。
ヘタクソでいいんだ、という発想
自分のクレジットで作品を出すときに、恥をかきたくないと誰しもが思うはず。人に見られて恥ずかしくない、完璧なものを出したいと思い、行動に移せないこともしばしば。でもそれでは何も意味がない。思っていても行動してないなら、何もしていないのと一緒だからです。
そこでイエローさんに「ヘタクソでいい」と言われたことがとにかく衝撃的でした。ヘタでいいの!?と。イエローさんは自身のバンド活動についても、「演奏ヘタクソだから、お客さんに楽器を渡して演奏してもらう」「英語がヘタクソだからパネルに英語を書いてみんなに歌ってもらう」など、“ヘタクソ”ありきのパフォーマンスで人々の心を掴んできたといいます。
それよりも自分が何者であるかを世に示すことのほうが大切で、技術は後からでも付いてくることを、彼は私に教えてくれました。人前に出すものとしてのクオリティはもちろん大事だけど、それよりも行動することと続けることが大切。一秒でも早く自分を外に発信することで、人の見る目が変わるのだと、そんなことを暗に言ってくれていたのだと思います。
大人になってから続けていること、ありますか?
ライターと名乗り初めて1~2年は人から見向きもされず「この活動になんの意味があるのか?」、そう何度も自分に問いかけました。最近では写真で仕事の依頼をもらうことが急増していて、「ライターではなく、カメラマンにならないのか?」と聞かれることもあります。でも私はオースティンの地で、イエローさんに「ライターを10年続けます」と約束してしまった手前、私はフォトグラファーに完全転身することはできず、今でもライターとも名乗り続けています。10年続けた先に見える景色が見たいと思っているからです。ライターを始めて5年、アンテナを始めて3年、写真を撮るようになって2年ほど。ようやく媒体の仕事が楽しいと思えるようになってきました。続けるってこういうことだよね、という酸いも甘いもかみ分けてきただけのことがなんとなくわかってきた気がします。
何事も辞めることは簡単。続ける選択をするのは苦行に足を突っ込むような行為ですが、私はこれからもイエローさんの言葉を信じて、自分にしか見れない景色を見るためにアンテナやその他活動を続けていこうと思っています。
みなさんは学生時代が終わってか続けていることはありますか?私と一緒にこの黄色いおじさんの言うことを信じて、何かに10年打ち込んでみたら、新しい景色が見えてくるかもしれませんよ。
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WRITER
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昭和最後の大晦日生まれのAB型。大学卒業後に茨城から上洛、京都在住。フォトグラファーをメインに、ライター、編集等アンテナではいろんなことをしています。いつかオースティンに住みたい。
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