歌い継がれるエヴァーグリーン|テーマで読み解く現代の歌詞
特集『言葉の力』の企画「#テーマで読み解く現代の歌詞」。サブスクリプションでのリスニング・ライフが主流となる中で、歌詞を見ながら音楽を聴くことが以前と比べて少なくなった気がする。逆に気になった楽曲を調べて歌詞を見ることは増えた。つまり「歌詞を味わう」ことがより能動的な行為になってきているのかもしれない。ならばいっそ、その能動性にフォーカスして、歌詞を軸にして現代の音楽を紐解いてみようじゃないか。
本企画では8人のライターがそれぞれ現代のポップ・ミュージックの歌詞を捉えるためのテーマを上げ、それを象徴している4曲と共に解説してもらった。
誰もが自らのライフスタイルに変革を迫られたコロナ禍以降の生活の中で、僕にとってとりわけ印象的なのは優れたカバー楽曲が多く世に出ていることだ。Father John Misty(ファーザー・ジョン・ミスティ)、James Blake(ジェイムス・ブレイク)、そしてMarika Hackman(マリカ・ハックマン)など、時代のトップランナー達が続々とカバー作品をリリース。名匠の歩みを哀悼の意とともに振り返った『筒美京平SONG BOOK』も記憶に新しい。
自らに深く立ち返ろうとするとき、必要となるのは他者の言葉なのかもしれない。ツアー生活や制作体制の見直し、「ミュージシャンとして今何ができるのか?」という命題を突きつけられた世界中の歌うたい。たとえば歌うことを志した時の気持ちを今一度確かめるように、自らの心に刻まれた大切な言葉に立ち返ることで、鏡像のように自分自身の姿と向き合う。カバー楽曲に取り組むことにはそんな意味もあるように思えてこないだろうか。そしてミュージシャン達の内省を追体験するようなパラレルな響きを持って、名曲たちはまた今の時代に問いかける。
楽曲がその時代にカバーされることには必ず意味がある。時代の流れにも耐える強度を持ったエヴァーグリーンな名曲、時代に感化されながら優れたDJや編集者のような鋭い視点で自らの生き様に重ねるミュージシャン達。そして、それを聴きまた歩み出す次の世代。脈々と歌い継がれていくことが「うた」の本分なのだとしたら、カバーをすることはその最も根源的な営みともいえるだろう。若干トリッキーな選曲にはなるが、そんなカバー楽曲をピックアップすることで本企画に広がりをあたえられればと思う。ここに取り上げた4曲は古くは半世紀近く前の楽曲だが、新時代を担う歌うたいによって鮮やかに蘇るその言葉は、紛れもなく「今」を映しているのだ。
Skullcrusher “Lift” (2020年、Radiohead Cover)
アメリカの若きシンガーSkullcrusher(スカルクラッシャー)が歌う“Lift”には、なにも損なわれることのない完全な安心が描かれている。原曲のオルタナ色は抑えつつ、楽曲をさりげなく彩る朗らかなバンジョーとマーチング調のドラムロール。ファンの間では半ば神格化されてきたこの楽曲だが、〈Today is the first day of the rest of your days〉に込められた日々を生きていくささやかな決意が、彼女の等身大の歌声によってより身近な言葉として僕らの日常に重なっていくようだ。
君島大空と塩塚モエカ “サーカスナイト” (2020年、七尾旅人 Cover)
塩塚モエカ(羊文学)のどこか気怠げな歌声に、寄り添うガット・ギター。爪弾くは君島大空。まさに今の時代を担う二人の共演は、まるで文通のようにリモートで音源を送り合う中で行われたという。新たな楽曲の共作ではなく、ともに大切に思う楽曲を媒介としたコミュニケーション。〈Tight rope dancing Baby 今夜だけ〉触れると壊れてしまいそうな繊細な響きは切迫感を増して、まさに綱渡りのように先の見えない僕らの夜にそっと染み渡る。
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Father John Misty “Anthem” (2020年、Leonard Cohen Cover)
故Leonard Cohen(レナード・コーエン)の風格と意思を歌い継ぐのは、現代有数のシンガーFather John Misty。原曲のクワイアは鳴りを潜め、楔のように淡々と打ち込まれるリムショットは昨今の閉塞感を映しているようだが、〈Ring the bells that still can ring〉に込められた気高き祈りは何一つ色褪せてはいない。過ぎた時代を生きたシンガーの矜持が、さらなる歌い手によって現代に響き渡る。なんと無垢で穢れなき営みなのだろう。そうしてその精神は永遠に生き続けるのだ。
Whitney ft. Waxahatchee “Take Me Home, Country Roads” (2020年、John Denver Cover)
誰もが口ずさむポップ・スタンダードをカバーするのは、アメリカ・インディーの今を生きるWhitney(ホイットニー)とWaxahatchee(ワクサハッチー)。思えばこれほど今の世にクリティカルに響く楽曲もないのではないだろうか。描かれた郷愁は自粛を余儀なくされ帰れなくなった故郷に重なり、さらに失われたかつての日常まで思い起こさせる。しかし、バンドを楽しむように優雅に奏でるその演奏は、映画のエンドロールのように僕らの明日にほんの少しだけ希望を与えてくれる。いつか帰る、その時まで。
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はろーべいべーあべです。フェスティバルとクラブカルチャーとウイスキーで日々をやり過ごしてます。fujirockers.orgでも活動中。興味本位でふらふらしてるんでどっかで乾杯しましょ。hitoshiabe329@gmail.com
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