土龍さん、この10年どうやった? 最小で最愛な私たちのライブハウス、nanoの旅路
京都の音楽を語る上で外せないもののひとつは〈livehouse nano(以下、nano)〉だろう。二条の閑静な住宅街の一角に位置し、キャパはギュウギュウに詰めても80名(コロナ禍前)。それでも数多のアーティストがこの場所での出演に胸を高まらせ、多くのリスナーが愛す、ドラマティックな夜を幾度も生み出してきた京都の名物ライブハウスである。
オーナーは還暦を間近にしてnanoを2004年に立ち上げ、今でもバーカウンターに立ち続けているまーこさん*1。そして店長はボロフェスタ*2の主催メンバーの一人であり、名物MCでもある土龍が務める。京都の内外をつなぎ、オルタナティブシーンを拡張し続けてきた〈nano〉の10年を、ANTENNAだけでなく、自身のバンドでの関わりやボロフェスタスタッフとしてさまざまな距離で見てきた堤と土龍の対談形式で追った。
土龍
1976年京都生まれ、京都育ち。京都は二条城近辺のライブハウス〈nano〉の店長であり制作・音響・照明を兼任。毎年秋にはロック・フェス『ボロフェスタ』を仲間と共に主宰、ナビゲーターとしてのMCも務める。プレイヤーとしてアルト・サックスを演奏することもあり、過去に幾多のバンドにアディショナルとして参加経験も。
堤大樹
1988年生まれ、大学進学とともに京都へ。自身がGt/Voを担うバンドAmia Calvaを継続したいがためにそのまま京都で就職。2013年にANTENNAを立ち上げる。現在はANTENNAの編集長の座を譲り、分化したメディアPORTLAに注力。2020年に「文化」をテーマとした制作会社Eat, Play, Sleep inc.を立ち上げる。
この10年の変化はシンプルにブッキングの引き出しが増えたこと
PCでスケジュール見ながら振り返っていこうか。2010年、NUITOがイベントやってる。sajjanuを初めて呼んだ時か。NUITO、OUTATBERO、sajjanuで対バンしてるね。
いいイベントですね。当時と今ってブッキングのやり方、大切にしているポイントって変化ありました?
多分そこは変わらないと思う。
もうずっと変わらない?
ブッキングのやり方も大切にしていることも全く変わらなくて、変化と言えばシンプルに引き出しが増えていくってことかな。頻度こそ低くなれどずっと出てくれてるバンドがいるわけで。それに加えて新しい出会いはずっとあるからね。
そこは「京都は学生の街であり、一定の周期で人が離れていく」と感じている僕とは大きく印象が違いますね。
でもある程度の年齢になっても就職とか結婚で音楽を辞めようって人は他の地方に比べて少ないやんか。だから、新しく「こういうイベント組むようになった」みたいな種類が増えていくだけの話やと思う。
どういったところでイベントの引き出しが自分の中で増えたって感じます?
自分が好き好んで聴くタイプの音楽じゃなくても、客観的に評価できるようになったんだろうなというところがある。言い方が悪いかもしれないけど、以前は自分が好きじゃない音楽の評価の仕方がわからなかったのよね、きっと。
なんでその変化が起きたんですかね。
シンプルに音楽的な経験値が上がったことで、評価をする基準が増えたんじゃないかなと思う。そうすると、演奏だけじゃなくてミュージシャンやバンドマンとしてのスタンスにおいても良いところを見つけられるようになった。そこを見つけられると好きなタイプの音楽じゃなくても、そのバンドの将来に対しても興味が湧いてくるわけ。
それは経験の数が物を言いますね。その壁を越えられたなって瞬間はいつ頃の話なんですか?
10年前のスケジュールを見てると、そういう評価はまだできてなさそうだな。もしかすると「こういうアーティストが出るようになったのがきっかけ」みたいなものがあるのかもしれないね。一年の集大成として毎年3月に行っている周年月間*3のスケジュールを見ていくとわかりやすいかも。
〈nano〉の周年ってその年のベストヒット土龍ですもんね。いいですね、それがわかりやすいかもしれない。
2010年は激オルタナティブやね。空中ループ、加藤隆生、ワゴンズ、あすなろう、岡本洋平(Hermann H.&The Pacemakers)にSiMoNでしょ。あとはeuphoria、CHAINS、ばきりノす、八十八ヶ所巡礼とかもうバキバキですよ。
同世代のツレの感じがしますね。仲間というか。
でもここに原点がある。趣味も高じて楽しい濃密な夜をつくれたって思うときは、いまだにこのオルタナティブのテイストなんだよね。集客に直接結びつくかはさておき、こういうものこそ〈nano〉がやってきたこと。そことどう他のシーンをクロスオーバーさせていくかを最近は狙っているのかもしれないな。
新しい音楽を〈nano〉に連れ込む耳の早い友達たち
そういったクロスオーバーが生まれていく背景にはサーキットイベントの存在があるんじゃないかと仮説を立てていて。世間的に増え始めたのが2010年代前後、土龍さんがナビゲーター、ブッキングから関わっている『いつまでも世界は…(以下、いつせか)*4』がはじまったのも2011年ですよね。
それはあるだろうね。「こういう良さがあるんだ」っていうのを今まで関わってこなかったシーンで発見していった。『いつせか』だったら、投げ銭でツアーをずっと回ってるようなソロのフォークシンガーであったり。
この頃すでにオルタナティブなバンドシーンという土壌が〈nano〉にできあがっていたことは大きいですよね。そのことで、新しい音楽を受け入れられる余白がある。
〈nano〉でできるかどうかは置いておいて、基本的に受け入れて咀嚼して自分でまた選ぶ、そういう繰り返しだからね。面白いよ、2011年の3月には『いつせか』を主催する西島衛(ザ・シックスブリッツ)*5とめちゃくちゃ距離が近くなってる。共催で弾き語りのイベントやってるね。
それまでの〈nano〉には見られなかったタイプのイベントですよね。
『イエス!カントリー、イエス!!』っていうイベント。西島衛、三浦雅也(夜のストレンジャーズ)、奇妙礼太郎、ASAYAKE 01、梶本ヒロシ。この日は15人くらいが出てる。別の日にはよしむらひらく、加納良英、あまやどりって日があるな。「オルタナティブなものであっても、結局自分が好きなのは歌なのかも」って気づき始めたぐらいのタイミングかもしれないね。
そこは今のブッキングのあり方にもシンクロしてますね。
あと、Second Royal Recordsとの付き合いがどんどん深くなっていってる。付き合いがグッと深くなったのはTurntable Filmsがきっかけで、彼らのミュージシャンシップに俺の「好き!」が合致したところがあって。2011年3月にはHOTEL MEXICOが出演する『nano7周年×Second Royal Records』も開催してるね。
2011年の3月、結構分岐点になってますね。
確かにね。3.11の東日本大震災以降、日本でもいわゆるカルチャーとしてのインディーな活動に、レベルミュージックの意味合いを加えた人が増えたのかもしれないな。反原発に代表されるそういった活動込みで音楽を鳴らしていこうとした人も、より音楽の純度にその意味合いを求めた人もいたのかもしれないし。シャムキャッツ、王舟、スーパーノア、3月33日、これもいいメンツだな。
それこそ昨今、しっかり大きなイベントやフェスに呼ばれ、日本のインディーシーンを牽引してきたようなバンドがきちんと〈nano〉を通過している感じがありますね。2010年にはクリープハイプも出てたわけでしょう。
そういうケースは多いよね。もちろんすべてがそうとは言えないけど、ちゃんとミュージシャンとして活動を続けている人が出てくれてる感じがする。
京都の外にまで〈nano〉のことが伝わり始めたな、みたいな実感ってどこかでありました?
それは、もっと前の段階かな。2006、2007年くらい。
早い。
というのも、『ボロフェスタ』立ち上げメンバーの一人、飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) *6)が東京に行ったことが大きくて。すぐに〈TSUTAYA O-nest〉で働き始めたんだけど「関東にこんなバンドがいるねん」って、それをどんどん放り込んできてくれた。「〈nano〉にちょっとツアー行かせてもいいか」、「おいでおいで」って調子で。
その頃〈新宿Motion〉に出てたオルタナティブなバンドたち、SuiseiNoboAz、オワリカラ、FAR FRANCEあたりがよく出てくれて。キャパ的にちょうどいい、ツアー行くにはもってこいみたいな。それぐらいからかな。
それで言うと同じく『ボロフェスタ』の立ち上げメンバーの一人、ゆーきゃん*7が〈nano〉の3階でサンレインレコーズ(現在は閉店)をやっていたのも影響がありますよね。
そうだね、やっぱりその時すごくいろんな情報が入ってきてた。Hello Hawkの周辺や七針の界隈とかどんどんゆーきゃんに紹介してもらってね。その時まだ、当時DJだった田中亮太(現Mikiki編集者・ライター)*8が『ボロフェスタ』にも度々出店してくれてた〈JET SET〉でバイヤーやってたのもあったしな。この2人からめちゃくちゃ情報もらってた。ROTH BART BARONとかまさにそれで。
それぞれの紹介者のカラーが〈nano〉で混ざり合っていくわけですね。
地元のバンドが成長していったのもあるけど、〈nano〉のラインアップをつくってきたのは耳の早い人たちが周りにいたのがめちゃくちゃでかいと思う。今でこそ、今言った3人とも京都から離れてるけど2013、14年ぐらいには、すでにそういうバンドが出演する文脈ができあがってたんじゃないかなと思う。
小さなハコであることでの実験のしやすさ。その上でその前の10年には『ボロフェスタ』を通じてしっかり培ってきた土龍さんとの信頼関係や価値観の合致がある。やっぱりみんな安心して、アーティストを紹介できるだろうし、彼ら自身も見つけた音楽をもっと知って欲しい、分かち合いたいっていう感覚が絶対あるはずですよね。それをアウトプットできる場所として〈nano〉が機能していたことがよくわかります。
でもブッキングはぶれてない。ずっとぶれてないな。今、2014年見てるけど、folk enough、LOOLOWNINGEN & THE FAR EAST IDIOTS、CUSTOM NOISE、ばけばけばー……。あとはTHEロック大臣ズが『ツアーファイナル80人限定ワンマンライブ』やってくれてるね。
THEロック大臣ズは勢いがありましたね。
でも周年にTHE FULL TEENZやSeussの名前がまだない。
『ボロフェスタ』的にも重要なキーになってくる。
THE FULL TEENZと知り合ったことは結構自分の中で大きくて。伊藤(Vo/Gt 伊藤祐樹)が「〈nano〉で自分の好きなバンドのライブが見たい」ってモチベーションで、とにかく好きなパンクのバンドを引っ張ってきてくれた。その頃の俺の尖ったものが好きになっていくモードにバチンとハマったんやね。
文脈ってやっぱり人なんだねっていうところがすごく面白いですね。フィーリングだったりタイミングももちろんありますけど、人が人を呼ぶというか、人が界隈をつくっていくというか。
それで〈nano〉に出てくれるようになったのが、SEVENTEEN AGAiNやWiennersであったり、あとTHE SENSATIONSの大沢君がやってるI HATE SMOKE RECORDSとの関わりもできた。Aをやってきたからこそ、新しいBが馴染んだ。Bという流れがあったからその次のCという流れがまた馴染んだっていうその積み重ね。2015年の3月、THE FULL TEENZの『ナイトスイミング』って企画では2人フジロッ久(仮)、NOT WONK、ロンリー、花泥棒、Seuss、littlekidsが出てるね。
やっぱり〈nano〉が大切なのってローカルなミュージシャンたちを育む場所であるってことですよね。『ボロフェスタ』含めて時代との呼応をしてきたハコではありますが、やっぱりそういう下地みたいなのがちゃんとつくられている。
『ボロフェスタ』のブッキングも一緒やねんけど、絶対的にストーリーを大事にしてて。これをやったから、次はこういうメンツでやろうよ、その次はワンマンやろうよみたいな話を常にしてる感じがするな。一つひとつの夜って刹那的なのものではあるし、その刹那の輝きこそ美しいねんけど、でもその次につながるものでなきゃってところはあるよね。
小さなハコであること、そのコンプレックスと矜持
土龍さんってアーティストと一緒に大きくなるっていう感覚のほうが強いですよね。「育てる」と言うより。
そう、見せ合う感じ。「俺これやってるけどお前らなにする? お前らそれやんの? 俺これやってるけど俺のことも見てなちゃんと」みたいな。結局、アーティストと同じ目線でいるんだと思う。
200人くらいのキャパで(イベント)制作を任せられるハコやったら全然違ったかもしれなくて。〈nano〉を始めた時、コンプレックスでしかなかった。キャパも音響も自分のオペレーターとしての腕も。でもそれをこの先どんどん良くしていくためには、ミュージシャンと同じ目線で何を話していくかが大事だと思った。ミュージシャンと、ライブハウスで場をつくっている人間は絶対に交われない平行線上にいるはず。でもその隙間をどこまで縮めることができるかって仕事をしなくちゃって。それで若いバンドであれ、キャリアのあるバンドであれ、下手なら下手、好きなら好きって伝えることを選んだと思うね。愛の注ぎ方というか、分け隔てなく接していこうって思った結果どんどん態度がでかくなっていくんやけども(笑)
土龍さんは「〈nano〉っていう場所でやっていることが自分の表現である」とよく言ってますもんね。自分は最高な表現の場をつくるためにあなたたちを呼んでるから、あなたたちもそこに最高の表現を重ねてくれよっていう。だから〈nano〉で起きているのは表現者同士のぶつかりあいなんですよね。
全国にはそういったライブハウスが他にもあるのかもしれないけど、関西においてはかなり特殊なのかな。そもそもライブハウスなのか? っていまだに自分で思うことがある。
どこよりもマインドはピュアなライブハウスそのものですけどね(笑)。ちょっと話を戻して周年の2016年以降の話を聞いていっていいですか。
2016年3月、この年は結構バブリーやった。岡崎体育・空きっ腹に酒はソールドアウト。THEロック大臣ズ・フジロッ久(仮)・KING BROTHERSのスリーマンに、Brian the Sunの企画、NOT WONKとTHE FULL TEENZ、囀り峠・LOSTAGEのツーマン。この辺りのイベントはめちゃくちゃお客さんが来たイメージがあるな。
2016年ってストリーミングがスタートするタイミングなんですよ。あとサーキットイベントもだいぶ飽和状態になって、どこも新しいヒーローを探してる感じで一足飛びに大きいステージにフックアップされるようになってくる。その影響かわからないですけど、周年に続けて出演できないアーティストもちらほらいますね。
それはそうかも。2017年だとカネコアヤノとかがまさにそうだな。でも加速するラブズ、ギリシャラブ、ラッキーオールドサン、yoji & his ghost bandとか〈nano〉としてはしっかり新しい文脈が生まれていて。あとは本日休演、the seadaysもそう。
2016年から2017年の一年で近年の〈nano〉の顔ぶれにかなり近づいてますね。
この年は周年でソールドアウトしたのがSuiseiNoboAz、my letter、スーパーノアのスリーマンだけで。これが〈nano〉やなって思った。あとはこの辺から片山翔太*9っていう〈下北沢BASEMENTBAR〉のブッカーがイベントやってくれるようになったりとか。
当時、花泥棒をやっていた稲本裕太(現・Pale Fruit)*10が東京行ったからじゃないですか?その流れもありそう。
これ以降は完全に今の流れだね。ねじ梅タッシと思い出ナンセンス、ULTRA CUB、KONCOSらが出演しているし、永原真夏+SUPER GOOD BANDはワンマンで。ツーマンシリーズだと、ナードマグネット・ベランダ、And Summer Club・Helsinki Lambda Club、bacho・bedでやってる。bacho×bedはオープニングに突然少年(現・初恋)とか。当時スタッフをしてくれてたミノウラヒロキが組んでくれた、sleepy.abの成剛くんと中村佳穂ちゃんのツーマンも素晴らしかった。
この10年の間では、一番長くいたスタッフがミノウラくんなんじゃないですか。彼のブッキングにおけるポップさは土龍さんの方向とは全く違いますよね。
違うね。だから実はミノウラが一番スタッフとしては当時、相容れなかった。僕はいわゆる「音楽原理主義タイプ」だったけど、彼は場所と人が好きなタイプ。だからこそキャラとしての魅力がすごくあったし、お客さん受けとかミュージシャン受けがめちゃくちゃ良くて一番認知されたスタッフだと思う。そういうスタッフも必要って思えるようになったのはまたこの10年の成長かもな。
そういう意味で言うと、〈nano〉を辞めてもミノウラヒロキくんのお店〈□□□ん家(ダレカンチ)〉が〈nano〉の2階にオープンしたのはすごく大きなポイントですね。
実際に〈□□□ん家〉のお客さんがライブを見に来ることもある。でも〈nano〉はライブ中にシビアな空気が流れるので、ちょっと面食らってしまうこともあるかもしれない。それを緩和させてくれるような人材を探すっていうのが、今後の〈nano〉の課題にもなっていくんやろうな。
俺たちはだんだん歳を取ってしまうから
土龍さんは今後もイベント制作は基本的に自身で手掛けていくつもりですか?何度かスタッフに任せてみたり、下の世代との共存も試してきたのがこの10年でもあったようには思っていて。箕浦くんの話で言えば、『ボロフェスタ』の主催メンバーにまで加わってますよね。
『ボロフェスタ』に関してはまさにそう。やっぱり自分が歳を重ねたこと、参加してくれるスタッフとの年齢にギャップが生まれたことで今までとは伝わり方が違って。例えば、「フライヤーみんなでまきに行きましょうよ!」を、箕浦が言うのと俺が言うのでスタッフの参加率が変わっちゃう。
そういった部分、この10年での〈nano〉での手応えとも重なりますか。
〈nano〉は良くも悪くもハードルのあるハコになってしまっているのはあって。「nanoが目標」って子がいるように「nanoに出にくい」って子もいるんだよね。ブッキングのやり取りも俺と直だと、25歳も年下の大学生の子とかは気が引けてしまうのはあるのかもしれんね。だから若い制作のスタッフがいるといいなと考えることはある。
ただ自分にとって「教える」とか「委ねる」っていうことがめちゃくちゃ苦手な分野であるとは思っていて。どうしても自分で全部やりたがるし、ちゃんと教えられるようになるにはめちゃくちゃ時間がかかる。それでも『ボロフェスタ』の経験とかを通じて人を育てる能力はゆっくりでも伸びてきてると思ってたんだけど……、そこでコロナ禍ですよ。今いる人間だけでできることをミニマムに、なんとかやりきらなくてはってところに振り切ってしまって。
〈nano〉の規模感だと、若い複数人のスタッフを常に抱えて運営を行う他のハコとは前提が違ってきますもんね。その辺り、同じ二条の〈京都GROWLY〉なんかと比較するとそもそものキャパや構造の違いがあるわけで。ただ年齢を重ねるとやっぱり一緒に活動していく人も同じように歳を重ねちゃいがち。どこかで打開はしないといけないですよね。
そうだね。〈京都GROWLY〉は若い世代にブッキングを任せられる店長の安齋智輝*11のキャラクターもあるんだけど、一世代下の内田秋(No Fun/ピアノガール)*12のようなスタッフの存在も大きい気がする。彼の妙なカリスマ性であったりとか、えぐめのかっこいいバンドをやってるってことで若い子に背中を見せる。俺はバンドマンじゃないし、そういう意味でも続けていく上で〈nano〉も今後スタッフを入れていく必要があるんだけど、でもねぇ……。
まあね。
俺たちの欠点の話をしてる今。堤も苦手なやつ。
わかる。
人に仕事を振るのはずいぶんうまくなったし、自分ではできないことは任せようってこともできるようになった。今の〈nano〉やったら、もうイベント制作以外のことは全部スタッフのみきてぃ*13に任せてるの。配信が始まってからは撮影が一番大きな仕事やけど、あとはマンスリーのフライヤーづくりみたいなのもどんどん振ってる。
ただ制作をやってもらう人となると「相当選んでまうなあ」というのが正直なところで。何も知らん子を育てるっていうのもまた大切とは思ってるけど。実は経営面の話でいうと、コロナ禍になって配信とグッズの売上で一人雇えるんじゃないかという状況にはなってて。
それはすごいですね。
例えば、週2で入ってくれるスタッフくらいはなんとかなる。この先また状況が戻ってくることも考えて、そういうことはちょっと頭に入れておかないと。
いつか来る、その日のことも考えて
これから先の10年、〈nano〉がどんなメンバーでやっていくかは今日の話を聞いてより楽しみな部分があります。その一方でまーこさんからは引退の話が出るようになりましたね。
まーこおばちゃんが現場に立たなくなることも想定して、「自分がこういう(役割の)人間でなくちゃ」ってイメージをそろそろ具体的に持ち始めてる。まだまだおおらかな人間にならないといけない。間口を広げても自分の表現したいことに妥協さえしなければ、かっこいい人はちゃんと集まってくるだろうし。
バーカンでの出迎えにはじまり、誰よりもライブを楽しむまーこさんの存在が間口を広げ、〈nano〉の空気感を醸成してきたことは間違いない。全部ではないですが、今後はそこも土龍さんなりが担う必要がでてくる。
正直、今のチームって〈nano〉史上最高かもしれなくて。スタッフの清水*14もみきてぃもすごい才能があって、だからこそ「ここで働くのはしんどい」って思わせたらシンプルにこっちの負けやなって思う。そのためにも自分が変わらなきゃいけない。もしかすると今までいてくれたスタッフだって、箕浦だって、ここで働いてたら自分が伸びないって思わせてしまったのかもしれないと考えることがあって。
ずっと書いてるブログ、対談のために読み返してきましたが10年前はだいぶ血気盛んでしたよ。すでに相当変わったことがわかりますし、前に進む意思も違うというか。
前に進む意思が見えたのがそれこそこの10年くらいかもよ。最初のうちはライブハウスとして成立させるために必死やった。7、8年目ぐらいを過ぎた2010年ぐらいから、気持ちの余裕が出てきて、「将来このお店をどうすんの」って少しづつ考え始めて、いろいろやってきた。
でも最近はそれと同時に「このお店でできることって限界があるのかも」、「毎日毎日ルーティンになってるかも」っていう、天井に当たった感じがあったのも事実で。そう思い始めた頃にコロナ禍が来て、こういう言い方はあれだけど正直めちゃくちゃ助かった部分はあって。
「これしかできない、これができたらOK」だと思っていたものが強制的にシャットアウトされたってことですよね。
5、6バンドが平日に出るのはきついよな、みたいなイベントの組み方に始まり、配信の可能性、グッズをつくって売ることだったり。まーこおばちゃんがいなくなったときのことを具体的に考えるようになったのも、やっぱりコロナがきっかけで。自分の仕事が一気にルーティンじゃなくなった。
今、そんな風に言える人はあまりいないんじゃないですか。
超楽しい。それもまた〈nano〉っていう構えてる場所の規模の小ささ故なんよね。この小ささ武器やんって思い始めたのも間違いなくこの10年の変化やと思う。
そうこうしてたらもう〈nano〉もベテランのハコになってくるんじゃないですか、あと2、3年で20年超えてくるから。
もうそうなってるんちゃう? 十何年もやってたらな。でもそんなん言われても。
やること変えられへんし?(笑)
そう、好きなことしかできない。でも好きなことが増えていくタイプの人間やから良かったなって思う。何でもすぐ飛びつくから、「え、めっちゃいいやん教えて教えて」って。
好きになる力は必要ですよね。その力があったからこそ、関わってきた人たちが土龍さんに新しい音楽をレコメンドしてきたし、〈nano〉でのイベントをやりたいと思ったはず。改めて、〈nano〉は関わってきた多くのアーティストやミュージック・ラバーみんなが育ててきた場所であることがよくわかる。これからもきっとそんな人が現れて〈nano〉の界隈と限界を押し広げていくんでしょうね。
土龍による注釈
*1 まーこさん
〈livehouse nano〉オーナー。70歳という実年齢からは想像できないくらいエネルギッシュで、如来のごとく大らかなレディー。
*2 ボロフェスタ
2002年から続く京都の秋のロック・フェス。出演者・客・スタッフが横並びに位置づけされる日本の代表的インディペンデント・フェスティバル。今年で20周年を迎える。
*3 周年月間
2004年3月にオープンした〈nano〉が毎年3月に一カ月通して開催するアニヴァーサリー・パーティー。その年度の出演者総決算的な意味合
*4 いつまでも世界は…
京都の街中のライブハウスや飲食店を使用して毎年5月に開催されるサーキット・フェス。音楽イベントであることは大前提として、そことは直接かかわりのない「街の人」も巻き込みたい希望の話。
*5 西島衛(ザ・シックスブリッツ)
『いつまでも世界は…』の首謀者。寺町六角で〈大丈夫〉というカレー屋を経営。音楽を通して出会った、気の置けない大切な友人の一人。
*6 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) )
共に『ボロフェスタ』を主宰する仲間。それ以外にミュージシャン、OTOTOYで編集者、リアル脱出ゲームの制作も兼ねる、引くほどタフで頭の回転が速い男。尊敬しかしていない。
*7 ゆーきゃん
シンガーソングライター。土龍の大学時代の後輩であり、現在も『ボロフェスタ』を共に主宰。彼の紡ぎ出す一つひとつの丁寧な言葉には説得力があり、『ボロフェスタ』の観念的な拠り所になっている。
*8 田中亮太(現・Mikiki編集者/ライター)
出会ってきた人間のなかで一、二を争うロマンチックなミュージック・ラバー。DJとしてプレイを観ている時はもちろん、彼のテキストを読んでいる時でもミラーボールを回したくなる。
*9 片山翔太
ハコのブッカーでありながら、大学時代を過ごした思い入れ深い群馬の街で『まちフェス』というフェスも主宰。人懐っこさと丁寧な話し口調があるから、彼の周囲には自然と人が集まる。
*10 稲本裕太(Pale Fruit)
立命館大学出身、京都で花泥棒を結成、上京後今に至る。音楽はもちろん、その時代背景にあるカルチャーまで愛し考察することのできる信頼できるミュージシャン。早くこっち帰って来いよ。
*11 安齋智輝(CUSTOM NOISE/ふつうのしあわせ)
〈京都GROWLY〉店長。CUSTOM NOISEやふつうのしあわせではベースを担当。「京都で一番音楽好きなのは僕ですよ」と彼が言う言葉に嘘はないと思う。「厳しい店長」が僕だとすれば「優しい店長」が彼。いいなあ。
*12 内田秋(No Fun/ピアノガール)
〈京都GROWLY〉で勤務するパンクス。粗暴に見えるファッションやステージパフォーマンスとは裏腹に、繊細な感情で人を愛することのできる色彩豊かな人間。その奥行きに惚れる後輩が多数。
*13 みきてぃ
〈nano〉のスタッフ。沖田総司的ポジション、になってほしい。現在は主に配信のカメラマンを担当。彼女のカメラワークには愛とロマンが溢れる。大人しそうな見た目とは真逆の芯の強さがある。
*14 清水佑(ULTRA CUB/Gue)
〈nano〉のスタッフ。ULTRA CUB、Gue他でベースを担当。音楽的な素養もありプレイにも定評あり、その他カルチャーに関する知識も豊富で話していて飽きない魅力的な人間。
WRITER
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26歳で自我が芽生え、とうとう10歳に。「関西にこんなメディアがあればいいのに」でANTENNAをスタート。2021年からはPORTLA/OUT OF SIGHT!!!の編集長を務める。最近ようやく自分が持てる荷物の量を自覚した。自身のバンドAmia CalvaではGt/Voを担当。
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