峯大貴が見たボロフェスタ2021 Day2 – 2021.10.30
20周年を迎えた、京都のフェスティバル『ボロフェスタ』。新型コロナの影響もあり、2年ぶりとなった今年は、2週連続6日間に渡って開催されました。2014年から毎年ライブレポートを掲載してきたANTENNAでは今年も編集部あげての総力取材!全6日間の模様を各日1名のライターによる独自の目線で綴っていきます。本記事では10月30日の模様をハイライト。
ボロフェスタに行くつもりじゃなかった
本当は一昨年2019年を以って、ボロフェスタに行くのは最後になるかもしれないと考えていた。2012年に初めて〈KBSホール〉を訪れ、2013年からどっぷり本祭を楽しみながら自主的にレポートを書くようになって長らく時が経つ。ほぼ毎年この場所で見てきたHomecomingsがこの年にChamber Setとして大トリを務めてきたことも一つの区切りのように思えたし、事実、私のレポートではこの情景を見て感じた心情を次のように綴っていた。
「それはこの場所の景色と時代が確かに変わったことの象徴のように思えた。ボロフェスタは青春時代に戻るためのノスタルジックな場所なんかじゃないんだ。ここからそれぞれの道に向かって、前へと踏み出すための場所なんだ」(峯大貴が見たボロフェスタ2019 3日目 | ANTENNA)
大きな成長を遂げたHomecomingsを見て、ある種自分の青春時代から絶えずあるこの場所を定点観測することから一度降り、別の場所に目を向ける時が来たのかもしれないとも感じていたのだ。しかしそれはボロフェスタが「いつでも戻ってこられる場所」という絶対的な安心感を持って、どこか背中を押してくれたような気もしたからである。
そして2020年、自分は行かなかった。というより、絶えずある場所と思っていたボロフェスタがなかった。コロナ禍を受け、なんとか8月にナノボロフェスタを〈KBSホール〉で開催し、9月3日に本祭中止の声明を発表。同時に2020年を取り返すように、そして20周年を盛大に祝うように、2021年には2週連続、計6日間開催することを発表した。「BOROFESTA NEVER DIE」という言葉を掲げて。
そこから1年経った今年。依然元通り出来るわけではないのが現状だ。収容人数や終演時間の制限(11月5日開催時から解除)、ロビーSTAGEと地下の街の底STAGEが撤廃され、ホール内2ステージのみというミニマムな形式を敷いた。またプロフェッショナルではない有志のスタッフで運営しているがゆえに、1年空いたことによるノウハウの継承に空白が生まれていることも苦慮が想定されるだろう。加えて3日間×2週連続という開催期間により、どちらかの週のみに参加が散らばることでスタッフ間の連携だっていつもより大変じゃないか。あらゆる痛手を負ってはいるが、それでも「NEVER DIE」。無事に開催当日を迎えることとなった。
また今年から再建していく新しいボロフェスタ。「いつでも戻ってこられる場所」を取り戻していく過程がそこあるならば、少なくとも今年は目に焼き付けねばとばかりに2年ぶりのKBSホールへと足を運んだのだ。本稿では2日目の模様をハイライトしていく。
新生&常連、ホストバンドの頼もしさ
前日29日にこの日のトリを予定していたクリープハイプが尾崎世界観の体調不良によって出演キャンセルを発表。タイムテーブルの立て看板に書かれた「クリープハイプ」の文字には横線が引かれ、「来年必ず会いましょう!」という吹き出しが加えられていた。会場にはファンと思わしいクリープハイプTシャツを着ている人も多数おり、この穴をどうカバーするかという必要至急の課題が必然的に見ごたえにつながっていた気がする。
この日の開口一番は今年よりホストバンドとして関わっているThe L.B.。2018年結成、“im”のMVでも〈livehouse nano〉が舞台となっているように、京都で育ってきた中で今回抜擢された超新星だ。ネオ・ソウルとヒップホップを取り入れたミクスチャーなアンサンブルに、サモハン(Vo)がラップを乗せていくのが大よそのスタイル。しかし“5.6”から始まったステージはじっくりと観客の温度を確かめるようにねちっこくて不穏なグルーヴを奏でていく。しかし徐々にアクセルがかかっていくと、演奏陣3人のテクニカルなフレーズが火を噴いてくるのが痛快だ。緊張感を絶やさず冷静に。しかしラストの“Bomb Killer”まで着実にリラックス&エモーションを心地よく案配していく地元のニューカマーのお披露目として、頼もしいパフォーマンスを魅せていた。
一方で主催メンバーの一人である岡村寛子(Key)を擁するTOKIMEKI☆JAMBOJAMBOは同じホストといっても超常連。プログレッシブで心地よくトリップ出来るアンサンブルは複雑に構築されている。でもどこか肩の力が抜けたおかしみが滲んでいる不思議なインストゥルメンタル曲の数々はやはりこの場所で味わうのが格別の醍醐味だ。ハヤシ・トト(Ba)がMCでフェスが出来る喜びを語っていく内に、会場でアルコールは禁止としていたため、いつの間にかライブで酒が飲めない嘆きに話が流れていく。するとすかさず岡村が軌道修正し、自宅でこのアーカイブ配信を観ながら飲酒することをお勧めするという掛け合いも楽しい一幕だった。
独立独歩のeastern youth、寺尾紗穂
開演からバンドが続く中で、ボロフェスタが姿勢を学びリスペクトを送っている存在であるeastern youthのステージで、フロアを蠢く熱量は一度昇華されることとなった。観客はただ演奏を受け止め、1曲終えるごとに息をのみながら拍手を送るのみ。そして3人はどんな場所でも変わらぬ演奏をやるだけというような立ち振る舞いではある。しかし今年はなかった「街の底STAGE」の引用元である“街の底”を最後に演奏するところには並々ならぬ思い入れが伺えた。なんていったって村岡ゆか(Ba)加入後のeastern youth名義での初ライブは2015年の地下STAGEなのだから。
そのeastern youthを受けて、この日唯一の弾き語りである初出演の寺尾紗穂がこの日の折り返しを告げるように空気を見事に変えた。ジョニ・ミッチェルの和訳カバー“A Case of You”に始まり、ラジオ番組の公開収録で歌ったが放送されなかったというDARTHREIDERの詞に曲をつけた“はねたハネタ”、反して「土方さん」という言葉があるからこれもNGかと思ったが無事放送されたという“アジアの汗”、福岡の杉工場でライブをした時の河童にまつわる不思議な体験から生まれた新曲“歌が生まれる場所”と、一曲ずつ丁寧に説明をしながら歌っていくステージ。そこだけ独立したソロコンサートのような静謐な空気感で、ボロフェスタにこれまでにない色を加えるような佇まいであった。
それ以外にもハイライトはもう数えきれない。The L.B.と同じく京都のバンドであるWANG GUNG BANDによる、8人のソウルが一つの楽曲に緩やかに集うコミューンのような幸せな空気感ったら。大阪のLil Soft TennisがRY0N4とaryyを次々呼び込み、途中からコレクティブ「HEAVEN」としてのライブに発展した時の華ったら。音楽性はまるで違うが、ここ2ヶ月以内に1stアルバムを出したばかりの関西に兆す光をつぶさに捉えて、重鎮やメジャーバンドともフラットに同居させていくボロフェスタの一日の作り方はここでしか味わえないものがある。
突然のトリを引き受ける気迫のステージ、愛はズボーン
その姿勢が偶発的な形で際立ったのが、冒頭にも記したトリであるクリープハイプのキャンセルにより、繰り上がってこの日最後の出演者となった大阪アメリカ村発の愛はズボーンだろう。登場してくる際には気迫に溢れ、冒頭の“ゆ~らめりか”での金城昌秀(Vo / Gt)と儀間健太(Vo / Gt)のダブルボーカルは、楽曲に備わるユーモアをもかき消すほどに勇ましい。同じステージに立った前回2017年では儀間がロボに扮して登場し、フロアには風船が舞っていた時とはまるで違う、正攻法のロック・パフォーマンスだ。また金城は今年のボロフェスタのオフィシャル・Tシャツのデザインを手掛けており、その打ち合せ時に土龍から開催に向けた想いを聞いていたことがMCで語られた。「見えないバトンを(大トリの)サニーデイ・サービスまでつなげていきましょう」と言って次の曲を始めたことも含め、力強い覚悟を表す拳のデザインに表れた土龍の想いのバトン、そして出演叶わず宙に浮いたクリープのバトンは自分たちがつなげるという、全てを引き受ける決意が見えたステージだった。
そしてアンコールの“エレクトリックオーシャンビュー”が始まるタイミングで、クリープハイプの立つはずだったメインのGREEN SIDE STAGEの背後にステンドグラスが荘厳に開帳された。彼らが立つORANGE SIDEからは左横手に見上げる形となり、お客さんと共に眺めるような構図で登場したのは初めてではなかろうか。今まで見たことのない気迫とちょうど彼らも活動10周年ということで結果的にトリにふさわしいステージとなり、2日目が終了。終了時刻は8時ちょうど。本来ならばクリープハイプの登場するはずだった時刻だ。穴を埋めるわけではなく、存在は残したまま満足させようとするボロフェスタの判断はこのタイミングで出来る最適解のように思えた。
この日のエンディングで流れた楽曲はスーパーノア“ドリームシアター”。今年の出演はないが、かつては主催としてもボロフェスタに参加していた期間もある常連バンドだ(2014年以降は岡村寛子も在籍)。20周年とあって、本来なら地下やロビーも使ってなるだけ多くのアクトを呼びたかったはずだ。ボロフェスタはここまで関わって来た存在を、あらゆる手を使ってこの場所に登場させようとしているようにも感じている。
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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