Radioheadのファミリーに憧れて。OAS / Radiohead Nightが描くファンベースの表現の営み
「ある機材を買ってから“おかしくなった”」と話す主催のYasukoさんの言葉に、僕は妙な親近感を覚える。なぜなら僕もRadiohead(レディオヘッド)に人生を変えさせられた自覚があるからだ。そんなRadioheadに惹かれファンイベント『Radiohead Night』とトリビュートバンドOASというかたちで愛を表現する姿勢に僕もまた惹かれ、OASのメンバー6人へのインタビューを実施。場所は翌日に〈ESAKA MUSE〉で『Radiohead Night』を控え、前夜祭を行った後の〈Alffo Records〉。前編では中心メンバーのYasukoさんとYamakawaさんにバンドやイベントを続けることへの想いを、後編ではOASに焦点を当て、6人のメンバーにコピーバンドとして演奏をすることの醍醐味や難しさを伺った。
僕らファンは大好きなアーティストへの敬意や愛情をどのように表現したらいいのだろうか?今でこそライティングこそが自分のやり方だと言える僕だが、かつて音楽活動をしていた時は「自分の作詞作曲で示すことが唯一絶対の方法だ」と考えていたように思う。だが決してそれだけではないと気づかされたのが、『Radiohead Night』にはじめて訪れた時のことだった。
徹底的にRadioheadのライブを再現することを追求するOASを筆頭に、DJやVJ、アートや自作のマーチャンダイズなど、さまざまな手法で愛を表現するファンの姿と、Radioheadという唯一の共通点を通した分け隔てのない交流。前夜祭の写真も交えながら、ファンベースから愛をかたちにする素晴らしき営みの一端にぜひ触れていただきたい。これはRadioheadを愛してやまない6人の物語。だがこの表現の在り方は、何かに強烈に惹かれているすべての人々にひらかれているはずだ。
Radiohead
photo by John Spinks
トム・ヨーク(Vo / Gt / Key)、ジョニー・グリーンウッド(Gt / Key)、エド・オブライエン(Gt)、コリン・グリーンウッド(Ba)、フィル・セルウェイ(Dr)からなる、イギリスのロックバンド。『OK Computer』(1997年)や『Kid A』(2000年)など、作品ごとに音楽シーンに多大なインパクトを与え続けてきた。『The King of Limbs』(2011年)のツアー以降Portishead(ポーティスヘッド)のクライヴ・ディーマー(Dr)をサポートに加えライブ活動を続けている。
OAS
Yamakawa(Vo / Gt / Key / トム・ヨーク担当)、Daiju(Gt / Key / ジョニー・グリーンウッド担当)、Yuta(Gt / エド・オブライエン担当)、Yasuko(Ba / コリン・グリーンウッド担当)、Takuro(Dr / フィル・セルウェイ担当)、Wakamatsu(Dr / クライヴ・ディーマー担当)からなる、ファンイベント『Radiohead Night』のために結成されたトリビュートバンド。バンド名のOAS(On A Saturday)はRadioheadの前身のバンド名On A Fridayから。楽器の寄贈など本家Radioheadとの交流があり、イギリスの『BBC』や『Huck Magazine』にも取り上げられる。
Webサイト:http://oas.jpn.org
Twitter:https://twitter.com/radiohead_night
【前編】YasukoとYamakawaのOAS / Radiohead Nightの活動への想い
OASはあくまでパーティーバンド。いろいろ表現が交わる中の一つ
『Radiohead Night』はOASのライブはもちろんのこと、DJやアートなどさまざまな表現が分け隔てなく交わる素晴らしさを毎回感じています。単独ではなく『Radiohead Night』というイベントをすることへの想いを聞かせてください。
僕らが大きく前に出てはいるけど、元々は『Radiohead Night』というパーティーの中で演奏するパーティーバンドがOASなんです。もちろんバンドでコピーしたものを見てもらえるのもうれしい。でも絵を描いてる人だって、自分の好きなアーティストを描いて同じようにRadioheadが好きなお客さんに見てもらってああだこうだと言ってもらえることって、すごくうれしいと思うんですよね。だから音楽以外にも絵があって、着ぐるみのアングリーベアが登場して、手作りのケーキを持ってきたりとか。来てる人にもそれぞれ持ち味があって、それが表現される場にしたいなと考えています。
例えば僕は音楽ライターとしてレビューやレポートを書いたりってのもアーティストに愛を示す一つの在り方だなって感じていて。でもそれを気づかされたのは『Radiohead Night』なんですよね。いろんな好きな気持ちの表し方があるなって思います。
まさにそうです。絵を描く人も、DJやVJも、ファンの在り方がいろいろあって、そういったものを全部ひっくるめての『Radiohead Night』。いろいろ才能を持っていて好きをかたちにする人と一緒に盛り上げていきたいんですよね。
才能がある人に限って友達がいなかったりするからね。パーティーは友達づくりも楽しかったりするけど、それって意外と難しい。でも例えば「私の作品の隣で描いた方ですか?」みたいに表現の話になってくると、おそらくいい友達関係になれるよなって感じてて。それをきっかけに絵を描いてくれた方々がアートだけのイベントを組んだり、また僕らのことを呼んでくれたり、相乗効果ですよね。いろんなところでつながりができるのは楽しいなって。
Radioheadという共通項はあれど、やることはなんでもいい。一方でDJの方々は「多様な音楽があってこそ」という価値観もあると思っていて。でもまた一方でRadiohead縛りのパーティーも大好きで。その齟齬って感じたりしますか?
これは嘘偽りなく言うと、いろんな音楽が入ってくるのは僕らの専売特許ではなくて、それを僕らがやっても多分楽しくないだろうなって思うんです。Radioheadしか流れない気持ちの悪いイベントに興味を持ってくれている人のためのパーティーに完全に特化してますね。Radioheadに一意専心する方が得意だし好きだなって。
なるほど。今日の前夜祭でDJをしていた(ナカシマ)セイジさん(Alffo Records)もそうですけど、OASが完全にRadioheadに徹してるからこそ別の表現の広がりがあるよなって感じがしていて。以前の配信イベントでオープニング・アクトの關(伊佐央)さんがRadioheadがまずやらない“Anyone Can Play Guitar”をやってましたけど、OASも絶対やらないじゃないですか。
OASは本家Radioheadのライブに沿ってやってるので、選曲がメンバーがやりたい曲というのとも少し違うんですよ。その中でOASでも取り入れていいんじゃないかみたいな発想でやってます。DJの方々には「Radioheadかソロ活動のレパートリーの中で」とだけ伝えて、それは少し縛りにはなってると思うんですけどあとは任せちゃってますね。
ある機材を探しにイギリスに行ったことが大きな転機に
以前の配信イベントで「当初遊びではじめたけど完コピ欲求が高まっていった」という話をされていましたよね。どういった心境の変化があったんですか?
もともと当時Radioheadのファンサイトを日本で一番最初に立ち上げた方と仲が良くて、一緒になんかやらないかということで『Radiohead Night』というDJイベントをやって、その時に自分とかやまちゃん(Yamakawa)がDJとして参加していて。当時はオフ会が盛んで、人と集まって同じ好きなアーティストについて語るのが楽しかったんです。それからその方が「自分は引退するからあとは任せるよ」ってことで、正式に引き継いだというわけではないんですけど、自分もそういうことを面白いなって思って。ただDJパーティーじゃなくて、「私もやまちゃんもせっかく演奏ができるんだからコピーしようよ」となったのがきっかけですね。
DJよりバンドという意識があったのですね。
そうですね、でも今僕らがやっているコピーバンドって厳しい目で見られる完コピバンドだけど、その頃は、今でも感じる部分があるんですけど、Radioheadはファンがこわいっていう。
それは僕も自覚するところがあります。めんどくさいこだわりが強いというか(笑)
だから僕は歌う気満々だったんですけど、「頼むから勘弁してくれ、トム・ヨークのファンからビンが飛んでくるぞ」ってYasukoに止められて。「そんなん飛ぶわけないだろ」ってたまに練習で歌ったりしてたんだけどやっぱダメって。
Yasukoさん自身が厳しいファンって感じがありますね。
そうそう(笑)。でも演奏はしたくて何曲かレパートリーをチョイスして、歌をピアニカで置き換えて当初はやっていました。完全にインストで。とにかく声を入れることが怖くて「ファンに何を言われるかわかんないからやめよう」ってなってたんですよ。
高いハードルを感じていたんですね。なおさら気になるんですが、なぜ歌うように変化していったんですか?
2001年にオンド・マルトノ※ を6台使った“How To Disappier Completly”のライブ映像を観て、「この楽器なんだろう」ってぞっこんになったんですよ。調べてみたら高価すぎて買えないんだけど、とにかく一目惚れで。
※オンド・マルトノ(Ondes Martenot) フランスの電気技師モーリス・マルトノによって1928年に発明された電子楽器の一種。鍵盤とその下につけられたリボンを用いて音高を指定しつつ、強弱を表現する特殊なスイッチで音を発する。
フレンチコネクションっていう、モジュールを使ってオンド・マルトノの音を出すシンセがあって、制作しているイギリスのAnalogue Systemsっていう会社に見に行ったんですよ。僕とYasukoで。
当時唯一買えるオンド・マルトノっぽい音が出る機材で、それを買ったあたりからおかしくなった(笑)。行った時も試作品みたいなのがゴロゴロしてた段階で。ショールームに見に行ったらもう欲しくなっちゃって。
ジョニー・グリーンウッドが使ってるフルスペックのものを作ったら結構なお金がかかるってことで社長のボブさんに話したら、実際ジョニーが出している音はもう少し安価で揃えられると言うんですね。それが僕なんかでも払えるお値段で。その時ははじめてのイギリスで、Analogue Systemsはトムが行ってたエクセター大学と近かったので、観光もしながら作ってもらいました。
結局見るだけのつもりが買っちゃった。
買ったからにはとにかくファンイベントでフレンチコネクションを使いたかった。そう考えると今オンドモ※ を使ってる理由も全部つながってるよね。あとYasukoがやってるファンサイトはURLがthomthomthom.comで、当時どちらかというとトムが好きだったんですよ。だからサイトの開設日も10月7日(トムの誕生日)で。なのにフレンチコネクションからオンドモに至って今は特にジョニー推しっていうね。
※オンドモ(Ondomo) 浅草電子楽器製作所(ASADEN)によって制作されたオンド・マルトノのバリエーション。Yasukoも制作の一部に関わり、完成品をRadioheadに寄贈した経緯を持つ。現在OASで使用しているうちの一台は実際にRadioheadがライブで使用したものだそうだ。
なんとも面白い巡り合わせですね。そこから完コピ欲求にもつながると。
それから「とりあえず1曲ぐらい歌わせろよ」みたいな感じで歌ってみたら意外と評判が良かったんですよ。だから「この曲も、あの曲も歌いたい」って感じでどんどん歌うイベントが増えていったんですね。
やる中で手応えというか、やれそうな感じを掴んできたみたいな。
それなりに受けもよかったので調子に乗りましたね(笑)。最初キャパ30人くらいの地元のバーからはじまって、50人、100人とキャパを広げていくにつれてお客さんも増えたんですよ。すごく順調に。それで「ちょっと本気で真剣にやらないとな」って感じて。
たくさんの人が熱心に観てくれるからこそ。
それで最初は地元の友達にドラムやギターを頼んでやってたんですけど、僕らが本気になってきたらちょっと引き気味になってきたんですね。「そこまではできないよ」みたいに。
それからメンバーを外部から入れるようになったんです。そこが転機ですね。地元のメンバーに見放されたというか(笑)。そこからオーディションをしたり加入と脱退を繰り返しながら今の6人になったんです。
Radioheadを支えるファミリーの姿に憧れて
ファンサイトの運営にOAS、『Radiohead Night』と長い間活動されていますが、これまでの活動を振り返ってみてどうでしたか?
今がベストです。
間違いなく今がベストですね。
OASは今の6人でやるのが最高だし、『Radiohead Night』はお客さんがいいなって思うことをどんどん取り入れていいかたちになっている。それは冒険ってことじゃなくて、チームを作りたいと思ってるんですよ。それは今のVJさんとかDJさんもみんなそうで。「やるよー!」「やりましょう!」みたいに連帯している感じが今すごくいいんですよ。
Radioheadの何が好きかってバンドが好きなのももちろんなんですけど、ファミリーが好きなんです。
ファミリー。
Radioheadはずっと地元の友達とマーチャンダイズから何からやってきてて、そのままあんなに大きなバンドになった。今も事務所、スタジオ、クルーみんなオックスフォードに拠点おいてるけど、クルーも普段それぞれ仕事があっても、Radioheadが動くとなれば家族行事みたいに皆がそのために集まるし、ナイジェル(・ゴッドリッチ)もスタンリー(・ドンウッド)※も、もうメンバー同様だし。それってすごいことだよなって。
※ナイジェル・ゴッドリッチ(Nigel Godrich) イギリスの音楽プロデューサー。『The Bends』(1995年)の制作にアシスタントプロデューサーとして参加し『OK Computer』以来、Radioheadのすべてのアルバムやトム・ヨークのソロ作品をプロデュース。
※スタンリー・ドンウッド(Stanley Donwood) イギリスの芸術家。『My Iron Lung EP』(1994年)以来、Radioheadのすべてのアルバムやポスターのアートワークを手がける。
支えてる・支えられてるってのが自然にできあがってる姿に憧れているし、自分たちもそうありたい。今その環境が構築されてきているなと感じています。だから今がベスト。
完コピは一旦できたけど、今度はRadioheadの活動のあり方までもっとコピーしていきたいです。
私たちがいい環境で活動するには周りの人がいないとできないんです。物販やサポートで手伝ってくれているスタッフも何十年も一緒にやっていて、これまでつくり上げてきたものがだいぶかたちにになった今がとてもいい環境なんです。
それを聞いてとてもしっくりきました。Radioheadは本当にスペシャルなバンドだけどメンバーだけでは成り立たなくて、支えてくれるファミリーがいるからこそ。そこまで見据えたOASと『Radiohead Night』なんですね。
バンドだけではどうしようもなくて、みんながいることで成り立ってるし、OASの単独じゃなくていつでもパーティーでありたいんですよ。メンバーそれぞれは意識の面でプロに負けないくらいのものでやってるのでみんなに任せながら、私は「あれをやりたいこれをやりたい」ってのをこの環境で実現させていきたいです。これからもファミリーとして。
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【後編】OASに聞くRadioheadの再現へのこだわり
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はろーべいべーあべです。フェスティバルとクラブカルチャーとウイスキーで日々をやり過ごしてます。fujirockers.orgでも活動中。興味本位でふらふらしてるんでどっかで乾杯しましょ。hitoshiabe329@gmail.com
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