25万人集まる海外フェスも、30人規模の地元のハコもやることは同じ 手探りで進み続ける、おとぼけビ~バ~の現在地
まるで漫画の『BECK』のような話だ。2016年に、ロンドンの独立系レーベルDamnably(ダンナブリー)と契約したのが飛躍のきっかけ。イギリスでのツアーを皮切りに、世界中から注目のアーティストが集まる音楽のショーケース『SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)』や、世界最大級の音楽フェス『Coachella Valley Music and Arts Festival(コーチェラ・フェスティバル)』のステージにまで駆け上がる。驚くべきはその間、メンバーは社会人として働きながらハードな海外ツアーをこなしてきたこと。
「息をできる場所が海外にあってよかった」と語るのはVoのあっこりんりん。今ではデイヴ・グロール(フー・ファイターズ)がお気に入りとして何度もラジオで楽曲をリピートするようになったし、各国のレジェンドがフェイバリットとしておとぼけビ〜バ〜の名前を挙げている。しかし、国内での評価は、残念ながらまだそのスピードには追いついていないようにも思う。
そして2020年。よりにもよって会社員を辞め、バンド活動に専念すると決めたタイミングでコロナ禍に巻き込まれ、国内での活動を余儀なくされた。「やってくれる人がいるならやってほしいけど、自分らでやる楽しさもある」と家事になぞらえ、音楽に紐づくあれこれを、今も昔もすべからく自分たちの手で形にしてきた彼女たち。その手探りな活動を振り返りつつ、今、その視線の先になにが見えているのかを聞いた。
おとぼけビ〜バ〜
モットーは「セックス・しば漬け・ロックンロール」2009年結成。恋や生活のルサンチマンをショートチューンで八つ当たりするいてこまスマッシュ・ヒステリックハートビート・どすどすどすえ系バンド。流暢な京都スラングとカタコトの英語で、日本のみならずワールドワイドに活動している。
海外をツアーしても、物販も含めて全部自分たちで当たり前にやってきた
この10年で一番大きな景色を見てきたのは京都では間違いなくおとぼけビ〜バ〜だよね。2016、2017、2019年とSXSWには3回出演。ヨーロッパツアーで各国のフェスに出演し、コーチェラのステージにも立った。それぞれにキツかったことや、印象に残っていることを聞いておきたくて。
ダントツで過酷な思い出はあまりないかもしれないです。
過酷やったんは、有給をとることと、会社用の小分けできるお土産を探すこと。あとは帰ったときに溜まってる仕事をやることかな(笑)。ライブ自体の過酷さを味わうのが本当は去年、今年だったんですよね……。今までだとツアーでもライブは一カ月に多くて10本。あとはコーチェラに出た時の、アメリカでコーチェラ出て、次にロンドンに行ってツアーして、またアメリカに戻って、日本に帰って即仕事するみたいなスケジュールがハードなだけであって。
※コーチェラは2週間にかけて行われ、アーティストは同じ曜日に2週連続で出演することが条件だった。
しんどいのってライブ以外の、ちょっとしたストレスなんですよね。水が硬水とか、サラダの味が違う、変な豆が絶対入ってるとか(笑)
日本に比べて乾燥する国が多いから、加湿器たいてマスクして寝る。長時間の車移動で足がむくむから朝と寝る前のストレッチとか、ミュージシャンもアスリートやなって。私は本来ナマケモノなんで、気が休まらない(笑)
あとホテルのお風呂に体力が左右されるんやなって気づきました。
めちゃくちゃわかるわ。お湯がちゃんと出るかは一番最初にチェックする。
あと思い出すのは2016年のUKツアー、ライブした後は自分らで物販を売るんですけど、ありがたいことに日本では見たことないくらいの鬼の行列で。ただ爆音で音楽かかってるし、めちゃくちゃでかい声で売り子せなあかんくて、声が限界で次の日のライブが心配でしたね。英語話せないんで「サンキュー」とか「ハッピー」とか叫んでるだけなんですけど。最近はツアーマネージャーが物販してくれるようになってありがたい。
ライブでかなり消耗しているのに、物販まで自分たちでやるのはかなり体力を使うね。
ファンと写真を撮れたり、しゃべる機会があってよかったんですけどね。日本でもずっと自分たちでやってるし当たり前のことなんですけど、毎日1時間セットを歌うとなると喉のことも考えないといけない。
しかもそのツアーって電車移動やったから、「終電がっーーー!」てめちゃくちゃ焦りながらやってた思い出が。
そういえば、海外でツアーやって行列できるほどお客さんが入る体験をしていくと、良くも悪くもアーティスト然とした振舞いになりそうだけど、みんな全く変わらずフラットだよね。
それで態度が変わる方が積み重ねてないような気がします。経験がなくて、急にドンとすごいステージに上がっちゃうとそうなるのかもしれない。でも私たちはステップアップしたという実感以上に、今でもいろんなハコに出ているから。それもあって思い上がったりはしないですね。
面白いものをつくって、全力でやることしか考えてないしね。気持ち的には、どんなにステージが小さくても、お客さんがいなくてもやることは一緒だから。それに私らが勝手にやってることにお金を出してくれる人がいたり、手伝ってくれる人がいるのがびっくりなこと。そこはずっと忘れてない。
大きなものも小さなものも、国内外の印象に残ったライブたち
逆に、この10年で一番印象に残っている景色はなんですか。
『KOYABU SONIC 2019』かな。私がお笑い好きということ、あと日本でこういう大きなイベントに出られると思っていなかった。出演が一番手で、誰も私らのことを知らない状態。最初はお客さんもぽかんとしていたんですけど、曲名で笑いが起こって、段々と受け入れられているのを感じて、終わった後はいろんな人が声をかけてくれた。わかってくれる人もいるんやなって。
日本と海外の評価のズレって、感じることはある?
最近はウケる場所が違っただけかなと思ってて。もともと万人ウケするつもりはなかったし、逆に海外に息ができる場所があってよかったというか。
それで言うと、私は海外のイベントの『SXSW 2019』かも。その日は私らの所属するDamnablyのイベントだったんですけど、なかなかコミュニケーションが上手くいかないPAさんで。そこで思いっきりライブしてたら、最終的にPAさんがぶちぎれて、照明も電源も全部落とされちゃったんですよね。だから最後の一曲はドラムと生音のギターが響く中でライブを続けて。そうしたら、パーッと客席からiPhoneのライトが次々点いて、それを頼りにライブしたんです。
言ったらひどいライブだと思うんですけど、お客さんと一致団結する空気感を味わったのがむちゃくちゃ気持ちよかった。しかも、その日はSuperchunk(スーパーチャンク)のマック・マコーンが観に来てくれてたみたいでライブが終わってからメールくれたんですよね。私、ファンだったのでやりとりをするようになって、それがきっかけで日本ツアーに出させてもらったり。
憧れのバンドとの対バンまで発展してることも含め、劇的な体験だね。かほちゃん、ひろちゃんはどうでしょう?
コロナ禍前だったら、オランダの『Lowlands(ローランズ・フェスティバル)』と『KOYABU SONIC 2019』。その後だったら、2020年のあふりらんぽとの無観客ライブがベストです。配信ライブに試行錯誤している中で、「結構いけるんじゃないか」という手応えを感じたのと、PIKAさんに見られているというプレッシャーを感じつつも、それをいい形でライブに反映できた。
私は『YAMETATTA TOUR 2020』に行く前の〈livehouse nano〉でのワンマンかなあ。急遽決まったイベントなのにチケットが24時間で完売、ライブでもお客さんたちが送り出してくれる温かさを感じて。それが自分の中で一番熱かった瞬間かもしれないですね。
私ら、日本でリスナーに受け入れてもらったのは2019年からやと思うんです。2019年7月に日本マドンナの企画で東京に行った時に、登場から歓迎モードで、曲を知っているお客さんがたくさんいた。「え?誰のライブ?」って感じ。それまではすべって当然。冷ややかで当然って感じだったから。
コロナでライブはできなかったけど、〈KOENJI HIGH〉と新代田の〈LIVE HOUSE FEVER〉の2公演も200人キャパなのにすぐ売り切れてたよな。
2016年の〈磔磔〉のワンマン、私の知り合いとか会社の人、家族を無理やり集めてなんとか150人だったのに、普通に埋まってすげーなって、信じられませんでした。
コロナ禍だから意識できたこと、国内でライブを重ねて育てた演奏の強度
なにがいいって、海外ツアーの話ばかりじゃなくて、大きなイベントも、そうでないライブの話もそれぞれの視点からターニングポイントとして語られているところだよね。充実した時間を過ごしているのがよくわかる。そしてここ2年もコロナ禍で停滞どころか、ライブを精力的に行うことで自分たちを更新してきた。
コロナ禍になったのも、「音楽に専念するぞ」って仕事辞めてホンマにすぐ。出鼻をくじかれたことで私が精神的にまいってきたのもあって、ライブやらんとヤバくなっちゃって。ただライブハウスも私たちがギャラいるの分かってるからか、誘いが全然なかったんです。まあ、もともと日本のオファーも少なくはあったんですけど(笑)。だから、自分たちでワンマンやったりして、ちょっとずつ、復帰してる感じで。
これまでは日本でライブをするとき、実はあまりワンマンをしてこなかったんです。以前は20、30分のセットを中心にやっていたのが、今は当たり前に一時間のライブもこなせるようになってきた。確実に力をつける、体力をつけるような内容になってきてる。
ワンマンに来てくれるお客さんは、今、ほぼ同じ人ばっかりなんですよ。ガチファンばかりだから、よく言えばアットホーム、悪く言えば甘えてしまいそうな環境。
ただ配信やグッズの販売をはじめて、そういった人たちが私らの活動の大部分を支えてくれてることがよくわかった。だからこそ新曲を書きたいし、飽きさせない努力が必要で。それこそ私らは一時間のステージなんて、持ち曲全部やれちゃうから。これってツアー回って、フェスにばかり出ていたらわからなかったこと。お客さんが常に入れ替わっちゃうから。
私はライブの時間が長くなってきたことで、客席を見る余裕がでてきてて。何本もワンマンをやり続けると、「大体この曲のとき、お客さんはこういうノリ方しはるんやな」って見方ができるようになってきました。今はお客さんと距離を取らなきゃならないので、私たちがステージを降りたり、ダイブしたりというパフォーマンスができない。だから、楽曲だけでどう盛り上げていくかを考えることが多くなってきてて。
そのことで、着実にライブ筋がついてきているのを感じてます。
密なパフォーマンスができない分、演奏で魅せるしかなくなったのが逆によかった。ほんまにステージの上からどう心を掴むのかをひたすら積み重ねているんで。
配信とかも影響ありますか、演奏に。
あります。一つ一つの音が気になるようになってきて。パフォーマンスの動きもそうですし、スティックの振り下ろし方一つで、視覚的に大きい音が出るということにビデオを見て気がつきました。
コーチェラとかSXSWの映像を見ていて、「えーこれで行ってたん、今行っていたらもっと絶対いけてたわ」って感じには今、自信がついている。これまではツアーの度に緊張してたんですけど、この2年の間にライブはどこでやっても怖くなくなった。だからやる場所さえあればと思ってるし、いろんな場所に早く行きたい。
海外で活躍する先輩が、新しい世界の扉を開く手助けをしてくれる
外から見ていると、この2年は演奏だけじゃなくて人間関係にも大きな変化があったように見えるけどどうかな。ベテランのアーティストとの共演も増えてきた。
梅田の〈HARDRAIN〉から依頼を受けて、無観客のワンマン配信はやったとこだったし、海外ファンも多いあふりらんぽと私らのツーマンは、世界中に見たい人がいるんじゃないかと思って形にしたんです。この状況下でも圧倒的な面白さを見せつけられるって、すごく刺激を受けるイベントになった。
今でこそあふりらんぽに「海外ツアーやりたいな」とか言ってもらったり、Acid Mothers Templeなどいろんな縁をもらってますが、実はこれまで、あまり縦も横も関係性を育んでこなくて。
コロナ禍以前に海外を経験しているバンド、あまり多くないと思うんです。そうなると、同じ状況の似ているバンドマンとは連絡をたまに取るようになって。それこそ少年ナイフのNaokoさんとか、ギターウルフのセイジさんとか。上の人はめちゃくちゃ助けてくれます。
戦友というか、海外ツアーを経験しないとわからない人同士のシンパシーがあるんでしょうね。
一つ思ったのが、彼らは私たちが海外に行った時にバンドマンとかスタッフさんと会話するキーパーソンになることが多いんです。SXSWに出た時にしゃべりかけにきてくれた方が「ギターウルフ、友達?」みたいなこと聞いてきて。それこそSXSWでいったら、Peelander-Z(ピーランダーゼット)のイエローさんとかもそう。この数年、縦のつながりの皆さんにはよくしていただいただけじゃなく、コミュニケーションの円滑剤としても本当に感謝しています。
接点が一つできるだけでも、そこを軸に大きく世界が広がっていく。最近は彼らとどんな連絡を取ってるの?
皆さん少しずつライブも決まってきているみたいで。私らも現場主義者としてライブはしていきたいんで、早くツアーできるようになったらうれしいですよね。それに向けて今はスタジオ入って、音源もつくってて。
元々ライブで楽曲の強度も上げていくタイプだもんね。
私は『いてこまヒッツ』を出して、その後に行った『YAMETATTA TOUR 2020』後の楽曲が確実に良かったと感じていて。ライブを重ねると作曲もグルーヴ感が全然違います。それは大事なポイントですね。
ツアーバンドっぽく、一つのアルバムをつくって世界を周って、生で反応を見たりできるようになったらまた新しい景色が見れるのかなと思います。それが仕事を辞めてからまだできていない。
その景色が見たくて仕事辞めたからね。早く達成したい。
本当は短期的な目標だったはずが、長期的な目標になってしまった。
でもその分、体力もついたし、どんとこいという状態。次のツアーはまた大きな反響がありそうだね。
この1年で養った力と、こういう状況でできなくなった密なパフォーマンス、早く両方合わさったステージを見せたいですね。
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26歳で自我が芽生え、とうとう10歳に。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が持てる荷物の量を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。
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