
地球から2ミリ浮いてる人たちが語る、点を見つめ直してできた私たちの形
京都出身の男女4人組バンド、地球から2ミリ浮いてる人たちが11月3日(水)にミニ・アルバム『うつろひ』を発表した。前作のEP『アメリカンドリーム』はラップやツインボーカルなど、さまざまなフォーマットをミクスチャー。何者にもとらわれずに、自由に遊泳するスタンスが垣間見えた。しかし9か月のスパンで発表された『うつろひ』では、前作の実験を経てぐっと焦点化。カントリー、ブルース、フォークなどアメリカン・ルーツ・ミュージックを消化したサウンドを軸に据えて、作詞、作曲を担当する中野由季(Vo / Gt / Key)の詞と曲を中心に据えた、シンプルだが奥行きのあるアレンジが光る作品となった。
自身のバンド像が見事に確立したことを感じさせるアルバムになったが、この変化の裏にはいったい何があるのか。インタビューでわかったこと。それは4人が自身のルーツや過去に経験した点を見つめなおし、一本の線に変えていったということだ。メンバー全員が美しい自然に囲まれた京都北部の山々のなかで幼少期を過ごしたこと。中野とコバタヨシタネ(Gt)はアメリカの音楽大学で学ぶはずが 新型コロナの影響で帰国せざるを得なくなったこと。日本に帰国してから「音楽をやるしかない」と思ってバンドを結成したこと。でもコロナ禍で思ったようにライブができなかったことなど、それらを見つめなおして形にすることで本作の独自性にたどり着いたのだ。今回は中野由季と、コバタヨシタネの二人にインタビューを実施した。
ノスタルジーの根源にあるのは私たちの故郷
中野さんとコバタさんはアメリカの音楽大学に通っていたとのことですが、なぜアメリカで学ばれようと思ったのですか?
僕の父親はアメリカの大学を卒業していて、今もデザイナーをやりながらドラマーとしても活動しています。そんな父の影響もあって、僕も小学校1年生のころから音楽をやり始めました。その時から「いつかはアメリカの大学に行こう」と思っていました。
私はお母さんがクラシックピアノの先生とヴィオラ・ダ・ガンバという古楽器の奏者をやっていて。その影響で3歳からクラシックピアノをやっていました。その後、高校で後輩だったサキホ(Ba)や先輩だったコバタと出会ったんです。それから二人の影響もあり、ポップスに興味を持つようになり、3人で定期的に集まって、弾き語りとかバンドのまねごとをやっていました。
3年生の頃、自分の進路を考えていた時に、当初はピアノ専攻で日本の音楽大学を受けようと思っていましたが、アメリカの大学に行っていたコバタから「アメリカの大学なら、ピアノのレッスンを受けながら、ポップスとかロックとか、いろんなジャンルも学べる」と聞いて。私もさまざまな音楽を吸収したいなと思い、アメリカの大学に行こうと決心しました。
なるほど。ところがCOVID-19 が世界的に流行し、2人とも帰国せざるを得なくなった。そのあと2020年7月にバンドを結成したということですね。
そうです。コバタはアメリカの大学を卒業したのですが、私はアメリカに渡って「これから音楽を勉強するぞ」というタイミングでロックダウンになってしまったので、半年くらいで帰国しました。それで日本に帰ってきた時にコバタとサキホと集まって、話をしたんです。「私たちで音楽をやるしかないんじゃないか」ということになって、バンドとして本格的にやることにしました。
なぜバンド名を「地球から2ミリ浮いてる人」としたのですか?
バンド名を決めるときに、私が小さいころに教えてもらっていた音楽学校の先生を思い出して。その人はちょっと浮世離れしている雰囲気で「私ってドラえもんみたいに、3ミリ浮いてるのよね」みたいなことを言ってたんです。私たちもその先生みたいにいろんなところがはみ出している「浮いてるような人たち」になれたらなって思ったんで「地球から2ミリ浮いてる人たち」という名前にしました。

バンドサウンドの指標としてカネコアヤノ、ラッキーオールドサン、never young beach を挙げていますが、これらのミュージシャンを参考にしたのはなぜでしょう?
彼らの音楽は「伝えたい何か」が詞でも表現されているし、余分な音がないシンプルだけど奥行きのあるサウンドが素晴らしいんですよね。さらに包み隠さず裸で歌っている生々しい部分も好きで、「私たちもそうできたらいいね」とバンド内でよく話しています。
逆にこれらのバンドにない自分たちの独自性は何だと思いますか?
ノスタルジックな部分なんだと、今回のアルバムをつくってわかった気がします。制作に入るときに、みんなで私たちにしかできないことを見つめ直したんですけど、「故郷」とか「ルーツ」というのがあるなと思ったんです。私が住んでいるのは南丹市で、コバタが京丹波町。他のメンバーも福知山とか、京丹後の出身です。みんな田舎ののびのびとした空気感の中で育ってきたというのが共通点でした。この風景を音楽で表現することは私たちにしかできないんじゃないかと。そこだけは絶対に忘れないようにしようと思っています。
ここに至ったのもコロナ禍が大きいです。アメリカから帰ってくることになって、これまでの普通の生活も、音楽をやることも当たり前じゃなくなりました。そんな時に僕らの地元の風景、例えば田んぼや畑で農業をやっていたり、かやぶき屋根の家とか、ずっと変わらないものがあることがどれだけ豊かで、幸せなのかということに改めてはっきりと気づいたんです。そんな時期にバンドを始めた自分たちだから、地元が持つ豊かさとか懐かしさ、安心感のある音楽をしようというのがテーマになっていますね。
アルバムのレコーディングも当初は東京でする予定だったんですが、私たちがこの作品でやろうとしているのは「自分たちの故郷、京都北部の田舎の雰囲気を収める」ということだと、改めて立ち返って。曲作りやプリプロはよしにい(コバタ)の自宅のスタジオでやり、レコーディングも京都のスタジオでやった方がいいと思い出会ったのが〈マザーシップスタジオ〉だったんです。
エンジニアの野村智仁(※)さんとレコーディングの進め方やアレンジを話し合いながら、一緒に作り上げられたという感覚があります。前作は各パート別録りでしたが、今回は一斉に演奏したのでメンバーの足並みも揃えられた。バンドとしてのグルーヴ感とか熱量を、閉じ込められたかなと思います。
野村智仁:マザーシップスタジオのチーフエンジニア。ラッキーオールドサン、山本精一、大友良英、鈴木祥子、Dave Sinclair などの音源にもレコーディングエンジニアとしても参加している。
自分と向き合うことでできた重みのある歌詞
今回のミニアルバム『うつろひ』は、前作の『アメリカンドリーム』から1年と経たない間に発売となりました。短いスパンで作られたことにはどういう経緯がありましたか?
『アメリカンドリーム』をリリースしたころから「もっと、こうやりたかったな」と思う部分があって。ライブを重ねるうちに、新しい曲を書きたいという気持ちになりました。そのタイミングで今のディレクターである粟生田さん(※)に声をかけていただき、早速新作に取り掛かったという流れです。
※粟生田 悟:音楽レーベル we are の主宰。これまでカネコアヤノ、内村イタル(ゆうらん船)、小谷美紗子、SEBASTIAN Xなどの制作・マネジメントに携わる。
その「もっと、こうやりたかった」という部分って、具体的にはどういうところでしたか?
それまでは自分たちが好きに楽しくできればいいと思っていた部分があったんだと思います。でも同時に「それでいいのか」という違和感もあって。
『アメリカンドリーム』では好き放題にギターを弾いたり、“Wherever”ではヒップホップの要素を入れたくて、ラップをしたり。あと“ニンゲンムシ”でも1番と2番でボーカルを変えたりとか、いろいろ試すのが楽しかった作品でしたね。
今まで書いてきた曲たちは、バンドで演奏したらどう映るかという部分を考えていたんです。でも今回は相手に自分の思いをどう伝えるかをすごく考えるようになりました。それで最初にできた曲が“はじまりの日には”です。歌詞は2人の話ですが、実はバンドメンバー全員に対して「みんなでこれからも一緒にバンドをやろう」という思いを込めてつくりました。
今回のアルバムの中で、最初にこの曲が送られたのですが、すごく感動して。今までの歌詞はスパッと出てきた言葉で組み立てた、リズムを重視している印象がありました。ただ“はじまりの日には”のデモを聴いた時、歌詞や歌に焦点を当てて作っていることがわかりましたし、今までの曲とは重みが違う。
自分と向き合ったきっかけはありましたか?
きっかけは、いろいろありますね。例えばコロナの影響でライブが中止になったり、または配信のみになってしまったこととか。限られた機会や時間のなかで、自分の思いをしっかり伝えないといけないなと思い直しました。
あとディレクターの粟生田さんから「詞や曲がバンドの枠や見せ方を前提にしているように聴こえるし、本当に自分が伝えたいことや思っていることがもっとあるはずなんじゃないか」と言われたことも大きいです。この人は『アメリカンドリーム』しか聴いていないのに、私たちの思いとかやりたいことを見抜いているんだとびっくりしました。作品からももっと自分の想いは伝わるはずから、今まで以上に自分自身と向き合わなくてはといけないと思ったんです。
だから今回の作品から、やりたいことをやるという形から、みんながあるべき方向を向いて音楽をやるようになった気がします。いろんな意見を重ねた上で、自分たちの音楽がようやく見えてきた。

いろんな点がつながって、今の2ミリがある
その「あるべき方向」というのが例えば自分たちの故郷の風景だったんですね。歌詞や楽曲の基本は中野さんがやっていますが、楽曲のアレンジはどのように進めていますか?
基本は自分が主体となってやっています。アレンジが一通りできあがったら全員で話をして、仕上げていってます。
本作のアレンジで気をつけた部分はありますか?
今回は中野の歌が映えるように、さらにバンドは一体感が出るようなアレンジにしたくて。だからギターも歪ませず、メロディに沿ったリフを弾いてみたり、ベースもルート音だけを弾くだけじゃなくて、メロディをつけてみたり。工夫は色々しました。
ドラムも叩きすぎるとギターロックっぽくなって、歌があまり映えなくなってしまう。「もっとシンプルにするには」ということばっかりみんなで考えていましたね。

アルバムのタイトルは、どうして『うつろひ』と名付けたのですか?
「うつろひ」って過去に思いを抱えながら、次に進んでいくようなイメージが私の中にあって。だからアルバム全体を通して、過去の自分たちから変化した姿と、これからも変わり続けるスタートラインのような作品になっていくという意味を込めて『うつろひ』とつけました。私たちはこれからも進化していきたい。過去に書いた曲を超えたいし、歌い手としても進化したい。
今後バンドとしてはどのように展開していきたいですか?
東京や、関西だけではなく、どこに行っても私たちの音楽を聴いてくれている人がいてほしいです。それにライブハウスで演奏した瞬間に自分たちの空気を作れるような、雰囲気をもったバンドになりたいですね。空・山・風を感じられる自然みたいな空気をお客さんにも感じてほしいです。
僕も同じです。場所にこだわらず、世界中どこでも自分たちのスタイルを貫いていきたいというか、全世代、全人類に寄り添える存在になりたいです。そして寄り添ってくれた人の人生を変えるくらいの、エネルギーのある曲を届けたい。
二人ともアメリカから帰ってきたことが結成のきっかけになりましたが、今後コロナが落ち着いたら、またアメリカに行くという選択肢はあるのでしょうか?
ぼくはもう卒業しましたし、日本でバンドをやり続けたいですね。
実は私は今、休学という状態で。コロナが収まって復学できる状況になっても、すぐにはアメリカに戻らずバンドで目指せるところまでは日本にいたいです。
バンドが最優先ということですね。今、二人はバンドをスタートさせたことで、人生が変わろうとしています。結成当初は日本でバンドで活動している未来を考えていましたか?
奇妙な話ですが、小学校のころに父親の影響でロックに目覚め、ギターを弾くようになりましたが、そのころから「世界中で自分たちのバンドが聴かれている」というぼんやりしたイメージを持っていました。だから日本でバンドを結成することにはなったけど、だんだん近づいている感じはあります。
私は思ってもみなかったです。ここに来るまでいろんな点がつながって、クラシックをやっていたけど、本当はバンドが一番やりたいことだったんだとわかったし、一番私を表現できるのがこの4人だと思ったので。これからもこの活動をすごく大事にしていきたい。

うつろひ
アーティスト:地球から2ミリ浮いてる人たち
仕様:CD / デジタル
発売:2021年11月3日(水)
価格:¥1,870(税込)
収録曲
1.たそがれは空
2.夢の続きを
3.ハッカドロップ
4.あなたと計画
5.憧れ
6.はじまりの日には
7.雨上がり夢(Piano ver.) ※CDのみのボーナストラック
デジタル配信リンク
https://linkcloud.mu/c91a37cb
地球から2ミリ浮いてる人たち
写真:江村仁太
2020年結成。ルーツのある京都の山奥の豊かさが感じられる心地よいサウンドとどっしりと強く構える山のような詞曲が魅力のオルタナポップバンド。21年2月に初のEP『アメリカンドリーム』を発表。そして、同年11月に初のミニアルバム『うつろひ』をリリースする。
Twitter:https://twitter.com/from2earth
Instagram:https://www.instagram.com/from2earth/
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関西インディーズの水先案内人。音楽ライターとして関西のインディーズバンドを中心にレビューやインタビュー、コラムを書いたりしてます。
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