僕のEasycomeから、僕らのEasycomeへ – 無理をせず、楽しみ作った最新アルバムについて語る –
Easycomeというバンドがいる。2015年に結成された、大阪出身の4人組バンドである。彼等に出会ったのは3年近く前のこと。小さなライヴハウスで、まばらな観客の前で歌っていた彼らを観て、そのシンプルな楽曲構成とヴォーカルちーかま (Vo / Gt)の瑞々しい歌声に虜になった僕は幾度となくライヴを観に行った。2ndミニ・アルバム『お天気でした』をリリースした際には、ki-ftでインタビューもした。彼らにとって初めてのインタビューであったこともあり、最初は緊張しギクシャクと話は進んでいったが、終盤になるにつれて笑みがこぼれ、和気藹々とした空気で終えた記憶が今も忘れられない。
そして月日は流れて2019年。前作リリース以降はjohnny(Dr)も加入し、メディアでの露出も多くなってきた。関西の秋の風物詩イベントMINAMI WHEELでは入場規制もかかり、普段のライヴでも彼ら目当ての観客も増えてきている。そんな中で満を持して7月に1stフル・アルバム『Easycome』がリリースされた。本作はタワーレコードが話題になる前のアーティストをいち早くピックアップする名物企画<タワレコメン>にも選ばれており、それまでのシャムキャッツやYogee New Wavesといった東京インディーと呼応するサウンドから60~70年代のルーツ・ミュージックやR&Bが主軸のサウンドに変貌を遂げた、Easycomeの新しい一面が垣間見える作品となった。
今回のインタビューでは本作『Easycome』でサウンドが変化した理由や、前作のリリース以降に加入したjohnnyからの影響。そしてちーかまの歌への向き合い方や、無理をせず活動を続ける重要性について話を聴いた。このインタビューから「Easycomeはどういうバンドなのか」を少しでも分かっていただけたら幸いだ。この文章を今、そして未来のEasycomeファンとなるであろう、あなたに捧げる。
同じジャンルの音楽を同じタイミングで、同じ熱度で聴いて、それが活かされたアルバムが『Easycome』だと思います
前作『お天気でした』から2年を経て新譜リリースとなりました。この間でEasycomeにはjohnnyさんが加入しましたね。
『お天気でした』をリリースする直前に前のドラムが脱退して、サポートを探さないと活動できない状態だったんです。johnnyさんはkojipullバンドとして対バンはしたけど、その時は挨拶ぐらいで。でもなんとなく「優しそうで、いい感じな人やな」と思って、サポートをお願いしました。
johnny:ある日突然ちーかまから「ドラムのサポートをお願いします」とTwitterのダイレクトメールが来て。ビックリしたんですけど、元々Easycomeの楽曲が好きだったので、ぜひ叩きたいとすぐに返事をしました。
最初のうちは「次のドラムのメンバーが来るまでのサポート」としてお願いしていたのですが、メンバーとも趣味、意見がすごく合って。本当はすぐに正式なメンバーとして迎えても良かったですが「johnnyさんはメンバーになりたいかな?」と伺っていました。
johnny:僕も「本当にメンバーに入って良いのかな?」と思っていました。結果考えが同じということがわかって半年後に正式メンバーとなった流れです。
サポートなのに『つつじ』のMVにも出演していたし、今回のアルバムの曲作りも一緒に始めていたし。正式に加入する前から既にサポート以上のことをしてもらっていましたね(笑)。
Easycomeは作詞、作曲を落合さんがやっているわけだけど、johnnyさんが入ってサウンドは変化しましたか?
音作りに関しては全員で考えることが多くなりました。johnnyさんが加入してから「スネアの音はどうしたらいい?」とか意見を求められることが多くなったんです。その内にドラムの音作り以外のパートにも「この音源のこんな感じの音を取り入れたい」と話すことが多くなって。
落合もそれまでドラムの音に対して、こだわりはなかったんですが、今回は「こんなドラムがいい!」とか言いだして。
johnny:「聴いて下さい!THE BANDのリヴォン・ヘルムがやりそうなドラムです」ってドラムを叩いている動画を見せられましたね(笑)。
ははは(笑)。
johnny:ただ落合にもドラムに関しての意識は明確にあることが分かったので“Caravan”では、リヴォン・ヘルムのドラムの叩き方を尊重しました。
あとはメンバー全員で音楽を深掘りするようになったのもjohnnyさんが入ってから多くなりました。『お天気でした』をリリースして以降、ティン・パン・アレーやはっぴいえんどを改めて聴いたり、鈴木茂さんの自伝を読んだりして。そこで鈴木茂さんやはっぴいえんど界隈が影響を受けた音楽を聴き始めて、ジェームス・テイラーやザ・バンド、アレサ・フランクリンなどを聴き始めました。それでjohnnyさんに薦めたら「それが好きなら、これはどう?」と逆に紹介してくれたりして、好きな音楽を共有することが増えました。
前作がシャムキャッツやYogee New Wavesなどの東京のインディーを目指したアルバムに対して、本作は作品全体を通して、60年代から70年代のルーツ・ミュージックやR&Bを彷彿とされるサウンドなのはそういう深掘りの影響からですか。
多分そうですね。
johnny:最初は新しく加入したのに「自分の好きな音楽がEasycomeの曲作りに影響を与えてはいけない」と思って、好きな音楽を共有するのを抑えていたんです。でも落合が「これ最高です」と持ってくるのが自分も好きな音楽だったんで「じゃあ、全員で音楽をどんどん深掘りしていこうか」となりましたね。
それに『お天気でした』をリリースして以降、AppleMusicに入ったんです。最初は「CDの方が好きやし…」と思っていて。だけど落合がAppleMusicをやり始めたら音楽を掘り下げるスピードが凄くて。暇さえあったら音楽を聴いていて、会うたびに違う音楽をすすめられるし。それが全部最高で。
アルバムを出すまでの2年間は「音楽楽しいな」と思って、色々掘っていましたね。
私は客観的にその光景を観ていたんですが、特に私以外の3人が同じジャンルの音楽を同じタイミングで、同じ熱度で聴いてて、それがサウンドとして活かされたアルバムが『Easycome』なのかなと思います。
(今回のアルバム)やっていることがおじさん臭いんです。多分かなり攻めてるアルバムだと思います。
リリースが空いてた2年間はまるまるアルバム制作にあてていたのでしょうか?
最初の1年は“旅気候”と“想い出にさよなら”の2曲しか出来なかったのと、『お天気でした』をリリースしたことでライヴに誘って頂くことも増えたので、ライヴに徹してたんです。
でも「もう流石に曲を作らないとヤバいし、先にスタジオ予約しちゃおう」という流れになって。去年の10月から3月までスタジオを予約して、その期間に合わせて曲を作っていきました。今回アルバムを作って、初めて「レコーディング日程を決めないと、僕たちは出来ない」と思いました(笑)。
あと数日しかレコーディングに割ける時間がないのに、まだ全くアレンジが完成していない曲があって「10曲予定だけど、9曲にする?」とか言っていましたね。
予定通り10曲録り終えて、リリースできて本当に良かったです(笑)。『お天気でした』が自分の中では出し切った感もあって。「次、何しようかな」と全く決まらずの状態がしばらく続いて、音楽の深堀りが面白くなってきたタイミングで曲がボンボンと出来始めた感じですね。
そういう深堀りの結果もあってか、今回のアルバムは前回のEasycomeとはまた違う側面を見せてくれたアルバムとなりましたね。
たぶん今回のアルバムって、ちーかまが歌っているから気にはならないですが、ギターのリフやフレーズ1個にしても、やっていることがおじさん臭いんです。johnnyさんとも話していたんですが周り見渡しても、あまり自分たちみたいなシンプルに渋いことをやろうとしているバンドもいないんですよね。そういう意味では「今回はかなり攻めてるアルバムだよな」と思います。
「おじさん臭い」というワードが出ましたが、落合さんはポップでキャッチーな作品を作ろうとは考えましたか?
いや全く。自分の中で流行っているジャンルを楽曲に活かして、自分のやりたいことをやっている感じです。もう「世間なんぞは知らん」という状態でした。常に自分の興味のあることでしか、曲は生まれないので。
制作スタイルは変わりましたか?
落合からギターのバッキングと鼻歌のメロディーが送られてきて、それに合わせてリズム隊がデモを作って、落合が「そんな感じ」とか「違う!!」と言っていくスタイルです。でも今回のアルバムの曲作りは、僕自身フレーズを考えるのが楽しくて。前まではどういうもんがベストなのかがわからず、試行錯誤していましたが、今回はデモが来る前に「こういう感じのフレーズを使いたい」と思って提案したり、落合が納得いっていなくても押し切る提案をしたこともありました。
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めっちゃ悲しいことがあった時の方が、いい歌が歌えるんです
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関西インディーズの水先案内人。音楽ライターとして関西のインディーズバンドを中心にレビューやインタビュー、コラムを書いたりしてます。
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