月の初めにお届けする、編集部によるクロスレビュー。今月の作品は折坂悠太3枚目のアルバム『心理』です。京都を拠点に活動するミュージシャンを中心とした「折坂悠太(重奏)」編成で制作された本作を、5名の編集部メンバーが評します。
答えではなく、心を映し出す水面(小倉 陽子)
『心理』と名付けられた折坂悠太の最新アルバムは、ただ聴き手の心を映し出す。しかし鏡のようにくっきりとではない。水面に映るように、ゆらゆらと、得体知れず、心許なく。ある事象に対して抱く感情は人それぞれ、もしくは同じ一人の人間の中でさえも、昨日と今日で考えることが違うことはよくあること。私たちは人の心の不確かさを、今一層感じているが、本作での(重奏)メンバーの即興性に富んだ緊張感のある演奏によって、感覚として意識することができる。
本作の歌詞の中には随所に水を想起させる言葉を見つけることができる。M1“爆発”では〈水面が揺れている 岸辺の爆発に 私を見つめて 求めずおそれずに〉と歌う。爆発を人の怒りや時勢の混沌の比喩だとするなら、それらに揺れ動く水面であっても、答えを求めず恐れず己を映し出せと伝えるようだ。韓国語で「水面に煌く光を指す言葉」であるM12“윤슬(ユンスル)”の〈こんなに夜が明るいのに 流れがどっちか わからないんです〉というフレーズからは、光すら行く先を照らしてくれない大きな不安を感じる。
聴いた私たちは得体の知れない心を心許ない水面に映し出すような内省のプロセスで、自分にとっての答えを考え巡らせる機会にする。表現というのはひとつの答えを出すものであるのだけど、聴き手一人ひとりが不確かさの中で考え巡らせ自身の表現を呼び起こすことが、この楽曲の背負った使命なのだ。(小倉 陽子)
重奏メンバーでしかできなかった『心理』(マーガレット安井)
“朝顔”が収録されていないことが全ての結論だ。本作の特徴は一筋縄ではいかない楽曲のプロダクションである。『心理』における折坂の楽曲は、捉えどころがなく歪なメロディであり、“朝顔”のようなエモーショナルでJ-POPの構造に則った歌は存在しない。例えば“荼毘”のようなポリフォニーのように独立して動くフレーズや、“春”の打点の合わない揺らぎの強いビート。または“悪魔”の5拍子のなかで展開する山内弘太(Gt)の即興的でノイジーなギターソロなどに、それは見出せるだろう。ではこの歪さの原因は何か。
それまでの折坂はフォークや歌謡曲、民族音楽を参照点に置いていたが、本作はプログレ、即興音楽、ポストロックからの示唆を感じる。そしてこの影響源は重奏メンバーにあるのではないか。ポストロック系バンドLLamaで活動したsenoo ricky(Dr)、即興音楽をフィールドとする山内弘太、ムーズムズのメンバーであり即興音楽も得意とするyatchi(pf)、Colloidとしてポリリズムやポリフォニーを用いた音楽を展開する宮田あずみ(Ba)。重奏メンバーの経歴を見れば、その思想がセッションを通じて折坂のエッセンスと混ぜられ『心理』という形へ行きついたようにも感じる。そういえば本作にはメンバーとのセッションを記録した“nyunen”と“kohei”という曲がある。今までの作品にバンドメンバーとのセッションを入れなかった折坂が、本作にそれを入れたのは「自身の新しい一面を切り開けた『心理』はセッションがあったからこそ完成した」ということをリスナーに伝えたかったのかもしれない。(マーガレット安井)
この時代に何を歌えばいいのか(峯 大貴)
この作品にいる折坂悠太の感情を言い表すことが出来ないでいる。混迷の時代にフォーカスした『平成』で受け入れられ、『朝顔』でその時代を引き受けるようにドラマに寄り添い、「願い」という大きな感情を歌った。その次なる作品としての『心理』には葛藤、諦念、慟哭、違和感……いずれもあるが、どの感情も表出させることはなく、安易な共感や興奮は危険だとして、ただ俯瞰して冷静に時代を見ている。
「光が揺れてる 例えを拒んでる 私を見つめて わからずにそらさずに」“爆発”
「確かじゃないけど 春かもしれない」“春”
「残されている手段がなくて なすすべなくただ、ここにいるよ」“炎”
“芍薬”や“朝顔”に見られたダイナミックな咆哮は皆無。メロディも朴訥とした普段の彼自身のトーンに合ったものに変化した。また“コールドスリープ”(のろしレコード)で歌った逃避願望もここにはない。しかしただ傍観しているわけでもない。本作で唯一表明しているのは、この行動が制限されたSFみたいな時代を生きる当事者の一人として現実と対峙することから逃げないことだ。そしてそのメッセージでのみ聴き手と連帯している。本作を聴いてやっと私は、今生きていることが恐ろしいと言えるようになった。(峯 大貴)
ただ、あなたはあなたであらんことを(阿部 仁知)
あなたにとって、今の「心理」はどのようなものでしょうか。 先行試聴会で折坂は問いかける。漠然とした問いに対する2000を超える回答には、少し背伸びをした言い回しや日々の雑感、決意のようなものまで、ぼく、私、おれの「心理」が波紋のように交錯している。そんな多種多様な個が、ただ個であらんことを。『心理』はそんな願いが込められた作品ではないだろうか。
ハラナツコ(Sax)とのユニゾンが光る“爆発”や、お互いを触発するようにyatchi(Pf)と掛け合う“悪魔”など、山内弘太(Gt)のエレキギターが際立つ本作。呼応するようにエレキでざらっと爪弾く折坂の姿や、土着の空気と洗練された現代性があっさり同居する“鯱”、異質なコード感を徐々に歌に肉付けていく“荼毘”。senoo ricky(Dr / Cho)と宮田あずみ(Cb)も自らの遊びを馴染ませ、重奏はさらに円熟味を増している。だがそれは共依存とは違う確固たる個の協奏だ。
そして聴いている個々人に投げかける「以上です どうぞ」“心”「こちらからは以上です」“윤슬(ユンスル)”といったフレーズに、僕は『FUJI ROCK FESTIVAL ’21』の出演辞退に際して折坂が綴った言葉を思い出す。フェスティバルの素晴らしさを讃えながらも、ムードに縛られない自らの選択。その延長線にある『心理』に身を委ねていると、現地に行く真逆の選択をした僕も不思議と心強い気持ちになるのだ。(阿部 仁知)
不穏なのに何度も聴きたくなる(太田 明日香)
ちょっと不穏な気持ちになるのに何回も聴きたくなるアルバムだ。楽曲タイトルには“爆発”、“悪魔”、“荼毘”、“炎”、“星屑”と忌わしい言葉が並ぶ。さらに歌詞は「あきらめちゃないが この船は終わりだよ」“悪魔”、「夕凪に 首を吊るその前に」“荼毘”、「私を待たずに私を忘れて」“星屑”という言葉が連なる。タイトル・歌詞とも死を連想させるようなワード・内容が多く、私は思わず爆発して悪魔が迎えに来て荼毘に付して星になって消えたようなストーリーを思い浮かべてしまった。
さらに不穏さはメロディーにも感じる。私が一番印象に残った楽曲は“悪魔”だ。軽快な三拍子で始まるが、サビではテンポが変わりメロディアスになる。また折坂が「歩みをとめて踊らないか 今日は悪魔のふりして」のところで、最初の軽快なテンポから一転して伸びやかになり、さらに終盤にかけてテンポは速くなり、どんどん切迫していく。この歌詞と歌声とリズムのアンバランスな感じに何か不穏なものを感じた。だがクライマックスでの「今日は 悪魔のふりして」と歌う折坂の声には、これまで高めてきた緊張感を一気に開放する気持ち良さがある。この緊張と緩和を味わいたいがために、聴き終わったあともう一回聴きたくなった。(太田 明日香)
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