今を楽しく生きようとする生活者の歌
安延沙希子(以下、さっちゃん)の歌は彼女にしか出せない味わいがある。声色はほんのりマット。メロディに沿った言葉の尾っぽは時折揺らぎ、鼻濁音をたっぷり含みながらも、腹の底から突き上げるような力強さも感じることができる。
THE FOWLSのギターボーカルとして活動しながら、2021年には音楽仲間や友人を大勢集めた「さっちゃん&さっちゃんオールスターズ」名義でソロならぬファミリー作品『シャツを着て』を発表。今年リリースされた たけとんぼのアルバムにも“風と首飾り”を提供するなど、シンガーソングライターとして多彩な活動を行なっている。
そんな彼女のもう一つのバンドが2020年4月から活動開始したヨットヘヴンだ。当時一時休止状態だったポップバンド 路地のメンバー、久保田敦(Gt / 以下、のすけ)、高橋鐘(Ba)、大橋想※(Dr)の3人が、さっちゃんとLo-Fi Club Orchestraの藤木コージ(Key)を誘うことで結成。2020~2021年にかけて5曲の配信シングルを発表してきたが、遂に1stアルバムが完成となった。
※2021年、路地・ヨットヘヴン共に脱退。現在はラッパーLaundryとしてNelkoで活動中。
さっちゃんが6曲、のすけが4曲を持ちより、のすけのリードギターを主体としたシンプルなバンドアレンジで仕上げられた全10曲が収録。M5“きっとさ”のアウトロに飛び込む、それまでの軽快な曲調とは相対するヘビーな音の洪水や、M7“手のなか”冒頭のゴスペルパートなど、時折飛び道具的なアイデアが出てくるのも楽しい。ミックス、マスタリングまで手掛けている藤木の功績も大きく、メランコリックなシンセフレーズと、チリチリとざらついた音の質感は、記憶の時系列を可逆的に駆動させる磁気記録テープのようで、軽やかなのにどこか物憂げという本作に通底したトーンを敷いている。
歌詞に目を向けると、結成直後から断続的に発表してきたシングル5曲(M2“とつとつと”、M7“手のなか”、M8“しみ込むのは、泪のかわり”、M9“グッタイムミュージック”、M10“浪漫飛行”)は音楽の楽しさを噛みしめたり、比較的あっけらかんとしたテイストのものが多かった。一方5つの新曲(ドラムはTHE FOWLSの岡田悠也が担当)もその傾向にさほど変わりはないのだが、日々を送ることの簡単ではなさ-厳しさ、貧しさというほどではないが確実に自覚しつつある持続的な痛み-を前提とした表現に感じる。
「錆びついた感覚に 怒れどもぬかに釘 / 闇雲に外出ると赤鬼に食べられる」
「いま この先も間違いは続く / 海を山を越え終わりなどない」(M1“毎日がサンドイッチ” さっちゃん作詞)
「不確かな示唆 誰のせいなんかじゃない すこやかな嘘 やけに口に残る」(M5“きっとさ” のすけ作詞)
いずれも日常のある瞬間や、情熱を燃やすさまについて歌われているが、それは各々の境遇で打ちひしがれたり、出口のなさや徒労感に苛まれる時と表裏一体なのである。そんな今自分が生きている社会と相対化した視点が含まれているのだ。ここがヨットヘヴンのいわゆる「何気ない日常を描いた音楽」とは一線を画した部分であるが、その視点自体をテーマとするような作為は全くない。だから結果としてコロナ禍以降の生活者の心持ちを、ただただピュアに映した歌になっている。
特にさっちゃんの楽曲は童話のような表現を用いつつ「それでも今を楽しく生きること」を豊かに描こうとする姿勢を強く感じる。M4“ブリキの宇宙船”なんてその真骨頂で、100年先の宇宙に想いを馳せるSFチックな情景なのに、ぶわっと立ち込めてくる生活の匂い。cero “Orphans”(2014年)や、折坂悠太がのろしレコードで発表した“コールドスリープ”(2019年)にも連なる、地に足をつけたまま思考がつかの間の逃避行をする歌なのだ。しゃくりあげるようなさっちゃんの歌唱も相まって、胸がえぐられるほどのセンチメンタリズムを放っている名曲である。
『健康快樂』というタイトルが表す通り、「どんなことがあっても健康だけは大事にね」「楽しいこともしないと心が死んじゃうよ」と、さっちゃんに話しかけられているような気分になる作品だ。最後に本筋からは少し離れてしまうが、楽曲の人柄や情景の解像度が上がるような食べ物の扱い方も魅力の一つだということを言っておきたい。M10“浪漫飛行”に登場する「ソーメン 唐揚げ付き」や「太巻き」が醸す日常の風景。そしてM1“毎日がサンドイッチ”を締めくくる「とろけたバターに勝るものはない」というフレーズのなんてハッピーなことか!
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健康快樂
アーティスト:ヨットヘヴン
仕様:デジタル
リリース:2022年9月14日
レーベル:FRIENDSHIP.
収録曲
1.毎日がサンドイッチ
2.とつとつと
3.100日ちょっとの
4.ブリキの宇宙船
5.きっとさ
6.風街ブルース
7.手のなか
8.しみ込むのは、泪のかわり
9.グッタイムミュージック
10.浪漫飛行
ヨットヘヴン
岡田悠也(Dr / サポート)、高橋鐘(Ba)、安延沙希子(Vo / Gt)、久保田敦(Gt)、藤木コージ(Key)
Twitter:https://twitter.com/YachtHeaven
Instagram:https://www.instagram.com/yacht.heaven/
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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