HIPHOPといえば「サンプリング」だが、この作品での最も大きなサンプリングはアルバムタイトルにもなった「たりないふたり」という言葉そのものだろう。というのも、このフレーズは南海キャンディーズ・山里亮太とオードリー・若林正恭のユニット名。2012年に放送されたこの二人による番組では、人見知りで社交性・恋愛・社会性などが“たりない” ふたりによる、コンプレックスを逆に活かした漫才やコントが披露された。そんな山里を愛してやまないR-指定と、若林を崇拝するDJ松永。この二人のHIPHOPユニットは、何の冗談でもなく大真面目にお笑いの文脈という巨人の肩に立って新しい音楽を生む。日陰者でも自分が努力したセンスで良いものを生み出すことができる、という「たりないふたり」の気概そのものをCreepy Nutsはサンプリングし、自分たちの血肉として新たな自画像を結実したのである。
「渡り廊下で怖い先輩見つけたら目をそらせ」 “中学12年生”
「アイツら空気読み合いウェーーイが飛び交い まともな脳みそない」“たりないふたり”
お世辞にも不良とは言えないふたり。それでもHIPHOPだけは好きだから、うねるようなトラックに、変則的なライムを乗せる。「たりない」自分が舐めてきた辛酸をHIPHOPに吐き出すのだ。自分の「好き」は必ず別の者の何かに依存しており、影響を受けることは避けられない。そうしたことを自覚したうえで自分のルーツを掘り下げるのは、誰だって簡単にできることではない。
ラップ・ミュージックであるからにはライムについても触れておきたい。がしかし、このアルバムを出した時点で既にR-指定はUMB(ULTIMATE MC BATTLE)の3連覇という偉業を成し遂げている。無論、このアルバムも優れた韻だらけで挙げだせばキリがない。そんなことを許せば、このレビューはたちまち「うたまっぷ.com」と化してしまう。だからこそ、敢えてこの評では「弱い韻」に注目しよう。
「砕いて裂いて巻いて焚いて吸って吐いても」
“合法的トビ方のススメ”
動詞の連用形+「て」による動作接続の6連発。日本語の特性上、これで音韻を踏めるのは当然で、決してカタい韻とは言えない。しかしながら嫌味なく、波打つフローで乗りこなされてしまってはたちまちリスナーはトンでしまうのだ。ライムも、フローも段違いのレベルで、豊富過ぎる引き出しを持っている。それが最も顕著に表れているのが、“みんなちがって、みんないい” で繰り出される「モノマネ」のラップだろう。
CIMA風、FUNKY MONKEY BABYS風、呂布カルマ風……。ストリート、ネット、メジャーなどなど様々な文脈やルーツを持ったスタイルを十人十色に(決してそれを「誰だ」とは明言せずに)演じ分けるR-指定は、斜に構えて意地悪に茶化すように見える。が、これは愛がなければ簡単には到達できない頂点の芸だ。
結局、彼らは先人たちのレガシーたる日本語ヒップホップが好きで好きでたまらないのだろう。その強すぎる愛をもってして彼らは、ここ数年の日本語ヒップホップをこの曲に総括してしまったのだ。
自分の好きを見つけて、そこから新しいモノを作る。広義のHIPHOPが形となり、図太い芯の通った1枚だ。この普遍的な力強さは、きっと10年経っても色褪せない。けだし、10年後には「このアルバムからインスパイアされたのが今の世代の○○だ」という串刺しの視点から語られることは必至。歴史的な1枚は、流行るだけ流行って忘れられるようなヤワなものではない。
寄稿者:しらいし大江戸
プロフィール
1995年生まれ。大阪市在住。時は令和、平成をよいしょと跨りどうにか生き抜くしがないバイブスOLが京都アンテナに殴り込み。いやいや、ちょっと待って? は? ウチかて音楽ライターしてみたいし!!!
WRITER
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地域に根ざした世界中のインディペンデントな「人・もの・こと・場所」をおもしろがり、文化が持つ可能性を模索するためのメディアANTENNAです。
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