
『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』前編-残されたものたちによる最後の春の祭
大阪のライブイベント『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』が2025年5月3日~5日の3日間、豊中市服部緑地野外音楽堂にて行われた。1971年から半世紀以上に渡って続く、ゴールデンウィークの風物詩的野外コンサート(1979年に一度休止、その後1995年から再開)。昨年主催者の福岡風太が亡くなり、今回をもってその歴史に幕を降ろすこととなった。本記事は有志スタッフ会場班として参加した筆者が、ステージの模様はもちろんのこと、裏側の光景も交えて三部構成で綴っていく。まずは開催に至るまでの道のりから初日の全ステージを追った前編。
春一番 ビヨンドかつ、ザ・ラスト・ワルツ
福岡風太の息子である福岡嵐から久しぶりに着信があったのは、2024年11月13日水曜日、午後5時半ごろだった。「風太がいない最初で最後の『春一番』をやることにした。僕もそうだし、このイベントに関わるみんなにとってちゃんと区切りをやんなきゃなって。タイトルも鏡さん(注1)と相談してさっき決めた。『春一番 2025』じゃなくって、『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』。どう?」
注1:鏡孝彦:『春一番』を長らく支える、関西のコンサートプロモーター会社、グリーンズコーポレーション社長
プロデューサー、舞台監督だった福岡風太は、1971年に第1回『春一番』を〈天王寺野外音楽堂〉で開催。1979年まで9回行われ、一時休止を挟むも1995年以降はコロナ禍の3年間を除き、毎年5月に〈服部緑地野外音楽堂〉で行われてきた。「反戦、反核、反差別」を掲げた年に一度の野外コンサートに人生を捧げた人だと言っていい。近年は体調を崩し、嵐が実務部分をほぼ代行していたが、2024年の『春一番』は最終日5月5日に入院中の病院から30分だけ会場を訪れ、ハンバート ハンバートのステージに登場した(注2)。そこで無事に見届けられたことに安堵したかのごとく、約1カ月後の6月10日に死去。享年76。
注2:昨年『春一番 2024』の詳しい模様はライブレポート全3編を参照。
嵐と筆者が言葉を交わしたのは2024年6月13日に豊中市〈加納会館〉で行われた風太のお別れ会以来だった。絶対的な主催者である風太の死去を持って長い歴史を終える覚悟はしていたものの、一方で嵐から「最後にもう1回やる」と聞いても、さほど驚きはなかった。というのもその葬儀でのこと。凛々しく眠る風太の棺のそばには、アコースティックギターが1本。喪服姿のミュージシャンたちが入れ替わり立ち替わり、風太に最後の曲を聴かせていく。その光景は紛れもなく、この年2回目の『春一番』だった。喪主の嵐はひっきりなしに訪れる弔問客の対応で忙しく振る舞っており、日付が変わる頃にはいつになく酩酊していたが、終電も近くなり筆者が帰宅を告げると、外に連れ出し数時間ぶりのタバコに火をつけた。そしてボソッと言ったのだ。「来年、もう一回やるかもなぁ。風太が死んで、最後の『春一番』だからっつって。馬鹿なふりしてヒロトにもマーシーにもチャボさんにも、達郎さんにもまりやさんにも、声かけるんだよ」。この発言自体は、あくまで酔っぱらいの妄想に過ぎないだろう。でも『春一番』に正式なフィナーレが必要だということが、彼の頭の片隅にあるとは気づいていた。
翌6月14日は『The Last Waltz』と題され、出棺が行われた。風太の肉体を乗せた車は葬儀場を出発し、〈服部緑地野外音楽堂〉に到着。野音の管理人の粋な計らいによって、風太が最も愛したこの会場でしばし最後の時を過ごしたのち、火葬場へと向かっていった。最後の最後まで風太は『春一番』の主催者として荼毘に付したのである。

以降の開催決断までの逡巡や、タイトルに選んだ『BE-IN LOVE-ROCK』の意味合い、出演者の人選については、公式Webサイトに掲載した対談記事「嵐とスタッフの会話」に譲るとしよう。2025年1月1日、嵐の宣言と共に開催が発表された。「最後の春一番をやります。『春一番』を作った福岡風太はもういません。今いる人たちでつくる『春一番』で終わります。『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』というタイトルです。追悼でもなく、記念でもなく、当たり前でもありません。いつもの頃に、いつもの場所で会いましょう。2025年 元旦 福岡嵐」。例年はヨレヨレながらも力強い字体で書かれた風太の直筆メッセージが掲載されるのだが、今年はそれもない。風太がこれまで作ってきた「“プレ”春一番」にあたる野外コンサート『BE-IN LOVE-ROCK』(1970年4月)、『ロック合同葬儀』(1970年8月)、『感電祭』(1970年10月)も、過去に冠してきた『“祝”春一番』(2006年~2019年)も、『“終”春一番』(2020年 ※コロナ禍で開催中止)まで。全ての意味合いを含む、今まで関わってきた全ての人に感謝し、終わらせるための最後の祝祭。それが『春一番 BE-IN LOVE-ROCK』なのだ。
「周年」「記念」みたいなものを銘打つのがとにかく嫌いだった風太。通算37回目、54年でその歴史に幕を閉じることになったのも実に『春一番』らしい。2013年から有志スタッフとして参加している筆者が、3日間会場班として働きながら観た景色を毎年記録してきた、このレポートも今回で最後である。卒業論文の心持ちで挑み、感謝を伝えていきたいと思う。

時空を超え、たくさんの人に見守られるステージ
5月3日、初日。会場設営が行われた前日は朝から雨に見舞われたが、朝から汗ばむほどの快晴で本番を迎えた。開場・開演は11時だが、筆者が有志スタッフの集合時間である8時半に到着した時にはすでに長い入場待ち列が出来ていた。そして先頭になればなるほど、お馴染みの顔の大常連たち。今年もいよいよ始まるという高揚感と共に、今年で最後なんだという一抹の寂しさが押し寄せてくる。これがいちいち全ての感情に紐づいてきてうっとおしい。
ステージの上には豊川忠宏(トヨヤン)率いる職人たちによる、木工舞台美術が設置されている。今年は下段に「LIVE FOR TODAY」、上段に「LOVE FOR TODAY」の文字が掲げられたが、これは風太が2023年に開催を発表した際に用いた言葉だ。『春一番』は最後まで「愛と平和」を謳うことの宣言ともとれる。そして舞台の中心に吊り下げられたメインフラッグは紺青色のものに新調されていた。昨年まで長らく使われていたオレンジ色のフラッグもステージ上手側に展示されている。このフラッグはよく見ると「“祝”春一番」とあり、すでに「春一番」に回帰している実態に即してリニューアルされた。ちなみに下手側に展示されていたアイボリーのフラッグは90年代に使っていたもの。中央と両端から歴代のフラッグに会場全体を見守られる構図である。そしてイラストレーター諸戸美和子お手製、めくりもお馴染みだ。『春一番』はタイムテーブルを事前公表しないが、アーティストが出演するごとに掲示されていく。


加えてセットチェンジ用の目隠しには、顔のイラストが。メインテーマ“春一番”の作者・西岡恭蔵、福岡風太、憂歌団はもちろん大塚まさじ 月夜のカルテットなど多数のバンドで出演していたドラマーの島田和夫、そして風太と共に長らく二枚看板で『春一番』を作ってきたプロデューサーのあべのぼる。4人とも『春一番』の根幹を成してきた故人だが、風太のものはこの日のために諸戸が新たに描き下ろしたそうだ。また芝生席後方の飲料売店(通称 いか松小屋)には石田長生と藤井裕の写真が貼ってあったし、楽屋にはケータリング・チームの顔でもあった田川律のイラスト、本部には風太の妻のおしげさんの写真、そして他にも……。そんなに来ちゃったらあの世の方だけで会場が埋まっちゃいますよ。でもたくさんの人に見守られる、幸せな最後の『春一番』の舞台が完成した。


幕開けは風太の愛した曲から
タッチマッターズ
時刻は10時30分。会場班で最終の打ち合わせをしていると外から「チャンスは一度だけ……」と獰猛な声が聴こえてくる。いつの間にか定番になった入場列に向けての開演前ライブ。リトルキヨシが代表曲の“シャノンボーイ シャノンガール”を観客と合唱している。「開場まであと15分!よろしくお願いします!」とバックステージに颯爽と消えていったキヨシは、古田名沖(Ba)と田中佑司(Dr)の待つステージへと直行。2009年以降、リトルキヨシトミニマム!gnk!やソロでずっと出演してきた彼だが、新たなスリーピース・バンド「タッチマッターズ」として最後の『春一番』の幕開けを飾る。

10時55分、嵐のアナウンスにより予定から5分早く開場。ドッと観客が会場内に押し寄せてくる。全席自由。近くで観ることができる前方の座席よりも、後方の芝生エリアの方が争奪戦になるのも例年の光景だ。開場と同時に田中の3カウントで演奏開始。かなりオリジナルのアレンジが加わっているが、この特徴的なベースリフ、Booker T. & the M.G.’sの“Green Onions”である。どうやら嵐からのリクエストのようで、かつて風太が話していたことに基づく。まだライブハウスもない時代。ロック喫茶やキャバレーで演奏するバンドにとってはステージ・セッティングやサウンドチェック時に演奏する定番曲だったそう。また1992年に風太が舞台監督として帯同していた忌野清志郎とBooker T. & The M.G.’sの全国ツアーの幕開けを飾っていたのもこの曲(ライブアルバム『HAVE MERCY!』にも収録)。サウンドチェックも兼ねながら、風太の思い入れたこの曲を早く入場できた人だけが聴けるという、ささやかな特典だ。インストゥルメンタルの原曲ではBooker T Jonesによるフレーズが肝だが、タッチマッターズにキーボードはいない。この無茶ぶりに対してキヨシは、オリジナルのメロディと歌詞をつけ、『春一番』の説明と諸注意をアナウンスしていく形で応えていた。

まるで狼が雄叫びを上げるように歌うキヨシ。「わっしょいわっしょい」と観客の身体を波打たせていこうとするラウドな“祭”や、おしげさんに捧げて作ったという“春”など、曲調は違えど温かい人の心と生活の営みが浮かび上がってくるのは全曲共通。そんなキヨシの歌にさらなる血潮を沸き立たせるのが、古田と田中が加わることによる獰猛なバンド・アンサンブルだ。前述の会場外で演奏していた“シャノンボーイ シャノンガール”の冒頭を唸ったかと思いきや、踵を返すように性急なビートに流れ込む。メロコア・パンク調に大きくアレンジされた“ビニール傘”。「放射能交じりの雨が降り出した」から始まる、東日本大震災以降の社会を悲観的にも楽観的にもならず、ただありのままの日常をキャプチャした名曲。サビで繰り返される「どうしようもないけど どうにかするしかねぇ」で方々から拳が突き上げられる。ただ能天気なフレーズか?いやいや、力が漲る不屈の民衆の歌だ。そして最後に披露したバラード“白いビートル”に至るまで、見事な一番槍だった。
Photo:浜村晴奈
豊田勇造 with YUZO・BAND
嵐から開催の挨拶と会場案内を挟み登場したのは、豊田勇造。YUZO BANDを連れ立っての出演は2018年以来だ。スタンダードなブルース・ナンバー“高野グランドマンションのブルース”をじっくり披露すると、さっそく阪井誠一郎(ROBOW)とシバを呼び込む。そうそう、出演者たちは全員が一つの大楽屋に集い、再会に喜ぶや否や、すぐさまコラボレーションに発展し、互いのステージを行き来する。この音楽で会話するムードこそが『春一番』の醍醐味だ。大病もしながら今も歌えることを喜ぶ軽快な“生きててよかった”では長尺のソロ・パートに突入し、豊田がシバと筒井ケイメイにブルースハープ・ソロの応酬をけしかける一幕も。昨年75歳となり、今年は全国ツアーを始めて50周年という豊田。全国どころか未だに年に数回タイやアジアへ出向き、現地のミュージシャンと一緒にセッションを行っている歌の鉄人であり旅人だ。その充実ぶりはロードムービー的に語られていく新曲“75歳の夏”にも表れている。最後は昨年と同じく中川五郎を呼び込んで、代名詞的な楽曲“大文字”を披露。「さあ もういっぺん さあ もういっぺん 火の消える前に」のフレーズの大合唱がいつまでも続く光景は毎年恒例だが、何度観ても壮観なのだ。
Photo:浜村晴奈
ぐぶつ
タッチマッターズからPAHUMA side Bまで、バンドが4組も続く。気温も会場の熱量も例年以上のペースで上がり続けていった。ぐぶつは「GUBUT’S」や「しょうじ&と」などの前名義も含めると90年代から出演を続ける、しょうじ(Vo / Gt)率いる大阪のバンド。出演者として事前に発表されているメンバーは6人だが、宗根茂(Per)の隣にはもちろんいか松(Per)もいる、パワフルな編成だ。トロピカルな“息吹き返す”に始まり、重苦しいレゲエ“胸打つ鼓動”、スライと岡林信康が悪魔合体したような和製ファンク・チューン“ギシギシゴトゴト”、そこからさらにソウル・フィーリンを強めた“汽笛”と一気に4曲を駆け抜けた。今回、最後に出演が発表されたのがアチャコ&フレンズと彼らだ。大阪の濃厚な風を感じることができる、本当に『春一番』でしか観られない独特の存在感である。
Photo:渡部翼
PAHUMA side B
金佑龍(キムウリョン)がソロプロジェクトPAHUMAを始動して5年。次なる試みとして弾き語りと対になるバンドセット形態=side Bを立ち上げた。この日はオルガン、トランペット、バリトンサックスも擁する、神戸のインストゥルメンタル・バンド、BIG BAD ORGANを従えた総勢7人のフル編成。ウリョンは独唱で「6月10日を覚えてる?風太がお空へと行った日よ。ひとりぼっちのこの僕に春一番のステージを与えてくれた。6月10日が近づく、6月10日が近づく、6月10日が近づいて、私たちは春一番を旅立つ」と呼びかける。するとかつての風太の肉声で「PAHUMA!」と紹介するSEがかかり、“暁の前に”の演奏が始まった。最新EP『Banquet Therapy』にも収録されている「side B version」として、スカ・アレンジに進化した代表曲の一つだ。ハンドマイクで無尽に飛び回りながら歌うウリョンの姿は新鮮そのもの。続くアメリカのポピュラーソング“I’m in the Mood for Love”は、Jools HollandとJamiroquaiがカバーしたテイクに近いスカ、レゲエ、ジャズを下敷きにしたカラッとしたカバー。どれだけテンション高く陽気なメロディ、サウンドでも、その背景にある慈悲や焦燥、憂愁が図らずも滲むところが、ウリョンの歌の最大の魅力だ。その後に披露した、出身地・大阪生野区から上京した際の気持ちを歌った“東京”、母を思った“晴れなのに曇り”は一転して、その内省性が存分に解放された名歌唱であった。出演者の中では若手とされながらもバンドcutman-boocheとして初出演したのは2005年。「自分は風太さんに拾ってもらった」と繰り返し発言していたが、その歴史の中でも今が最もアグレッシブなパフォーマンスに違いない。手練れのメンバーたちによるソロ・パートも炸裂したアッパーなレゲエチューン“ほーるどおんみー(side B version)”でシンガロングを起こしながら、最後は嵐にリスペクトを送って去っていった。
Photo:(1)(2) 渡部翼、(3)(4) 衛藤キヨコ
1971年の記憶も語られる、重厚な中盤戦
シバ
最も日が高くなってきた13時半ごろ。ステージは一変して重厚でディープな風格を持ったソロアーティストのパフォーマンスが続く。まずは、ブルースシンガー・シバ。第1回から出演している大ベテランだ。ホームタウンの吉祥寺から高田渡に連れられ、ステージに上がったが会場内はものすごいブーイングとヤジの応酬。その場を加川良が収めたというエピソードを披露して、高田渡の“夜風のブルース”をじっくりと歌う。枯れ切り、渋みばしってもなお艶やかな声、もの悲しいブルースハープの音色、かつてより細くなっても端正なブルースマンのいで立ちで“あの娘は今日も帰らない”、“死刑囚の唄”と演奏していく。そして「最後の春一番、バイバイブルース」とつぶやくと上がる歓声。ドシっと切れ味鋭いギターに乗せて、深く唸るようなブルースで締めくくった。
Photo:浜村晴奈
松田ari幸一
続く松田ari幸一が「まいど」と登場。ハーモニカ・ソロでスロベニアのインストゥルメンタル“オカリナ・タトゥー”、ハーモニカにボーカルも交えて高田渡の“冬の夜の子供の為の子守唄”を披露していく。彼も第1回から出演し続けている最古参だ。またその前年の『LOVE IN ROCK』(注3)では金延幸子、中川イサト、瀬尾一三とのグループ愚として出演したことを話す。彼が最初に作った曲であり、1972年『春一番』のCDボックスでも「グループありちゃん」名義で収録されている“かわいいあの娘に”を優しくギター弾き語りで、そしてハーモニカ奏者としての真骨頂であるタンゴ曲“ミケランジェロ”を穏やかに演奏した。加川良、中川イサトと共に1947年生まれで、『春一番』が生まれるきっかけとなった場所〈喫茶ディラン〉に集まる面々でもやや年長組だった、現在78歳。加川、イサトも先立つ中でしかと最後まで『春一番』を見届けながらのパフォーマンスは、この後も要所で発揮されることとなる。
注3:喫茶ディラン主催で1970年5月に、〈天王寺野外音楽堂〉で行われた『BE-IN LOVE-ROCK』とは別のイベント。
Photo:浜村晴奈
ナオユキ
折り返しとなる7番手、音楽主体のこの野外コンサートでは、ご褒美みたいなナオユキの時間だ。ハイボールのカップを手にしてお馴染みのSEで登場し、「土曜日の夜……」と語り出す。酒場に集う人々の悲喜交々をユーモアとアイロニーたっぷりに切り取った漫談。しかし風太は生前、この芸をブルースと捉えていたそうだ。一節ごとに会場中で起こる笑いと拍手。その合間には観客から缶のハイボールが差し入れされる。ニヤリと受け取り、グイっと飲んでみせた。そこに続いて、また別の客から渡されたのはトリス・クラシックの180ml瓶。さすがに笑いながらも、颯爽と受け取り、口をつけてみせる。こんな風に観客とコミュニケーションをとりながら、酔いと話はどんどんグルーヴし、ドライブがかかってくるのだ。散々、爆笑をかっさらった20分の後、マイクが割れんばかりの声量で「奥村ヒデマロ!あべのぼる!福岡風太!春一番2025、BE-IN LOVE-ROCK SHOW へようこそ!」と高らかに告げる。毎年、彼が「福岡風太ロックンロールショー!」とステージで吠える光景に、筆者は思わず感極まってしまうのだが、今年はひときわ想いが乗っているように見えた。ステージでも初めてノープランで臨んでいる旨を話していたが、出番後のバックステージで「最後の言葉をどうしてもステージで言いたかったけど、その前のネタでしっかりウケないとカッコつかんやろ?」と語ってくれた。ひとたび舞台に上がればマイク一つで会場を揺らし、最後はこの場所へのリスペクトを伝え、感動まで呼んでしまう。あまりに素晴らしい「ナオユキ スタンダップ・ブルース・ショー」だった。
Photo:渡部翼
夕凪
昨年、結成30周年を迎えた6人組バンド夕凪は“どうもこうもないこと”からスタート。毎年この場所では藤山“ヤモリ”朋哉(Dr)に藤井寿光(Dr)が加わり、Grateful Deadよろしくツインドラム編成の強力なジャム・バンドと化する。中心人物の伊藤せい子(Vo)は、2005年から同じ場所で野外コンサート『服部緑地RAINBOW HILL』を長らく主催しており、『春一番』の「自分たちの遊び場を作る」という精神を、最も体現している人物だ。この会場の上手側の喫煙所での出会いや会話について歌われた“喫煙所”など思い入れたっぷりの曲が披露されていく。4曲目の“丘の上”からは7人目のメンバーといえる佐藤良成(ハンバート ハンバート)がフィドルで加わり、夕凪完全体へ。トライバルなリズムにせい子と山川ちかこ(Pf)によるマジカルな輪唱が折り重なっていく、サイケデリック・ロックへの偏愛が詰まった名曲だ。そして極めつけに「ここで歌う最後のこの曲です。わーってなります。よかったら一緒に歌ってください」とせい子が告げ、西岡恭蔵の“春一番”。このイベントのテーマ曲を恭蔵亡き後、夕凪が引き受け、毎年演奏するようになったのは2011年から。すっかり夕凪のアレンジが、またせい子の迫力ある声で歌われるあのメロディが、この場所に染みついている。最後は“イメージの木”で『春一番』のステージに別れを告げた夕凪。嵐はこれからもこの場所で続いていくイベントにエールを送るように「夕凪!From RAINBOW HILL!」と紹介した。
Photo:渡部翼
いとうたかお
西日がきつい昼下がりに登場したのはいとうたかお。第1回の『春一番』ではスタッフとして関わり(注4)、70年代含めほぼ全ての回に出演してきた。「55年間、ありがとうございました」と告げ“Love Letter”、そして『春一番』のステージでも何度も披露してきた“いきたいところがあるんだ”、そして“からだひとつが頼りの人達は”とじっくり演奏していく。隣には宮嶋哉行(Vn)。2019年以来いとうの『春一番』でのステージを支えており、昨年の風太の葬儀では出棺の際に和やかなヴァイオリンを演奏していた。いとうの楽曲では、2023年の『春一番』でフィナーレとして全員で演奏した軽やかな“あしたはきっと”が有名ではあるが、そこに留まらない。ウエスト・コーストの風をまといながら、誇り高き人々の肖像を7~8分の壮大なスケールで描いていくところに、彼の歌の真髄がある。その最たる楽曲の一つであるラストソングの“小舟”を終え、ステージから下がっていく時の晴れ晴れしくとも名残惜しそうな顔が、強く印象に残った。
注4:1971年の第1回はスタッフだったものの、大野周と共に友部正人のステージに登場し、ドラムを叩いていたそう。
Photo:浜村晴奈
急遽の飛び入りやコラボレーションが止まらない
gnkosaiBAND
ステージでサウンドチェックをしながら、次第に3人の音がグルーヴしていき、滑らかに本編に突入していったgnkosaiBAND。大らかなフォークソングから、濃厚なダブアレンジに様変わりした、“幸せそうな人たち”(注5)からスタートした。gnkosai(Dr / 詩、以下ゲンキ)の父・加川良が長らく歌っていた楽曲だ。オカザキエミ(シンセBa / Key)のメロウな歌唱が光る“ヴァケーション”、静かに苛立ちや焦燥感を滾らせながらゲンキがリズミカルに言葉を放つ“詩人にクチナシ”、足立PANIC壮一郎のギターフレーズが全編冴えわたりながら、中盤に少し入る歌が不思議な余韻を残す“カーテンコール”と、新作EP『しるしのない音楽』の楽曲を中心に披露していく。屈指のキラーチューンである“音と言葉とビートと私”や“EASYなBGM”も、定番だったオカザキが歌う“春一番”も今年はやらない。10数年間出演したこのコンサートの最後ということも、この場所では否応なしにかけられてしまう父の分の期待も関係ない。自分が今回の『春一番』で何を果たし、何を残し、何を受け取るのか。ゲンキの目からはいつにない気迫がうかがえた。
注5:“幸せそうな人たち”の作詞作曲は犬塚康博

最後の曲。足立はロングトーンのギターフレーズを鳴らし、オカザキはコンサーティーナに持ち替え、ゲンキは名前も告げぬままサプライズで二人をステージに迎えた。一人はペダルスティール奏者の宮下広輔。彼らと同世代であり、いとうたかおやリクオなどのステージも支えてきた、この世代の功労者の一人だ。観客からも名前を呼ぶ声が上がる。そしてもう一人ふわりとした白いワンピースに身を包んだ女性が中央に立ち、歌い始めた。これも新作に収録された“興味がねえ”だ。その佇まいは緊張しているようでもあり、堂々としているようにも見える。でもスッと突き抜けていく声に観客は一瞬で引き込まれていく。事情を察したものと、謎めきながらただ歌声を浴びているものが3対7ほどか。ゲンキはその空気にしたり顔で、ボーカルを任せ、ドラムセットに座ったまま天を仰いでいる。この飛び入りした歌い手こそ井上園子。昨年発表したデビューアルバム『ほころび』が各所で話題となったシンガーソングライターだ。そしてメインフレーズ「興味がねえ」でようやくゲンキが歌い出す。おいしいところをかっさらっていく形だが、井上と再び声が重なったときの無頼で感傷と慈愛に満ちた響きに、感動が押し寄せてくる。曲が終わり、メンバー紹介をしてようやく全員が井上園子というシンガーだと認識したときの盛大なる拍手ったら。一発食らわせたgnkosaiBANDに、嵐すら少し感極まった様子で「僕はこの人たちを愛しています」と言葉を送った。
Photo:浜村晴奈
ゲンキは現在園子のバンドセットのドラムを務めている。彼女はこの日、観客として来る予定であったが、前日に彼から出演を打診されたという。gnkosaiBANDにとって、『春一番』にとって、そしてなにより井上園子にとって記憶に残る一幕を直前まで模索していたのだろう。園子にとしては棚から牡丹餅、いや寝耳に水といった様子で、大御所たちがいる舞台裏での恐縮っぷりはすごかったが、ひとたびステージに立ってしまえばたった1曲で心をつかむ、紛れもない大器の風格。『春一番』の歴史に見事に滑り込んだ。ちなみになぜ“興味がねえ”で登場したのかについては、ぜひ『しるしのない音楽』のカセットを聴いてほしいとだけ、ここでは言っておこう。
ハンバート ハンバート
さて、1日目も終盤戦。嵐が「福岡風太は最後までこの二人を愛していました」とハンバート ハンバートを呼び込む。昨年はこの二人の演奏の最中に福岡風太が車いすで登場し、会場全体が感動に包まれたわけだが、そんなシリアスさとはまるで無縁。中央に佐野遊穂(Vo / Hca)と佐藤良成(Vo / Gt / Pf)が並ぶと楽器も持たず、移動の新幹線が混んでいたというゆるい話をひとしきり繰り広げた。そして良成がピアノに座り“虎”を披露。そして再びトークパートでようやく風太の話をしたかと思いきや、いつの間にかアニサキスに話題が移り、加川良“教訓Ⅰ”のカバーで再び観客を陶酔させるという驚くほどの緊張と緩和。『春一番』であることも忘れてしまいそうな、いつものハンバートの空気だ。しかしここで初共演というAZUMIをギターに呼び込んで、あべのぼるの楽曲“何も考えない”をコラボレーションした。良成がアコースティックギターを刻む中、AZUMIが稲妻のようなギターフレーズを入れるだけで、一気に濃厚なブルースの世界へ。良成が「Magic ANIMALS !」と紹介したが、これは晩年のあべが率い、AZUMIも参加していたバンド名である。続く“オーイオイ”もあべの楽曲。ハンバートは2曲とも『むかしぼくはみじめだった』(2014年)でカバーした楽曲でファンにもおなじみだ。この屈託のないサビではAZUMIも一緒になって盛大なシンガロングが起きた。そして最後は二人で夕凪に続き、西岡恭蔵の“春一番”。2005年に初出演、一時期は風太がロードマネージャーとして活動を共にし、全国的な人気を博してからも毎年出演し続けた。「去年で終わりかと思ってた」なんて冗談を飛ばしながらも、しっかりと風太とあべに最大限の敬意を送るパフォーマンスだった。
Photo:渡部翼
Mari Kaneko presents 5th Element will
続いて登場したのは5th Element will。まずは楽器隊の5人のみステージに付き、森園勝敏(Gt)の甘いチョーキングから始まったのは“レディ・ヴァイオレッタ”。森園の四人囃子時代に発表したフュージョン・インストゥルメンタルの大名曲だ。『春一番』にあまり似つかわしくないアーバン・メロウな空気が会場を満たしていく。その次の松本照夫(Dr)のカウントで始まった“ZIPPOのライター”も森園作でボーカルもとる。メインの二人はまだ舞台裏で控えている状況だ。ここでゲンキがMCの位置に登場。5th Element willとgnkosaiBANDは〈下北沢440(four forty)〉で毎月ツーマンライブをする仲である。「僭越ながら紹介させていただきたいと思います。北京一と金子マリです」と紹介し、盛大な拍手の中、登場した。ニューオーリンズ風味のビートに乗せて、京一がパントマイムを交えながら、ついつい忘れ物してしまう悲哀をユーモアたっぷりに歌う“忘れ物音頭”で観客を盛り上げていく。続く忌野清志郎作のソウルバラード“彼女の笑顔”は金子マリの独壇場だし、京一が世界中に語り掛けていく“Are You OK?”で会場は熱狂の渦に。改めて北京一という人はボーカリストやパントマイム、漫才師という様々な肩書を超え、元来からのエンターテイナーだと感じさせる。そして最後は“A Change Is Gonna Come”。マリの「川のそばテントで……」という圧倒的な歌い出しで拍手が起きる。原曲はSam Cookeだが、故・砂川正和のバージョンを引き継いだものだ。砂川の歌唱は『春一番』1978年のコンピレーションでぜひ聴いてほしい。マリは清志郎、砂川と先だった稀代のボーカリストの名バラッドを、この場所に残していった。そもそも5th Element will自体が、ソー・バッド・レビューやVoice&Rhythmをも彷彿とさせるスーパーバンドであるのだが、この日はひときわ日本のロックの歴史が凝縮されていたパフォーマンスだった。
Photo:渡部翼
自由っていうのは失うものが何もないことさ
中川五郎
残る出演者は一組。トリは第1回から出演していた中川五郎だ。嵐に「福岡風太の親友」と紹介されて登場。伊東正美(Gt)に加えて、若きマンドリン奏者Jin Nakaokaを連れ立った3人編成で“東京のサン・シティ”からスタート。人種隔離・差別政策アパルトヘイトを実施していた南アフリカの白人用の高級住宅エリア「サン・シティ」の名前を、現在東京の各地にある高級シニアレジデンスが使っており、その広告を見たことに触発された五郎が、ボブ・ディラン“朝日のあたる家”のメロディを下敷きにして書いたという新曲だ。毎年、新しいパフォーマンス、新しい曲で臨み続け、今歌うべきプロテスト・フォークを生み出し続ける姿勢は年々凄みを増している。続くLou Reedの日本語訳カバー“ビッグ・スカイ”を披露した後は、「演奏できる人は全員ステージに上がってきてほしい」とカオスに持ち込んでいく。2020年の『終 春一番』のために書き下ろされた“まつりのおわり”、Phil Ochs“When I’m Gone”の日本語カバー“ぼくが逝く時”、そして風太の著書のタイトル『自由っていうのは失うものが何もないことさ』がこの曲のコーラスから引用されているということで、Kris Kristoffersonの“Me and Bobby McGee”で締めくくった。タッチマッターズの3人がしっかり演奏の軸を担いつつ、明日出演のショーウエムラはベースを持ち出し、足立PANIC壮一郎は田中佑司が叩くドラムセットのフロアタムを叩き、裏方の楽器担当であるはずの足立修一まで率先してサックスを吹いている。曲が進み、ステージに人が増えてくるごとに収拾がつかなくなるのも、中川五郎の自由さ、危うさ、度量の深さの表れだ。大混乱の中、初日が終了した。
Photo:(1)~(3) 浜村晴菜、(4) 渡部翼
終演18時13分。まだ夕陽が沈み切らない、17分巻きで終わるのも珍しいことだ。今年もヤスムロコウイチとAZUMIの同級生コンビが追い出しのアナウンス、いや怒鳴りが終演後もしばらく野音に響き渡っていた。

まだ初日なのにオフィシャルグッズの手ぬぐい、そしてTシャツもSサイズ以外は早々に完売してしまった。またこの日初売りとなった福岡風太の初著書『自由っていうのは失うものがなにもないことさ 「春一番」を生きて』の売れ行きも好調のようだ。一方裏側では明日、明後日の前売り券の販売枚数がこれまでを大きく超えているとのことで、プレイガイドでの販売は打ち止めに。今日だって例年の最終日ほどの観客がいたというのに、ここからさらに増えるのか。こんなこと長い春一番の歴史の中でも初めてのことだった。

写真:浜村晴奈、渡部翼
協力:福岡嵐、古賀正恭、鏡孝彦、春一番有志スタッフ
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WRITER

- 副編集長
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
min.kochi@gmail.com