自由のために、自由に踊れ!日常を生きるために生まれた祭り – 京都学生狂奏祭2024
扉を開けると襲ってきたのはサウナのような熱気。体の芯まで響くビート、きらめくエレクトロサウンド。SUSHIBOYSが繰り出すラップ、踊る人々。2024年9月20日、金曜夜の京都大学の学生寮である〈熊野寮〉の食堂は自由に踊る人たちの熱気で満ち溢れていた。今も脳裏に鮮明に残るワンシーンを目撃したのはこの場所に住まう寮生たちがつくり上げたお祭り『京都学生狂奏祭2024』だ。なぜ、彼らはこの場所で、自由を叫ぶのか。この日のライブの模様とともにお伝えする。
寮生の想いから生まれたイベント『京都学生狂奏祭』
昨年の夏にスタートし、京都の街を賑わせた音楽イベント『京都学生狂奏祭』が今年は9月19日(木)・20日(金)の2日間にわたり開催された。『ボロフェスタ』や『ザ・西院フェス』、『いつまでも世界は…』などに続くDIY精神溢れるイベントなのだが、ライブハウスや地域が主体となっている他のイベントとの大きな違いとして学生が運営している。またイベントの目的が会場となる〈熊野寮〉を守るということにある。
なぜ”守る”という発想になるのか。それは映画『ワンダーウォール』(2020年)の題材となった京都大学のもう一つの寮〈吉田寮〉と同じく、〈熊野寮〉にも廃寮化の波が押し寄せているからだ。1965年に設立された〈熊野寮〉。現在は京都大学に籍があるすべての学生が入寮でき、運営は大学ではなく寮生が主体を担う“自治寮”である。寮生活の業務を寮生が分担し、日常的に議論を重ねて、寮が目指す方向性を決め、それぞれが責任を担い暮らしている。自らの意志でこの場所で暮らすという自由が脅かされるという危機感から、寮生たちによってつくられた「寮外連携局」を中心に『京都学生狂奏祭』が行われたのだ。そこにあるのは一般の方に〈熊野寮〉へ訪れてもらい、寮や自治について知ってもらうことで、一緒にこの場所を守ってほしいという想い。昨年からはじまったこのイベントを立ち上げた局員の代表に話を聞くと、はじまりについてこう語ってくれた。
「京大ダーク(正式名称:Dark Blue New Sounds Orchestra)のサークルが学祭期間にライブハウスを取り損ねてしまったんです。そこで場所がないという相談が僕にきて、個人企画として寮内でジャズライブをやりました。その前後で出演してくれたサークルの人に、寮のイメージ調査をしたら最初は「危ない場所」とか、ただ「過激」みたいなイメージだったり、もっと曖昧な「何かよくわかりません」みたいな人が多かった。でも一緒にライブをしたことで、「人が優しかった」とか「自治ってすごいよね」みたいな意見をもらいました。ずっとWebの広報をしていたけどイベント自体が広報になると思って、『京都学生狂奏祭』を立ち上げました」
そのような経緯もあり、このイベントの運営費用はカンパとクラウドファンディングで賄われている。入場は無料だが、今年のフェスのテーマが「ひとりひとりが自由に踊れる場を熊野寮で一緒につくりましょう」であることや、〈熊野寮〉が自治寮としてどのように活動しているのか、なぜこのイベントを行うのかということを、受付時にスタッフが丁寧に説明してくれた。もちろんイベント出演者にも趣旨を説明し、納得して出演してもらっているという。初年度はスタッフ専用のTシャツを着ていたというが、今年はスタッフと参加者の違いを感じさせないよう、スタッフは全員同じ色のリストバンドを着けるのみ。イベントのテーマにも掲げられているように、スタッフも出演者も来場者もボーダレスな関係性で、一緒にこのイベントをつくりたいという想いが感じられた。
〈熊野寮〉を起点に交差する非日常と日常
さてこの場所に筆者が訪れたのは秋とは名ばかりの夏の日差しが照り付ける9月20日の2日目。〈熊野寮〉の門にはバリケードを彷彿とさせるイスやヘルメット、そして音楽を象徴するギターで飾り付けられていた。キラキラとした水面が涼しげなビニールプールでは、訪れた人が思い思いに足をつけている。飲食ブースなどが立ち並ぶエリアには無人の古本市もあり、漫画から参考書など大学生の本棚をひっくりかえしたような品揃え。カンパの箱もDIYで、必要と思った寮生の手により裏側のエリアで次々と新しいものがつくられていく。
周りを見渡すと学祭のような雰囲気ではあるが、大きく違うのはイベントのかたわら、いつも通りの日常を過ごしている寮生もいるということだろう。イベントエリアと生活圏とのすみ分けはされているが、日常生活の延長線上でイベントが成り立っているのだ。
日常を非日常へと誘うために用意されたのは3つのステージ。寮の玄関へ導くように横たわる「幻野ステージ」と、寮の1階にある寮生が食事をするスペースに出現した「食堂ステージ」、そして駐車場から「幻野ステージ」前にライブのたびにお目見えする動く舞台「街宣車ステージ」だ。
この日「幻野ステージ」のトップを飾ったのは、この〈熊野寮〉にある音楽室を管理している団体MUC(熊野寮音楽室利用者会議)。寮内の地下1階には、時にライブやイベントも行われる音楽室があるのだが、これも寮生が生活をする中で自発的に生み出された場所だという。寮生以外も利用できるのだが、このような運営ができるのもここが自治寮だからだろう。
この音楽室で‟日記帳”をレコーディングしたことがあると話してくれたのは京都大学のバンドAkane Streaking Crowdの北里(Ba / Vo)だ。昨年に引き続きの出演だったが、昨年は暑さにバテて削ってしまったという高速かつ変則なリズムに思わず体が動く“深夜特急”、“新快速”の2曲をステージのラストで披露し、観客を大いに躍らせ、沸き立たせていた。
そんな彼に出演者の視点でこのイベントをどのようにとらえているのかを聞くと、「京都のシーン、全体に言えると思うんですがインディペンデント。『ボロフェスタ』とかもありますがこのイベントはDIYでやるという想いが一番強くある。僕の周りのバンドもDIYで活動しているし、そこで共鳴しているから独特の熱が生まれるのではないでしょうか」と話してくれた。主催者である寮生の想いがしっかりと出演者にも伝播しているからこそ、それが音楽にのって熱となり観客の心を打ち、自由に踊れる場が生まれていたのだ。
Akane Streaking Crowdと同じく、2年連続の出演となったのは「食堂ステージ」に登場した立命館大学のロック・コミューンで結成されたバンド、サブマリン。普段は寮生の食事が並んでいるだろう調理スペースも特別仕様。美術スタッフの手によって祝祭を表す赤と白に彩られた天幕が波のように天井を覆い、流木のオブジェで飾られたステージに立った彼らが鳴らす、ギターサウンドの波でこの場をライブハウスへと変容させていく。
1日目も『狂奏祭』に遊びに来ていたという笠浪(Vo / Gt)。昨日は暑さにバテて1時間で帰ったと話していたが、室内とはいえ人の熱気が渦巻くこの場で、圧巻の演奏を見せていた。ラストに披露されたのは、音源よりも緩やかなテンポで歌われた“イメージ”。間奏ではさらにスピードを落とし、サビのフレーズを自身が奏でるギターと声だけで情感たっぷりに歌い上げる。歌い終わるやいなや、現在療養中でバンドを離脱しているタカノ(Gt)に代わってサポートを務めるジュンジュニオール(オートコード)のギターがそこに負けじと高らかに響くことで生まれる高揚感。その熱量はこの場所に散らばる〈熊野寮〉の日常を凌駕し、非日常へと没入させていくエネルギーを放っていたように思えた。
自由な解釈でこの場を楽しむ。それを一番体現していたバンドが街宣車ステージに登場したロブスターだろう。街宣車が「幻野ステージ」の前に停まると新たなステージが現れる仕組みなのだが、これは局員の発案から生まれた今年から導入された試みだ。街宣車のいわゆるお立ち台に乗ったロブスターの面々。この日は、ボーカルの船木翔はアコースティックギターを手にし、片岡悠輝はいつものベースの代わりに鍵盤ハーモニカ、そしてドラムの論田康平はカホンというアコースティックセット。青空の下、気持ちよさそうに船木が彼らのアンセム的楽曲‟僕らの星座”を歌い上げる。
そのまま、演奏が続くのかと思ったがおもむろに、今からロブスターのミュージックビデオを撮るとアナウンスされ、入れ替わるようにお立ち台に上がってきたのは、京都大学落語研究会に籍を置く漫才師、カシスちゃんぽんの須田聖司と坂崎光の二人。思いもよらない展開ではあったが、須田と板崎の絶妙な間と掛け合いに、周りからも笑いがこぼれる。なぜ、彼らがこの場に呼ばれたのかはイベント後にリリースされたこのMVを観て確かめてほしいのだが、この日感じた熱量がMVの一つのストーリーとして映像の中にも閉じ込められていた。
思いつきがカタチになる、自治という風土
日常と非日常をつなぐのは音楽だけではない。物理的にも寮と「幻野ステージ」周辺をつないでいるのが、駐車場側に単管で組まれた建造物だ。入り口から寮の建物に向かって階段上になっており、その先は寮の3階へとつながっている。一見すると飲食ブースの屋根のように見えるが、その一部は畳で、場所によってはちゃぶ台的なテーブルが置かれている。いつの間にか、人がその場所でくつろぎ出し、寮生がふらりと3階の窓側からこの階段をつたってイベントの様子を眺めていることもあった。
「みんなと話していく中で、この場所には畳を張って、靴を脱いでもらえるようにしようという話になったんです。本当に生活空間でやってるものなんだというのがもっと伝わればいいなと思いました」とこの通称“大階段”と呼ばれるこの建造物をつくった経緯をこのイベントの美術を担当したという局員が教えてくれた。さらに話を聞くと、門に施されたバリケード風のオブジェも、実は開催1日目の朝にある局員の思いつきによってつくられたという。
「去年、音楽祭やろうと思ってでっかい声出したら、イベントができた。だからこのイベントは、主体性というか、思いつきが反映される場所にしたいとずっと思ってたんです。やりたいと思ったことがすぐ実現できるのも自治の風土の一つだと思っているから」と局員の代表も話を続ける。
一つひとつは思いつきかもしれないが、主催者も参加者も、この場所を通り過ぎた者もこの場所を楽しむことで自然と自治という概念に触れるような構造のイベントになっているのかもしれない。彼の発言を聞きながらそんなことを思った。
自由に踊った先に、見えたもの
夕方を過ぎると〈熊野寮〉の門をくぐる人はさらに増え、普段この場所に足を踏み入れることはないだろう小さな親子連れの姿もあり、時に音楽に合わせて体を揺らしながら楽しげにライブを観ている。装飾を施されたライトが灯る頃には、年配の方、海外旅行客、周辺に住んでいる方も増え、学生が多かった昼間とはまた違った様相に。
そんな「幻野ステージ」のラストを飾ったのは京都発の4人組バンド、yoei。ラジオの話し声をイントロとして演奏に絡めながら、夏の夜に合うちょっとメロウな曲調の“街へ出よう”を歌う。緩やかな空気を纏いながらライブが進む中、福田宗一郎(Vo / Gt)が出演者の顔から急に、スタッフの顔に代わったのが4曲目の“深海魚”を歌い終わった後のこと。
「今、僕は修士2回生で、大学最後の年なんですけど、最後にこういうイベントに関われたこと、熊野寮と一緒にこんな素敵な空間をつくることができて、幸せです」とちょっと声をつまらせ涙目にながら話す。今日のために、みんなで踊れる曲にアレンジしてきたという“夏の散歩道”はリミックスされた特別なバージョンだ。夏の蜃気楼のようにとらえどころなく、サイケデリックさが深まっている気さえもする。福田が「みんな一緒に踊ってください」という発言はあったが、思い思いに音の波に体をまかせて揺れる様子は、ビートに踊らされるのではなく、自由に踊るというこのイベントにマッチするような風景であったように思えた。
彼はまっすぐに、熱い気持ちをぎゅっと握りしめたマイクに乗せて訴える。日常では、なかなかまっすぐに伝えられないことも、このような場があるからこそ、自由に自信を持って言葉にできるのだ。
そんなyoeiのステージが終わると流れてきたのは、オアシスの‟Don’t Look Back in Anger”。この楽曲をバックに、それまで観客としてステージを観ていた一人がステージに立つ。彼は1回生の時から〈熊野寮〉に住んでいるという京都大学の2回生で、このイベントの運営に関わっていた局員の一人だ。
「このいい空間はいろんな力があってできていると思いますが、その中でも〈熊野寮〉が自治寮として残されていることが重要なのではと思います。僕たちは“〈熊野寮〉がヤバくない”と主張をしたいわけではない。僕たちはこの自治に自信を持っているから、こういうことを続けている。どうか理解してほしい。僕たちは皆さんをお客さまとして迎えているわけではないし、僕たちもサービスを提供して運営しているわけではない。僕たちは同じ立場で一緒にこのお祭りをつくりたかったし、多少なりともつくれたと思っています。そういう輪がひろがって、この場所の理解者になってくれれば〈熊野寮〉はなくならない。皆さんにもここを守る一員となってほしい。どうかみなさん一緒に、よろしくお願いします」
一緒に“自由に踊る”を体現した、最後のステージ
「幻野ステージ」に渦巻いた熱量のバトンを場所を越えて受け取ったように、熱狂の大旋風が起こっていたのが「食堂ステージ」だ。ステージへつながるドアを開けると、サウナのような熱気が吹き出す。もうここが食堂だったなんて誰もわからないくらい、リアルにすし詰め状態のフロアの先にいたのは埼玉県からやって来たラップグループSUSHIBOYSだ。
neo yosikawaが操るドープなビートとキャッチーなメロディにのせて、繰り出されるFARMHOUSE、サンテナのラップ。「おに」、「ぎり」とコールレスポンスが巻き起こった‟おにぎり”、懐かしのオクラホマ・ミキサーのメロディと「オーマイガー」というワードに体が自然に動く“OMG”、そして彼らのお家芸ともいえる‟アヒルボート”ではビニールのアヒルが観客の頭上で風船のように流れていく。汗だくになりながらも真摯に観客に向き合う彼らの胸躍るパフォーマンスに、観客も心の底から楽しげに踊り、歌う。音楽だけじゃなく、想いが詰まった言葉で沸かせたのは「ラスト2曲」と前置きをし、観客へ向かって放たれたFARMHOUSEの言葉だ。
「“SANAGI”という曲をつくったときは人生の中でも底辺だった感じで、めちゃくちゃ蝶になりてぇと思ってつくったんですけど。この曲を、ここをオーガナイズしてくれた彼が受験勉強をする時に聴いて、受かって、心の支えにしてるって。俺がもがいてつくった曲が、誰かがもがいている時のエネルギーになっているから、今、サナギの奴らも、確実にもがいてるやつも絶対エナジーになっていくからサナギで行こう」
この日、この場所のために紡がれた言葉に、フロア上の人たちは声をあげ、ある人は拳を上げ、それぞれが思い思いに応える。沸点をとうに超えたフロアに耐え切れなかったのか、ラストに演奏された“DRUG”の最高潮に盛り上がった瞬間に水をさすように突如ビートが消えてしまう。そんなアクシデントもどこ吹く風で、フロアから生まれた手拍子というビートにのり、声音をさらに強め歌うFARMHOUSEの姿があった。“自らをもって由をなす”、それぞれの選択がこの祭りの最後のシーンをつくる。演者も観客もスタッフも一並びで、まさにこのイベントが目的とする、一緒に踊る場所をつくることを体現していたように思えた。
「僕は〈熊野寮〉に住んで3年目で、みんなに寮の魅力を知ってもらいたくてこのイベントを立ち上げました。今日はすごく楽しかったし、寮や自治のことを考えてくれたらうれしい。でも、楽しいと思うだけでは足りない。今年の『狂奏祭』を楽しむ、知るだけじゃなくて行動してほしい。みんなを動かすようなイベントを目指してやってきました。ただの音楽イベントじゃなくて、来てくれた人が自分の可能性に気が付けるような、自信が持てるような、そしてそのたびに何かを変えていけるようなものを僕たちはつくりたかったんです。
さっき「幻野ステージ」で最後に話した方と一緒にイベントをつくってきたんですけど、ステージで自分の言葉で寮の話をしてくれて感動しました。僕たちはこういうことがしたい。狂奏祭に関わってくれた人たちが寮のこと、自治のこと、自由のこと、音楽のこと、社会のことを考えて行動してくれる。こういうことをみんながするようになったら社会は、世界は、今日の『狂奏祭』みたいになると思わないか?寮のことじゃなくてもいい。それぞれの場所からみんなのコミュニティから、今はまだルールに縛られたり、人の目が気になったり、サナギみたいに動けないかもしれないけど、きっといつの日か、ルールからしがらみから権力から自由に飛び回れる蝶みたいになって、一緒に豊かな世界をつくっていきましょう」
そう、このイベントは一過性のものではない。そして、この自治寮を守るだけのものでもない。それぞれが、普段の生活ではあたり前にあると妄信し、口にすることも少ない“自由”について考える場なのだ。その後に、どのように行動するのかは自由。このイベントで感じた熱狂が、心の中の火種を灯したのなら、ぜひ行動をしてほしい。そうすることでそれぞれが自由に羽ばたける世界につながるのではないだろうか。
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WRITER
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奈良県出身。京都在住。この街で流れる音楽のことなどを書き留めたい。
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