肩書きを外した“人と人”の交流 ーー『逆光』須藤蓮監督が見つけた、地に足ついた宣伝の原理
京都・吉田寮を舞台にしたドラマ・映画『ワンダーウォール』(2020年)に出演した俳優・須藤蓮が、映画のまち・尾道を舞台に撮った初監督映画『逆光』。多くの映画が東京から上映を開始するのが定石だが、本作は舞台である・尾道から上映を開始し、全国公開を経て現在は京都〈出町座〉で2度目の上映中だ。公開に際し、須藤は京都に1ヶ月あまり滞在し、「会って伝える」配給活動に挑戦していると耳にした。それだけでも興味を惹かれたが、宣伝活動の成果以上に面白いのは、滞在中に須藤が交流を深めた人と次々にイベントを企画し、そこに集まった人同士の交流も生まれるなど、密かに『逆光』が積極的なコミュニケーションの呼び水となっていることだ。
一時的な「往訪」ではなく長期的な「滞在」が生む交流は、花火のような刹那の関係性に止まらず、炭火のように熱く燃え続けて「関係者」を増やす。その火で温められた場に人が集まってくるのは、日頃深く人と関わることをつい敬遠してしまう私たちも、実は心の底では人との交流を求めているからだろうか。これこそ、須藤が映画そのものと同じくらい伝えたい体験だった。『逆光』を取り巻く現象に、リモート時代を生きる私たちが無意識に捨象しているプリミティブな喜びのヒントが隠されているのではないか?
須藤蓮
1996年7月22日生まれ、東京都出身。 京都発地域ドラマ『ワンダーウォール』、深田晃司監督作『よこがお』(2019年)、NHK 大河ドラマ『いだてん』(2019年)に出演。 映画『逆光』にて初めて監督を務める。
映画『逆光』
犬童一心監督『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』(2011年)の渡辺あや脚本。純愛映画の名手が見出した25歳の新鋭、須藤蓮初監督・主演作。若き才能が放つ青年たちのラブストーリー。
公式HP / Twitter
常にお客さんの視点から一つ深く入って、旅に行っただけでは気づけないものを見たい
『逆光』は広島・尾道が舞台ですが、撮影当時、東京から尾道に行って映画を撮ることへの周りの反応はいかがでしたか?
企画が持ち上がった2020年はコロナ禍真っ最中だったので、拒絶されるかもしれないという不安はありました。でも実際に行くと、尾道は映画製作にとても理解のある街で、人柄も温かく迎え入れてくれました。自分の初めて主演した『ワンダーウォール』の封切り上映をやってくれたのが尾道映画祭という縁もあったんですよね。だからその時に出会った人たちも含め、多くの方々に応援してもらってできた映画です。
『逆光』の撮影から1年以上経ちましたが、配給活動の時に改めて尾道に滞在して、新しく感じたことはありましたか?
めちゃくちゃありました!撮影で訪れたときは、脚本と街を組み合わせて作品を作ることだけを考えていたので、街の一人ひとりと柔らかく接することは一切できなかったんです。配給活動で滞在中に手伝ってくれた方々とお話する中で、尾道が非常に進んでいる街だと気がつきました。
進んでいる、というのはどういった点でしょうか。
市民の成熟度の高さ、でしょうか。街全体が人のために設計されているので、住んでいる人たちの対話が当たり前に生まれる。それに東京に比べて流れる時間もゆっくりですね。だから結果尾道の人たちには「哲学」が育っていて、それが成熟度につながっているのではないかと思いました。尾道に二ヶ月半滞在しているときに、そのことに気づいたし、同様に、京都に滞在しているときにもそういったことに気付きました。滞在すると、ただ1日舞台挨拶で行って帰るだけでは聞けない話を山ほど聞けたりするんですよね。
須藤さんの中で、一時的な「往訪」ではなく「滞在」だと感じる基準は何ですか?
なんだろう……。映画撮影は10日間くらいありましたが、「往訪」でした。お客さんだったんですよね。「滞在」だと思うのは「おかえり」と言われるようになったり、何度も同じ人とすれ違ったりして、僕がいることを誰もレアだと思わなくなったときかな。配給活動では2ヶ月くらい滞在しているので、喧嘩し出したりするんですよ(笑)。そうすると街に馴染めてきていて、いい感じです。僕は常にお客さんの視点から一つ深く入って、旅に行っただけでは気づけないものを見たい欲求があります。
お客さんの視点ではない視点というのは、例えばどういったことですか?
古着屋で働いている人しか知らない店とか、役者しか知らない考え方、とかあるじゃないですか。そこに住んでいるから気づけること、というのもそれに近い気がしています。当事者にしか見えない世界って、より現実に近くて面白いんですよね。
俳優として役に入り込んできた須藤さんらしい感覚ですね。長期間の滞在中、映画の中のクラブシーンや喫茶店の世界を再現するイベントをされたり、積極的にアクションを起こしていますが、そういった行動も街の人しか見えない景色を見るのが目的でしょうか。
一回付き合ったり、その組織に入って働いたからこそ見えることってあるじゃないですか?自分はそこに住むことはできないけど、そこにいる人と一緒に映画の世界を作ることで、関係値が一つ深くなって、あくまでよそ者でありつつ、より深く、しっかりと見れる気がしていますね。でも、それだけが理由ではないです。
というと……?
映画の「体験価値」って映画館や家で鑑賞すること以外にもあると思うんですよね。僕がやっている配給活動やイベントを通して映画を観てもらうことは、どちらかというとライブに近い感覚なんです。
どんな部分がライブに近いのでしょうか?
映画を観ることって、ライブに比べて、話を直接聞いたり、密な熱を受け取ったりする「体験価値」が非常に少なかったと思うんです。逆にそれがあれば極端な話、作品本編の内容が好きでなくとも、新しい文脈でも面白がってもらえるのではないかと。今回の「会いに行く」配給活動は、映画の意味を拡張するための実験なんです。
その交流の本物さだったり、嘘のなさが楽しいんですよね
映画の意味を拡張する、という考え方は面白いですね!そういった体験を通して、結果的に人が集まって宣伝につながっているのがわかりました。
実のある広がり方をすごく意識しているんです。TVにはたくさん出ているけれど、実は人気がない、という人にはなりたくない。
実のある関係性は、それだけ長い付き合いにもつながっていきますね。
「長さ」は自分にとってすごく大事で、『逆光』のテーマの一つにもなっています。ピークアウトに関する恐怖は強が強くて、たとえば若さとか、時間の流れ、冷めていく感情といったものですね。一瞬だけ華やかな花火も好きですが、実生活や、ものを伝えていくという文脈では、長く燃え続ける炭火の方がいい。一度消えてもまた火がつく、そういうピークアウトのないものに憧れがあります。
滞在する中で生まれた関係が、一時の関わりだけで終わらないようにするために、何が必要でしょうか?
僕はあくまで旅人なので、その後マメに連絡を取ったりはできないんです。でも強いていえば、その瞬間は、目の前の人との時間を本気で共有しています。来て良かったとか、また会いたいと思ってもらうために、今話している瞬間に自分を必死に曝け出すし、嘘をつかない。そういう関係は、結果長く続くと思います。
今も、真剣に向き合って話していただいているのを感じています。今回はオンラインでの取材ですが、配給活動では直接会うことにこだわっていますよね。須藤さんが思う、直接会うことでしか向き合うことができないと思う部分はなんですか?
オンライン会議ってめちゃくちゃ便利だと思うけど、画面越しに友達になるのって難しいですよね。豊かさを捨象できてしまうから、人と人との関係性は築きにくいと思います。
たしかに、役割や肩書き同士の関わりになりますよね。
そうなんです。逆に、直接の交流では、「俳優」とか「映画監督」とかの意識はなるべく持たないようにしています。目の前の人が大学生であろうと、プロのインタビュアーであろうと、どんな人でも相手への期待や信頼を持って向き合っていったら、結果的に人と人の関係になっていくんです。思い込みを排除して対峙して初めて、相手への印象や関係性は変わっていくじゃないですか。
そうやって交流できた時、満足感は高まりますね。ひたすら楽しかった、という気持ちになれる気がします。
イベントを手伝ってくれている人とかが、「今日めちゃくちゃ楽しかった」と言ってくれるんですけど、みんな、会話しているだけなんですよ。その交流の本物さだったり、嘘のなさが楽しいんですよね。その場にいて、自然と交流が生まれて、肩書きも外して自分らしくいれる。そこには普段は触れないような文化があるとさらに盛り上がります。実はそんなことがこの前〈六曜社〉で行ったイベントで起こったんです。
「昭和喫茶体験をしてみたい!!」という思いつきが、まさかの六曜社で実現☕️
70年余の歴史上初のイベントとなり、なんと文江とみーこも来てくれた💃
そんな奇跡のような瞬間を、寺尾都麦の写真と共に振り返ります!
まずは逆光出演者3人の写真をどうぞ😆
photo by @bolvicc pic.twitter.com/OnlgkZ0DbY
— 映画「逆光」公式 (@gyakkofilm) April 17, 2022
楽しいことには人が集まるし、広がる。僕なりの政治なんです
逆光presents 昭和喫茶体験「六曜社へ行こう」、〈六曜社〉の70余年来、初のイベントということで話題になっていました。
そこで映画に出てくる本好きの登場人物・文江にちなんで〈待賢ブックセンター〉さんに古本の出店をしていただいたのですが、めちゃくちゃ売れたんです。僕らの世代の普段本を読まない人の中に、実は本を読みたい欲求が隠れていたんですよね。それに気が付く機会が作れたのは、超面白いと思ったし、嬉しかったです。そうやって僕自身が飢えていたから、みんなも飢えているかな?と思っていたものに、やっぱり飢えているのかもしれない、と確かめられましたね。
交流や知識欲って、言われてみるとたしかに根源的な喜びだと気づかされますね。誰もが無意識に必要としていることな気がします。
交流とか対話とか、文学を読む時間って、実はお風呂くらい大事ですよね。お風呂に入ったら気持ちいいじゃないですか。だから毎日入りたい。そういうのと一緒だと思います。「心のお風呂」ですね!ごめんなさい、小学生みたいな表現で(笑)
いえいえ(笑)ご自身が求めていた心のお風呂があって、そういう場を作っていたら、そのお風呂に浸かりたい人がたくさん集まってきましたね。
僕が撮る映画やそれに付随する交流は、心のお風呂を沸かしているようなものです。それに、お風呂って入らない方が早く寝れるじゃないですか。でも入ってから寝たほうが幸せな感じがする。その理由は「気持ちいい」とか、曖昧な説明しかできないけど。
コロナ禍でライブや映画館が不要不急と言われたのも、言語化が難しい必要性だからですよね。
まさにそうです。お風呂が無駄って言われたら、怒りたくなるじゃないですか。それと同じで、映画が不要不急と言われて怒りたくなりますよね。でも僕は怒るよりも、楽しいことを立ち上げる方が有機的だと思っていて。僕がやっているイベントはもしかしたら遊んでいるようにしか見えないかもしれないですが、僕なりの政治なんです。
どうして有機的なんでしょうか。
怒りって、広がらずに限定的でコアになっていくんですよ。一方で、楽しいことには人が集まるし、広がる。そこから意見を伝えられて、変化が起こせる気がしています。もちろん、精神的にもすごく健康的ですしね。
それが結果的に宣伝にもつながっていくというのが今回の配給活動でしょうか。
そうです。『逆光』をより多くの人に届けるために、創作物の純度を下げることなく、届け方で嘘をつくこともない方法を考えた結果が、映画に関連したイベントとも言えます。映画の意味を拡大して、届けられることの数も増やしていきながら、映画の世界を身近に思ってもらったり、映画の宣伝を自分ごとに捉えてくれる場所や人の力を借りる。たとえば〈六曜社〉というたくさん人が訪れる喫茶店でイベントをすることは、普段映画館に足を運ばない人への宣伝になっているんですよ。
体験を通して、映画の世界を自分ごとに捉えてくれる関係者が増えていますね。
僕の場合は伝えたいことが映画だけでは伝わらないんです。宣伝活動と映画、両方があって初めて成立しています。別にイベントって、映画と紐付けなくてもできるんですけど、それだけだと自分のやりたいことに到底届かないんです。
須藤さんにとって交流の場を作るとき、映画が必要なのはどうしてですか?
僕、こういう活動を介さないと人と向き合えないんですよ。飲み会とかランチとかも嫌いで、実生活では全然対話しないんです。だけど映画を通じて立ち上げた場においては、自分がしたい交流、つまり疲れるけど、すごく多幸感のあるコミュニケーションができるんですよね。
それは『ワンダーウォール』の時の経験でしょうか。
僕、人と本気で向き合うことを人生でそんなにしてこなかったんです。でも『ワンダーウォール』を通じて、そういったコミュニケーションを初めて体感できた気がしていて、それがすごく自分を楽にしてくれたし、変化させてくれた。だから今度は自分がそういう場を作れたらいいなと思っています。
人と本気で向き合う場所を、作っているんですね。
僕の考え方を布教するわけではなく、自分が立ち上げた場が、僕がかっこいいと思う人と、それを初めてかっこいいと思える人が接触する場になれば、自分を介して交流が生まれますよね。そうやって、僕が体験したことをその場に来てくれた人に、体験してほしい。それが伝えたいことです。
映画『逆光』公開記念 須藤蓮監督トークイベント~初めて映画を作ってみたら、大冒険になってる25歳の話~
日時 | 2022年5月21日(土)16:00~ |
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会場 | 六本松 蔦屋書店 アートスペース |
料金 | ¥1,000(税込) |
お問合せ先 | 092-731-7760(六本松 蔦屋書店) |
詳細 | https://store.tsite.jp/ropponmatsu/event/video/26575-1632210511.html |
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WRITER
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97年生まれ、みずがめ座。中央線・西荻窪→小田急線・成城学園前。ANTENNAのほかMusicmanなどで執筆。窓のないところによくいます。
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