寄稿者:円山ハコ(2019.09.12 掲載)
音が鳴るたび、こんなに情景が浮かぶものだろうか。それも、ずっと昔の。あるいはまだ見たことのない。いつ聴いてもどこか懐かしいEasy Yokeの5曲入りEP、『Soft Laws』がリリースされた2016年3月から、気付けば3年半も経っていた。2014年の結成当時、京都に拠点を置いていたメンバー5人は今や東西散り散りに暮らしている。私は相変わらず京都の大学(院)生で、未だに友人が京都を離れる寂しさには慣れそうもない。そんな中、先日南堀江SOCORE FACTORYで久々に行われたライブの素晴らしさといったら、本当にため息が出るほどだった。彼らは何も説明しない。ただ鳴らす。ただ描く。そこには常に「今」が詰まっている。「今」は永遠に続かない。だからこそ美しい。Easy Yokeのライブでは、いつもそんな思いが浮かぶ。
最近は『Soft Laws』以来となる新曲の制作も進んでいるようだ。その素晴らしさも早く共有したいのだけれど、それは今後の楽しみとして、今回は改めて『Soft Laws』を紹介しよう。この作品もまた「かつての今」が凝縮された、美しさに満ちた作品だ。
全曲YouTubeに上がっているので是非ご一聴を。サブスクリプションサービスで聴ける日もそう遠くないはず。
淡い光を描いた抽象画のようなM1“Soft Laws”から始まり、深みと広がりのたたえられたコーラスを皮切りにM2“強い目眩”へと移行する。音源でもライブでもひときわエモーショナルに響くこの楽曲は、一度でいいから夜の野外会場で聴いてみたい名曲だ。一音目から飛沫が弾けるようなM3『No Dolphin』は、きらめくシンセやギターの音が印象的で、タイトルに反してイルカが水面を飛び跳ね戯れるようなイメージが浮かぶ。またライブでは後半のピアノのフレーズが長尺にアレンジされ、絡まり合う音の中でトランス状態に陥るかと思うほどの凄まじいグルーヴ感を発揮する。続くM4“虹を知らない”は穏やかな歌とピアノを切り裂くギターと終盤の畳みかけるような展開が圧巻。渦巻く音を浴びるような感覚は、最後のM5“ボート(Acoustic)”で日常のぬくもりに変わる。本作のトレーラー動画の影響もあるかもしれないが、この曲を聞くと今も色褪せない「かつての今」を思わずにいられない。
もちろん私はこの映像の現場に居合わせたわけではないけれど、これを見るとなぜかすごく懐かしい気持ちがこみあげるのだ。
冒頭に書いた通り、この作品を聴くと私の頭には様々な情景が浮かんでくる。母に抱かれて眠りこけた昼下がり、かつて一緒に暮らした犬との散歩道、夕暮れのなかお別れをしたあの子の後ろ姿、風邪引きで心細くくるまったタオルケットのなか、まだたくさんの友人が京都にいたころのこと。どれもあたたかくて、けれどどこか寂しい遠い記憶。Easy Yokeのバイオグラフィーには、こんな一文がある。「Easy Yokeにとって制作は生産であり、喪の作業でもある」。だから私は、彼らの楽曲すべてに形容しがたい愁いや切なさを感じるのだろうか。遠く離れたもう会えないひとを、決して戻れない過去を、今だけの「今」を思い、奏でる行為は、限りなく祈りに近い。私たちは決して誰とも完全には分かり合えない。私たちはいつか必ずいなくなる。ただし「今」を共有することは出来る。「今」が「かつての今」になるとき、その見え方はどう変わるだろうか。当たり前だった日々が、何より美しかったこと。投げ出してしまいたかった日々にも、少しは意味があったこと。いずれにせよそれに気付くには、私たちはどうにか生き延びなければならない。ひとまず私は「今」と「かつての今」とを繋ぐこの作品を聴きながら、新たな「今」の結晶を待つことにしよう。ではまた、ライブ会場で。
寄稿者:やまさき みちお(2017.09.27 掲載)
僕がEasy Yokeに出会ったのは、2014年の事である。
このアンテナの編集長でもある堤くん率いるAmia Calva主催のサンマソニックというイベントだった。その時に彼らのステージを観たときの印象は僕なんかよりも若いのにずっと大人びていて(落ち着いている)、5人組なのにオーケストラを率いているかのような音表現をしていて感心した記憶がある。
それから2年の時を経て、本作『Soft Laws』は発表された。とりあえず、”Soft Laws”の意味を詮索し何かこのアルバムを表現するヒントがあるのかと思ったが、遠回りしそうなので率直な感想を述べていこう。
冒頭、アルバムタイトルでもある”Soft Laws”。スピーカーからトレモロ音が液体のように流れ出し、それがそのまま柔らかく気化していくようでイントロには持ってこいのナンバーだ。言葉先行というより「音先行なのだな」と印象づくイントロで美しい幕開けである。
そしてそのまま流れるように2曲目、”強い目眩”が男女のコーラスで始まり彼らの歌が始まる。このおおらかなメロディはアメリカのバンド”beirut“を彷彿とさせるが、あちらの音は乾いていて、こちらの音はしっとりと濡れている。
京都の盆地特有の気候に由来するのかは分からないが僕はそう感じた。歌詞に出てくる路地の子供達の情景などから、河瀬直美の映画”沙羅双樹”が浮かぶ。あの映画にもあるずっと強い太陽の日差しを浴びている感じもこの音とリンクするのかもしれない。中でも「七色の亡霊が手を引く~」という歌詞がとてもファンタジックな表現でグッとくる。音を作る人は少なからず、住んでいる気候や環境が影響すると思っている。弦楽器、管楽器、鍵盤、全ての音が自然現象のそれを上手く表しているのがわかる彼らの代表曲だろう。
3曲目の”No Dolphin”は水が跳ねるようなシンセ音とリバーヴが聞いたギターの音が印象的で、個人的にアルバムの中で最も好きな曲である。POPで優しいAメロに対しBメロの切ないマイナーメロディ展開がたまらなく、終盤には音が炭酸シューゲイズしていく。
彼らの歌詞は頭に意味で入ってくるというより、音イメージとして美しいコーラスとともに楽曲に溶け込みながら入ってくる。そういう意味では歌が自立してある、というより楽器としての役割を果たしているのだと思う。この曲はそれをすごく感じて、ただただ気持ち良い。
次の”虹を知らない”は序盤、静かなピアノと歌で始まりアコースティックのままいくのかと思いきや中盤、天気が変わったように歪んだギターの音で目が醒める。一旦、変わった天気は落ち着きを装いながら後半さらなるエモーショナルな歌を花咲かせるのだ。
最後の”ボート(Acoustic)”は、今までの芳醇な音を削ぎ落とし、前曲で上がりきったテンションを落ち着かせるようなシンプルな楽曲。アコギとピアノと歌で後書きのようにアルバムを締めくくる。全体的に聴いているときちんと起承転結のあるコンセプトアルバムで、一つの長いストーリーのある曲を聴いていた印象だ。ミドルな曲調ばかりなのだが、意外にも一曲一曲が短い。
もっと引っ張れるところはあるのに引っ張らないことにより飽きずにあっという間に聴けてしまう好盤だ。
Easy Yokeは5人組だが、Portisheadのような大人数のオーケストラを従えたライブを観てみたいなと思った。この緻密なアレンジを施された楽曲群と美しいコーラスワークを聴いていたら、当然の事だと思う。
最後に個人的にこの盤との相性が良かった盤としてBeirut 『The Rip Tide』、Soft Machineの『Six』、Spectrum『Soul Kiss』などを挙げておきたい。
寄稿者:やまさき みちお
1975年生まれ山口県出身
90年代後半から宅録をはじめ、2000年にバンドfolklorekitchenを結成、東京のライブハウス中心に活動。
2016年に5人フルメンバーでのライブを休止し、現在はギターとドラムのみのhowward名義で活動中。
Twitter:@folklorekitchen
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地域に根ざした世界中のインディペンデントな「人・もの・こと・場所」をおもしろがり、文化が持つ可能性を模索するためのメディアANTENNAです。
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