2020年をポジティブに転化するために - 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)が語る新作『ハビタブル・ゾーン』
その音楽と行動でもって常に時代と格闘してきたバンド、ソウル・フラワー・ユニオン。前身であるニューエスト・モデルが代表曲“こたつ内紛争”(1989年)で「遠い国へ夢はデカイよ 始まる事がない不思議 (なにもしないね)」や「太っ腹なありがたい人 間違い認めない不思議」と放ったのはもう30年以上前なのだ。ただ今も続くコロナ禍の混乱において、この風刺が国の対応への怒りとして再びフレッシュに機能しているという皮肉な現状を、50代半ばとなった中川敬はどう歌うのだろうと気になっていた。また一方で“満月の夕”、“キセキの渚”、“死ぬまで生きろ!”などに代表される、祈り・連帯・慈愛に満ち溢れた彼の歌で、乱れた心を鎮静し、鼓舞してほしい気持ちもあった。
まるでその期待に応えて2020年に駆け込むかのように2年ぶりのアルバム『ハビタブル・ゾーン』が12月17日にリリースされた。タイトルは「生命居住可能領域」との意を示すが、「生物が生きる上で、H2Oと光だけじゃダメ、尊厳が必要なんよ」と中川が喝破してくれたように、この時代に負けないための尊厳とエネルギーをドクドク注入してくれるパワフルな作品に仕上がっている。
また中川自身の個人史が反映された作品でもある。一人のホモサピエンスとして、寄る年波を正面から受け入れながら、一方では抵抗しながら、今なお好奇心だけを拠り所として、自決の表現を続けようとする姿勢。これを「生き様」と言うには少々折り目が正しすぎるかもしれないが、彼の背中はこの時代をポジティブに生き抜く術を確かに我々に示してくれるはずだ。
インタビューは本作のリリース・ツアー大阪・名古屋公演を終えた直後の2020年12月9日に実施した。
ミュージシャンとしてたくさんの気づきをもらった2020年
リリース・ツアー大阪公演を現地で拝見しました。アルバム収録の10曲全てが演奏されていて、MCでも「これは初めてだ」と仰っていました。今回全て披露した理由はなんでしょう?
ニューエスト・モデルの頃から、出来た曲はすぐにライブでやる性分でね。だからずっとアルバムが完成してリリース・ツアーをやる頃には2~3曲セットリストから外れていることが当たり前になってる。でも今回は全曲ライブ映えするし、コロナ禍でライブも飛んでたし、全曲やっちゃおうかと。まあ、コロナ禍の「ライブハウス悪魔化」は腹立たしいけど、そんな中でもポジティブに転化する考え方で行くならば、この機会に代表曲をごそっと外して新曲ばっかりやるバンドに変えてしまえ、というのもあった。
一方でライブがストップしてしまったから、単純にまだやりつくされていない新曲が溜まっていたというのもあるのではないでしょうか?
もちろん。アルバムの制作は2019年11月から始まってたけど、メンバーとスタジオに集まって6曲のベーシック・トラックを録り終えた段階でコロナ禍に突入して。残り“ロックダウン・ブルース”、“川のない橋”、“夜を使い果たそう”、“ダンスは抵抗”の4曲は俺の作ったデモ音源主導でリモートでアレンジを進めた。それで8月にデモ音源に即して、ベーシック・トラックを録音するという、ソウル・フラワー的には珍しいレコーディング方法になった。だからよりバンドでライブで出来ることが嬉しくて。ストーンズ原理主義者としては、全曲ライブで演奏している『Some Girls(女たち)』(1978年)のような、あの感じやね(笑)。
コロナ禍が続いた2020年はどのようなことを感じて日々過ごしていましたか?
1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災と同じように、ミュージシャンとしてたくさんの気づきをもらった1年やったね。もちろん一番根底にあるのは、国に対する怒り。何のための税金やねん、ちゃんと補償せえよと。
ソロの弾き語りライブは4月18日の京都一乗寺のNorwegianwood (現CAFE&BAR OBBLi)を皮切りに、早々に配信で行っていましたね。
本当、彼らには感謝してる。オーナーの谷田(晴也)くんと中止するかどうかの話し合いの時に、「配信やってみませんか?」と言ってくれて。当時、俺の周囲は配信ライブの一般的品質が安定した状況になったらやろうと言う感じで、まだ尻込みしてる空気やったんよね。だから、カッコつけの俺が先陣切ってやらなければと(笑)。
私も自宅から見ていましたが、すごくいいライブでした。
この時に「ニューエスト・モデルの頃から大ファンの夫が、もう25年以上闘病していて全くライブハウスに行けていなかった。今回やっとライブが見れます!」っていうような投稿をネットで見たり、普段介護者が必要な人や、障がいを抱えたファンも家で見られるって喜んでくれて。俄然モチベーションがあがったな。だからライブハウスはあって当たり前、お客さんは会場に来るのが当たり前という考えを見直す契機にもなった。配信ライブに及び腰のミュージシャンやハコの人には、この逸話を話すようにしてる。配信ライブは、もはや新たな音楽文化なんよね。
ソウル・フラワー・ユニオンとしてのロックの王道、『ハビタブル・ゾーン』
ここしばらく4年おきのアルバムリリースでしたが、本作は2年というスパンになったところに何か心境の変化はあったのでしょうか?
一般論として、ミュージシャンもベテランになると寡作になっていくことが多いでしょ。それは気力・体力・創造力だけじゃなくて、もちろん制作費の問題も大きい。寡作になると、ライブの「代表曲」は全部20~30代の頃に書いたもの、そんな前例をたくさん見てきた。数年前にふと考えた時、ここからソウル・フラワー・ユニオンとしてガンガン作品を出す。なおかつ毎回「代表曲」と言えるものが入っている、ということが実現したら、俺は相当イケてるんじゃないかと(笑)。それで2年ごとに出したいと思って作った第一弾が前作『バタフライ・アフェクツ』(2018年)なんよね。だからこのコロナ禍でも、予定通り2020年中に『ハビタブル・ゾーン』をリリースできたのは嬉しいな。しかもかなりの手応えやし。
サウンドとしても『バタフライ・アフェクツ』で得た手ごたえをさらに推し進めた、ロックンロール・アルバムという印象を受けました。
ソウル・フラワーはずっと、自分たちにとっての新しいものを食い散らかしてきた歴史で。『ユニバーサル・インベーダー』(1992年)のファンク、『エレクトロ・アジール・バップ』(1996年)やソウル・フラワー・モノノケ・サミットの民謡や壮士演歌、『ウィンズ・フェアグラウンド』(1999年)のアイリッシュ・トラッドとか、かなり怒涛でね。それで今はまた違うベクトルのところに来ている。
色んなサウンドが混ざった「闇鍋」なイメージがありますが、今はどういうところに向かっているのでしょうか?
『アンダーグラウンド・レイルロード』(2014年)くらいから、もっと地に足のついたことをやりたいと思うようになってね。俺の音楽原風景、自己ルーツ・ミュージックに忠実に、もっと自然にやるというか。
その地に足がついたアプローチが自分の原点のロックだと。
ロックやソウル・ミュージック。10代の頃に浴びるように聴いたモータウンや60sモッズ・ミュージック、特にMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)やSmokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)あたりが根底にあって……もちろんそれをそのままやりたい気持ちは今も昔もない。60年代モッズ・マナーのリズム&ブルースであったり、80年代パンク・ニューウェイブ・マナーのソウル・ミュージックであったり、いわばガレージ・バンドがソウル・ミュージックをガチャガチャっとやるのがやっぱり好きなんよね。俺にとっては、Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)もSmall Faces(スモール・フェイセス)もDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)もCaptain Beefheart(キャプテン・ビーフハート)も、全部そういうもの。あともう1つ付け加えると、今のソウル・フラワー・ユニオンみたいな音楽をやってるバンドがひとつぐらい日本にいて欲しい、という。
どういうことでしょう?
ソウルやリズム&ブルースやトラッドが根底にありつつ、全音楽性を猥雑なロックンロールとして演奏するバンド。加えて、サブカル的ではなく時代と切り結ぶストレートな表現で。リスナー中川敬としても、そういう真っ当なバンドが日本にいて欲しかった(笑)。『ハビタブル・ゾーン』ではそれが出来た感覚があって、俺としてはロックの「王道アルバム」なんよね。
「尊厳の歌がある」とスコーンと歌うことが重要
阪神淡路大震災であれば“満月の夕”(1995年)、東日本大震災であれば“キセキの渚”(2011年)など、その時代を刻むような曲もありますが、本作でその意識はありましたか?
作ってる時に、そういうことは意識しないよ。“満月の夕”にしても書いた当初は、一つの「新曲」ということに過ぎなかった。でも結果的に“夜を使い果たそう”にはかなり「今」が入ってる。ウチは子どもが2人いて、小6から中1になった13歳と、幼稚園年長から小1になった6歳。その大事なタイミングでコロナ禍になって学校が休みになってしまった。家でずっとダラダラしているから、俺の腰痛リハビリのウォーキングに毎日巻き込んだり、夜中になぜか長男と将棋を指したり(笑)。いわば、夜を使い果たしている感じがあった。ここ5年ほどは弾き語りライブ中心の生活で、子どもの成長をじっくりと見れてなかったから、2020年を振り返った時に家族とたくさん過ごせたええ年やったなあと、ポジティブに振り返りたかったのが一つ。
それとやっぱり、俺自身の話だけではなく、SNSから溢れかえるような音楽人たちの悲痛な憤りや怒りもあった。「またライブハウスに集って、とことん夜を使い果たそうや」って、音楽人みんなに声をかけるような意味合いも当然この曲には含まれてる。
自分は“オオイヌフグリ”で描かれたコロナ禍の風景にグッと来てしまいましたが、これは1回目の緊急事態宣言以前に書かれた曲なんですね。
今回、いつ歌録りをするかは当初悩んで。2月に入って世界的なパンデミックになる予兆が来た時に、歌詞を変えたくなるかもしれないから、歌録りは焦らずにいこうと思った。実際この曲はコロナ禍になってから半分ぐらい歌詞が変わってる。
一方で“ダンスは抵抗”のようなプラカードを掲げてくれるような楽曲も痛快です。
“ダンスは抵抗”は最後に出来た曲。6月、大阪のBlack Lives Matterのデモ※に参加してんけど、日本人のみならず数千人もの在日外国人が集まって、雑多な出自のあらゆる言語が飛び交ってる、怒りとポジティビティが同居した素晴らしい空間があった。帰りの車中で、胸の中にある高揚を詰めこんだ直球の曲を「今日書かなあかん!」と思って、作業場に戻って2時間ほどで書き上げた。これでこのアルバムの曲が出揃ったと思ったね。
※2020年6月7日、アメリカ中西部ミネソタ州で起きた黒人男性George Floydさんの暴行死事件に端を発し、大阪市北区の中之島公園から、米国総領事館前を通る約1.5kmを歩いた大規模なデモ。
その素晴らしさはどういう場面で感じられました?
アフリカン・アメリカンの「彼ら」が差別されていることに異議申し立てをしながら、各々が「自分のこと」として集まっていた。本気で怒っているけど、未来を向いてるから笑顔もある。数千人が全員ちゃんとマスクをして、George Floydさんが警官に首を膝で押さえつけられていた8分46秒間黙とうする。その尊厳が溢れる光景に胸がいっぱいになってね。「ひとごとではない!」という、大きな意思がそこにあった。
“ダンスは抵抗”には先頭切って共に怒りを表明してくれるような強さを感じました。“グラウンド・ゼロ”(2014年)で繰り返される「Anger Is An Energy!」にも通じるような。
特に俺の世代やねんけど、日本のロック・ミュージシャンは、政治的表現をメタファーで曖昧にしたり、サブカル的に斜めに表現することが当たり前になってしまっているところがある。もちろんそういう作法には利点もあるし、明瞭に言いすぎて聴き手の想像力を奪う側面もあったりする。でもいい加減、そういう「逃げ」が多過ぎないかと。そこで「尊厳の歌がある」とスコーンと歌うことが、俺にとっては重要なことなんよね。
より顕在化した「よそ者」としての視点
“団地のエコー”は安田浩一さんのルポタージュ『団地と移民 – 課題最先端「空間」の闘い』(2019年 KADOKAWA)にインスパイアされたということですが。
実は読む前に、この曲を書いたんやけど(笑)。本の内容はいわゆる公団住宅が限界集落化していて年寄りしか住んでないところに、今は「移民」が住むようになっているという話。安田さんは俺より一つ年上やけど、「親が新聞記者で、転勤族の息子」という点で、似たような育ち方をしていてね。子どもの頃は2~3年に1回は引っ越しで、その度に各地の団地を渡り歩いてた。やっと友達出来たのにって、当時はやっぱり辛くてね。
先日のライブではアンコールで披露されていました。MCでも「ちょっと自分史が入っている」と仰っていましたよね。
その「自分史」がどういう意味かというと、「よそ者」であるということ。例えば小学校5年の頃は滋賀県の団地に住んでたんやけど、一年ぐらいクラスのやんちゃグループから無視されてたことがあって……。最終的に学年で一番強いやつと喧嘩をして勝って、その状況から脱出してるんやけど、その最後の武勇伝的記憶だけが頭に残っていて、無視されて辛かった感情などは長らく記憶から欠損していた。そのころの年齢に、自分の子どもが差し掛かるにつれて、そのスポイルされてた記憶が蘇ってくるんよね。子どもの頃の友達を作るのが苦手で、引っ越しするたびに「よそ者」として苦労した記憶。
お子さんを通して自分の過去を客観的に見られるようになった感覚でしょうか?
そうそう。16歳からギタリストとしてライブハウスに出始めて、20歳でニューエスト・モデルを作ってから2020年で35周年。今まであまり昔を振り返ってこなかったから、そうして復元されてゆく自分史から、例えばニューエスト・モデルは日本のムラ社会や大人社会に対する、俺の子ども時代の逆襲やったんやなとか、ある種体系化して言語化できるようになった感覚。今回の“団地のエコー”や“ストレンジャー・イン・ワンダーランド”は、団地に住む移民や入管問題について歌ってるけど、途中から俺自身が入ってくるんよね。
次の世代に示す「ありのままの自分で生きることは出来る!」
自分がソウル・フラワーを聴くようになったのは『キャンプ・パンゲア』(2010年)以降のここ10年なので、そうやって今サウンドや歌の物語が徐々に変化して行っているのがすごく面白くて。
俺に言わせれば、『キャンプ・パンゲア』はつい最近やな(笑)。ニューエスト・モデルがパンク・シーンから出てきて、だんだんファンク・ミクスチャーになり、さらに民謡やトラッド・ミュージックに向かって、被災地でソウル・フラワー・モノノケ・サミットも始める。入り組んだ変遷を経て、聴いてくれる客層もどんどん変わっていったけど、それぞれの時代で俺らに気づいてくれた人たちが、この『ハビタブル・ゾーン』を聴いたらどう思うのか、率直な感想が知りたいね。
そういうご自身の変遷を振り返ってどう思います?
かっこいい(笑)。阪神淡路大震災以降、本当に誰も経験していないようなことをソウル・フラワーはやってきていて。ロック的現場以外でも、避難所、仮設住宅、復興住宅、町の盆祭り、寿町・釜ヶ崎・山谷のドヤ街のイベント、障碍者イベント、北朝鮮(1996年)、フィリピンのスモーキー・マウンテン(1997年)、東ティモール独立式典(2002年)、国後島(2003年)、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプ(2005年)、辺野古の『ピース・ミュージック・フェスタ!』……。全部誇れる歴史やね。
よく笑い話でするんやけど、例えば『ユニバーサル・インベーダー』(1992年)みたいなファンク・ミクスチャー路線のまま数作続けて、民謡にもタッチせずに、被災地の慰問ライブとかしないで、ちょっとばかし金も儲けたりしてたら、今頃多分しょうもないJ-POPの偉そうなプロデューサーにでもなっていたんとちゃうかって(笑)。冗談とはいえ、そんなことを想像すると、自分の人生はこれでよかったとつくづく思うな。今でも好奇心に忠実に音楽をやれてるしね。金ないけど(笑)。
周りに染まらず、自分で道を選び続けたこの先、どういう音楽人でありたいと思いますか?
そういうことはあまり考えないけど、無理やり言うなら、いわゆる日本のロック・ミュージシャンのベテランのイメージを突き破れたらいいね。ガンガン曲を書いて、若手バンドのようにワクワクしながらアレンジしたりレコーディングしたり。ここからの四半世紀は多作でいきたいね。80歳になったら、5年に1作ぐらいに落ち着く(笑)。まあ、時々の経済状況、制作費次第やけど。
そんなアグレッシブな背中に、自分もすごく感化されていますよ。
若いミュージシャンが、社会や政治のことを自由に意思表明できなかったり、ムラ社会のしがらみの中で我慢したり忖度したりしてる姿はあまり見たくない。ミュージシャンじゃない人でも、社会に出て企業や集団の中で飼いならされて、ひどいと鬱になったり……。なんとか若い人たちには、自分なりに精神的に自由に生きていく術を見つけて欲しいな。これはさっきの「逆襲」の話とも直結していて、俺は15歳でこう生きると決めて、ずっと続けてるんよね。半世紀にわたって日本のムラ社会を憎んでる。いまだに!(笑)。
だから「あの中川敬っていう人は言いたいこと言ってるなー。なんか黙っていることが馬鹿らしくなってきたなー」と思ってもらえるような存在でいたいね。ありのままの自分で生きることは出来るということを、次の世代にちゃんと示していきたいんよ。
ハビタブル・ゾーン
アーティスト:ソウル・フラワー・ユニオン
仕様:CD
発売:2020年12月16日
価格:¥2,800(税抜)
収録曲
1.ハビタブル・ゾーン
2.ラン・ダイナモ・ラン
3.川のない橋
4.ストレンジャー・イン・ワンダーランド
5.団地のエコー
6.ダンスは抵抗
7.ロックダウン・ブルース
8.オオイヌフグリ
9.魂のありか~オール・パワー・トゥ・ザ・ピープル
10.夜を使い果たそう
Webサイト:http://www.breast.co.jp/soulflower/
アルバム特設サイト:http://www.breast.co.jp/soulflower/special/habitablezone/
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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min.kochi@gmail.com