これまでの生活と折り合いをつけるような、歌い手としての旅路を描く放浪記
平成元年生まれのシンガー・ソングライター松井文(まついあや)。昨年は折坂悠太、夜久一とのレーベルおよびユニットである<のろしレコード>としてアルバム『OOPTH』をリリースし、演劇ユニット<ウンゲツィーファ>の舞台『さなぎ』には俳優として出演するなど、精力的な活動を行った。本カセットEPはソロとしては3年ぶりとなる、満を持しての作品だ。折坂のプロデュースによって多彩なサウンド・アプローチを見せたアルバム『顔』(2017年)から一転、ロケット・マツ(P / パスカルズ)、種石幸也(Ba)、ハラナツコ(Flu / Sax)がそっと歌に寄り添った彩りを加えている全4曲。充実したユニット・ワークスも経て、より含蓄を得た歌い手としての旅路を描いた放浪記、とでもいいたくなる仕上がりである。
とにかく歌の佇まいが特異な人。親密感を伴って生活の匂いをまといながらも、超然的な気配が同居している。それはどっしり落ち着いている、とっぽい姉ちゃん(折坂悠太曰く)みたいな松井の人間性そのものなのだが。詞の言葉数は絞り込まれ、余白を残しながら達観した視点で描かれる心情と情景。そこに歌が乗ると、聴く人の心情にするっと憑依して響いてくるのだ。仏頂面で純粋で太い芯を持ちながらも、一方でどこか逡巡しているようなマーブル模様の歌声に引き寄せられてしまう。
この表題曲“ひっこし”の“もう何度目だろう ほかの街は”の一節には現代のホーボーズ・ソングとしてのさすらいを感じる。松井自身、これまで横浜、大阪、東京と拠点を移してきた。からっぽになった部屋を見つめて、かつてここで育んだ愛に気づいた瞬間が歌われているが、住み着いた記憶は持って行かずに家を出ていく。次の街への期待を胸に、心の棲家を求めて、さまよう心情よ。浅川マキが“少年”で“何処で暮らしても同じだろうと わたしは思っているのさ”と歌いながらも、最後には“私の心に何がある”と虚無を滲ませここにはない何かを求めてしまう心情を、精神的に引き継いだ趣を感じる。
また、別れた彼女を引きずっているが、もどらないことは悟っている“あの娘をよろしく”。1stアルバム『あこがれ』(2012年)から再度レコーディングされた“昔ばなし”も含め、松井による詞曲はいずれも過去の虚しさにとらわれながら、現状にくさくさしながら、それでもどうにか折り合いを見つけて前に進もうとしている。そのない交ぜになった感情で今を生きる姿には昨年のろしレコードで発表した、逃避願望とSFの世界を交錯させつつ“君と僕で 暮らすなら あの星にしよう”と暮らしの行く先を歌う“コールドスリープ”とも重なるのだ。折坂による詞曲だが、シンプルな構造で、フォーク・ミュージックへの敬意に溢れている点は松井からの影響も色濃い。そしてこの“コールドスリープ”の視線をより生活に卑近な形で描いたのが本作だという見方も出来るだろう。
またカセットにのみ島倉千代子“愛のさざなみ”(1968年)のカバーが収録されている。フルフルと揺らぐファルセットを活かした歌いまわしや、曲にも負けない声の彩りが、半世紀以上前にヒットした歌謡曲に普遍的な生活の風を吹かせている。
哀愁を滲ませながら暮らしに一つの区切りを打つ<宿替え>を描いた本作。松井文の歌は聴く人の感情におじゃまして、心の釘に箒をかけにくる。
松井文『ひっこし』
収録曲
1.ひっこし
2.愛のさざなみ
3.あの娘をよろしく
4.昔ばなし
フォーマット : カセット(mp3ダウンロードURL付)
リリース日:2020年6月18日から順次発送(5月13日より予約受付開始)
定価 : ¥1,600 (税込)
品番:NORO-006
レーベル:のろしレコード
松井文
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WRITER
- 峯 大貴
-
1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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