やるなら、より面白い方へ。おとぼけビ~バ~が語る、いままでの私たちと、そこから始まるシーズン2。
人は保守的になる生き物だ。理想と現実の生活を天秤にかけたとき、今の生活を大きく変化させることを考えると、理想に踏み込むのを躊躇してしまう人は多いだろう。でも「それで満足か?」と問われればそうではないし、数年後に「あの時、決断しておけば」と後悔するのは目に見えて明らか。しかし、いざ理想を選ぶと、たどり着くまでに様々な困難や悩みを抱えるのも事実である。理想と現実、アンビバレントに揺れ動く人が多いなか、おとぼけビ~バ~は自らの理想へ突き進む。
京都出身のバンドで2017年のフジロックではROOKIE A GO-GOに選ばれ、昨年には配信シングルとしてリリースされた”あなたわたし抱いたあとよめのめし”はSpotifyの日本でのバイラル(人気)チャートで1位になった。また世界最大級の野外音楽フェスであるコーチェラ・フェスティバルでは日本からX JAPANとともに出演。今年もアメリカのサウス・バイ・サウスウエスト・ミュージック(以下、SXSW)に出演し、ゴールデンウイークにはUKツアーを行うなど日本のみならず、海外での活動も精力的に行っている。
今回は彼女たちの最新アルバム『いてこまヒッツ』が発売するタイミングで、インタビューを敢行。結成当初の話から、楽曲制作、そして”シーズン2”である、今のおとぼけビ~バ~についてなど、赤裸々に語ってくれた。バンドとして「今が一番愛がある感じ」と語る、彼女達のインタビューは理想へ踏み出しきれない人への一助になるはずだ。
(大学時代は)色物扱いされていたとは思います。クスクス笑われたりもしたし。
まず結成の経緯から聞かせていただけますか?
結成のきっかけは大学のサークルですね。私たち立命館大学のロックコミューンという軽音サークルにいたのですが、そこは部員が50人くらいいて、女の子の割合が少なかったんです。同期の女の子が私たち4人しかいなくて、私たちは男の子と組むようなタイプではなかったので、自然にその4人で組みました。
それで私がメインで曲を書くようになってきました。最初はいろいろポップな曲とか、バラードのような曲とか、やってたんです。でも一番楽しかったのが、早いうるさい曲だったので。
「楽しかったのが、早くてうるさい曲」なのは、何かしらの影響はありますか。
なんだろう……。みんな服装も違えば、好きな音楽も違う感じだったし。ただ共通項として、4人とも関西ゼロ世代(あふりらんぽ、オシリペンペンズなど)が好きやったのはあります。私はゆらゆら帝国が好きで、そのライヴに一緒に出ていたのがゼロ世代のバンドたちで、それを見た時に衝撃を受けましたね。それにまわりもムーブメントみたいになっていたので、必然的に聴かざるをえないような状況だったんです。
結成当初、関西ゼロ世代を意識して楽曲制作を行っていましたか?
いえ。模倣していると思われがちだったので、逆に当時は「言われたらいややな」と思いつつやっていました。今は別にいいですけど。
そもそも模倣もなにも、全員楽器初心者やったんで。とりあえず鳴らして、とりあえず叩いて、でしか演奏できなかったんですよね。
バンド結成時は皆さん初心者だったんですか。
そうです。私は父親がギターをやっていたので、幼い時にイヤイヤ練習させられてましたが、5歳ごろにホンマに嫌になりやめたんですよ。「一生弾きたくない」と思っていたんですが、大学入って曲書くことになったんで、また始めた感じです。
楽器初心者の4人組が大学バンドを始めたころから、コーチェラのステージに立つというのは夢がありますね。ネットでは、バンド結成後サークル内で馴染めず、外でライヴ活動をやり始めた、と書いてありましたが学生時代はどのように活動されていたんでしょうか?
サークルの音楽性が合わなくて。当時の京都は「エモとハードコアが至上」みたいな男の人が多い印象で、その中で、トリッキーな恰好をした私たちはずっと浮いていた感じでしたね。多分ロックコミューンにいた先輩たちは、私たちにナンバーガールの田淵ひさ子さんみたいな「クールで、エモーショナルな」女性アーティストを求めていたんだと思います。
色物扱いされていたとは思います。クスクス笑われたりもしたし。全体的には嫌な思い出しかないですが、鍛えられたし、応援してくれる先輩もいたので今では感謝してます。
そんな状況の中で外に向かう原動力って、一体なんだったんですか?
大学以外の世界を知りたい欲求はありましたね。
ロックコミューンとかじゃなくて、外に出て「ダサい」と言われたら仕方がないと思ったんです。だから色んなライヴハウスに出てみようと。でもライヴハウスによって、いろいろ言われましたよ。メチャクチャ褒められたこともありましたし、「しょうもない!」と言われたこともあります。
「どこかのガールズバンドみたいだよな」と言われたこともありますし、「おまえら、挨拶しなかったよな」と怒られたり(笑)。
「ずれたら死ぬ」と思いながらやっている。
おとぼけビ~バ~と言えばステージでの過激なパフォーマンスも話題ですよね。
そうですけど、別に「暴れようぜ」みたいなことは狙っていなくて、ライヴの動きは各々に任せています。
ひろちゃんさんはパフォーマンスについてはどんなこと考えていますか。
私は元々(おとぼけビ〜バ〜が)好きだったんで、自分の中でのおとぼけビ~バ~像もありながらやっていて。ただ頭の中で冷静な部分もあって、ライヴ中にぶつかりそうになったら「あ、今は避けないと」とか、「今はわたしが前に出るターンじゃないな」、みたいな意識はあります。
かほキッスさんはライブ中はどんなことを考えていますか。
ドラムとしてライヴに出ると、水泳の潜水みたいな集中できるので、凄く楽しくやっています。もう「ずれたら死ぬな」みたいな感じで。
リズム隊がしっかり支えてくれるから、ふざけられるんですけどね。最近はおとぼけビ~バ~も絆も深まって、いい意味で悪乗り感が出始めてきたような気がします。急に変拍子になり「何それ!こんなんできへん!」と笑いながらやっていたり。結構ふざけながらやってますね。
今は悪ガキがタッグを組んでいるような感じなので。私らが悪ふざけしてるのを「こういう事したいんやろ。わかるわ」とメンバーが忖度しながら、やっている感じですね。
ついこの間、あっこさんから「一番(ドラムで)しんどいのってなに?」と聞かれたんです。
なんでまた。
私今、スランプなんですよ。曲書けないから「リズム隊のしんどい姿を見たら、生まれてくるものがあるかなと」と思い、ベースとドラムに言ったんですよ。
最近のおとぼけの楽曲は、ポストロックのように拍子がコロコロと変わるものが多いですよね。
それは私が飽き性で、色んなリズムを入れたいだけなので。
同じリズムが続いてカッコいいバンドは沢山いるけど、私たちは同じリズムが続くと不安になって「なんかアクセントでも入れた方が良いかな」とか思うんですよね。
(同じリズムが続く楽曲を)聴くのは好きですが、自分たちがやるとあまり面白くないんですよ。ただ曲が出来て、あまりに展開が多すぎて、それで飽きることはあります。「もう、めんどくさいなー。お腹いっぱいやで」と(笑)
それで展開が一気になくなることがあるからね(笑)
あんなに練習したのに、あっこちゃんが「なんかダサいから、やっぱやめよう」でなくなるからね。
リスナー的な感覚を持ちながら楽曲制作を行っている、ということですか?
まあ観客のことを気にしているというよりひねくれてる感じですかね。だから観客が「ノリだしたら、終わらせよう」「もっと聴きたいときに、終わらせよう」とは思っています。「私が飽きたから」という感じで。あと曲を長くするのも嫌いですね。
なぜですか。
単純に自分が気持ちいいところで終わりたいんです。それに私たちの曲って情報量が多いんで、あんまりダラダラやると一曲の密度が薄くなるので。
「生きるために、音楽をしたかったんだ」と、その時に思ったんです。
新作『いてこまヒッツ』の話もお伺いさせてください。今回の作品は2016年以降の楽曲を集めた感じにはなっていますが、いつ頃から作成し始めましたか。
一昨年のツアーで“あなたわたし抱いたあとのよめのめし”1曲しか作れてなくて。それで「来年はアルバム出そう」と思い、新曲を貯めてアルバム作った感じです。わたし的には“あきまへんか”以降の曲が自信作なので、ほぼベストアルバムみたいな感じで考えています。とりあえず「どれ聴いたらいい」と言われたら、迷わずこれと出せるやつを作りたい。そういう意味でのヒッツと名づけました。
“あきまへんか”は2019年バージョンとして収録されていますね。
前の“あきまへんか”はテンポが遅かったんですよ。自分たちの技術不足もあったのですが、ある程度スキルもついてきたし、自分が聴いて「気持ちのいい理想の速さに出来る」と思い、収録しました。ただ“あきまへんか”が出来たのは本当に謎で、どういう風に作ったのか全く思い出せなくて。でもバンドの方向性を決めた曲だとは思います。
どういうことですか?
全員大学卒業して、よしえちゃんは東京に就職して、ほかのメンバー3人だけでやっていたんです。そこでベースが辞めることになって。活動休止が1年くらいあり、その頃に“あきまへんか”を作ったんです。
その時に仕事が忙しすぎて、私生活もメッタメタで、おとぼけの活動も一切見てなかったんです。メンバーから送られるメールも全然読んでいなかったし。それで、たまたま休みの日にメールを見たら、一番上にファイルが届いてて。「新しい曲ができました」とメッセージがあり、聴いたらめちゃくちゃカッコよくて。そこで「めっちゃ良いやん。聴いたよ」とメッセージ返したんです。
そこからまた生活がバタバタになり、気持ちが落ち込んでしまったりもして。それでたまたまひさしぶりに丸一日休みがとれたとき、タイミングよくあっこちゃんから電話が来たんです。いままで連絡を無視していたから「ごめん連絡取れてなくて」と言ったら、ボロ泣きの怒りにも似たような口調で「バンドやりたい!」と言われて。そこで「うちも思っててん!」その場で言って。そこから仕事を辞めて、バンドに集中しようと思ったんです。
バンドができないのがつらすぎて自暴自棄になって、トイレでパック焼酎を吐きながら飲んでもうアカン、助けてくれってなって電話しました(笑)
それまでよしえちゃんはおとぼけビ~バ~を、重要視してなかったと思うんです。大学の頃も作った曲に「かっこいい」とか反応してくれなかったし。だから“あきまへんか”を初めてめっちゃ褒めてくれて、それが凄く嬉しかったんです。
やっぱり私がやりたかったのは仕事じゃなかった。「生きるために、音楽をしたかったんだ」と、その時に思ったんです。そこで意識が共有できて、ようやく初めてバンドの方向性が定まったと思います。
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「私の曲に共感したらヤバいで」とは思っています
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関西インディーズの水先案内人。音楽ライターとして関西のインディーズバンドを中心にレビューやインタビュー、コラムを書いたりしてます。
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