年鑑 石指拓朗 2020
特集『文化の床』の企画「#JAPANESE NEWEST FOLK」では、着実に従来のイメージを跳ね返すような変革が起こっている日本のフォークの現在を追う。
シンガー・ソングライター石指拓朗の1年の活動を記録するという趣旨で、2018年から始まったインタビュー企画『年鑑 石指拓朗』。1stアルバム『緑町』(2015年)のリリースから数えて、デビュー5周年という節目でありながら、コロナの影響で活動が制限されることとなった2020年をざっくばらんに振り返ってもらった。
今年のライブや、4月から始めたポッドキャスト番組『RADIO BORDER』でたまに披露される新曲を聴くと、シティ・ポップへの接近とも捉えることが出来る、これまでにないほど突き抜けるようなコード感とキャッチーなメロディが印象的だった。しかし携えるメッセージは相変わらず日々の生活に逡巡していて、あがきながら自らの魂のゆくえを探し彷徨う自問自答の記録だ。そのゆっくり移ろっていく思考の変化は自身に色濃く刻まれるルーツ・フォークの情緒からの逃走と言えるかもしれない。
今回、企画タグ『JAPANESE NEWEST FOLK』と連動するにあたって、最後にギター弾き語りというスタイルをとるものとしての自覚について質問をぶつけてみた。野暮だったかもしれないが、「なるべくしてそうなっているものとしか言えない」と回答した彼の歌に向かうシンプルな熱意は、文中に出てくる甲本ヒロトの言葉を借りると「歌うことに取り憑かれている」といえるのかもしれない。ほぼ雑談ベースの会話から今の彼の思考を捉えてみた。
撮影場所協力:高円寺 Live Music JIROKICHI
日向坂46“ドレミファソラシド”からはじまる甲本ヒロトの歌詞論
さて3年目となる年鑑インタビュー。コロナ・イヤーで重苦しい日々が続きましたが、話題としてはまずは軽いところから2020年を振り返りましょう。今年はどんな曲を聴いていましたか?
K-POPをめちゃめちゃ聴いていました。一番聴いていた曲でいうとITZYの『Not Shy』ですかね。収録されている6曲全て良いんですよ。リリースされた夏頃は本当に毎日聴いていました。TWICEのアルバム(『Eyes wide open』)もよくて1曲目の“I CAN’T STOP ME”なんか80年代のアメリカ映画で流れているようなトラックで最高でした。完全にNizi Projectに引っ張られてるみたいなところがありますけどね。毎回泣くくらいハマって観ていたので。今年はそれこそ虹プロを配信してたhuluもそうですし、Spotifyとか、Netflix、Amazon Prime……本当にサブスクリプション・サービスに感謝の年でした。
石指さんから最初に出てくるのがK-POPとは、意外ですね。
あとは日向坂46。去年のシングル“ドレミソラシド”を道で歩きながら聴いていたら、バーっと涙が出てくるんですよ。恋の歌なんだろうけど、自分にはロックンロールの歌のように聴こえて。
どういうこと?
このね、「いつの間に ドレミの矢に射抜かれたんだ……」(石指、しばらく歌詞を読み上げる)。それでこのCメロの詞が最高。「君と出会うまで 何かがいつも足りなかった 何となく 違うなとピンとこなかったんだ それは理屈じゃなくて 本能なんだ」。ってこれってもう(甲本)ヒロトじゃないですか。
彼、インタビューとかで「自分はロックンロールに出会ってからずっと取り憑かれている」みたいなことを言っていて。この曲は恋に落ちた瞬間を描写しているんだろうけど、主人公がロックと出会って取り憑かれる状況を当てはめられる気がして。
先日、甲本ヒロトさんが菅田将暉さんと対談していた『まつもtoなかい』(フジテレビ)は見ました?そこでも歌詞の話が出てきましたよね。
もちろん、録画して見ましたよ。「今の世代は歌詞を聴きすぎ」という部分がネットでも取り上げられていましたけど、自分は「歌詞を聴くな」ではなく「歌詞を表面上で捉えるな」という意図だと受け取りました。目で追いすぎ、言われたままを受け取りすぎ。確かに最近のポップ・ソングの歌詞はすごく説明的になっているのかもしれないし、番組では「携帯で歌詞を見ながら聴くことができるようになったから」、という話も出ていた。でももっとシンプルに「勝手に感じなさい」というメッセージのような気がして。
「受け取る側のキャッチャーミットの中で見るものはみんな違う。そこで完成されるから(音楽は)みんなのものなんだ」という発言も番組内でありました。
そうそう。その曲に感動する理由は人それぞれだし、それをなにも歌詞から読み取る必要はない。聴いた人それぞれが「私はこう受け取った」というのが大事なんだと思いました。
まさに“ドレミソラシド”にロックンロールを見る話も、石指さんの視点ですもんね。
ヒロトは別のインタビューで「ガキんちょ騙すのがロックだと思う」ともよく言っていました。だから「いちいち全部鵜呑みにしてるんじゃねぇ」という気持ちもあるんでしょうね。そんなこと言いながらヒロトの歌詞はめちゃくちゃいいですけどね。
石指さんの中でTHE BLUE HEARTSの影響は大きいですか?
大きいですね。マーシー(真島昌利)も大好き。ソロアルバムの『夏のぬけがら』とか『RAW LIFE』もめちゃめちゃ聴いていました。“花小金井ブレイクダウン”(1989年)っていう曲があって、マーシーがどんな景色を見ていたのか感じに行こうぜと、(田中)ヤコブと花小金井までサイクリングしたこともあります。ヒロトもマーシーもロックスターですけど、マーシーはソロのアルバムとかで具体的な物言いというか生活感があるところを出してくるのが良いですよね。
これまでとは別のところに行きたいという気持ちが強い
なるほど、いいアイドリングトークでした(笑)。ではご自身の音楽活動としては今年いかがでしたか?
アイデアを形にするパワーがなかったんですけど、それでもいろいろやってましたよ。リリースはなかったですけどサポートしてもらってバンドセット※で“春の嵐”という曲を春頃にYouTubeにアップしました。エレキ編成での音源は初めてだったけど、緊急事態宣言が出る前にレコーディングは終えていたので。
※バンドセット:石指拓朗(Vo / Gt)田中ヤコブ(Gt)、牧野ヨシ(Ba)、藤田愛(Dr)
ライブもレコーディングも出来なくなる中で、不安はありましたか?
ないです。元々別に日常的に安定していないので。状況がどうであれ、やることもやれることもあるし。
ここぞとばかりに制作に向き合ったり、曲が全く生まれなくなったり、ミュージシャンにとってそれぞれ音楽への向き合い方が変わる方も多かった期間ですが、石指さんはどうでしたか?
曲が出来なくなることはなかったですね。でも歌詞が上滑りして、芯を食わないと感じることはありました。歌になっていないというか……。だから生楽器でインストゥメンタルの曲を作ったり、GarageBandで打ち込みのトラック作ってみたりとか違うこともやってみたりして。
その“歌になっていない”というのは、どういう感覚なのでしょうか?ライブという人前で歌うことは制作においても大事なんじゃないかな?とは感じていて。
それはあるでしょうね。自分はライブ本数が多いタイプではないですけど、人前に立って歌うことで曲を活性化するっていうのはありますよ。本番が曲の練習も兼ねているというわけじゃないですけど、聴いてもらうことで言葉がリアルな形を持って立体的になっていくというのは確かにあります。
ライブが再開できたのはいつでしたっけ?
6月に下北沢<LIVE HAUS>で弾き語りをしましたが無観客配信かつ収録だったので、自粛が明けてから人前で出来たライブでいえば、8月の下北沢<440>でやった双葉双一さんとのツーマンでした。ステージは不思議といつも通りやれましたよ。でもやっぱりライブなんて「ちょっとどうかなぁ……」と後ろめたさがありながら観に行くものではないですよね。そんな中でもしっかり対策をして、生で観に来てくれるお客さんがいることのありがたさはこれまで以上に身に沁みて感じました。
最近ライブで披露されている新曲“海がみえたら”や“知らない街で”を聴くと、『ナイトサークル』以降すごくポップになった印象があるのですが、曲作りにおいて志向の変化はありました?
去年の『ナイトサークル』(2019年)で当初の目標だったアルバム3枚を作ることが出来たから、次の作品に向かって別のところに行きたいという気持ちが今は強いです。
どういう方向にいきたいかのイメージはあります?
“大好きで大嫌いだよ”(2017年)とか“朝”(2015年)みたいなシンプルなコードで押すあっけらかんとした曲を作りたい時期があったけど、最近はドメジャーに振り切った曲はあんま作ってないですね。M7(メジャーセブンス)とかadd9(アドナインス)みたいな響きを意識したものが多くて、ハツラツもいいんですけど今は「艶」とか「生命力」みたいな歌が歌いたいですかね。なんとなくのイメージですけど。
ポッドキャスト『RADIO BORDER』始動の手ごたえ
今年の活動のいいトピックスと言えば、ポッドキャスト『RADIO BORDER』を始動したことですよね。始めたきっかけは?
普段からずっとラジオを聴いているのでラジオパーソナリティーに憧れがあるんですよ。だからこの機会に自分でやろうと自宅でできる環境を整えました。この手の試みの問題はすぐに飽きて続かないことだから、とりあえず毎週1回更新で必ず1年続けることを目標にしました。オープニングテーマとかジングル作るのも楽しかったし、冒頭に言う文言とかもいいじゃないですか。「日常に張り巡らされている様々な境界線を越えるでも跨ぐでもなく、すり抜けていく快電波」。
この口上いいですよね。『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)や『菊地成孔の粋な夜電波』(TBSラジオ)を彷彿します。毎回台本はしっかり決めているのですか?
始めてみてよくわかりましたが、続かない理由の大きな一つは話すネタがなくなるんですよね。ましてや今年は人とも会ってないから、出来事もない。だから収録する直前に瞬発力でひねり出してやっています。
歌い手としていい影響はありましたか?
自分の活動が横に広がればいいなと、あわよくばリスナーから音楽のファンになってくれればいいなと思ってたんですけど、その考えがそもそも間違いでしたね。ラジオなんて好きな人しか聴かないわけでより縦に掘ってるだけでした。それもまあ、自分らしくていいかなと。でも番組にお便りをいただいたり反応があるのはめちゃくちゃ嬉しかったです。
自分の喋り声を毎週編集しながらまじまじと聴く習慣も初めてで、なんかよかったですよ。いい声出るようになってきました。
話にオチをつけたり、簡潔に喋ろうとする意識も必要だから、ライブのMCにも活きてきそう。
理路整然と話すのってめちゃくちゃ難しいですよね。頭の中に話を描いて、とりあえずでも話を終わらせるというのはいい練習になってるかもしれません。
自分の歌が誰かにとっての何かにはなれたらいい
今回は『#JAPANESE NEWEST FOLK』という企画も基づき、現代の日本のフォークや弾き語りの歌にフォーカスを当てているのですが、石指さんはギター弾き語りというオーセンティックなスタイルのどこに魅力を感じて、自身の表現方法としているのでしょうか?
うーん……スタイル自体にこだわりとか可能性は、本当に今まで考えたことがないですね。たまたまやりたくてアコースティック・ギターを持ってみたというだけで、別に誰でもやれますからね。
しいて言えば単純に歌をよく聴かせることが出来るし、人間がそのまま出るとは思います。あとどんな場所でもギターさえあれば一応すぐそこで演れますからね。
そういう究極的にシンプルな演奏形態だからこそ、どの時代でもリアリティをもって表現できるタフさがあると思うのですが、特にそこに自覚はない?
ないですね。例えば自分はサバの味噌煮が大好きなんですよ。ずっと変わらずあるし、普段からよく食べるし。でも死ぬ前に最後に食べるものがサバ味噌なのかと言われたら、それは死ぬ時の状況にもよるじゃないですか。それと一緒で、自分にとっての歌なんて「なるべくしてそうなっているもの」としか言いようがないんです。
弾き語りはずっと自分の中にはあるし、好きでやっているけど、それを軸とは考えていない。
軸なんてとても言えないですよ。常にブレながら生きているので。バンドの編成でもやりたいし、インストの作品も作りたい。でも弾き語りはこれからもやるとは思う。それだけです。
自分の音楽表現は常に新しくしていきたい気持ちはあるということですかね?
そうですね。ある種、憧れから逸脱する作業というか。例えばロックという概念があって、そこにジョン・レノン、ボブ・ディラン、忌野清志郎、甲本ヒロト……圧倒的なスターが何人もいる。そこに行きたくて、でもそれぞれが通った道はその人の道じゃないですか。音を出すということって自分なりに新しい道筋を探すことなんだと思います。
なるほど。自分がどう進むべきかの模索を続けている最中なのだと。
そりゃ模索ですよ。悩みがなくなることなんて、ないですからね。欲をいえば自分の歌が誰かにとっての何かにはなれたらいいなとは思います。そして自分自身がずっと感動していたいです。
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WRITER
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
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