よそ者がつなげた京都のシーン ‐ 折坂悠太と重奏 –
いろいろな場所で、多種多様な音楽が流れる京都の街。豊かな音楽文化を育む反面、どこか「いちげんさんお断り」の精神にも通じる、気心が知れた仲間内だけに閉じてしまうような風潮もある。そんなこの街で、独自の音楽性を磨き活躍してきたのが、ギタリストの山内弘太、鍵盤奏者のyatchi、ドラマーのsenoo ricky、コントラバス奏者の宮田あずみの4人。最初から一緒に音楽を奏でていたかのようにステージでは息の合う彼らだが、「重奏」というカタチで彼らの音を重ねたのは“よそ者” である折坂悠太だった。
「今の重奏メンバーも知り合い同士だったけれど一緒にやる機会はなかった人たちで、その中によそ者の僕が来て一緒にやりましょうと言っても嫌がられるかもと覚悟していました。でも意外と彼らが新鮮に感じてくれたらしく、結果的に関西圏の人たちに交流が生まれたのはうれしかったですね。」
あるインタビュー(※1)で重奏について尋ねられ、そう話す折坂悠太。東京でも2016年からyoji & his ghost bandの寺田燿児らと共に「合奏」という形態で音を奏でていたが“なぜ”彼はここ京都で自身の音を重ねることを選んだのか。まずは、彼とも縁のある京都木屋町のライブハウス〈UrBANGUILD〉にて、重奏のメンバーに結成のきっかけについて話を聞いた。
きっかけはここから、「重奏」をスタートさせた 〈UrBANGUILD〉
皆さんは、重奏のメンバーになる前から対バンなどでお互いに顔を合わせる機会が多かったんでしょうか。
顔を合わせる程度のことはありました。
yatchiさんには僕がやっていたバンドquaeruの音源で1回演奏してもらったことがあったけど、rickyさんと実はそんなに関わりがなかったです。
yatchiさんとは、吉田省念くんのバックで一緒に演奏した時期があったけど、それこそこの4人で音を一緒に出すっていうのはなかった。最初に折坂くんに会ったのは「山うっちゃん」ですよね。
〈UrBANGUILD〉で当時、quaeruの企画ライブをやっていて、東京から来た井手健介さんに「もう一人面白い子がいるから入れてくれへん?」て言われて来たのが折坂くん。2015年ぐらいかな。彼がリハーサルのためにここに来たら、僕らのバンドがリハーサルしていて、でっかい音でギターが鳴っていることに感動したみたいで。今でも、たまに折坂くんがMCで「その時の(山内の)ギターの音が焼きサバみたいでした」ってしゃべったりしています。たぶん、前日にグループLINEで俺が焼きサバの写真を送ったんですよ。それが原因じゃないかな(笑)。僕の出会いはそんな感じでした。
僕は多分、2016年。折坂くんが『たむけ』を出したツアーでyojiくん(yoji & his ghost band)が「〈ゆすらご〉でツアーするから、対バンで出てくれないか?」って。その時yojiくんと折坂くんが家に来た。
俺は2017年かな。YOK.のサポートで行った〈静岡市民文化会館〉でのイベントでライブを見て、噂は聞いたけどすごいなって。その時に僕のソロ音源を「折坂悠太(合奏)」でピアノをしていた飯島さんに渡していて。それを折坂くんが聴いてくれて、後々声がかかるみたいな。
重奏のメンバーはどういう流れで決まったんでしょうか?
最初はワカさん経由で……。quaeruのボーカルをしていたのが、若松ヨウジンっていって「ワカさん」って呼ばれてるんですけど、彼と俺が折坂くんとめっちゃ仲良くなって、折坂くんが京都に来るたびに3人で飲みに行ったりしていました。それで、折坂くんがワカさんにいろいろと音楽の相談をしてたみたいで……。
(折坂さんから)「ワカさんに相談してます」っていう連絡は僕のところに来て、それから「ウッドベースとドラムを探してます。誰かいい人いませんか?」て言われて、rickyのことを話したら、「rickyさんは、いろんなところから聞いています」って(笑)。それから折坂くんから「あずみさんって知ってますか?」って聞かれたという……。
宮田さんは、重奏のメンバーになるまでに折坂さんに会ったことは?
ないです。quaeruと対バンしていたりしたので、ワカさん経由ですね。
俺だけ重奏に入るのが、後だったんですよ。重奏としての一番最初のライブは、この3人をバックに折坂くんが〈UrBANGUILD〉でやったシークレットライブ。僕はお客さんとして観ていた。
実は、オフィシャルの重奏の初ライブは2019年にあったイベント『うたのゆくえ』なんです。そのライブに向けて京都に集まってリハーサルをしていたんですが、イベントの数日前に〈UrBANGUILD〉でyatchiさんのソロライブがあったから2曲ぐらい重奏編成の折坂くんのライブをねじ込んで(笑)。『うたのゆくえ』のライブ後に中華料理〈龍門〉であった打ち上げで「もう一人、ギターが欲しいな」って話が出たから「そりゃ、山内くんがいいんじゃないか」という話になり、次の梅田〈Shangri-La〉であった『折坂悠太Oneman Live 2019』のライブから山うっちゃんも入ることに(笑)
重奏の初ライブ当日の模様は上記レポートでもご覧いただけます。
外から見た京都、 内から見た京都
「京都には音楽の豊かな土壌がありますが、他の地域よりも閉じた部分もあって、そこが面白くもあり難しいとも感じていました」
これも、とあるインタビュー(※1)での折坂悠太のコメントだ。鳥取生まれ、幼少期をロシアやイランで過ごした後、千葉に移住した折坂が感じた京都の印象である。では実際に、京都で音楽活動を続けてきた重奏メンバーにはこの街のことがどのように映っていたのだろうか。
音楽活動をして感じる、京都特有の部分ってありますか?
どちらかというと、僕らの世代的に京都はアートとカルチャー寄りで、バンドが商業的なビジネスとは縁遠い印象がありました。だからこそ土地柄として、ミュージシャン同士がつながりやすいという傾向はあるかもしれません。
ちゃんと知り合ったら、実は以前から顔は知っていた、みたいなつながりはあったかも。昔から「京都は狭い」って言われていたけど、それを実感した時期もありました。
実際、大阪と比べても京都は狭い。
京都自体、独特の人が多いから飽きないというのもあるけど、外からもそんな京都めがけて面白い人が来るから、ここにいたからこそ出会えた人っていますよね。〈UrBANGUILD〉は面白いなと思います。私は個人的に大好きです。
どういうところが?
個人的にすごくツボだということしか言えない(笑)。音楽に限らずいろんな要素を持っていると思うんです。その中でいろんなミュージシャンとも共演できたりとか。もちろん、ほかにもそういう街はたくさんあるとは思うんですけど……。
では、京都だからできたことはありましたか?
「重奏」に入る前からソロライブをしていたんですが、特に〈UrBANGUILD〉あと〈SOCRATES〉っていうライブハウスは海外のアーティストとブッキングしてもらうことが多くて……。そこで海外のアーティストとつながりができて、僕も海外に行ったりしました。逆に彼らが来日する際に、僕が京都在住ということもありツアー先に選んでくれることが多かったです。観光地というのもあって、自転車でいろんなところに行けるし、ツアーアーティストと普段の京都を一緒に楽しむことができるので、案内しやすかったのは京都ならではだなとは思いました。
私は地元が大分なので、京都にいなかったら音楽活動をしていなかったかも……。
いつから京都にいらっしゃったんでしょうか。
学生の時から。
僕もあずみちゃんに近いかもしれないけど、大学生の時に京都に来て、音楽サークルに入って出会ったメンバーでムーズムズっていうバンドをやっているんです。僕、神戸出身なんですけど、正直、京都で彼らに出会わなかったら、そもそも音楽はやっていなかった。
鍵盤は、小さいころから習っていたのではなく?
音楽サークルに入って、ピアノやってみようという感じで(笑)。わりと今している音楽活動は全部京都でやっているから、極論を言っちゃうと神戸だったらやっていなかったんじゃないかな。
私も主体的ではないのですが、「音楽を続けるのが無理かも」ってなると、なぜか面白そうな話が来ちゃうから辞めるタイミングがなくって(笑)
それ、分かる。40歳になってようやく客観視できたんですけど、京都は他の街に比べてだいぶと特殊ってことが分かって。音楽する上での土壌みたいなものが深く堆積して続いている、というか。折坂くんが最初に京都に来て衝撃を受けたのは、その一端もあったのかなと思います。そこが東京とは全然違う。特にここ〈UrBANGUILD〉は。
どう違うんでしょうか。
売れようとしている人たちが出るところじゃないというか……。もちろん、そういう人もいるかもしれませんが。音楽にビジネスを求めることがそもそも少ない街やったので、「こうやったら売れるぞ」みたいな人が少ないんですよ。だからネガティブに考えずに、ノーリスクノーリターンで京都で音楽すること、好きなことを続けられる。生活しながら音楽を続けられる規模で場所があって、文化として面白いものがずっと残りやすい。その代わり売れることも少ないですが(笑)
変わらない個性が、重奏の響きを生み出す
最近、折坂悠太が重奏のライブで演奏しているという“心”。この曲について彼は別のインタビュー(※2)で次のように話している。
「“心”に関していえば、おそらく重奏のメンバーからの影響も強いと思います。あの人たちが京都で取り組んでいる即興演奏のニュアンスであるとか、一つの歌の中に相反するものがバラバラと入っている」
では、重奏のメンバーにはどのような変化があったのだろうか。
重奏をするようになって、プレイヤーとして変化はありましたか。
生楽器と一緒にガッツリやるのは、あんまりなかったのですごく変わった。歌や生楽器は余韻や響きも大事だけど、自分のプレイスタイルはそれらをうち消すようなことにもなりがちなので、他の楽器の特性を以前より考えるようになりましたね。これは自分のさまざまな演奏に反映されたなと思いました。あとスタジオなどでアレンジする際に、折坂くんが「ここは山内さんのギターなしの方がいいかも」などという采配は、自分からは出てこない感覚も多く新鮮で影響を受けたりしてます。
大勢の人に見られるから「俺がドラムした方が絶対いいやん」っていう人が出てくるかもしれへん、怖くて練習しようかなって思って、「練習します」って言ったら「練習しなくていい」って言われたんです(笑)
折坂さんにですか?
いや、山本精一さんに(笑)。でも、折坂くんもそれでいいって言うんです。「みんなが100点出さなくてもいいよ。それがいいんです」って感じのことを言っていました。
その時々で自分のプレイスタイルを変えたりするんでしょうか?
みんなそこそこいい歳なので、影響は受けているんですけど、プレイ的には変わったつもりはないかな。折坂くんは折坂くんでふわっと合わせられるし。
元々みんなそれぞれ個性的な人たちが集まって重奏をやってて。(折坂くんより)自分たちの方が音楽活動も長いし。
いい音は出そうとしているけど、そんな目新しいことをやっている自負もなければ、意識もない。ここ〈UrBANGUILD〉でやっていますよぐらいの感じで、全国で演奏する感じになる。例えていうと、僕らって荒神口の鴨川河川敷でやってる軟式野球みたいなもんなんですよ。折坂くんに「一緒にチームやりませんか」って言われたら硬式やし、東京ドームやしみたいな(笑)。「俺ら草野球チームやけど、いいの?」みたいな気持ちはどっかでずっとあるんですよ(笑)
できることをやっているという。みんなそうでしょうけど、僕もそれでしかないから。
みんなだいぶ大人やからな。10年前やったらもうちょっと違っていたかも(笑)
最後に、これは折坂が次回のアルバムについてインタビュー(※3)された時の発言である。
「2019年から京都のミュージシャンたちと「重奏」編成をやっているんですが、最近僕がいない時に京都で重奏メンバーに、quaeruの若松ヨウジンさんが入って演奏することもあるんですよね。客観的に見ていてそれがすごくよくって、今このバンドにどんどん引かれていってます。まだ彼らと作品をつくれていないので、彼らの良さを最大限に引き出しながら、自分を反映させるようなものをやりたいですね」
存在が近すぎるあまり、交じり合うことがなかった4つの音色たち。それが、“よそ者”によって重なり京都でも音を奏でている。そんな“よそ者”によって新たに紡がれる音楽シーンが京都の音楽文化を豊かに耕していくのだ。
※1 高山敦,〝みんなが日常を愛せればいい〞シンガーソングライター折坂悠太の根底,WWDJAPAN,2020年1月8日,https://www.wwdjapan.com/articles/1000839 (参照 2021年9月6日)
※2 大石始,折坂悠太の歌の現在 J-POPと「生活の歌」を共存させる戦いを経て、CINRA.NET,2021年3月11日,https://www.cinra.net/interview/202103-
orisakayuta_ymmts?page=2 (参照 2021年9月6日)
※3 峯大貴,さまざまな苦しみや思想を超えてーー折坂悠太の『朝顔』に宿る、「願い」の本質,2021年4月2日,https://tokion.jp/2021/04/02/asagao-byyuta-
orisaka/ (参照 2021年9月6日)
折坂悠太と重奏
鳥取生まれ、千葉県出身のシンガーソングライターである折坂悠太が京都を訪れたことをきっかけに、2019年に誕生したバンドが重奏である。メンバーは山内弘太(Gt)、yatchi(Key)、senoo ricky(Dr)、宮田あずみ(Cb)という京都を拠点に音楽活動をしている4人。2021年10月6日にリリースされた折坂悠太のアルバム『心理』は重奏メンバーを中心にレコーディングされた。
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重奏メンバーの音の魅力
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奈良県出身。京都在住。この街で流れる音楽のことなどを書き留めたい。
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