30代になった酩酊シンガーてらがRibet townsと鳴らす家族の歌
大阪在住のシンガー・ソングライターてら。フォークギター担いでへらへらステージに現れては、小気味よい口調で観客をくすぐりながら歌う。酒と共にあるヘベレケの生活の中で起こったことや家族のことなど、見たもの聞いたものを曲にしていくコテコテの彼の歌は、言うなればエピソードトーク・ブルース。酒には日々飲まれてるし、音源は過剰にくぐもったエフェクトがかかっているし、ふいにライブ活動を休止して映画に俳優として出てみたり、ラジオ配信で人気を集めたり。『こち亀』の両津勘吉かと突っ込みたくなるような行き当たりばったりに思える行動をとっても、屈託のないキャラクターによって全部与太話に変えてしまうから、彼の周りはいつだって面白い出来事と人たちに溢れていた。
30歳を迎えた昨2019年は、配信シングルを3作リリース、6月から毎月企画イベント『月刊さわ歌会』を開催するなど、いつになく先を見据えた前のめりの活動を行った。京都の12人組ポップ・オルケスタRibet townsを迎えた最新シングルである“フードコート”の詞には「ゲロ安ボトルワイン」と独特のクセのあるワードも登場するが、描かれているのは愛する娘のために奮闘する父としての彼の姿であり、「タバコ吸えて飲酒できれば もうどこでも良かった俺たちが」とこれまでのだらしない日々はもう過去に葬り去っている。そんな歌を支えるジグのリズム・アレンジはこれぞRibet towns印。小楽団による華やかなサウンドはNHK みんなのうたでかかる場面も想像できる楽曲に仕上がっている。
酩酊シンガーてらの歌に対する向き合い方が切り替わっている。そう確信した筆者はその目論見を聞くためこのタイミングで彼への取材を決行。インタビューにはRibet townsから、てらとも同い年であるあさいげん(Dr / 作曲 / エンジニア)も同席してもらった。てら史上最も突き抜けた普遍性を携え、「家族の曲シリーズの完結」とまで豪語する本曲について、彼のこれまでも踏まえながら話を聞いた。
アルコールの権化、てらの20代
2019年のてらさんは配信シングルを3枚リリースしたり、奇妙礼太郎さん、下津光史さん(踊ってばかりの国)、小原凌斗さん(Tempalay)、濱野夏椰さん(Gateballers)など豪華な顔ぶれを呼んで毎月企画イベントを開催するなど、すごく精力的な活動でしたね。
2019年は忙しかったけど充実してたなぁ。ちょうど30歳になる年で、大御所の人たちともライブをやらせてもらって、これまでと自分のモードを切り替えられた。これまでの話から入ると、自分が「お米」名義で歌い始めたのはあふりらんぽが大好きで、ピカチュウさん(Dr / Vo)のギター弾き語り名義のムーン♀ママを見て、こんなんやりたいなぁと思った。それが18歳くらいかな。
へぇ!初めて聞きました。ムーン♀ママのどういう部分に惹かれて歌いたいと思いました?
すごくストレートでシンプルな歌やけど、グワっと胸にくるものがあって。あふりらんぽの「あかん このまま 帰さない~」と叫びまくっているイメージとのギャップもあってすごく刺さったんよ。「お母さん、愛しています」、「女の子の気持ちはいつも揺れてる」みたいな家族のことや自分の気持ちについて歌っている曲が多かったから「こんな真っ直ぐで良いんや!」って、初めて作った曲が“とーさん”。
てらさんの父親が病気で臥している状況について歌ったシリアスな曲ですよね。
まだ当時は生きていて病院におったから、今歌っているものとは歌詞が違ったんやけど。それで歌い始めた頃にピカさんに「20代のうちは自分ができることは全部自分だけでやってみ。てらくんはマイペースを保った方が良い」とアドバイスをもらった。2018年までは一人でいけるところまでやってみるか〜って模索していた感じ。
ピカさんからのアドバイス通り、一人でやることを貫いた20代までだったのですね。
あと学生時代に下津(光史)と出会ってしまったのは何より大きいなぁ。銀杏BOYZしか知らんかった僕に色んな音楽を教えてくれた。そこから自分でも好みの幅が広がって音楽の基軸がサイケとポップな歌モノになっていって。そんな20代までを総括する作品として作ったのが前のマスタリングもしていないデモ音源を集めたアルバム『歌葬』(2018年)やった。
つまり30代に向けて自分のモードを切り替える準備をしていたということ?
Ribet townsとの出会いと活動休止
そこで今回はRibet townsのあさいげんさんにも来ていただいて一緒にお話を伺いますが、なぜ彼らをフィーチャリングをしたいと思ったのですか?
Ribet townsは2年くらい前にライブで見て知ったんやけど、1曲目のイントロが鳴った瞬間に一目惚れ。いちころ。高校生の頃からThe Pogues(ザ・ポーグス)とかFlogging Molly(フロッギング・モリー)みたいなアイリッシュ・パンクのバンドは先輩の影響で大好き。当時日本のアイリッシュ・バンドがいっぱい出るイベントに行った時の印象が強くて。チェックのスカート履いて、サングラスかけたスキンヘッドのおっさんが枯れた声で叫んでいて。客席はみんなポケットにウイスキーの小っこい瓶入れて、ライブハウスの演出なんかタバコの煙なんかわからんくらいにフロアがスモークでもっくもく。床びっちゃびちゃ。みんな親おらへん家で育ったんかと思った。
偏見がすごい(笑)。
でも目の前で演奏しているこのアイリッシュは女性ボーカルのバンドで、かわいくて、すごくJ-POPだったからもう衝撃。その日のライブの帰り道から「いつか一緒にやりたい!」と思ってた。
なるほど、逆にげんさんがてらさんを知ったのは?
てらくんが自分たちを見たのは2017年末にバレーボウイズが企画したイベント『ブルーハワイ』やったと思う。1曲目に“キャラバン”を演奏し始めたら、5秒後くらいにめっちゃかき分けて前まで来た酔っ払いがいて。
てらさんが見ていたこと気づいていたんだ!
入り時間の都合でその日、自分はてらくんの出番を見られなかったんだけど、ライブが終わって喋りかけてくれたからよく覚えている。当時活動開始して間もなくて、まだ周りに知り合いも多くなかったから、フレンドリーに話せて単純に嬉しかった。
人数も多いし、誰がどうやってこのバンドをまとめているんだろうとか色々聞いてたら、ドラムのげんくんがまとめてるん!?作詞だけするメンバー(ホリエアイコ)がおんの!?バンドの方針にだけ関わるメンバー(フジノジュンスケ)がおんの?!?とかどんどん気になるところが出てきて。
うちのバンドのややこしいところやね(笑)。
ではげんさんもそこで知り合ってから、てらくんの音楽を知ることになるんですね。
そうそう。その次、2018年3月に(Livehouse)nanoでてらくんとかたしょくん(片山翔太)企画のイベントにRibet townsを呼んでもらって。ようやくてらくんのライブが見れると思っていたんやけど、そこでてらくんはギター壊していて。
その日、磔磔でバレーボウイズとかキイチビール&ザ・ホーリーティッツが出ているイベントがあって、お客さんの層ががっつり被っていたから、集客がすごく少なかった。土龍さん(Livehouse nano店長)にも「しゃあない。まぁ飲め」と慰められたんやけど、アホやから鵜呑みにしてもてガバガバ酒飲んでいたら、出番の時にはギターが弾けないくらいに酔っぱらってた。もう自分にも腹立ってきてギターを殴ったらバキッ!!って(笑)。「俺、いま人前に出たらあかんやつやん……」て落ち込んでしもて、ライブ活動を休止した。
ベロベロのてらくんが「どうしよう……」となっている姿だけ見て、結局ライブは見られずに休止しちゃった(笑)。
今のところげんさんにとっては、やばい人というイメージしかないですよね(笑)。休止した後てらさんはどうなるのでしょうか?
むっちゃ暇。だから映画監督、映像クリエイターの篠田知典くんがバレーボウイズが主題歌を歌う『下鴨ボーイズドントクライ』という映画を作る話を聞いて、「あいつライブせんと何しとんねん」となるだけでも面白いから、オーディションに参加しに行ったり。そしたら受かって「受かるんかい!」てみんなに突っ込まれて(笑)。2018年は役者が楽しくなって他にも3本やらせてもらった。
俳優をやっていきたいと思っていたということ?
いや、何も考えてない。「演技も楽しいな~」というだけ。そうしている内に愛はズボーンがやっているイベント『アメ村天国』に「まだ活動休止なんですかね?」って誘ってくれた。また同じ時期に劇団ヨーロッパ企画で作家をやっている左子(光晴)が俺のギターを修理する費用を出すからKBS京都の『京都インディーズジョーンズ』という番組で、復活ドキュメント映像を作らせてほしいと言われて。嬉しくて、あっさり復活。
周りの人に恵まれているよね。
なんでこんな俺に色んな人が声かけてくれるんやろと思う。本当に支えられている。あと暇やったから、ラジオ配信が出来るアプリの『SPOON』を始めたのも、活動再開の理由として大きい。普通におしゃべりしたり、弾き語りしているところを配信してたんやけど。そしたら段々ファンの人が増えていって、多い時には100人くらい聴いてくれるようにまでなった。ツイキャスとかインスタライブは自分のフォロワー以外には届きづらいんやけど、SPOONをしている人は不思議と音楽が好きかどうかに関わらず、ランダムに色んな配信を聴いているのよ。聴いてくれた人が自分の配信で広めてくれたりして、活動を休止しているのがアホらしなってきた。それで復活して今1年ちょっとくらいかな。
家族シリーズの完結編となる“フードコート”
じゃあげんさんがてらさんのライブを見たのも、復活したここ1年くらいのことなんですね。
そうそう。休止中もSPOONで弾き語りをやっていたのも少し聴いていたし、復活後にようやくライブも見て面白いシンガーだなと思っていた。それで復活してしばらくして出たアルバム『歌葬』を聴いた時にびっくりして。めちゃめちゃ色んな音が入っているし、アレンジが弾き語り主体のライブの時とは全然違うから。
弾き語りでアルバムを作るんだったらライブの録音でええし、せっかく音源を作るんだったら別のものを作りたいと思っていて。これまでの作品は全て宅録だけど、自分にとってはプラモデルを作っている感覚。
どういうこと?
本来弾き語りの曲にアイデアのパーツを取りつけて遊んでいる感じ。だから全部の曲が色々足し過ぎている(笑)。
その時てらさんの中で、完成形はイメージできているの?
全くイメージできてない。これ以上音を足しても、一緒やな、キリないわ!と思えるタイミングまでやる。しかも一人で作業しているからお酒飲んでるし、三半規管バグりたおして曲いじってるからもうグチャグチャ。でも今まで誰に評価されたいとか、完璧な作品を作りたいというのが全くなかったから、それでよかったんよ。歌も自分の身の回りことしか歌っていないし、歌えないし。だから今はこれまでの音源は聴けたもんじゃないと思っている。今まで聴いてくれていた人には本当に申し訳ないけどね。
『歌葬』は歌詞が聴き取れないほど声にエフェクトがかかっていたり、過剰なアレンジだったんですね。そのやりすぎな感じがてらくんの面白さだと思っていましたが。誰に評価されたい、完璧な作品を作りたいという気持ちがないと仰いましたが、てらさんはどういう音楽がやりたくて、どういうことが歌いたいのでしょう?
うーん……メンタルが弱い人間やから、なんとか自分を肯定してやりたいとか、似た境遇の人に寄り添っている音楽がやりたいんやと思う。人に頑張れよとは歌えない。「こんな失敗してしもてん、君もそんなことない?」みたいな聴いてくれる人に語り掛けている感じかな。ずっと底辺にいる自分のことを歌ってきた。でも子どもが出来てからは、そんなだらしないお父さんは嫌やなという感情も出てきたなぁ。
“三十路”から徐々にてらさんの歌が変わり出した気がします。「こんな僕にも娘が生まれ 一端の父をやりながら」と歌にも娘さんが登場しだす。
“三十路”は子どもが出来た瞬間に作った曲。その時々の自分の感情じゃないと作れないものを曲にしたいというのはあるかも。日記みたいな感じ。
今回の“フードコート”もお子さんとの日々が描かれている曲で、今のてらさんでしか書けない曲だと思いました。
せやねー。特にこの曲は歌詞も口ずさみやすくて耳なじみのよさを意識した。「タバコ吸えてお酒飲めれば」じゃなくて「タバコ吸えて飲酒できれば」にした方が耳に残るなとか、ちゃんと歌ってもらえる曲にしようと。あとはRibet townsとやることを前提に作った曲だから、みんなのサウンドが入る余地も考えながら作って。今まではただ思いつきで作っていた感じやったから、こんなに向き合うことはなかったな。
なぜこの曲はここまでこだわることが出来たのでしょうか?
なんでやろう……。でもこの曲の大枠が出来た瞬間に、いい歌詞書けたなぁ思て。自分の家族の関係性を歌うことはずっとやってきたから、いつか“チキンライス”(浜田雅功と槇原敬之)みたいな名曲をずっと作りたかった。最初に親父の死について綴った“とーさん”、実家の居酒屋崩壊を歌った“さわ”があって、子どもが出来た“三十路”、そして娘と一緒に過ごしている“フードコート”。自分が父になったこの曲で家族シリーズが一種完結した感じもあって、名曲に届くような気がしたからだと思う。
自分もこの曲にはてらさんの成長が見えてちょっと泣けてきます。今まで泥酔している曲ばかりだったけど、“フードコート”に出てくるてらさんは娘のために頑張る父親の姿で、飲酒のワードは出てくるけど、曲の中で飲んでないんですよね。
ほんとだ。やっぱりてらくんは必死さや生々しいところもさらけ出して、自分のこれまでを全部肯定しようとした音楽だと思う。だから色んな人が付いてくるんやと思う。
げんさんは今回アレンジやレコーディングも担当されていますが、フィーチャリングするにあたって、どういうところを意識しましたか?
Ribet townsにとっては去年東京のバンドのyuleと共作企画をして楽曲制作でコラボする手ごたえを感じていた中で、次はてらくんが誘ってくれた。でもyuleとは絶対に違うコラボになるだろうし、てらくんと自分たちのよさの掛け合わせにならないと意味がないなと思っていて。“フードコート”の弾き語りの音源と歌詞を最初にもらって聴いた時に今言ったてらくんの魅力の「全肯定」をテーマにしようと思いました。だから歌とコード進行は全て手を加えずに踏襲して、それ以外の演奏部分をグッと自分たちのフォーマットでポップに引き寄せるというイメージ。
Ribet townsとyuleの共同プロジェクト“Movement”
梅田の立ち飲み屋でゲンくんと打ち合わせをしたんだけど、歌詞と弾き語りの音源を渡して、盛り上げたいと思っているポイントを伝えただけ。1か月くらいでデモを作ってもらったけど何も言うことがなかった。自分のやってきた音楽の中で今までにないくらいJ-POPな仕上がりになったけど、その分色んな人に聴いてもらえる曲になったと思う。
てらくんの歌とアサヨ(Vo)のコーラスの組み合わせもよかったよね。
アサヨちゃんがサビで「ゲロ安ボトルワイン」とか「血眼」と歌っているのも面白い。今回インストverも配信したから、アサヨがピンで「ゲロ安ボトルワイン」と歌ってるのも聴けます(笑)。絶対カラオケに入れる。
なんで今時インストも入れたんかなと思ってたけど、そこが狙いか!(笑)。
あと今回のレコーディングはほぼデータのやり取りだけで完結したけど、自分の歌だけ俺が働いているtide pool(難波にあるレンタルスペース)にげんくんが京都から機材を持ってきてくれて録りました。それでここはテンションをもっとあげた方がいいとか、もう2秒伸ばそうみたいな、自分じゃ絶対気づかないディレクションをしてくれたのもすごくよかった。これまでずっと一人で作っていたから、人に指示してもらいながら、歌に集中できる環境で録音したらこんないい仕上がりになるんやと感動した。
30代の幕開けとなるてら×Ribet townsコラボの目論見
お話聞いていると、てらさんの今後の音楽を作るスタンスにも影響するような充実した楽曲になったことが見受けられます。
本当に今までの作品のクオリティが恥ずかしくなってくるくらい。これからもっと聴きやすい音楽にしていきたい、もっとちゃんとしないとあかんなとも思った。本当にRibet townsには感謝してる。
今後シンガーソングライターとしてどういう風になりたいとかはあります?
ちょっと話ずれるけど、18歳の時に弾き語りを初めて3回目のライブやったかな。50代くらいの知らないおばちゃんに声かけられて「私、占い師やねんけど、あんた30まで絶対売れへん。でも30まで続けたら売れるわ」って言われて。俺、見ず知らずのババアの占いをずっと信じてしまってここまできた。だからこれから色んな人に聴いてもらえるようになりたい。あとはやっぱり娘が歌ってくれるような音楽を作りたいよね。(缶チューハイを取り出す)
あ、お酒出てきた。
そろそろこのインタビューも締めかなって。
もう飲んでいいですよ(笑)。今回のRibet townsとのコラボの次の展開などはありますか?
曲を作っている時からRibet townsとてらをセットで呼んでくれるようなイベントが増えればいいなと思っていて。「この2組が揃っているということは“フードコート”がバンド編成で聴ける!」と期待してもらえるようになりたい。DODDODOとneco眠るが揃ったら“猫がニャ~て、犬がワンッ!”をやるんじゃないか、みたいな。まずは4月5日にnanoの『LOVEFESTA』で一緒に出られることが決まったから、楽しみ。
Ribet townsは人数多いけど、ライブハウスだけじゃなくって飲み屋とかバーでのアコースティック編成も出来るような体制になってきたし、今後も二組で色々出来るといいね。“フードコート”まだ一度も一緒に合わせたことないから練習しないと。
日時 | 2020年4月5日(土) |
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会場 | |
出演 | Lainy J Groove / mothercoat / 突然少年 / Ribet towns / 踊る!ディスコ室町 / 浪漫革命 / てら / アフターアワーズ / Word, one, no key. / YOLVE / 浮かむ瀬 / DoReMi |
料金 | 前売・当日 2,500円(no drink) |
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WRITER
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
min.kochi@gmail.com