年鑑 石指拓朗 2022-世田谷ほっつき歩き編
シンガーソングライター石指拓朗の一年の活動を総括するインタビュー『年鑑 石指拓朗』。2018年に開始し、この度5周年を迎える。前回の2021年は石指が住まう武蔵野・西東京市エリアが舞台だったが、今回は筆者が最近東急世田谷線エリアに引っ越したことを打合せ時に告げると、石指は「そこにしよう」と前のめり。松陰神社前駅に集合して、取材が始まった。
毎年、年の瀬になると石指と約束を取り付け、集まり、街を散歩しながら、コーヒーを飲みながら、酒を酌み交わしながら、よもやま話を繰り広げる。そんな取材を続けること5年。路面電車から下車し、松陰神社駅に降り立った石指に出会い頭「この企画、今回で5周年です」と伝えると「まじか。よくやってるよ」と称賛半分、呆れ半分という表情である。まずは吉田松陰や松下村塾の門人を祀った松陰神社まで元気いっぱい歩き始めた。
写真:服部健太郎
第1回目だった2018年は田中ヤコブ(家主)、牧野ヨシ、藤田愛とのバンドセット体制を始動させるなど、ライブ活動が充実していたことを受けて、その手ごたえを記録したいという石指からの申し出で本企画は始動した。当時の記事を見ると、石指と牧野ヨシ、そしてまだ3人編成の時代であり、ほぼライブをしておらず緊張した様子の家主という組み合わせで牧野の楽曲“巣鴨千成り”を演奏しているYouTube映像が飛び込んできた。否応なしに月日の流れを感じてしまう。
エンタメによってずっと感受性が豊かな一年だった。特に映画が面白くて、2月に『ゴーストバスターズ / アフターライフ』でしょ。7月に『ジュラシック・ワールド / 新たなる支配者』、12月は『THE FIRST SLAM DUNK』。自分が子どもの頃に好きだったエンタテインメントの続きを観ることができて最高でした。
特に『SLAM DUNK』は自分にとって、マンガの原体験で。俺には兄と弟がいて、全員マンガ好きだったからめっちゃコミックスが集まっていく家だった。その中でも小学生の頃にちょうど連載中だった『SLAM DUNK』は、どの巻で何が起きたか今でも全部言える。公式の予告編だけ観て映画館まで行ったから、始まった瞬間「おいウソだろ、今からこれが観れるのかよ」と静かに声が出てしまった。クールなオープニングとThe Birthdayの“LOVE ROCKETS”がすごく合っていて。90年代にジャンプ・コミックスで育った身としては、最高過ぎる仕上がりの映画。
あと『呪術廻戦』も今年初めて漫画とアニメを見たけどめちゃくちゃ面白かった。『幽遊白書』とか『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』の要素も感じられるし、とにかく様々なジャンプコミックス要素が織り交ぜられていて、作者の芥見下々さんはさぞジャンプコミックスが好きで育ってこられたんだろうなと。アニメでいうと『SPY×FAMILY』もNetflixで初めて観て、ハロウィンの渋谷でアーニャのコスプレをしているおじさんが大量に現れた理由もわかりました。大人になって離れていた漫画やアニメへの憧れがまた燃えた年と言える。
松陰神社から喫茶店に場所を移しながら、いつになく晴れ晴れしく饒舌に話す石指。また今年はピストバイクを新しく購入したということで、愛車にまたがりいろんな街に行くことや、休日にはフレームやチェーンまできれいに磨き上げることがたまらなく楽しく、毎日が満たされているらしい。一方、音楽活動としてはどんな年だったのだろうか。話の焦点を絞っていく。
制作から離れても、自分の音楽は続いていく
今年はライブも8本くらいしかやっていないし、活動といったらポッドキャスト(RADIO BORDER)を更新していたくらい。去年も言った気がするけど一人で音楽活動をしていると大変さが先立ってしまうことが年々増えていて。今まではその気持ちと闘いながら奮い立たせて、制作に向かうのが自分のルーティーンだったけど、今年は一回抗うことも辞めてスイッチオフ気味にしてみた。そしたら割とデトックスされて、今は結構ポジティブ。だから音楽を聴いていても、映画も観ていても楽しかった。
そういえばここ数年は、次の作品をどのように形にするか思い悩み、逡巡している様子が窺えたが、どうやら今はそのモードとも違う。なんだか吹っ切れたような優しい表情なのだ。今年の石指のリリースとしては、牧野ヨシが発表した約7年ぶりのアルバム『GOOD FISHING』に参加。最終曲の“そんなことより”を牧野と二人で演奏している。
あれを録音したのは2021年5月だから随分前のことで。牧野くんが作ってくれたベーシックトラックに自分が歌とギター、バンジョー、ハーモニカを家でレコーディングした。メロディも歌詞もすごく俺の口に合っていたんだけど、やっぱり牧野くんしか書けない世界ですよ。『GOOD FISHING』を聴いていると、くぅーーってしかめっ面になっちゃう。牧野くんの音楽を聴いた時にしかならない感情がある。普段からのうのうとしていて、言葉数も多くない。そんなのんびりしたところがアルバムにも出ていて本当にいい作品。でもそれだけじゃなくて、歌詞の一つひとつに牧野くんの生い立ちやこれを作るまでの苦悩が見えてくる。これは仲がいいからこそ受け取ってしまうのかもしれないけど、例えば“ついの棲み処”なんかすごく諦念があって。遺書を書くような気持ちで作ったんじゃないかとも思えてきますよ。
2022年で言えば田中ヤコブの『IN NEUTRAL』も近しいものがあった。やっぱりあの二人の作品は自分にとって感じるものが多すぎるし、聴くというより「対峙する」感覚。すごいから容易に聴けない。
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牧野ヨシ、田中ヤコブという近しい存在のアルバム発売には「自分もなにかやらなくちゃ」と背中が押されると石指は言う。制作のスイッチを切ったとの発言には少しドキッとしたが、決して音楽活動を休止するという帰着ではない。これまでの活動を振り返ってみたり、向き合い方を変えたことで、長く続けてきたからこそ固まっていた考えがまた溶けていく最中という様子に思えた。
高田渡の“自衛隊に入ろう”がイラク戦争の頃に再び取り上げられるようになった時期、本人はもうこの歌を全然歌っていなかったんだけど、筑紫哲也との対談で“音楽とか文章は一度書いてしまったら、どう言われたってしょうがない。ウンコ・小便みたいなもんなんだから”と言っていて。だんだんこの言葉が染みるようになってきた。歌を作って歌うなんて極私的な行為で、排泄物みたいなもんだよ、って。
ハタチのころの俺が今36歳の自分を見たら「まだやってんのかよ」とか馬鹿にすると思うけど、それは結構どうでもよくなってきた。そもそもここまで音楽を続けていると思っていなかったし、必死にやってきてアルバムを3枚も作れたことは本当によかった。やりたいこととか、憧れの会いたい人とか、思い描いていたことは案外叶っていて嬉しい。もちろん叶っていないことや、もう思い出せない野望もあるけど、どんどん達成していくだけじゃなくていろんなことを諦めて、そぎ落とされていくことも、本当の自分に近づくことなのかもしれない。
早川義夫が書いていた文章で“いい音はなつかしい。どこかで聴いたことがあるような気がする。それは、絵でも文章でもそうだ。(中略)会いたかった人なのだ。求めていたものなのだ。表したかったものなのだ。ずうっと心の中にしまってあったものなのだ”※というのがある。いいことを言っていると思った。自分にとっての表現もそんな感じのもので。ライブをやればお客さんが来てくれるし、ポッドキャストも聴いてくれる人がいる。お便りまでくれる。まだハートを伝えるための表現も手段も環境もあるから、かっこよく生きていると言っていいよなって今は思える。
※早川義夫(2002年)『たましいの場所』 晶文社
早川義夫はジャックスのメンバーとしてデビューした、シンガーソングライターであり著述家。1972年以降、音楽を離れ長らく書店を営んでいたが、1994年からまた音楽活動を再開したという経歴を持つ。石指が話をしている内に、筆者もそんな早川が活動を再開し始めた時に残したある言葉を思い出していた。
歌いたいことがあるから歌う。歌いたいことがないなら歌わない。
それが歌っていることなのだ。
声を出さなくとも歌は歌える。
僕は歌わなかった二十数年間、実は、眠っていたのではなくて
「歌っていたんだね」と思われるように今歌いたい。
早川義夫『ラブ・ゼネレーション 94』より
どんな形であれ石指もずっと歌い続ける人なのだろう。今は毎日が満たされていると言っていたが、「その内また音楽で満たされる日々が戻ってくるのでしょう」と期待を込めて結論付けようとすると、彼は少しだけ否定した。
自分が音楽やっていて満たされた……ということは今までないし、これからもないと思う。音楽を作ること、音楽を続けることは、自分にとっては常に鬱々とした行為だし、うまくいかないし、どん詰まり。だから適度に「ウンコ・小便」と思えるようになりたい。もっと我に返らなくなったらいいんだよなぁ。
コーヒーもとうの前に飲み終わり、陽も陰りはじめた。最後に「2023年こそ新しい作品楽しみにしていますよ」と伝えようとしたが、野暮な気がして心の中に留めておくことにした。
いつ何が起こるのか
分かってればなんて言わないが
やり残したことはないか?
後悔はないか?
とっ散らかった部屋に
思うことは色々あるだろう
だけどそこには触れないで
明日の天気の話でも
“そんなことより” 牧野ヨシ with 石指拓朗
石指の執着が伝播していく過程を記録した5年間
インタビューはここで終了。最後に「ちょっとだけ飲んでから帰りましょう」と、松陰神社前から上町まで歩いて、居酒屋に入った。これも毎年恒例のことだ。しかし取材という形式を降りたふとした瞬間に限って、グッと来るような本音を放つのもまた常で、今年はこっそりテープレコーダーを回し続けていた。
今年『RADIO BORDER』にお便りで「“ヘタウマ”ってなんなんですか?」という質問が来て、いいテーマだと思った。回答を考えていたんだけど極論で言えばヘタもウマいも無いんですよね。ただ、しいていえば「表現力」という概念と結びついている気がする。
その人のハートと技術が直結していることが「表現力」だと自分は思っていて。自分がニールヤングを好きなこともあって、このお便りでも例えで彼のギターソロについて書かれていたのですが、そこに人間味を感じるのはハートと表現力が直結して聴こえるからなんだと思います。たとえテクニックがヘタでも、自分の心が表現できていればそれがウマいっていうことなんじゃないかと。“ヘタウマ”という名が付いてしまったばかりに「音楽はハートだ」と言って、テクニックを向上させずにヘタウマを狙って表現する人が出てきてしまった。自分の尺度で言わせてもらうなら「音楽がハート」であることは絶対的な事実だけど、ハートの伝え方がまずければただのヘタクソでしかない。
あと「初期衝動」という言葉も厄介。「初期衝動」は1stアルバムだけじゃなくてずっとあるものだと思う。でも長く続けていったり、いろんなことを経験する中で「初期衝動」が表現し辛くなったり、身の丈に合わなくなってくる。でも自分が音楽をやっていく上で変わらず大事にしていないといけなくて、表現に出ていたものが前提になる。つまり「ルーツ」みたいなものなのかもしれない。
自分はルーツ・ミュージックが好きだから、作る曲にも常にそこが反映される。でも自分が「好き」であること以外に、今のご時世になぜこの音楽をやるのかって考えが全くない。コロナ禍になって歌いたいことが変わるわけでも増えるわけでもないし、自分の音楽に時代性が抜け落ちていることもわかってる。基本は「周りの評価や時代なんて関係ない」と思っているけど、なにせ変な袋小路に自分自身で勝手に迷い混んだような昨今で。だから今年制作のスイッチを一回切って、自分に「好きなことをやりなよ」とハードルを下げたり、これまでの自分の音楽を反芻する時間ができたことはよかったと思う。客観視よりももっと離れたところから、自分のライブ音源を聴いたらやっぱりいいんだよ。だから2022年は考え方をリセットできた年。この記事を始めた5年前はもっと尖っていた。今が一番ポジティブに生きている気がする。
5年間この企画を続けてようやく気づいた。このインタビューは石指拓朗の音楽にまつわる記事でもなければ、人間性や人となりにまつわる記事でもない。何かしら表現をすることや、活動を続けることに対する「執着」にフォーカスしたものだということを。もはや石指にとって音楽は何かの欲望を満たすためではなく、理性によって制御できずに執着しているものである。そんな執着の発露や行方を定点観測していたのだ。
ならば5年間で制作した本稿含む5本の記事は、私の「石指拓朗の執着」に対して執着し続けた記録みたいなものである。意義や潮流みたいな視点と対極にある、でも私が書き手として一番大切にしたい姿勢。そんな執着を石指は知らない間に私から引き出していた。人を引き寄せ、伝播してしまうパワーがやはりこの人にはあるのだと思う。
石指拓朗
1986年生まれ鳥取県出身。自身の音楽レーベル〈REAL LIFE LAB〉より、これまでに3枚のフルアルバムをリリースしており、どれもがロングランヒットを記録している。卓越したギターテクニック、伸びやかな歌声、愛嬌のあるキャラクターで人気を博している。
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WRITER
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
min.kochi@gmail.com