INTERVIEW

あの頃、下北沢Zemでリトル・ウォルターを聴いていた ー武田信輝、永田純、岡地曙裕が語る、1975年のブルース

吾妻光良& The Swinging BoppersをはじめブレイクダウンやBO GUMBOS、ペンペンドンピーなどで活動してきた岡地曙裕(当時は岡地明 / Dr)や、YMO、矢野顕子、たま、友部正人らを始め、近年はインディー・ミュージシャンのサポートに携わってきた音楽エージェント・プロデューサーの永田純(Ba)が、武田信輝、橋本一郎と共に活動していたブルースバンド、Wine Headed Woman。活動期間は1975年のみだが、当時のライブ音源が発掘され、今回配信リリースとなった。当時を過ごした下北沢でメンバー3人が語る、70年代中盤の東京のブルース・シーンとは。

MUSIC 2024.11.20 Written By 峯 大貴

1975年、東京。10代の若者4人が、シカゴ・ブルース・バンドWine Headed Womanを結成した。メンバーはブルースハープの武田信輝、ギターの橋本一郎に加え、80年代以降は音楽エージェントとして数々のアーティストをサポートする永田純(Ba)、そして現在まで多数のバンドのリズムを支えることになる岡地曙裕(当時は明 / Dr)の4人組。

 

この1975年は日本のブルースがムーヴメントとしてピークを迎えた年である。ウエスト・ロード・ブルース・バンド『BLUES POWER』、上田正樹と有山淳司『ぼちぼちいこか』、上田正樹とサウス・トゥ・サウス『この熱い魂を伝えたいんや』、憂歌団『憂歌団』、サンハウス『有頂天』など、現在もブルースの名盤として名高い作品が発表。またウエスト・ロードを抜けた山岸潤史を始めとするスーパーグループ、ソー・バッド・レビューが結成。日暮泰文が現在の《P-VINE》にあたるブルース・インターアクションズを創業。高円寺のライブハウス〈JIROKICHI(当時は次郎吉)〉の開店もこの年だ。1960年代末から京都や大阪を主な震源地としたブームが全国的に波及したタイミングにあたる。

 

Wine Headed Womanの活動期間は1975年の1年足らず。音源も残さぬまま自然消滅した学生アマチュアバンドだ。それぞれの道を歩み、また橋本は80年代に若くして亡くなったのだが、今年ふとした縁で武田、永田、岡地が再会。さらに当時のライブ音源が発掘されたのだ。そしてこの度『LIVE 1975』としてリマスターを施し、配信リリースされることとなった。

 

奇しくも昨年3月には《ele-king books》から『ニッポン人のブルース受容史』(日暮泰文・高地明 編著)が刊行。また『ギター・マガジン』2024年7月号では特集「実録 にっぽんブルース史〜あの頃、BLUESを弾かない者は人間ではなかった〜」が組まれるなど、今見直されている日本のブルース。

 

このタイミングで3人に、当時を回想するインタビューを実施。関西ではなく東京でブルースを始め、なおかつ1960年代末から日本で徐々に広がり始めたブルースに衝撃を受けた第二世代という立場で語ってもらうことで、それらの前書からはこぼれたサイドストーリーのような内容を狙った。またユースカルチャー最前線だったブルースの熱狂が感じ取れる本音源のリリースに際して、当事者の中には鬼籍に入る者も多くなってきた中で、本人による証言とセットで残すことの意義は非常に大きいだろう。

 

取材場所は下北沢の老舗ミュージック&ダイニングバー〈Never Never Land〉。永田が「ここを指定したのは、実は縁があって……」と語り出した。

 

写真:Fujiyama Hiroko


配信リンク:https://linkco.re/2C74NF2G

若きブルースマンたちのたまり場だった、下北沢〈Zem〉

永田純

〈Never Never Land〉は下北沢でもう45年以上になるんですけど、開店当時はこの向かいのブロックにあって。そもそもは1978年ごろまであった〈Zem〉というブルース喫茶の居抜きでできたんです。そこにこのバンドの4人が通っていて。

武田信輝

〈Zem〉は東京のブルース界の拠点みたいな場所だったし、関西のブルース・バンドにとっては東京の窓口になる場所でもありました。

岡地曙裕

関西からウエスト・ロード・ブルース・バンドやブレイクダウンが来るときは機材の準備もここでしていたし、妹尾隆一郎さん(注1)なんか自分の連絡先も〈Zem〉の電話番号にしていた。

注1 妹尾隆一郎:1949年生まれ、日本を代表するブルースハーモニカ奏者(2017年死去)。ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースターとしての活動の他に、サザンオールスターズ“ラチエン通りのシスター”、山口百恵“ロックンロール・ウィドウ”、B'z“Don't Leave Me”、“BAD COMMUNICATION(000-18)”などでも印象的な演奏を聴くことができる。

永田

なによりいろいろなブルースのレコードを聴ける場所がここしかなかった。だから聴きたいアルバムの情報を仕入れたら、まずは〈Zem〉に行ってかけてもらうんです。店主の美香さんは、当時の僕らにとっては母親のような存在で、いつも笑って迎えてくださった。今でもたまにライブに足を運んでくださいます。一方、店番をやっていた正井芳幸さんは、東京側のシーンをまとめる立場でした。のちにはブルー・ヘヴンを始め、多くのバンドの面倒を見たり、〈日比谷野外音楽堂〉で『スプリング・カーニバル』などを開催して、僕も手伝いに行きました。たくさん説教してもらった。当時彼と出会っていなければ、僕は今の仕事はしていないかもしれない。

岡地

あと吉祥寺に〈なまず屋〉って店が1973年ごろにあって、オープンリールでブルースのアナログ盤が聴けたから僕はそこにも行ってたな。

Wine Headed Woman(永田純、岡地曙裕、武田信輝)
──

Wine Headed Womanにとって思い入れ深い場所が〈Zem〉であり、ここはその名残を感じられるところなんですね。

岡地

今のこの場所に来るのは初めてですが、〈Zem〉がなかったら生まれてなかったバンドではある。開店前の昼間、妹尾隆一郎さんがよく寝てたんですよ。「寝てるくらいならここでなんかやりなよ」って誰かに言われてブルースハープ教室を始めるんですが、武田さんはそこの一期生。

武田

教室というほど大げさなものではなくて、開店前にうだうだ集まった5~6人に対して妹尾さんがちょっと教えていたってほどのものでしたね。

永田

妹尾さんが麻雀やっていて教室をすっぽかすこともあったから、代わりに武田さんが教えることもあったって聞いてます(笑)

武田

自分じゃ教えられないよ。

岡地

何も言わず来ないことはよくあったから、来るまで武田さんが間をつないでいたことはあるかもね。でも妹尾さんは音楽に熱い人でしたよ。当時はまだなかったハーモニカ専用の譜面を作ろうとしていたのを覚えています。吹く、吸う、ベンドとかも書き表そうとしていた。


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かつては下北沢に暮らしていた妹尾隆一郎。今年、下北沢駅東口の駅前広場には彼の通称「ウィーピングハープセノオ」のブロックが設置された。その縁で2024年4月に彼のトリビュートライブが開催され、吾妻光良、KOTEZ、山室俊介、永田純が出演。
永田

初めて音楽でギャラをもらったのも妹尾さんがとりまとめていた武蔵大学の学園祭のライブでした。メインがウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター、上田正樹とサウス・トゥ・サウスと三上寛さんの予定だったんですが、三上さんがドタキャンになったらしく、Wine Headed Womanに声をかけてくれたんです。確か4人で8,000円もらった。

岡地

妹尾さんは大恩人ですね。いろいろなことを仕掛けたり、輪を広げる力がすごかった。ブルース界での人を惹きつける力で言えば西の山岸潤史(注2)、東の妹尾隆一郎。その日のライブに呼ばれてないのにハーモニカを吹きながら、やってるバンドのステージに上がっちゃって、その場でどんどん友達を作っていっちゃうんだから。

注2 山岸潤史:1953年生まれ、現在はニューオーリンズを拠点に活動するギタリスト。1972年にウエスト・ロード・ブルース・バンドに参加。脱退後の1975年にはソー・バッド・レビューを結成。チキンシャック、BAND OF PLEASUREなどさまざまなバンドで活動を続ける中で1995年にアメリカ移住。パパ・グロウズ・ファンクやワイルド・マグノリアスでも活躍した。

下北沢一番街と茶沢通りの交差点付近に位置する〈Never Never Land〉。この日の取材には彼らと同じ時期を過ごし、〈Zem〉にも通っていたブルースシンガー田辺育代も同席していた。

あの頃ブルースは、謎が謎を呼ぶ神秘の音楽だった

──

そもそもみなさんがブルースと出会ったきっかけはなんだったんですか?

武田

僕は『ニューミュージック・マガジン』(現ミュージック・マガジン)をよく読んでいたんですよ。読み始めたのは創刊3年目の1971年4月号から。当時は学生運動とロックやフォークを絡めた記事が多かったけど、ブルースの特集もたまにあったんです。当時のロックバンドに対して「ブルースの影響を受けている」とかよく書かれていたし、そういう文章を読む内にアーフリー《Arhoolie Records》が出していたアンソロジーとかから、ブルースを聴くようになりました。でもやっぱり直接衝撃を受けたのはウエスト・ロード・ブルース・バンドですかね。代々木にあったライブハウス〈いちごの目覚まし時計〉、吉祥寺に1年3カ月くらいあった〈OZ〉っていうロック喫茶、あと西新宿の〈magazine No.1/2(マガジンハーフ)〉によく観に行っていました。それが高校2年だった1972年ごろ。そのあたりからもうブルース一辺倒ですね。


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※オリジナルメンバーで再結成した1984年に発表されたアルバム『JUNCTION』

永田

武田さんが1956年生まれで、岡地が1957年、橋本と僕が1958年。橋本とは1971年に同じ中学に入学して出会ったんですが、同級生で初めてエレキギターを買ってバンドを始めたのが彼だったんですよ。バンドやろうぜって言っている輪の中に入りたくて、でもギターとドラムをやっている人はもういたからベースを始める。クリームやレッド・ツェッペリンをやっていたんですが、当時はブルースとわかっていなかった。だから本格的にブルースに触れたのは武田さんと出会って、シカゴ・ブルースを教えてもらったのがきっかけです。そしてそれまで聴いていたロックバンドに立ち返ったら、みんなブルースから影響を受けていることに気づく。

──

1970年代の初頭はニュー・ロック、またその後フォークも台頭してきますが、ブルース以外の音楽は聴いていましたか?

武田

ブルース以前は、ロックはソフト、ハードどちらも幅広く聴いていました。1972年ごろからはフォークブームが来て、みんな聴いていましたけど、自分はある程度通ったというくらい。すでにブルースにはまっていたので、プログレっぽいものよりはR&Bが好きでしたね。日本のバンドだったらフラワー・トラベリン・バンドとか頭脳警察を〈日比谷野外音楽堂〉に観に行っていました。

武田信輝
岡地

これは吾妻光良さん(注3)がよく言っているんですが、当時ある一部の音楽ファンの間で「ブルースを聴かない者は人間じゃない」って言っていたんですよ。これは今の人にはよくわからない感覚だと思う。武田さんが読んでいた『ニューミュージック・マガジン』が筆頭ですが、『音楽専科』や『THE BLUES』(現ブルース&ソウル・レコーズ)とか『新譜ジャーナル』、いろいろな音楽雑誌やミニコミに至るまでブルース特集をやっていたんです。そこでオールマン・ブラザーズ・バンド、カクタス、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)とか、イギリスでもアニマルズやフリートウッド・マック、チキン・シャック、クライマックス・シカゴ・ブルース・バンドだって、なによりビートルズやローリング・ストーンズも、みんなブルースをやっているって書かれていた。

 

でもブルースってなんでいろいろなミュージシャンの間で流行っているのか、そもそもどんな音楽を指しているのかまだ誰もわかっていなかった。そこがロックやフォークと違うところで、僕にとってブルースは謎が謎を呼ぶ神秘の音楽。新しい欧米文化に触れるような感じでみんながブルースに夢を見ていたんです。僕の知り合いの中で一番ブルースって何なのか探求していたのがこの武田さんです(笑)

注3:吾妻光良:1956年生まれのギタリスト。岡地も所属する12人組ジャンプ・ブルースバンド、The Swinging Boppersの中心人物。今年結成45周年を迎え、11月に9枚目のアルバム『Sustainable Banquet』をリリースする。

武田

ブルースが異質な音楽という感覚は僕にもあって、ブルースマンは宇宙人みたいな存在だと本気で思っていたんです。それで1974年に『ニューミュージック・マガジン』の主催で開かれた『第1回ブルース・フェスティバル』で、スリーピー・ジョン・エスティスとハミー・ニクスン、ロバート・ジュニア・ロックウッド&ジ・エイシズが来日するんですけど、そこで初めて本当のブルースマンを見て、他の人と変わらない普通のアメリカ人だって気づく。

岡地

今言うとすごく恥ずかしいけど、「ブルース・バンド」って名乗ることが新しくてかっこいいんだぜって、そういう時代だったんです。だから僕らのちょっと上の世代、妹尾隆一郎さんや永井”ホトケ”隆さん(注4)。あとソウル・ミュージックも日本ではまだ定着していなかったから、上田正樹さん(注5)がサウス・トゥ・サウスで「この熱い魂を!」ってソウルに取り組んでいく。アメリカの新しくてかっこいい音楽を先輩方が日本でやり始めた流れを僕らは第二世代として引き継いでいくんです。

注4 永井“ホトケ”隆:1950年生まれ。1972年に塩次伸二、山岸潤史らと共にウエスト・ロード・ブルース・バンドを結成。その後ブルー・ヘヴン、THE BLUES POWERなどを経て、現在のブルーズ・ザ・ブッチャー(blues.the-butcher-590213)に至るまで第一線で活動をつづけているボーカリスト、ギタリスト。ブルース関連のラジオDJやライナーノーツなどの執筆でも活躍している。

注5 上田正樹:1949年生まれ、R&Bソング・シンガーソングライター。1974年に有山淳司(現・有山じゅんじ)らと、上田正樹とサウス・トゥ・サウスを結成。その後、ソロに転身し“悲しい色やね”(1983年)が大ヒット。1999年以降は韓国、インドネシアなどアジア諸国にも進出し、高い人気を誇る。

岡地曙裕
──

それはどれくらいの時期にあたるんですか?

岡地

ブルースが好きで楽器を始めた東京の高校、大学生が、ちょっとずつセッションイベントや学園祭に出始めたのが74~75年くらいでしょうか。当時『ニューミュージック・マガジン』に南阿佐ヶ谷ブルース・バンドが取り上げられていて「東京のブルース・バンドが出てる!」って思った記憶がある。あとその時から存在を認識していたのはマッドブルースバンド(後のJUKE)とか、先輩ですがスウィート・ホーム・シカゴ。ウシャコダはまだいなかったな。

──

火付け役となったウエスト・ロードは京都ですし、大阪からも上田正樹とサウス・トゥ・サウスと憂歌団が1975年にレコードデビューを果たす。やっぱりブルースは関西で盛り上がっているというムードだったのでしょうか?

岡地

京都が震源地っていう印象がありましたね。関西の人たちはアフロ、サングラス、ロンドンブーツに、裾が割れたピチピチのジーンズ履いていて、俺はそのスタイルが全然似合わないんだ(笑)

武田

あと当時「日本ハーフ」っていう京都のジーンズブランドがあって、それを関西の人たちが履いているのがカッコよかったんですよ。東京でブルースやっている人は自分も含めて胸のあたりまで伸ばした長髪が多かった印象。

永田

僕も、1975年の初頭に吉祥寺〈曼荼羅〉で山岸潤史さんが抜ける直前のウエスト・ロードを、その半年後に〈次郎吉〉でおそらく東京での初ライブだったサウス・トゥ・サウスを初めて聴いて、人生が変わった感じはあります。京都は確かに“聖地”という印象で、自分は同じ75年の夏に初めてひとりで巡礼しました。ロック喫茶の〈ダム・ハウス〉やブルース喫茶 〈ZACO〉 などをまわって、そのまま九頭竜湖で行われていた、めんたんぴんや妹尾さんが出演するフェスに向かったことを覚えています。

ブルース第2世代の少年4人がたった一年間だけ取り組んだ、シカゴ・ブルース・バンド

──

ではこの4人はどういう経緯で一緒にバンドをやるようになったんですか?

岡地

日暮里にある〈延命院〉っていうお寺の息子が、ものすごくロック、ブルース、ディスコが好きなドラマーで、敷地内にあるプレハブ小屋にバンドができるようなスタジオを作っていたんですよ。そこに反町くんっていうすごくギターがうまかった兄弟や武田さんたちが誘われたんです。あとダイちゃん(近藤達郎(注6))もいた。

注6 近藤達郎:1957年生まれ、作曲家、編曲家、鍵盤楽器・ハーモニカ・クラリネット奏者。金子マリ&バックスバニー、GAS、チャクラ、ラブジョイ、大友良英スペシャルビッグバンドなど数多くのバンド・ユニットに参加。『かもめ食堂』や『桐島、部活やめるってよ』など映画、演劇、CM音楽も多数手掛ける。橋本・永田の高校の1学年上にあたり、岡地・永田とは当時別のバンドを共にしたこともある。

武田

「延命院ブルース・バンド」って仮で名乗っていた気がする(笑)。でもその寺の息子はハードロックも好きだったのに、僕らがブルースばっかりやってるから抜けて、岡地を呼んだ。

岡地

そこから永田と橋本がどういう経緯で入ったかは覚えてない……。

永田

橋本と武田さんはすでに知り合っていたから、橋本を通じてセッションに誘われた記憶はありますね。それが1975年。武田さんが19歳、岡地が18歳、僕が17歳で、橋本は誕生日がまだだったから16歳でした。

永田純
──

このバンドでは何をレパートリーとしていましたか?

武田

自分のハープを中心としたシカゴ・ブルースをやっていましたね。リトル・ウォルター、サニー・ボーイ・ウィリアムソンII……それだけじゃ橋本のギターが目立たないから、マジック・サムとか、ロックに近いブルースも少しやっていたと思う。

永田

僕は武田さんにまず『Chicago/The Blues/Today!』っていうVol.3まであったシカゴ・ブルースのアンソロジーを聴かされてそこからやってたことを覚えてる。武田さんがブルースの師匠だから、三大キング(B.B.キング、アルバート・キング、フレディ・キング)のような定番のギター系はあんまり通っていないんです。ちなみに去年から金野篤さん(注7)が、70年代~80年代前半の東京ブルース・シーンのバンドの発掘音源を集めたシリーズ『TOKYO THE BLUES YESTERDAY!』を《ブリッジ》から出してますけど、このタイトルの元ネタにもなっている。

注7 金野篤:ヴァージン・メガストア、ブリッジ、ディスク・ユニオンを経て、現在はフリーの音楽プロデューサー、ディレクター。《SUPER FUJI DISCS》や《MY BEST!》などのレーベルを運営し、現在まで制作・販売してきたCD・LPタイトルは600を超える。

岡地

武田さんの探求心はすごいんですよ。スヌーキー・プライアの“Boogie Twist”をやっているバンドなんて当時大学生でもいなかったと思う。

永田

そもそもブルースのシングル盤なんて当時日本でなかなか手に入らないのに、武田さんは聴きたい一心で、個人輸入している人のところにまで話を聞きに行ったりしていましたもんね。

──

バンド名もシカゴ・ブルースの影の大御所ドラマー、ウィリー・ウィリアムズのソロアルバムに収録された曲名からとっててシブい……。しかし活動していたのは1975年11月までで、やっていたのは1年にも満たないんですね。解散の理由はなんだったんですか?

岡地

僕が高3で大学受験があるからさすがに一回抜けるって言ったんですよね。翌年、亜細亜大学に入るんですが、その時にはもうこのバンドは残ってなかった。でもその後、武田さんと再会するの。そのころはハープじゃなくてギタリストになっていて、クラレンス・ゲイトマウス・ブラウンとかルイ・ジョーダンとかをやってた。

永田

岡地が大学に入ったということは、次が僕と橋本が高3で受験だから、もう自然消滅しちゃったんだと思います。武田さんと橋本の音楽的な興味も、もう次へ行っていたし。

少年たちは大人になり、ブルースブームは終わりを告げる

──

Wine Headed Womanが終わった1976年以降、ブルース全体としての人気も沈静化していきますが、この時の状況はみなさんそれぞれどのように感じていましたか?

武田

時代の変わり目だったんでしょうね。フュージョンとかディスコとか新しい音楽が日本に入ってきて、周りには16ビートに対応してプロになっていく人もいたけど、自分は取り残されていく感覚がありました。

永田

みんなブルースをやりたいというだけでバンドをやっていたけど、大学卒業あたりを期に一般企業に就職するのか、バックバンドやスタジオミュージシャンとして生きていくかっていう選択肢だったのかな。で、僕自身はどっちにも行けないまま、今日に至る感じです。

 

またもう一つ個人的には、みんな日本語で歌うブルースや、オリジナル曲をやらなきゃとなっていって、何していいんだかわからなくなったというのもあるように感じます。

岡地

僕にとって時代が明確に変わったと思ったのは、金子マリ&バックスバニーなんです。すごくおしゃれで衝撃的だった。『ライブ We Got To…』っていうライブ盤を出すんだけど、そこで近藤ダイちゃんがサポートメンバーとしてピアノで入る。ついに同い年の知り合いからレコードデビューする人が出た!って拍手したのを覚えている。


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永田

僕のキャリアでいうと1976年の2月に、妹尾さんが若い連中に場を作ろうと〈青山VAN99ホール〉でセッションイベントを開くんですけど、そこでローラーコースターの山崎よしきさん(Dr)と初めてセッションさせてもらうんです。これがきっかけでローラーコースターに誘ってもらう。でも僕は高3になるところだから、受験が終わるまで1年待ってくださいとわがまま言って、1977年に加入します。それからはしばらくは、ひたすら妹尾さんや山崎さんに引き上げてもらいながら活動するようになるので、80年代の頭くらいまではブルースに打ち込んでいました。

 

ただ関西の方でもソー・バッド・レビューは1976年に終わるし、ウエスト・ロード・ブルース・バンドも77年に解散、それまでのブルース・ブームみたいなものからは変わっていったように思います。シーン全体が次の段階に進んだというか。

武田

その中で岡地はプロのドラマーとして、ずっと自分の音楽をちゃんとやっている感じがするけど。

──

確かに現在まで活動が続く吾妻光良 & The Swinging Boppersの初ライブが1979年。1982年にはブレイクダウンに途中加入、1987年からはBO GUMBOS活動開始、今もマダムギター長見順さんとのペンペンドンピーなどずっとブルース・バンドで活動されています。

岡地

ずっとディープなところにいるだけです(笑)

──

橋本さんはどうなったんですか?

永田

彼はその後サックスに転向してフリージャズを目指していたんだけど、杉並から大宮に引っ越して、大学も埼玉大学に行ったこともあって、たまに家電で話したり、年に数回手紙のやりとりするくらいの関係に自然となりました。僕も仕事を始めていたし。大学卒業後はご両親の実家の広島に移っていたんですが、80年代半ば、30歳にならないうちに亡くなりました。それはとてもショックで。

橋本一郎

半世紀の時を超え、再び出会った3人と発掘されたカセットテープ

──

ここまでの当時の流れを追ってきましたが、今回ライブ音源をリリースすることになった経緯を教えてください。

永田

当時一緒にセッションしていた明治大学の先輩の近藤洋さんが亡くなって、今年1月に中野の〈Bright Brown〉で偲ぶ会が開かれたんですけど、そこで武田さんと岡地と僕が再会するんです。岡地はたまに会っていたけど、武田さんなんてもう40年ぶりくらい。しかもその場でWine Headed Womanのライブ音源がかかって本当に驚いた。その偲ぶ会を開いてくれた佐久間淳二さんが50年に渡ってカセットテープを持っていてくれたようで、今回リリースするのはその音源をリマスターしたものなんです。この偲ぶ会があるって聞いた時、そこまでお付き合いがあったわけではないから、行ってもいいのかなぁって感じだったけど、たまたま3人が居合わせて、自分たちの音源を耳にするなんて。

岡地

武田さんなんか、僕が行こうって誘ったとき一回断ったんだから(笑)

武田

演奏もやるっていうから、もう俺は長いことやってないしできないよって。

──

このライブはどういうイベントだったんですか?

永田

1975年10月に〈目黒区民センター〉で行われた、交流のあった大学サークルのブルースバンドがいくつか集まって開いたイベントです。ホールを借りるのに、『全日本大学ロック連盟』ってのをでっち上げた(笑)。僕らは4人の中だと武田さんだけが日本大学芸術学部で、他はまだ高校生だったんだけど、まぁいいだろってことで勝手に日芸の看板背負って出たんです。亡くなった近藤さんは明治大学のサークル、カセットを持ってきてくれた佐久間さんは東洋大学のサークルでこのイベントを幹事としてまとめていたから、録音していたテープを引き取って残していたそうです。

3人が下北沢で過ごしていた時期からは、すっかり街並みが変わったが、1977年開店の音楽喫茶〈いーはとーぼ〉は現在も変わらぬ場所で営業を続けている。
──

当時の自分たちの音声を聴いて、どんなことを感じましたか?

永田

橋本のギターがすごくいいんですよ。T-ボーン・ウォーカーの定番のフレーズなんだけどすごくパンクで涙が出ちゃった。あいつがひとりで抱え込んでいたものがすべて詰まってる。彼が亡くなってからもその存在はずっと心の中にあったけど、そのテープを聴いてからはさらに頭から離れなくなりました。しかもそのカセットを持っていた佐久間さんも、つい先日亡くなったんです。奇跡的なタイミングで自分たちの手元に戻ってきたこの音源を、このままにはしておきたくないなと思いました。

岡地

当時東京で妹尾隆一郎さんとタメを張れるハーピストは武田しかいないって周りからも評判だったんです。そういう武田さんの姿とか、橋本の普段は大人しいのにたまにものすごく強気な発言をする性格そのまんまのギタープレイとか、こうやって記録されているのは喜ばしいことです。1975年という時代の中でほんの隅っこの一ページになれたような感じ。自分のドラムは聴けたもんじゃないけど(笑)

武田

そんな大したものではありませんが、こういう形で自分の演奏が世に出るなんて、素直に嬉しいものですね。

永田

〈Zem〉という場所に集まっていた4人のバンドの音源が50年の時を経て世に出る。橋本はいないけど、また3人集まって話すことができた。このことにどんな意義があるかはわからないですけど、この巡り合わせには感謝したいです。

LIVE 1975

 

アーティスト:Wine Headed Woman
仕様:デジタル
発売:2024年11月8日
配信リンク:https://linkco.re/2C74NF2G

 

収録曲

1. Rocker [Little Walter]
2. Boogie Twist [Snooky Pryor]
3. Bad Boy [Eddie Taylor]
4. Blues After Hours [Pee Wee Clayton]
5. Help Me [Sonny Boy Williamson Ⅱ]
6. Off The Wall [Little Walter]
7. Lonesome Cabin [Sonny Boy Williamson Ⅱ]
* []内はオリジナルアーティスト

WRITER

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大石晴子が探る、これからの生きていく道とは ー『脈光』インタビュー&全曲解説
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伏見◎Project “Dawn-town” – 京都伏見を冠するニュー・コンボによるムーディーな楽…
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みらん『Ducky』 – 22歳の今しか表現できないことを歌っている、理想的なデビュー作
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徳永憲『今バリアしてたもん』何重にもねじれたユーモアが満載、歌とアコギが主体の12作目
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国でも建てるつもりなのか – グッナイ小形
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NEKOSOGI – NEKOSOGI
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たまき – 門脇沢庵
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夢の日々 – ミチノヒ
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お歳暮企画 | ANTENNAとつくる2021年の5曲 Part.2
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お歳暮企画 | ANTENNAとつくる2021年の5曲 Part.1
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年鑑 石指拓朗 2021-武蔵野散歩編
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FALL ASLEEP#2 全曲レビュー
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ぶっちゃけ上京ってどう?-ベランダ×ギリシャラブ×Crispy Camera Club 京都発・東京…
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いちやなぎとひらまつ-平成6年生まれ、ウマが合う歌い手の2人
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「シーン」から「モード」に移ろいゆく – 京都音楽私的大全
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峯大貴が見たボロフェスタ2021 Day3 – 2021.10.31
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峯大貴が見たボロフェスタ2021 Day2 – 2021.10.30
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“ニュー・ニート”ゆうやけしはすが目論む、ローカルから興すロック・ルネッサンス
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グローバルな視野を持って、ローカルから発信するーリクオが『リクオ&ピアノ2』で打ち出す連帯の姿勢
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ズカイ – たくさん願い溢れて
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みらんと話した日ー兵庫在住シンガー・ソングライターによる互いの気持ちを尊重する歌を探る
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つくるひとが二人、はみ出す創作を語る-井戸健人×畠山健嗣 対談
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秘密のミーニーズ – down in the valley
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ラッキーオールドサン – うすらい
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ご当地ソングからはみ出る方言詞|テーマで読み解く現代の歌詞
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ベルマインツ – MOUNTAIN
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もどかしくもシンプルを求めトガっていく。シャンモニカが語る『トゲトゲぽっぷ』
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シンガーソングライターという自覚の芽生え – ぎがもえかインタビュー
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たけとんぼ – 春はまだか / 旅の前
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ショーウエムラ – 大阪の犬
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2020年をポジティブに転化するために - 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)が語る新作『ハビタブ…
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かさねぎリストバンド – 踊れる
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従来のイメージを跳ね返す、日本のフォークの変革 - 『#JAPANESE NEWEST FOLK』前…
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年鑑 石指拓朗 2020
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編集部員が選ぶ2020年ベスト記事
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音楽のすそ野を広げる、影の歌の送り手 - 〈NEWFOLK〉主宰 須藤朋寿インタビュー
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自分の言葉を持つ人の歌が、心に入ってくる - 浮(BUOY) インタビュー
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