MCUはどこへ向かう?ミュージシャン・アーティストが語るフェーズ4の今とこれから
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私はエンターテイメント作品としてマーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe、以下MCU)の作品が大好きだ。頭を空っぽにして、作品に没頭できる時間が私にとってかけがえのないものである。『アベンジャーズ / エンドゲーム』のアッセンブルシーンの海外リアクション動画なんかには、一緒に歓喜しながら涙を流したものだ。大衆からも圧倒的な支持を受けながらも、一方で作品ごとに込められた社会的メッセージや、制作ロジックなどは映画好きたちの考察にも耐えうる奥深さを兼ね備えている。観る人によって受け取り方が千差万別、それを受け止める器のデカさこそ、MCUの魅力とも言えよう。
MCUはフェーズ1の『アイアンマン』(2008年)を皮切りに、フェーズ3の『スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム』(2019年)まで23作品が制作された。「インフィニティ・サーガ」(フェーズ1〜3の総称)が熱狂の中終わりを告げ、現在はフェーズ4の作品が続々と公開されているところだ。
そんな折、ANTENNAで映画続編妄想コラムを執筆するマグナム本田氏より「MCUフェーズ4について、漫画好きでMCUも大好きなノマノタロウと語りたい」と入電。同じタイミングで「MCUを語りたい!」と弊メディアにコンタクトをしてくれたアーティスト/アニメーション作家のたかくらかずき氏と合流し、フェーズ4作品をそれぞれの持つキャリアの視点から振り返る本鼎談が実現した。MCU好きはもちろん、私のようにエンタメ作品としてMCUに眼差しを向けていた人にこそ本記事を楽しんでもらいたい。
(イントロ文:ANTENNA編集部 岡安いつ美)
マグナム本田
シンガーソングライトアクティングディレクター。TTP(シアトリカルテクノポップ)バンド『マグナム本田と14人の悪魔』主宰。『YAWARA NOW!!』ではショルダーキーボーディスト。スティーヴン・セガール研究家。ANTENNA誌上では『マグナム本田の妄想続編〜今度は戦争だ〜』などを執筆。好きな映画は景気良く人がたくさん死ぬ映画。
2014年の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』から本格的にMCUに入沼。ピーター・クイルと星野源と同い年。
たかくらかずき
アーティスト/アニメーション作家
1987年生まれ。3DCGやピクセルアニメーション、3Dプリント、VR、NFTなどのテクノロジーを使用し、東洋思想による現代美術のルール書き換えとデジタルデータの新たな価値追求をテーマに作品を制作している。現在はおもに日本仏教をコンセプトに作品制作を行う。京都芸術大学非常勤講師。openseaで仏像NFTシリーズ 「NFT BUDDHA」を展開中。LEGOのMCUシリーズを集めている。好きなヒーローはミステリオとサノス。
ノマノタロウ
Meiouseiのボーカル&キーボード担当、弾語りの音楽活動の他、西院ネガポジの「ジャンプナイト」や□□□ん家の「推し漫画ナイト」などマンガ系トークイベントにも参加。野々花子の筆名でWeb小説の執筆、文学フリマ出展などの文筆活動もおこなっている。
好きな映画は田舎町で特に何も起こらないやつ。MCUは『アベンジャーズ/エンドゲーム』公開前に一気見してハマる。
https://www.youtube.com/channel/UC1EyurJvT9P1EP1683KspOA
映画の既成概念を変える MCU フェーズ4の手法
まずは直近の話題として、お二人の『スパイダーマン ノーウェイホーム(以下、NWH)』に対して感想や意見をお聞きしたいです。自分の見終わった直後の感想は「え……いいの……(許されるの?)」というものでした。
僕は2回観ました。トム・ホランド演じるピーター・パーカーは今までのスパイダーマンの中で唯一憎しみに支配されず、かつ過去のヴィランの憎しみも浄化してしまった。ある意味この話は”輪廻からの解脱”とも言えるなと……。
僕は単純にエンタメとして、テンポの良さ、脚本や演出の整理具合に圧倒されました!実はMCU以外のスパイダーマンを観ていなくて、知らないゆえに冷静にも観れました。スパイダーマンシリーズを追ってない人間からしても、あるあるネタや過去作とのリンクは十分想像で補完できたし、置いてけぼりにならずに楽しめて。それを成立させるスケール感にやられた感じです。
自分の場合、幼少期にKBS京都の再放送の東映版でスパイダーマンに触れて以降(レオパルドンのおもちゃも持ってました)、映画はもちろん、池上遼一による漫画版も好きな古参寄りのファンなんですが、今回のMCU版が一番楽しく観れたんですよね。もちろんアンドリュー・ガーフィールドがMJを救ってクシャおじさんみたいな顔で泣いてるシーンなんかは爆上がりしたんです。
ただ帰りの電車で「ちょ、待てよ。死ぬ前のヴィランが召喚されたならグウェンは……?」となって以降、「サム・ライミ版の息子ゴブリンこそ救うべきでは……」とか思ったり。コミック映画、なんなら魔法まで出てくるものに整合性を求めるのも違うとは思いますが。
あとは監督も主演も違う7作品、『シビル・ウォー / キャプテン・アメリカ』『アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー』『アベンジャーズ / エンドゲーム』も入れたら10作品使ってオリジンストーリーを描くというのが前代未聞すぎて面食らいました。アンドリュー・ガーフィールドはキャラとしても俳優としても救われたのかもしれないですが、打ち切られた『アメイジング・スパイダーマン』のマーク・ウェブ監督や脚本家陣は納得してんのかな……と。
サム・ライミはドクター・ストレンジの次回作『ドクター・ストレンジ / マルチバース・オブ・マッドネス(2022年公開予定)』を撮ってるから納得済みだろうけど、確かにマーク・ウェブとかはどう思ってるのかな、とは思いますね。
フェーズ4以降はマルチバースを使って、過去の別会社・別監督のヒーロー映画もクロスオーバーさせて、さらに映画の既成概念を変えようとしてるのは明らかですよね。
NWHでその試みはファンダムに大歓迎され、単作としてもインパクトを残して大成功だと思いますが、一方で「マルチバースだから、あいつが出るかも!」がもし今後メインの楽しみ方になってしまうと、それはつまらないな、という懸念は感じました。
僕も同じ懸念をしていました。サプライズ中毒となってしまったファン達の期待が、作品の中身にまで影響を及ぼしてしまわないかと思うんですよね。
NWHは最大限のファンサービスだったと思うんです。その演出をうまくテーマに絡めてドラマを描いていた点がすごいですよね。軽いものになっていなかった。今後のマーベルはおそらく過度のファンサービスに傾くようなことはせず、主に映画としての時空間のトリックや、社会問題やイシューを掘り下げる方向にゆくのだと期待しています。
本当の意味で「親愛なる隣人」になったスパイダーマンが、受け継いだものはなんだったのだろう?
あと僕は今回のNWHの闘いの場が、キャップの盾の上だった意味についても注目しています。
気になります……!
まず前提として、MCUのメインのキャラクターって「アメリカの功績と懺悔」を背負っていると思っていて。アイアンマンなら「資本主義国家の光と影」、キャプテン・アメリカは「国家そのものの光と影」、ドクター・ストレンジなら「スティーブ・ジョブス以降のネオスピリチュアルの豊かさと愚かさ」みたいな。アメリカ史をギリシャ神話のような多神教神話に再解釈した設定だなと。
スパイダーマンはアイアンマンのテーマを引き継ぐように描かれてきたけど、彼は明らかに資本主義バンザイなキャラクターではない。今回ドクター・ストレンジもメンターとして出てきて、単にアイアンマンの後継ではなく、今まで登場してきた複数のメインキャラクターの概念をまとめてアップデートさせるようなキャラクターなのかもしれないと思ったんです。
キャプテンとスパイダーマンは直接的な師弟関係にはなかったけど、『アベンジャーズ / シビルウォー』でスパイダーマンが初登場した時に、キャプテンと戦闘しながら「根性あるな、出身は?」「クイーンズ」「ブルックリン」なんてやりとりをしたシーンを思い出すと、盾の上で戦うこのシーン、とても熱いものだと思うんです。キャプテンの盾の上で戦うシーンこそが「私利私欲ではなく全体のために戦う」概念を引き継いで、真のアメリカのヒーローになるキャプテンの意志を継ぐ儀式のようにも見えました。
NWHはスパイダーマンが本当の意味で「親愛なる隣人」、ヒーローになる物語だったと思うのですが、たしかにその意味でも、これまで師・憧れとして描かれてきたアイアンマンではなく、キャプテン・アメリカの意志を引き継いだというのは、より象徴的ですね。
話は少しズレるのですが、MCUでキャプテン(国家そのもの)とアイアンマン(資本主義)の象徴がいなくなった今、実際のアメリカに漂う「自分が何者なのかわからない、アイデンティティの喪失」みたいなものが訪れている気がしていて。それを担うのは誰なんだろう?って考えた時に、それはソーなんじゃないかと。
ソーが?
ソーはアイデンティティも北欧なのでアメリカではない、しかし限りなくアメリカナイズドされたアイデンティティを持っている。彼は憎しみに任せてサノスを殺したり、強いのに中身が空っぽなことに本人も悩んでいるよなと。
ああ、なるほど。ソーはアメリカ建国時のWASP以外のアイルランドや東欧からの移民を象徴してる感じがありますね。それに対して『ファルコン&ウィンターソルジャー』では現代的な移民を扱っている。
今後ソー、ドクター・ストレンジ、スパイダーマンあたりが中央に来る時に、彼らがアメリカのアイデンティティの何を神話にして、社会のどんな問題を浮き彫りにするのか。それがかなり楽しみなんです。
アイデンティティを失ったアメリカがソーである、というのは納得です。エンドゲームの太って酒とゲームに明け暮れてる姿は、現在の平均的なアメリカ人男性(NYのようなアメリカではなく、大部分を占める内地的なアメリカ)の老い方を痛烈に皮肉っているようでもありましたね。そのソーがこれから旅に出る、ガーディアンズとともにエグザイルになることが、現実逃避的に描かれるのか、それともより広い外の世界の発見として描かれるのかも気になりますね。
エターナルズが目指すべきだったのは『僕たま』だったんじゃないか
それではフェーズ4の作品で特に気になったものはありますか?
『ワンダヴィジョン』が良かったです。TVドラマを年代で追う作り自体斬新でしたし、ワンダが今後キーパーソンになりそうで良かったです。フェーズ3までの二軍的な扱いは不遇に思っていたので……。現代のメンタルヘルスの問題と絡めているところも個人的には良かったと思っています。能力面でも置かれた状況という意味でも、ワンダは危ういバランスの上で成り立っていると思うので、今後どうなるかが楽しみです。
『ワンダヴィジョン』、僕も大好きです!普段映像制作してる身としては、90年代、00年代のビデオの質感とか、カラーになってからのマニアックな段階まで細かく質感を出していてめちゃくちゃ楽しかったです!今思えば家具が色んな時代のものにコロコロ変化していく描写がすでにマルチバース始まりを予見していましたね。
自分も一番好きなのは『ワンダヴィジョン』でした。アメリカのシットコム(シュチュエーションコメディ)の歴史を辿りつつそれが壮大な物語に展開していくつくりは構造としても物語としても震えました。特に第一話の「もしもデヴィッド・リンチが『奥さまは魔女』を撮ったら」みたいな映像がサイコーでした。そして長年に渡りアメリカのシットコムを放送してくれたEテレに感謝です。Eテレをなくそうなんて動きには断固反対です。
フェーズ4の中だと、 僕は『エターナルズ』を一番推しています。それまでの二元論的な価値観を全てひっくり返し、「中立的な立場に迷うキャラクター」を初めてヒーロー側に立たせた素晴らしい作品だと思いました。過去のアメコミ映画で言うと『ウォッチメン』のような「正義の不在」を描く構造ですね。かなり挑戦的な内容でしたが、確実にアメコミ映画の可能性を物語として広げた作品だと確信しています。
自分も良くも悪くも気になったのが『エターナルズ』でした。たかくらさんとは違う理由で、ヒーロー映画を新しい段階に進めようとしていると感じたんです。
ヒーロー映画、ヒーロー物語って結局最後は暴力で解決してるじゃないですか。アンパンマンですら最後はパンチで終わる。ロバート・A・ハインラインの小説『宇宙の戦士』に「暴力は歴史上、他の何にもまして、より多くの事件を解決している」という一節がありますが、未だどんな理想主義者もこの事実を覆せておらず、『アべンジャーズ』という名前も「(正統な)報復者」という意味なんで人命救助描写で多少の中和はしてるものの、指パッチンに対しては指パッチンでやり返した。存在を消すという最大級の暴力で。そういった旧態依然とした暴力による解決以外の方法を模索したのが『エターナルズ』なのではないかと。その象徴として攻撃的、暴力的な能力を持った男性キャラは途中退場するか敵側にまわしたのでは。この辺はトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)も関係あるかもしれませんが。
ただ暴力以外の解決って小説やコミックだと結構成り立つんですが、映画、特に娯楽映画とは非常に食い合わせが悪くて、なんだかんだ暴力ってカタルシスがあるわけです。実際自分のように己の暴力衝動をフィクションに託している映画ファンも多いですし。『エターナルズ』ではクライマックスにセルシが巨大なセレスティアルズを抑え込む描写を持ってきたんですが、やってることは保留、凍結してるだけでカタルシスがそんなにないんですよね。解決してしまうとシリーズが続かないというのもあるんですが。
ということ以外にも『エターナルズ』に関しては話したいことがあるんですが一旦黙ります。
僕はあの話、アンジーの登場や『ダウンタウン』の引用からも見てとれるように、スーパーヒーロー版『17歳のカルテ』なんじゃないかと思っていて。長いことヒーローという理想的な存在でいなければならないために心を病んでしまったキャラクターたちが各々全く別の解決方法で人生を歩んでいくという話に見えて、、特にキンゴの途中退場の選択は、めちゃくちゃ良かったなと思ったんですよ。僕も1回目見た時はかなり疑問だったのですが2回目に見た時に、この選択(保留)こそ、人間が日常的に行うのにヒーローは行わなかったことだな、と思ったというか。
ようはこれらは、「観客も俺たちも、ヒーローという病に侵されてるよね?俺たち作る側はもうそういうのは飽きたわ」というメッセージという風にも取れて、そういうメタメッセージって『スパイダーマン ファーフロムホーム』にもあった、「君たち観客はこういうのが好きなんでしょ?たくさんサービスしまっせ!」っていうメタメッセージと呼応しているなと思いました。なので『エターナルズ』って『The boys』とかにも通づる「メタヒーロー映画」だなと思って見ました。
そういった崇高なヴィジョンを掲げつつも、単発の映画としての自分の感想は「なんて歪な映画なんだろう……」でした。「仏作って魂入れず」の逆で、「紙粘土人形に表面ボコボコになるくらい魂だけはぎゅうぎゅうに詰めた」と言うか。本来人類よりも上位の存在であるはずのエターナルズ達が右往左往しつつサークル内恋愛してる様子は人間以上に人間臭すぎて「ビバリーヒルズ青春白書観にきたのかな……」と思ったくらいですし、では人類側はといえばジョン・スノウことキット・ハリントン演じるデインくらいしかまともな意思を持った者はおらず、あとはモブ以下、「しっかり躾けて賢いけどたまに粗相をするペット」くらいの描かれ方しかしてないんですね。なので地球規模の危機が起きてるのに全然そのスケール感が伝わらないんです。
そしてセレスティアルズ、エターナルズと三つ巴の一角を担うはずのディヴィアンツはといえば、少し喋れるくらいになった段階であっさりと八つ裂きにされてしまう。『デビルマン』でいえばサタンとデーモン族の立場なんだからもっと掘り下げられただろうに。というように崇高なヴィジョンと映画としての出来に乖離がありすぎてずっとモヤモヤしてしまいました。
あと個人的には蒸気機関を発明した人に謝罪した方がいいと思います。
僕も ディヴィアンツはもう少し描いて欲しかったと思います。あそこにまた人間中心主義的な感覚が出てましたね。サノスを倒してしまったことが良かったのか?という人間中心主義からの脱却を図ろうとしたのにもかかわらず、ディヴィアンツはクリーチャー扱いなのかいー!っていう気持ちに……。
キャラクターたちの意思のバラツキに関しては僕は支持します。意志が弱いというよりは、意志がばらついている、という風に僕には見えたんですね。で、人間てそんなもんじゃん、て言ってるようにも見えた。なのであれは敢えてのハリウッド的意思の硬さにたいするアンチテーゼだと思いました。ハリウッドにもああいう映画がもっと増えてほしいなとすら思いました。魂の所在が見当たらない、というような。初期『ブレードランナー』のレプリカントのような、空っぽならではの狂気を秘めたキャラクターが生まれてほしいとすら思った。ようは、整合性とかよくできたドラマとか、腑に落ちるとかそういうものは確かになかったけど、カルト映画として最高だったんですよね……。
僕は『エターナルズ』については、もしかしたら参照したのでは?と個人的に思っている日本のコミックがありまして。『僕の地球を守って』という80年代後半〜90年代前半の少女漫画です。
『エターナルズ』監督のクロエ・ジャオは、本作の影響元に幽遊白書やドラゴンボールなど自分が好きだった90年代日本アニメ・コミックがあると公言していましたが、もしかしたら『僕の地球を守って(以下、僕たま)』もあるんじゃないかな、と。
『僕たま』は何を引用して作られたかというと、萩尾望都の『11人いる!』などのSF漫画と、当時流行していたトレンディドラマ『男女7人夏物語』なんです。
クロエ・ジャオが『僕たま』を意図的には引用していない・知らなかったとしても、自分たちより下位の文明に干渉すること、またそれを「救い」と考えるの自体が傲慢では?という懊悩がテーマになっていること。上位存在も人類と同様に悩み身勝手に恋もする存在であり、それはステージが違うだけで同じ存在ではないのか?という問いかけは両作品に共通するので、目指しているものはかなり近いと思います。
だから意図的にせよ、そうでないにせよ、『エターナルズ』が目指すべきだったのは『僕たま』だったんじゃないかと思ったんです。
まさしく『僕たま』でしたよね。今ニール・ゲイマン版の『エターナルズ』の原作のコミックス読んでいるのですが、結構トレンディドラマな感じなので、どこまでが映画のテイストなのかはわからないなと思いました。
個人的には、トレンディドラマ的な部分がマグ本さんと同じく気になったのですが、『エターナルズ』の掲げているテーマについては大賛成です。いかにこれまでのヒーロー映画から脱却するか、現実世界の合わせ鏡としても白黒善悪ではなく、いかにグレーなものを残したまま描いていくか、という。
自分も文句はたくさん言いましたが『エターナルズ』は変化の時代の過渡期に生まれた重要な作品であって、時代が移り変わる、または続編によって評価が変わり得る映画だと思います。
アメコミ映画らしい「ポップさ」に期待したい!今後のMCU フェーズ4について
ではフェーズ4でこれから登場予定のものも含めて気になるキャラ、シリーズなどはありますか?
今後登場のキャラクターだと、僕はダントツで『ムーンナイト』の予告編にやられちゃって……かっこよすぎて泣きそうになりました。正直今までMCUではミステリオやサノスなどのヴィランにばかり思い入れてきた人間なので、はじめてヒーローを推せるかも!とドキドキしております。あの狂気を孕んだ設定がどのように料理されるのかめちゃくちゃ楽しみです!
既存キャラになってしまうんですが、前述したワンダ、それからアントマンですね。どちらもフェーズ3までよりもっとスポットが当たってほしいです。『アントマン2』のインフィニティウォー〜エンドゲームとの絡み方も大好きだったので、3もかなり楽しみにしてます。
新キャラだと2代目ブラックウィドウのエレーナがどうなるか、楽しみ半分不安半分。フローレンス・ピュー、良くも悪くもこれまでのMCUっぽくない俳優だと思うので、どんな形でハマるのかな、と。
自分はダントツで『ミズ・マーヴェル』が気になっておりまして、これまでムスリムを映画やドラマで扱うとどうしてもシリアスな作品になることが多かったんですが、あのポップな作風が今から楽しみです。
『ムーンナイト』もそうなんですが配信ドラマの方でも完全新キャラを出すとなると映画本線とどう絡んでくるかも楽しみ半分、不安半分ってところです。
あとは既存シリーズだと『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』も楽しみです。vol.3はもちろんですが、ホリデースペシャルも予定されてて、どんだけふざけてくれるんだろうと。
ホリデースペシャルはめちゃふざけそうですよね(笑)スケジュール的にフェーズ4は、前半シリアス作多め、後半ポップ作多めな印象なので、前半で見せた「社会的イシューをどんどん織り込んでいく」という姿勢を継続しつつ、後半は「その視座を保ったままでポップでハチャメチャなものをちゃんと作れるんだぜ!」という風になるのを期待してます。そうなるとやっぱりジェームズ・ガン、それとタイカ・ワイティティも、腕の見せ所なんじゃないかと。
そう、社会的イシューが注目されがちですが「ポップさ」ってアメコミ、アメコミ映画の魅力の一翼を担ってて自分はそこに惹かれたのでそこは継続してほしいし、継続してくれるでしょう。
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地域に根ざした世界中のインディペンデントな「人・もの・こと・場所」をおもしろがり、文化が持つ可能性を模索するためのメディアANTENNAです。
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