INTERVIEW

『混ぜるな危険』- 香りに宿る、境界を揺るがす作用とは

言葉よりも早くて、意味よりも深い。香りは、理屈では届かない場所を確かに揺さぶり、その曖昧さから認知の境界線を滲ませてくれる。そんな香りのポテンシャルに魅せられ、プロジェクトチーム『混ぜるな危険』を立ち上げたのが‟主犯/ディレクター”である上村昂平(かみむらこうへい)だ。本職はグラフィックデザイナー。視覚のプロである彼が、なぜ香りという“目には見えないもの”に惹かれたのだろうか。今回は、このプロジェクトチームメンバーの一人として名を連ねるANTENNA編集長の堤大樹を聞き手にこの疑問に迫った。

OTHER 2025.07.30 Written By 乾 和代

混ぜるな危険

『混ぜるな危険』は、「香り」と接続してこなかった「何か」をつなげることで、これまで見えなかった価値や世界を提案するプロジェクトチーム。2019年、グラフィックデザイナー・上村昂平を中心に始動。これまでも、本と香りをつなぐ「読香文庫」や、香りを包丁に纏わせる「香る晩餐会」など、香りを軸に異なるジャンルや人々を“混ぜる”ことで新たな価値を生み出す活動を続けている。

香りがロジカルな思考を手放させてくれた

紅茶に浸したマドレーヌの香りが主人公のかつての記憶を呼び覚ましたのはプルースト効果の語源となった『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト著)。理科室に漂うラベンダーの香りが引き金になりタイムリープしたのは『時をかける少女』(筒井康隆著)の芳山和子。時に香りというものは、誰かの眠っていた意識を弾き出すトリガーになる。今回、話を伺った上村もその一人と言えるだろう。

 

この『混ぜるな危険』というプロジェクトで取り組むのは、「香り」という感覚が体験の中で一緒に語られることのなかった「何か」をつなげることで、これまで見えなかった価値や世界を提案する活動を各業界のプロたちと行っているプロジェクトチームである。なぜ彼は“香り”にこだわり、プロフェッショナルたちと共にこのような試みに挑むのか。まずはその出発点を、上村に尋ねた。

『混ぜるな危険』はどのようないきさつで始まったのか、改めて聞かせてもらってもいいかな?

上村

もともと香水が好きで、社会人になってから出会ったリキッド イマジネールの「フォルティス」という香水に衝撃を受けたのがきっかけでした。僕は建築学科の出身で、学生時代には理由やロジックを求められてきたんです。課題の度に、「なぜこの形を選んだのか」みたいに。なので、買い物一つとってもロジカルに考えなければと思っていたんですが、この香水を嗅いだ時は何も考えずに買い物をすることができたんです。あとで調べたら香りって実は調香師がロジカルに設計してつくっているとわかったものの、その時に「香り」はロジカルにつくっても感覚的な体験ができる面白いプロダクトだと気づきました。そんな「香り」の体験ができるイベントをしたいと思っていた時に、京都に〈LE SILLAGE〉という香水ショップができたんです。早速、ショップを訪ねてオーナーの米倉新平さんにお話をするとすぐに、「やりましょう」って言われて『混ぜるな危険』というプロジェクトにつながりました。

上村が衝撃を受けたリキッド イマジネールの「フォルティス」と同じく、ニッチフレグランス(小規模生産で、流通や流行に則った商品性より香りのユニークさを追求したもののこと)を取り扱う香りのプロ米倉新平との出会いは『混ぜるな危険』というプロジェクトを実現するための大きな推進力となった。

以前、上村くんは自分は香りに関してはアマチュアであると話していたよね。実際にプロジェクトを動かすためにはプロの力が必要だった?

上村

そうですね。ただ香りが好きなだけではイベントをしようと思っても何もできないから、新平さんという香りのプロに参加してもらいました。例えば、バラの花を例にとってもトゲトゲしいと感じる人もいれば、美しいと感じる人もいる。感じ方がさまざまなので確固たるベースがないと、いわゆる共感覚だけでやったイベントになってしまいます。だから、プロとして香水の歴史を含め香りのデータベースを持っている新平さんが必要だと思ったんです。

求めるのは “仕事では実現できない” クオリティ

香りの特性。それは、五感の中でも嗅覚だけが視覚や聴覚、触覚とは異なり視床という脳へ情報を送る“中継フィルター”を通らずに、海馬や扁桃体といった大脳辺縁系へ届くという点にある。だから意識よりも早く、記憶や感情を揺さぶるのだ。そんな香りの特性を生かし『混ぜるな危険』が最初に手掛けたイベントが「読香文庫(どっこうぶんこ)」だ。普段であれば目で文字を追い、本を手に取るかを判断するが、あえてタイトルや著者名といった情報を伏せて、香りを手掛かりに選書するという実験的な試みだった。

その後も、香りが敬遠されがちな日本料理の現場で、あえて包丁そのものに香りを纏わせて料理を振る舞う「香る晩餐会」など、香りを使って常識という視点をずらすようなプロジェクトを展開。最新の取り組みは、2025年6月にリリースされた『香幻郷(こうげんきょう)』。今回はイベントではなく、プロダクトとして画家の平井基さんとコラボした漫画作品が生まれた。香りという感覚を軸に『混ぜるな危険』の価値観を共有しあうためのものだという。

『混ぜるな危険』は取り扱うプロジェクトの幅がいつも広いと感じていて。上村くんに企画が生まれる瞬間って、どんな時なんだろう?

上村

香りにまつわるアイデアは常に溜めていて、それと結びつく人に出会った時に声をかけて始まることが多いですね。あるいは、相手から声をかけてもらい企画を一緒に考えることもあります。

プロジェクトを進める時に、メンバーとのやり取りにグループラインやSlack(スラック)、Discord(ディスコード)といった、チームでの情報共有や進行管理に使われるチャットツールを使っていないのもびっくりした。その理由はどこにあるの?

上村

『混ぜるな危険』は、メンバーが有志でやっているプロジェクトです。賃金が発生しないので、それぞれが仕事とは違う立ち位置で参加してくれています。仕事には、力の80%ぐらいしか出せないケースが誰しもにあると思っているんです。まして、チームになるといろいろな配慮も必要ですよね。基本的に『混ぜるな危険』のプロジェクトは伝言ゲーム形式で、一人のプロが次のプロにあえて難しいお題を渡していくんですが、そのバトンをどう受け取り、どのように解釈をするかが個性になっていくと考えています。だから、グループラインなどは使わずに「出てきたもの」でコミュニケーションをとるやり方を大切にしているんです。

今、上村くんが話してくれた戦い方は動物的だね。「私はいいものをつくるからそれを見てジャッジしてほしい」って、すごく野生的なスタンスだなって。人によっては少しハードルが高く感じることもありそう。そうした時に、アウトプットのクオリティはどんな基準で判断するの?

上村

一つは、モノとして“かっこいい”とか“美しい”と思えるかどうか。もう一つは、それを見たお客さんが楽しんでいる様子がイメージできるかどうかですね。バトン形式で制作が進んでいく時には、次の人のクリエイティブがジャンプできるようなアウトプットになっていることが大事なんです。たとえば、「バラの香り」に対して、安易に「赤色」というバトンを渡さない、みたいな感じで。その人のバックボーンからにじみ出る“血肉”で勝負してほしい。だからこそ、平均化されていたり、「正解」に寄せたようなアウトプットが出てきたときは、「これは違います」とはっきり伝えるようにしています。

会社ではなく、有志のチームでやっている意味はそこにあるんだ。

上村

そうですね。互いに忖度せず、自分の意識に正直に向き合える関係性が、このプロジェクトには必要だと思っています。ものすごく前時代的なことを今の時代にやっているとは思っています。でも、相手が誰であろうと「このクオリティではお客さんには出せないです」としっかりと伝えるのが自分の役割でもあって。だから、それを伝えるためにもあまり仲良くなりすぎないようにしているというのもありますね。

カウンターを創造するためのプロの意識とアマという立ち位置

嗅覚は五感の中でも最も原始的な感覚だと言われている。その香りを人間が生活の中に取り入れはじめた起源をたどると、その歴史は古い。最古の香りの使用例は、紀元前の古代メソポタミアやエジプト。神への供物として香を焚くこともあれば、絶世の美女と知られるエジプトのクレオパトラはバラの香油を使っていたという話もある。

 

日本はというと、中国を経由し、仏教とともに沈香や伽羅といった香木が伝来したとされている。平安時代には、貴族たちが香を焚いて衣に香りを移し、香りそのものを身だしなみや教養として楽しんだ。そして室町時代には、能や茶の湯と同じく、香りを分類し、静かに“聞く”芸道としての香道が育まれていく。しかし、現代の日本ではどうだろうか。

海外でも香りのイベントってあったりするのかな?

上村

ヨーロッパはあたり前のように多いですね。中東も強いと思います。

なぜ、香水は日本では発展しなかったんだろう。

上村

香道があったのに、今は消臭文化になっていますよね。僕はこれが香りの文化が発展しない原因なのではととらえています。そもそも日本では、父親や母親が香水を使っていない家庭が多い。ヨーロッパはあたり前に使っていて、子どもたちの触れられる場所にある。匂いに慣れ親しんでいるからこそ、香りを感じられるボキャブラリーが育まれると思うんですよね。

だから、なぜ香道が消臭という流れになったのかを研究したくて、日本の文化、歴史に基づいて学べる文化人類学のある大学院に行こうと思っているんです。今後、『混ぜるな危険』が海外に進出する時のヒントにもなる気がしているというのもあります。新平さんたちは香りを日本でも文化にしていかないとだめだと強く思って活動しているから、僕はその一端を担えればと思っています。

日本で今よりも香りの文化が根づいた世界を上村くんはどんな風に想像してるの?

上村

大学の時に『ミラノサローネ』という家具の見本市に出させてもらう機会があって、僕のつくった作品にあるマダムがすごく適格な指摘をしてくれたんです。きっとすごい人なんだろうと思って声をかけたら「ただの主婦よ」と言われたのが僕の中で衝撃でした。一般の主婦の方がデザインに対して意見を言える環境にあるんだって。よりよい方向に進むために議論できるような知見や経験がある状態が、一つの文化になったと言えるのかなとは思っていて。少なからず、「これはなんの匂い?」と聞いた時に、「柑橘の匂い」だけじゃなくて、「雨の時にあの家の花壇を通った時の香り」と言えるくらい、抽象的で、具体的な返答がでてくるようになったら豊かになったと思います。

 

でも、僕の役割は香りの文化をつくることではないと思っています。もちろん文化をつくりたいと思っているけど、どこまでいっても、僕は調香師でも、香水ショップのオーナーでもない。僕がつくっているのは、香りを楽しむきっかけをつくるチームなんです。

上村くんの自身のアマチュアリズムの意識はどこからきているんだろう。

上村

香りの業界の人と話す機会があって、圧倒的な知識と経験の差を感じています。あとはアマでいないと、言い換えればこの業界に浸かってしまうとできないことが多すぎると思っているんです。イベントとしてある程度のタブーを犯しているチームではあるので、「僕、知らないけどお願いします」くらいの感覚でいたいですね。

アマチュアの意識を持ちながら、プロと渡り合うって大変だよね。コラボレーションする人を見極めるバランス感覚も上村くんの強みなんじゃないかと思っていて、その目利き力はどのように養ってる?

上村

そもそもでもありますが、ミーハーであろうと思っています。『混ぜるな危険』の場合は、コラボレーターが毎回変わるのでそのジャンルにおいて、もう一回、一から学ぶことができるんですよ。そこで、こちらがこだわりを持ったとしても、ミーハー性はある程度担保できているなと感じていますね。

今後の話になるんだけど、『混ぜるな危険』がプロジェクトとして継続していくために、ある種会社のような形態に近づいていく可能性はあるのかな?

上村

今は収益が発生していないからこのバイブスのやり方が通用している部分が正直ありますね。お金が発生したときに良くも悪くもチーム体制が大きく変わってしまうと思っているんで、その時にどうなるかはまだ見えていないというのが正直なところです。収益構造をつくらず存続するやり方ができれば一番いいと思っていますが、収益的にみんながうるおうような、なにか違うやり方を模索したいし、それが『混ぜるな危険』みたいなクリエイティブチームで実例を示せたら、社会的にもいいものになるのではと思っています。

この日のインタビューで、お互いにものづくりの現場に身を置きながらも共にアマチュアであると口にしていたことが印象的だった上村と堤。そんな二人の会話をきっかけに、筆者の耳にふと蘇ってきたのが居酒屋で飲んでいた時に友人のデザイナーがふとつぶやいたこんな言葉だ。

 

「昔はどんな仕事をしていても、対価に関わらず納得のいくクリエティブを作ろうと思っていたが、今はその仕事に対する対価との折り合いを会社から求められる」

 

プロでありながらもその姿勢が揺らぐ今だからこそ、上村は香りというツールを使いプロとアマの境界線を揺らがせて本能的に姿勢を正そうとしているのかもしれない。『混ぜるな危険』が放つ香りに何を感じるか、それが今問われている。

上村昂平

大阪生まれ。大学では建築を学び、卒業後はグラフィックやブランディングをメインとする会社に勤める。そこではチーフデザイナー兼ディレクターとして数多くのプロジェクトを担当。退社後はデザインからディレクションに特化した仕事をしたいと思い、KUUMAに入社。2019年にデザイン会社「六景株式会社」、そして香りに関するプロジェクトチーム「混ぜるな危険」を立ち上げる。混ぜるな危険は「香り」と接続してこなかった「何か」を繋げる企画をメインに行っている。

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