残酷なまでにロマンチックな、ハードボイルド・エンタテインメント作品(峯 大貴)
ソロとしての登場作『お湯の中のナイフ』(2018年)のリリース時、田中ヤコブはまだ「ラッキーオールドサンのサポート・ギタリスト」との触れ込みで紹介されていたのだ。しかしその後、自らのバンド・家主もアルバム『生活の礎』(2019年)で話題を呼び、デビューから2年4か月経った今どうだ。日本のシンガー・ソングライター、およびギタリストとして最前線に立ち、未来を期待される存在感を放つまでになったじゃないか。
彼の楽曲は常に軽口を叩いてくるかのように人懐っこく軽妙でいて、でもその腹の内には宇宙ほどに底が知れない闇が広がっているのが魅力なのだ。ソロ2作目となる本作『おさきにどうぞ』でも引き続き、エモーショナルが抑制された不詳の声と、緻密に積み上げられたコーラスワーク、そしてなんといっても大らかでポップなメロディには磨きがかかり、感情のヒダをずっと甘目にこしょばしてくる。
しかしこれまでも他者への違和や事象の否定がシニカルに滲んでいた詞の内省性がよりブーストされており、見方によっては遺書ともとれてしまうほど。彼の精神の宇宙に浮かぶ、心の傷跡がケロイド状に“膿んだ星のうた”(M10)を集めたような作品だといえるだろう。ポツンと孤独に佇みながら、未来へのあてどなさにうんざりし、そもそも自分の向かう先とは?とあぐねている逡巡が全曲に通底するトーンなのだ。
まだ冒頭“ミミコ、味になる”では「刻みこまれた傷跡さえ生きた証になるぜ 大丈夫さ」と跳ね除け、M2“BIKE”では「自分勝手なことばかりはしてらんねー」と自らを律している。しかしM4“LOVE SONG”では「いったとおりに動く機械になれたのに 中途半端に伝えようとして本当にすみません」と心を失くし始め、M6“Learned Heleplessness”はまさしくある状況から逃れる努力すら行わなくなる学習性無力感の歌だ。そしてレーシングドライバーで1986年に事故死を遂げたHenri Toivonen(ヘンリ・トイヴォネン)をタイトルに冠したのだろうM11“TOIVONEN”では「死ぬるために生きているのか 生きるために死んでいくのか」と死生をさまよいながら、最後には「突っ込め」と繰り返す。そうなると幕引きとなるM12“小舟”なんてシンコペートが効いた軽快なメロディだが、ここで小舟に乗って渡る川とはつまり……とまで考えてしまうのは邪推だろうか。
映画で言えば『イージー・ライダー』(1969年)や『ソナチネ』(1993年)みたいな。音楽作品で言えばTheピーズ『とどめをハデにくれ』(1993年)、ゆらゆら帝国『空洞です』(2007年)にも通じる、歪んだ世界の中で徐々に心を失くし、美しく沈んでいくハードボイルド・エンタテインメント。「おさきにどうぞ」と道を譲り続けて取り残され、行き先もやりたいことも見えずに未だ漂流中。その思考は彼の世代には共通するライフスタイルや将来観、希望無き社会構造の反映であり、またサウンドに聴きとることが出来るTHE BANDやNeil Youngといったブルースやフォークの背景を踏まえて「精神的なホーボー(放浪者)・ソング」というコンセプトを与えることも出来るだろう。残酷までにロマンチックな、惑うことなく2020年代最初の大傑作だ。(峯 大貴)
“Take It Easy”なんて言えないけれど(吉田紗柚季)
ちょうどこの春、桜が満開になったころに見返したのが2019年4月に発表された“LOVE SONG”のMVだった。通りすがりの野良猫、桜の下で写真を撮る人々に、手を振りあうライダーたち……。そこに収められているのは、昨年まで当たり前のように繰り返されてきた春の一部始終だ。田中ヤコブが趣味のツーリングのかたわら撮り集めたそのビデオは、マスクで封じられた芽吹きのにおいさえ思い起こせるほどみずみずしく、とりとめもない光景を愛おしむ彼のあたたかなまなざしに満ちている。
前作の1stアルバム『お湯の中のナイフ』のジャケットに描かれた首のない自画像が象徴するように、デビュー当時の彼は情報が少なく、たいそう謎めいた存在だった。とはいえ、自分で撮った映像を組み合わせたコラージュ的なMVはデビュー前からいくつか公開していたようで、この“LOVE SONG”からいよいよそのスタイルが定着。以降は“THE FOG”、“BIKE”や“小舟”など、旅先の風景を詰め込んだビデオが現在までたくさん作られてきた。それは映像作品と呼ぶにはあまりに断片的で、機材も画質もばらばら、彼の気に入ったカットは曲をまたいで使われたりもする。……なぜずっとMVの話をしているかというと、そんなライフワークのように蓄積されたビデオが本作のテーマと深く関わっているからだ。
思えば『お湯の中のナイフ』の作風は、緻密な宅録作家でもあり奔放なギタリストでもある彼の、前者のほうに照準を絞ったものだった。ベッドルーム・ミュージックとウォール・オブ・サウンドのあわいのような音像、人々の関心の外で所在なさげに漂いつづける歌詞は、“ワンマン・ビートルズ”ならぬ“ワンマン・ミレニウム”とでも言うべきか。それに対して本作では、全体を通してドライブ・ソング然としたヌケの良いサウンドでまとめられ、前作の密室感はほとんど感じられない。奥まったところにいたギタープレイは“cheap holic”で堂々と前に躍り出し、“膿んだ星のうた”のヴァイオリンは水を得た魚のように生き生きと弾んでいる。道路上でよく見かけるフレーズをアルバム・タイトルに冠した本作には、宅録作家にしてギタリストにして、さらにバイク乗りでもある彼のパーソナリティがより濃く反映されているのだ。本作の先行シングル『LOVE SONG / BIKE』のジャケットは前作と同じ手書きの自画像だが、カラフルな色使いと嬉しそうにバイクにまたがるその姿が、前作とちょうど対象的だ。
とはいえソングライターとしての彼のスタンスは変わらず、背骨のようにすっくと立ったさびしさはぶれることなくそこにある。“意図的に 恣意的に 打算的に/手に入れたはずなのに何もない”(“Learned Helplessness”)と内省し、“面倒くさいかな 聞き流してもいいよ”(“THE FOG”)と距離感に悩む。“LOVE SONG”や“ミミコ、味になる”でほとんど祈りのように吐露される他者への慈しみは、目に入ったきらめきをくまなく拾い上げようとする一連のMVにも通じたまなざしだ。それら、きわめてパーソナルな感情たちが、もはや揺るぎようのない美しいメロディラインとみずみずしいサウンドプロダクションに乗って躍動している。生き生きと血が通っているからこそ、それらは雪崩のような切迫さでもって私たちの胸の奥をとらえて離さない。
彼が愛してやまないバイクとは、基本的には孤独な乗り物だ。“孤独になるために乗るもの”とすら言えるかもしれない。筆者はむかし数年カブに乗っていた程度だが、時速数十キロの風圧を受けて田舎道を走るときのあの透き通った孤独――さびしさと充足が入り交じったあの感覚に、本作はよく似ていると思う。目の前の道は逃避のためのものではなく、旅路は決して気楽ではない。私たちが抱えるさびしさはもう出どころがわからないほど根深くて、“なんとかなる”なんて言う余裕もないかもしれない。けれど、このアルバムに満ちたあたたかなまなざしをずっとおぼえておくことはできる。そして、自分の日々の中にもそれを見出せる瞬間があったなら、少しは良い人生をやっていけるような気がするのだ。(吉田紗柚季)
おさきにどうぞ
アーティスト:田中ヤコブ
仕様:CD
発売:2020年10月14日
価格:¥2,200(税抜)
配信リンク:http://hyperurl.co/6lbxaw
収録曲
1.ミミコ、味になる
2.BIKE
3.cheap holic
4.LOVE SONG
5.えかき
6.Learned Helplessness
7.THE FOG
8.いつも通りさ
9.どうぞおさきに
10.膿んだ星のうた
11.TOIVONEN
12.小舟
田中ヤコブ
ギター、ベース、ドラムをはじめ多くの楽器を自ら演奏、更には録音、ミックス、イラストや映像 制作に至るまで自身が手掛ける宅録音楽家/シンガーソングライター。学生時代より誰に聴かせるでもなく人知れず楽曲制作を始め、SoundCloudやYoutubeを主として作品をコンスタントに発表、以来マイペースな音楽活動を続ける。2018年にはトクマルシューゴ主宰<TONOFON>より1st アルバム『お湯の中のナイフ』を発表。幼少期より培われたロック/ポピュラー音楽への深い愛情と造詣、ギターキッズとして一心不乱に腕を磨き身につけた孤高の演奏スキル、そして天性のメロディセンスと卓越したソングライティングが世代問わず、多くの音楽ファンから厚い支持を集める。ソロワーク以外にも4人組ロックバンド・家主のフロントマン/ソングライターとしても活動中。
Twitter:https://twitter.com/CobOji_
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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