移民ラッパー Moment Joon の愚直な肖像 – 絶望でも言葉の力を信じ続ける理由
特集『言葉の力』の企画として本記事では、自らの思想をどのようにして言葉に乗せ発信してきたのかを探る。今回の特集にあたり、インタビューしたかった人物がいる。大阪在住の移民ラッパー Moment Joonだ。昨年リリースされた『Passport & Garcon』は移民をテーマとした「エンパシー」を考えさせられる1枚であり、彼のリリック一つ一つに私は“言葉の力”を感じた。だがインタビュー中には耳を疑う発言もあった。「『Passport & Garcon』みたいなことは二度とやらない」と。
私が言う「移民」は「違う地域・文化圏から来て今ここに住んでいる人」を意味します。違う文化の間で苦しんだり、どっちの文化も自分のものにしたり、それらを融合して新しいものが作れたり、全てが移民です。例えば田舎生まれ育ちの人が上京した場合も、その文化の違いによって深くて濃い経験をするならば、その人は自分を移民と呼んで良いでしょう。
「『Passport & Garcon』は全然評価されていないです」
Moment Joon は私にそう語ってくれた。自らのトラウマ的な体験を盛り込んだ自伝的アルバム『Passport & Garcon』はTBSラジオ『アフター6 ジャンクション』で取り上げられ、また ASIAN KUNG-FU GENERATION の後藤正文こと Gotch が主宰する『Apple Vinegar Award 2020』にもノミネートされるなど、方々で話題を呼んだ作品だ。しかし彼が本作で感じたのは日本のヒップホップへの絶望であった。
誰よりもヒップホップの力を信じ、ヒップホップアーティストとして認めてもらいたかった男の渾身の一撃は、肝心の日本のヒップホップの世界には響かず、さらに自分の思いとは違った評価のされ方をした。彼は絶望を味わい、希望をなくした。
だがそれでも彼はなぜラップを続けるのか。そこには「希望」とは違った、「信仰」が存在する。どんな状況であっても、自らの“言葉の力”を信じ、言葉を紡ぎだす Moment Joon 。このインタビューは絶望を味わいながらも「ヒップホップが社会を変えてくれる」と信じ続ける移民ラッパーの愚直な肖像である。
『Passport & Garcon』みたいなことは二度とやらないんで
『Passport & Garcon』では自分が過去に受けた、いじめなどの体験を曲の中に反映していました。なぜこのような作品を作ろうと考えたのですか?
あの作品は僕にとっては特別だったので。自分にとってのトラウマ、怒り、悲しみなどを与えた特別な出来事について歌っています。これは世に伝えないと死ねないと思っていたし、芸術作品として残して解消したいという気持ちがありました。
あと例えば僕が好きだったヒップホップの作品では、アルバムを通して何かを伝えるものが多かった。そして日本のヒップホップにはそういうものが少ないと思ったし、また日本で移民というキーワードの芸術作品が少ないから、そういう点でも意味があるのではと。
「自分にとってのトラウマ」を言葉にするのは、すごく勇気が要ることだと思います。怖いとは思いませんでしたか?
確かに、作るときはちょっと怖かったけど「これを出した後は絶対に評価される」という信念があったからできたと思います。
『Passport & Garcon』は Gotch や RHYMESTER の宇多丸さんにも評価されていましたし、多くのリスナーが Moment Joon の名前を知ることになった気がします。
ものすごくありがたいことですし、その評価は自分にとって絶対に力になります。ただ『Passport & Garcon』は全然評価されていないです。
そう思いますか。
そう思うとかじゃなくて、実際にそうなんです。僕が一番評価してもらいたかったのは、ヒップホップのリスナーやアーティストなんです。だけどあの作品を出して以降、ヒップホップのアーティストとしてよりも、文化人的な目線で僕のことを捉えているメディアでの取材が多くなって。
それもとてもありがたいことで、必要なことではありますが、「ヒップホップの作品」よりも「移民としての作品」という部分に注目してくれる感じがあって。それが「重要か」「重要じゃないか」と、僕のプロデューサーやシバさん※とも話し合うんですけどね。そもそも僕が欲しいのはヒップホップの力なんです。
※シバさん
Moment Joon を支えるレーベル、GROW UP UNDERGROUND RECORDS 代表の浅芝祐のこと。
ヒップホップの力?
はい。そもそも「日本にそういう力がなかった」と言われるかもしれないですが、同じメッセージ、同じ活動、同じテーマをMoment Joon が発信するとしても、 面白いアーティストとして見てくれることと、 日本のヒップホップを代表するラッパーと見られるのでは、違うんです。
僕が日本のヒップホップを代表するアーティストと見られたなら、「 2Pac (2パック) とかKendrick Lamar (ケンドリック・ラマー)がいってた、あのヒップホップの」または「民主化運動とかをしているアジアとか他の国々のヒップホップ・アーティストの」というふうにジャンル自体が持っている力で、共通して僕のことが伝わると思う。そういうヒップホップの力が欲しいんですけど、ないんですよね。そういう反応が。
それは、なぜ「ない」と思いますか。
臆病だからだと思います。
臆病なのはアーティストですか?それともリスナーですか?
アーティストもリスナーも、みんな。僕のアルバムや活動について語るときに、たぶん日本そのものについて語らないといけなくなるんです。なぜなら僕が曲で成している内容がそこだから。でもみんな臆病で、その部分には触れられないから、深い話にならない。でもそこを評価してもらえないと Moment Joon は「なんか歌詞が辛辣で面白い人」で終わっちゃう。だから無視されていると思います。
それは、 Gotch さん主催の『APPLE VINEGAR -Music Award-』の選評とかでも思いました。僕について語ることはリスクなのは分かる。だから責めたりはできないですが「みんな勇気がないんだな」と感じました。だからこれからは『Passport & Garcon』みたいなことは二度とやらない。僕が知っているヒップホップというものは日本には必要ない、というのが今回のアルバムで分かったので。だから今、自分にできる一番賢いムーブは、この絶望をいかにお金に変えられるか。その方法を見つけるだけじゃないかなと思います。
アルバムを作り、いろんなリスナーがMomentさんのことを知った。だけど歌っている内容が評価されなかった。それが絶望だったって感じですか?
そうです。アルバムの最後までしっかり聴いてくれた人なら“TENO HIRA”で希望が湧き上がっていると思います。だけど、僕はアルバムを出してから逆に希望がなくなっているんで。
テーマとメッセージが区分できていないことで生じる誤解
評価されたい気持ちを考えると、 Moment さんは日本でラッパーとしてやりたいという気持ちがすごく強いのかなと感じます。
僕は、日本でラッパーがしたいとか、ラップをするために生きたいとかはなくて、ただ生きている中でラップがしたいだけです。よく「なぜ日本でラップを始めたいと思ったんですか?」と質問されますが、ラップを始めたよりも、日本に来たのが先。何かの強い意志で「日本じゃなきゃいけない」とか、そういう思いがあって来たわけではない。流れてきて、たどり着いたのが日本で、そこで感じたものを表現したくなった。そこで使ったのがラップであっただけです。
「自分のことを何かにカテゴライズされる」のがMoment さんはすごく嫌なのでしょうか?
今は大丈夫です。そうじゃないとお金が稼げないんで。
確かに Moment さんが自称される「移民ラッパー」というのはカテゴライズの力を利用しているともいえますからね。
そうです。僕自身、いつか「移民」という言葉が嫌になることもあるでしょう。でも「移民」という言葉を自分から発信しないと、使われるタグが「外国人」「外人」「韓国人」あるいは、もっと悪い言葉で呼ばれる可能性もある。それに「移民」は日本に根付いてない言葉でもあるし、これからもっと意味を付けていくこともできると思います。
「移民ラッパー」は自称として使っていますが、リスナー等から「政治色の強いラッパー」とか「差別と闘うファイター」みたいな言われ方をされると朝日新聞のインタビューで語っていました。そのことに関してはどう思われていますか?
望ましくないですが、それも分からないですよね。自分が生きていくための唯一の道なのかとも思うし、「僕はこういう人間です」と割り切り、みんなが付けてくれる役割を演じて、お金を稼ごうかなとも思う。ただそうしたときに、自分自身をどこまで犠牲にできるかは怖いです。
なぜ「政治色の強いラッパー」とか「差別と闘うファイター」という見られ方をされると思いますか?
テーマとメッセージが区分できないからだと思います。
なるほど。具体的に説明いただけますでしょうか。
“TENO HIRA”の印象が強いから「希望を持った」という人がいましたが、他の曲では“TENO HIRA”と真逆のことも言っています。例えばもっと汚い考え方をする自分や、ペシミズムな自分を見せている。そうするとアルバムという形で僕を立体的に見られると思うし、一つの曲で言っていることがメッセージではなくてテーマ、つまり考える題材としてみんなに伝わるんじゃないかなと思います。なのに、リスナーによっては1つのメッセージだけで分離される。
僕はあなたの周りにも移民が存在し、その人々も怒りを感じたり、悪いこともしたり、いいこともしたり。それは「日本や、日本に住んでるあなたたちにとって、どういう意味なんですか?」ということをあの作品では問い掛けています。これを聴いて、不快だと思う人はそれが正解ですし、逆に希望を感じるのも自由です。ただ、そうじゃなくて、こういうセンシティブなトピックについて少しでも話すと、それだけでメッセージになってしまう。僕からすると、そうじゃないのに。
ようは多層的なテーマで作品を描いても、切り取って一つのメッセージとして受け取られてしまう、ということですよね。
ただ悪い言い方にもなりますが、僕だけじゃなくて、今の日本の音楽自体にそういうアーティストを生み出せる能力があるのかと、正直疑問ですし、背景とか出身に限らず人間の複雑さを描いた作品をちゃんと理解してくれるのかなとも思います。昔の日本だったとしたら、絶対にあると思いますけど。
それは「昔のほうが良かった」という考えですか。
いや、そうは思わないです。今という時代だから、こういう作品はできたので。ただ、表現する人々の勇気とか、聴いてくれる人々の態度とかすると、ひょっとしたら30年前に僕がこういうアルバムを出した方が「もっと理解してくれる人々がいたかもな」と思うことはあります。今は、日本のヒップホップ自体が大衆音楽として機能したくないんでしょうね。
Momentさんは、それこそヒップホップは大衆音楽になるべきだと思っているのですね。
「なるべき」じゃなくて、ヒップホップは「大衆音楽そのもの」なんです。だって、楽器も弾かなくてもいいし、最近はビートも作らなくて、ただダウンロードして歌えばいい。それにマイク1本だけでできる。韻を踏むときも、別に歌に近い形でもいいし、ロックみたいな歌い方でもいい。さらにトレンドが定期的に破壊されるし、ずっとフレッシュ。だからヒップホップそのものが僕からすると、大衆音楽なんです。
ヒップホップの本質は常に変化をするところ
ヒップホップは大衆音楽であると話をされましたが、i‐Dのインタビューでは男性主義的な側面も強く「男なら『こうあるべき』、ラッパーなら『こうするべき』みたいに。だから、いかに自分を強く、よく見せるかをラップしてしまう」と仰られていました。そもそもその男性らしさの根源はどこにあると思われますか?
ヒップホップのエッセンスを、男性らしさという点から見ている人も確かにいる。そういう人々は多分 Awich さん、 Zoomgals のようなヒップホップが気に入らないと思います。ただ僕は、ヒップホップの本質というのは、男性らしさよりは、変化するところだと感じていて。
変化するところ?
変化して、現実を反映するところだと思うんです。その「男性らしさ」とかが、かっこ悪くなっている今の時代だとしたら、それをアップデートする人々が出てきて、ビッグになるのも「ヒップホップじゃないの?」と思うんです。
例えば、90年代のヒップホップも、80年代のヒップホップの目線から見るとおかしいですよね。なんでそこまで暴力について、話さなきゃいけないのって。でも、それは若者たちが経験したことをライムしただけ。ギャングスタ・ラップというものが出てきた時に、ものすごい反発があったとしても、今から見ると「ギャングスタ・ラップこそがヒップホップ」という人々もいるじゃないですか。
そうやって、一つの時期、一つのジャンルから「それだけがヒップホップのエッセンスだ」と主張して、同じものを作り続けるというのは良くないし、それは僕からするとヒップホップの本質ではないと思います。
すなわち時代によって変化することこそが、ヒップホップであると?
はい。悲しいことがいっぱいあっても、僕がまだ完全に希望を捨てきれてないのは、変われるからだと思うんです。僕とは違う形で、日本で移民として生きる若い人々が、自分にはできなかったことをやるはずだと、ずっと思っている。単純にそういう人々が増えるだけで、日本の社会自体は変わらざるを得ないし、芸術を反映する時に使えるツールとして、ヒップホップというものがあってほしい。だからその時まで僕は存在すべきなんじゃないかな、と思うんです。それでその若い世代が「 Moment Joon は古くて面白くない」と批判をする。それが、ヒップホップとしていい循環だと思うんですよ。
インタビューの冒頭では「希望がない」と言っていましたが、希望も持っていらっしゃって安心しました。
それは希望というよりは、信仰みたいなものですね。
どのような信仰でしょうか?
『Passport & Garcon』のデラックス・バージョンの“TENO HIRA”に、在日の詩人の金時鐘さんの声をいただいて、トラックに入れているんです。その方は1950年に韓国の済州島から日本に渡ってきた方で、そこから70年在日詩人として活動しています。お家に直接お伺いして声を収録したんですが、そのときに話をしていると、金さんも絶望を感じているようで「(70年前と)なんも変わっていないよ」と話をしていました。でも僕からすると、それでも何かを比べると変わっているんです。
変化を訴える当人からすると、絶対に見えないものなのかもしれない。だから僕も「なんか変わったな」と感じる瞬間は絶対に来ないし、今も希望を抱いてない。ただ、自分が気付いてなくても「やっているといつか来るだろう」「他の人にはそういうものが見えるだろう」という信仰みたいなものはあります。それがこれからも音楽をやりたいなと思える理由ですね。
「移民」という言葉を使い始めてから、見る目線が変わった
「何も変わっていない」という話が出ましたが、除隊されて日本に戻ったあと、『アラザル』のインタビュー(2014年)で「外人大嫌いって風潮が強くなりました」というふうに Moment さんはおっしゃられていました。あれから時間は経っていますが、その時と日本は何も変わっていないと思いますか?
この6年の間でも、すごくその風潮が強かった時もあったし、波がある感じだったと思います。でもまずそれを理解する僕の目線が変わったというか。
目線の変化というのは?
自分で「移民」という言葉を使い始めてから、「日本の持ち主は俺らでもあるんじゃないの?」という、「堂々さ」みたいなものが出てきたんです。「外国人」は「外国から来た人」と語るための用語ですが、少なくとも僕は「移民」は「社会の一部」と意味付けしていて。そうなると、ヘイトに対しても対応が変わります。「なんで韓国人が嫌いですか」じゃなくて「自分たちがやっていることは、日本の社会の一部なんですよ」と反論すべきなんです。ただ堂々と存在するだけ。自分の尊厳を犠牲にしない。それだけで十分答えになるというか。
その「移民」という言葉は、どこで手に入れたんですか?
それは、はっきりとは覚えていない。でもアメリカでもヨーロッパ、韓国、カナダでも、「移民」という言葉は存在して、その単語を使って社会的に活動したり生きている人がいます。でも「なんで日本にはいないの?」「なんでハーフ、外人じゃないといけないの?」と、ずっと思っていて。
そもそも日本は政策上「外国人労働者」と言っていた背景もあるので、その影響があるのでしょうかね。
いや、ずっと存在してた移民の人々が自分を「移民」と呼ばなかったからだと思うんです。だから「これから私は移民です」と言えば、それで変わると思います。自分の尊厳というものを守る第一のステップは、私が呼ばれたい名前で呼ばれるということだと思います。だから僕はずっとどこでも「私は外人でも、ハーフでもなくて、移民です」と言いますし、そういう人が増えればと思います。
だから、飽きるまでは移民と言うのを続けていくと。
そうですね。いつかはそのキーワードによって、僕自身が制限される日が絶対に来ると思います。でもまだ「移民」というキーワードを使って作ったアルバムが、全然評価されてない状況ですから、また遠い未来の話で心配しなくてもいいかもしれない。まずは移民というのがある種の決まり事やクリシェみたいになるまで、ちゃんと理解されないといけないと思います。
その理解されるというのは、日本全体ということですよね?
ヒップホップにおいても、日本全体においてもだと思います。だから移民の理解を広めることが難しいと思ったから、まずヒップホップのアーティストやリスナーに理解してもらいたかったんですよ。だってヒップホップ自体に、移民の歴史が入っているんですから。もし日本にヒップホップがあれば、日本で移民がやる音楽を受け入れてくれる。そういう器があると僕は思いました。でもないんですよね……。
薄い希望を機械的に作っていく『Hope Machine』
同じ2014年『アラザル』のインタビューで「ヒップホップこそが日本の社会を救えるツールだっていう風に思っているんです」と言っていましたが、その気持ちはまだ変わらないですか。
変わっていないです。今もそうだと思います。ただヒップホップが先ほど僕が言った、常に変化して現実を反映する。それでフレッシュで、楽しくて、かっこいい音楽になれたなら、日本を変えれるんじゃないかと。
今のヒップホップにおける自分の役割は何だと思います?
何だろう……。さっきも言いましたように、今、自分が賢くなるべきだと思うんですよね。もっとお金も手に入れられるし。まあでも取りあえず自分のレベル、自分のサイズがまず大きくなるというのが重要なのかなと思います。ただ正直わからないです。「こういうことを辞めるべきかな」とはいつも思うので。
こういうのを辞める?
音楽をやって、発信することの全てをやめて、ただ大学院生として研究だけをやるほうが正直、楽ですし。だから今はどういう役割を果たすべきかは分からないです。ただ次に作りたい『Hope Machine』という作品のアイデアはあります。
その作品は、具体的にどういう内容になりそうですか?
曲ごとに「こういう内容です」というのはないですけど。ただ、テーマとしては、さっきも言いましたように、みんなは“TENO HIRA”を聴いて、希望っていうものが湧き上がっているのだけど、僕の中では希望がどんどん薄くなっている。そのギャップがつらいんだけど、でもみんなを傷つけたくないから本音は言えない。それに「差別と闘うラッパー」とか、僕からすると嫌なカテゴライズだとしても、それで助かる人もいる。「そういうのを演じるべきなんじゃないの?」と「自分じゃないものにならなきゃいけないの?」というどちらの考えもあるんです。
だから、自分の中では薄くなっているその希望を機械的につくって商品化して売らなきゃいけない。「そうか僕は『Hope Machine』なんだなぁ」という作品です。なので、このアルバムは今、ビジュアルと、設置美術になるかもしれないです。自販機を一緒に作ろうとしていて。
どういう自販機ですか?
各曲ごとに、飲み物や何かのグッズみたいな形で物体化して、自販機にそれを置いて実際に買えるようにする。その自販機自体が希望を機械的に作り、商品として売る僕のことである。そういうアイデアはあります。
Moment Joon
「移民ラッパー」として移民の目線で活動。2019年には『Immigration EP』、2020年にはフル・アルバム『Passport & Garcon』を発表。 KEN THE 390 、 SKY-HI 、あっこゴリラ の楽曲にも客演として参加するなど、幅広く活躍している。また、文芸誌「文藝」秋季号に4万字にわたる渾身の自伝的小説「三代」を執筆する。
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関西インディーズの水先案内人。音楽ライターとして関西のインディーズバンドを中心にレビューやインタビュー、コラムを書いたりしてます。
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