その時見たもの、感じたことを記録していく – ダイバーキリン『忘れてしまうようなこと』リリースインタビュー
大阪発の3人組、ダイバーキリン。山中“ジョンジョン”尚之(Vo / Gt)による暑苦しいまでの咆哮と、歪みきったエレキギターによるオルタナティヴ・サウンド。そこにモリヤンヌ(Dr / Cho)、草別愛美(Ba / Cho)のリズム隊二人による、そよ風のようなコーラスが折り重なることで鮮やかな風景が広がってくる。また山中の人懐っこくて、ご陽気で、ナイーブで、起伏が激しい、めんどうだけど愛すべきキャラクターがそのまま反映された楽曲には、彼が見た情景とその時の感情が繊細に刻まれている。だから山中が自身の魂のゆくえを探していく自問自答の過程こそが、ダイバーキリンの音楽の本質なのだろう。
本作『忘れてしまうようなこと』は、まさに「DOCUMENTARY of ダイバーキリン」と言えるような、2017年の前作『海でもいい』からの2年間で彼らに起きた事象をそのまま捉えた作品だ。主催イベント『おともだちロックフェス』を2回開催、2年連続『りんご音楽祭』に出演、山中とモリヤンヌは淡路で自身のお店「cafe , bar &music アトリ」をオープン、そして2018年を持って結成間もなくからバンドを支えた草別愛美が無期限活動休止に入る、などなど目まぐるしいほど様々なトピックスを経験してきた。その結果、M01“カシオペア”には『りんご音楽祭』に出演した際の長野県松本市の夜空の風景、M03“レインコート”は彼らがよく出演している扇町パラダイスの地下空間、M06“炎天下”は彼らの住む大阪・淡路の近くを流れる淀川の河川敷、M07“遠い記憶”は香川県・豊島で見たもの……とそれぞれの場所でのヴィヴィットな体感が見事に真空パックされている。
そんな本作について、彼ら自身の発言も記録に刻みこんでおこうというのが本稿の主題だ。すでに公開されている「cafe,bar &music アトリ」のインタビューに引き続いて山中とモリヤンヌに雄弁に語ってもらった。「90’sいなたいポップで季節の変わり目系、ええバンド」ダイバーキリン、初解剖!
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モリヤンヌが入ってわかった。速い8ビートの曲は全員向いてない
ダイバーキリンは2013年に関西大学で結成とありますが。そもそもどんな音楽を目指して組んだバンドなのでしょうか?
ポップだけどオルタナティブでゴリゴリのサウンドがやりたかったのが始まりですね。サニーデイ・サービスのようないいメロディがど真ん中にあるけど、GREAT3のようなコーラスが入っていて、ギターはbloodthirsty butchersみたいに轟音が鳴っているイメージ。結成当時に作っていた曲もサニーデイとかアナログフィッシュ、スパルタローカルズ、LOSTAGEに影響を受けていました。
そしてモリヤンヌさんは2015年に後からの加入ですよね。どういう経緯だったのでしょうか?
Twitterパワーです。
前にやっていたバンドをやめてしまって、「バンド、スタジオ誘ってください!」ってツイートしたら結構色んな人が拡散してくれて。そしたらジョンジョンから長文のDMが来たのがきっかけですね。
どこの誰かも知らなかったけど、自分たちも前のドラムがやめて探していたタイミングがあまりにばっちりやったから。
じゃあ音楽性が合ってダイバーキリンに入ったわけじゃないと。
全然違う。スタジオに入って曲をやってみたけど「絶対うちじゃない、でも勉強にはなるかな」と思っていたのが最初でした。でも「前のドラマーと同じように叩いて」とは言われなかったし、新曲をやっていく流れになって、今でもライヴでよくやっている“風がさわぐ”とかをジョンジョンが持ってきて。これは面白いと思えた。
“風がさわぐ”はこれまでの曲とどこが違うと思いましたか?
ダイバーキリンの曲が自分の曲のように思えたんです。でもどこが違うというとなぁ……。
いや、俺が変えてんよ。元々“風がさわぐ”は今とは全然違う形であった曲で、納得いかなくってボツにしていたんです。今までの曲はやんぬは叩けないから新しいことしようと思った時に、もう一回取り出してきてビートをゆったりとした形に一新して。いわゆるストレートな8ビートの曲って、今のダイバーキリンにないんですよ。どんなに早くてもBPM160、それもしんどいくらい。やんぬが入ってわかったんですよね。それまでやっていた速い8ビートの曲は俺もめぐさん(草別愛美 / Ba)も全員向いてないってことが。
山中が音楽で描こうとする情景と、香川県豊島での経験
モリヤンヌさんが入ったことによって自分たちの特性にも気づいたと。そして現体制となって2017年にミニアルバム『海でもいい』をリリースというのが前作までのキャリアですね。
そこから今回の作品まで2年も空いたなぁ。『海でもいい』を出した後、曲が全くできなくなって。作ってスタジオに入ってライヴでやってみてはボツっていうのが続いたんです。早めの曲に挑戦してみよう、雰囲気を変えようっていう意識でやってみたけど、ドツボにはまって。新しいことをするってことが目的になったら、それにがんじがらめになって自分の作るものに納得できなくなってしまった。
そもそも普段はどのようにして曲を作っているのでしょうか?
活動初期は曲から作るものも半分ほどありましたけど、最近はめっきり歌詞が先で、その雰囲気にメロディ・コードを合わせていく方が自然に出来ますね。だから前作よりも今回歌詞の文量が増えているんですよ。リズムやメロディから作ったらそこに当てはまる歌詞しか書けないけど、歌詞を先に作るようになって自由になりましたね。
ではその曲作りの起点となる歌詞ではどういうことを描こうとしていますか?
今はここ大阪の淡路に住んでいるけど出身は滋賀県。そんな距離も離れてて、時間もあの頃から随分経ったということを意識して、ふと感じることとか、振り返ってそういえば忘れていたなぁっていうポイントを捉えようとしています。また今の生活圏から離れた時に思うことを心に留めておこうという意識も強くって、ライヴとかで遠征に行った時にその場所で見たものや思ったことが題材になることが多いですね。
それで言えば香川県の瀬戸内海にある豊島に定期的に行き出したのも大きい。今回の2曲目に入っている“そっちはどう”は2017年に初めて豊島に行った時のことで。その年にダイバーキリンは初めてりんご音楽祭に出て、その帰りの道中で書いた曲がバンドで仕上げることが出来なかったのよ。さっき話した全然曲が出来なかった時期。一番それがひどいタイミングで機材一式売り払ってバンド解散しようというくらいまで落ち込んでしまった。それで友達に「助けて~」って泣きついてようやくメンタルを取り戻して。その翌月に豊島に行ってそこで感じたことと、曲が出来ない落ち込みによって出来た曲。
遠くにいる人に問いかけるような、投げやりだけど吹っ切れた感じがする曲ですよね。なぜ豊島に行くようになったんでしょうか?
仲のいい友達が住んでいる場所で。だから初めは「いっちょ会いに行ってみるか!」でしたけど、そこで島に魅了されてしまったんですよ。自分が普段の生活から離れて、そこで生活している人の日常に混ぜてもらう。自分からしたら非日常やし、迎えてくれる人たちも自分がいるから非日常になる感じが心地よくって。また現代アートの島なんですよね。その街の景観に合っているのか判断が付かないようなものが住宅地の中に点在していて、異物が異物じゃない顔をしてそこにある。そんな環境に自分も別の場所から来た異物として混ざり合う。色んなものを見ながら、そうやってうにゃうにゃ考える時間がものすごく好きで行くようになりました。
cafe,bar & music アトリがバンドに与えた影響
豊島に行った経験も2017年のスランプからも脱する契機になったようですね。またもう一つ前作からの変化としてcafe,bar & musicアトリの開業があります。バンド活動のスタイルは変わらざるを得なかったと思いますが、店をやることでバンドに影響を与えたことはありますか?
バンドのアグレッシブさやクオリティが落ちることは絶対ないように意識はしている。でもライヴのオファーを受ける受けない選択の基準がより以前よりもシビアになりましたね。それでいてこの1年は店をやっている上で依頼してくれる、理解あるライヴのお誘いをいただけるようになったのはありがたい。
ライヴの本数は実際減ったけど、それも悪いことではないと思うし。
「お店で忙しいと思うけど、それでもダイバーキリンに出てほしい!」っていう熱いオファーが増えたということですよね。全てのオファーを受けられるような状況ではなくなったけど、その分より1本1本のライヴを大切にしている様子が今のダイバーキリンを見ていてもすごくわかります。
あと俺は店を始めてから生活スタイルががらっと変わったから、出来る曲の歌詞とかパフォーマンスにもそれが表れているのかもしれない。
どう変わったと思いますか?
良くも悪くもやけど落ち着いたって言われるようになった。それは前ほどステージ上で暴れるようなことがなくなったというのもあるけど、そもそもダイバーキリンの音楽性が3人のエモーションをドンガラガッシャンでぶつけるようなバンドではなくなってきている。もっと生活に根差したことを冷静に丁寧に歌うような曲が増えてきたのは間違いなく店を始めてから。ここでのお客さんのエピソードが歌詞になった曲も今出来てきているし、そんな他の人の話を自分がどう受け止めたのかという視点で曲を書くことも出てきた。意識的ではないし、どういうリンクの仕方かはわからないが……。
落ち着いたのはアトリという守るべき責任のある場所を持つようになったからじゃないでしょうか?
なるほど、確かにそれもあるかも。
店を始めてライヴ本数も絞るようになってから、勢いだけじゃダメだって意識するようになったし、年齢的にもそういうスタイルがしっくりこなくなってきた。スタジオの練習が音を鳴らして楽しい~じゃなくって、着実に今のバンドの課題点をつぶす場所として向き合えるようにはなったな。
ある時期までのこの3人の記録にしたい
店を始めたことによって、逆に腰を据えてじっくり音楽に取り組むようになったように聞いていて思いました。では今回の『忘れてしまうようなこと』はどんなコンセプトを持った作品になりましたか?
これが今の最新のダイバーキリンですと言えるような曲群じゃなくって、2018年末でめぐさんが一旦バンドを離れることになったというのもあり、第何期目かのダイバーキリン終結!っていうイメージ。休止が決まったのは録り始めてからやけど、おのずとある時期までのこの3人の記録にしたいという方向で進んでいったのが今回の作品ですね。
『海でもいい』は歌詞で情景を作っている感じやったけど、今回はそこに感情が乗っている気がする。全部がジョンジョンの生活の中で思ったことから生まれた曲やし、アトリが出来て一緒に過ごす時間も長くなったから、自然と曲のバックグラウンドを察しながらやるようになりました。
具体的にいつから作り始めたのでしょうか?
制作からリリースまで丸1年かかった。『海でもいい』は7曲を2日間で録音したけど、今回は4回に分けてレコーディングしていて。録る時期が違うことで全く同じセッティング、コンディション、環境にはならないから、それによって出る音の違いを出来るだけそのままにしました。より長い期間の時間を捉えることで、波と揺らぎが出ていると思う。そういう意味では前作『海でもいい』の方がミニアルバムとして統一感があってお上品な作品やったね。
なぜあえてアルバムの中で音の違いを出そうと思ったのでしょうか?
まず最初に録ったのが2018年3月で、その次が10月でめっちゃ空いてしまって。それまでは意図してなかったんですが、聴き比べたらどんどん変わっている感じがしたんです。そこでリテイクしてトーンを統一することはいくらでも出来るけど、その時々の生感を記録したかった。歌詞もその時々の環境とか感情から表現しているものだから、録音環境や自分たちが出す音もそこに合わせて広い幅の時間軸を表現しようというコンセプトですね。
ではそのきっかけとなった最初の3月に録音したのはどの曲ですか?
さっき話したM02“そっちはどう”と、M06“炎天下”です。“炎天下”は主催イベント『おともだちロックフェス』の1回目をやる直前に出来た曲で、2017年6月だからこの中で一番古い曲。前にきみのいないたまごのもんちとシャワーズというユニットをやっていて、豊里大橋のふもとでやんぬにアー写を録ってもらった時の、夏の暑い日の澄み切った淀川の河川敷がきれいだったってことを歌っています。風景を描いている感じは前作『海でもいい』の頃をまだ引き継いでいますね。
この曲の前には山中さんのギター弾き語りによる小曲“夏至”があって、そこから引き継ぐ流れが心地いいですよね。
よかった!M05“夏至”は最後に出来た曲で。レコーディングは(music studio)SIMPOでやったけど録り終わった後に全曲重いなと思って、軽い曲が欲しかった。だからこれだけiPhoneで弾き語りと、二人にはコーラスを入れてもらって30分くらいで録音しました。“炎天下”とテーマも同じやし、うまくはまったと思う。
ずっと残っていくことは当たり前じゃない
今回のタイトル『忘れてしまうようなこと』は最後に収められているM07“遠い記憶”の歌詞から取られています。ここを作品名としようと思ったのはなぜでしょうか?
“遠い記憶”も豊島100%の曲で。島に点在しているアート作品の中に「遠い記憶」という展示があったんです。それはすでに廃校になっている小学校の体育館だけ残したスペースにあって。そこに島の中から集めてきた木製の建具から作られた立体が置いてあるような作品。これが前回行った2018年6月の時点で閉鎖になってしまっていて。でも建物はまだあるし、かつての校門があって、そこにプラスチックのチェーンがかけられているだけ。そこを管理者の方を通じて中を見してもらったら、当時の小学生の落書きとか体育館自体の様子がそのまま残されていました。でももう整備も行き届いてなくって荒廃している。遠からず取り壊されてなくなると思う。それが「遠い記憶」というタイトルであることに色々混ざりあった気持ちになったことを曲にしました。当時ここにいた人の記憶を残していくというテーマで展示しているものが、なくなろうとしている。それが時間軸という今回のアルバムのコンセプトと合う気がして、この曲の歌詞を作品全体のタイトルにしようと。
それを見た時の山中さんの気持ちはどのようなものでしたか?
もちろん寂しくなったけど、同時にしかるべきだと思った。ずっと残っていくことは当たり前じゃないと。色んな事情があってそこに作られたものだから、色んな事情でなくなることもすごくわかるし。
この“遠い記憶”もそうですけど、本作に収められている曲には記憶についての歌詞がよく出てきますよね。M03“レインコート”の「いつまで経っても覚えている?」、M04“明々後日”の「忘れよう でも でも 忘れちゃっていいの?」とか。
意図したことじゃないけど、確かによく出てきているなぁ。めぐさんの休止も時間軸をパッケージするっていう今回の作品においてタイムリーな出来事やったし、後付けやけどやっぱり記憶とか記録するというのが今回の大きいテーマなんやと思う。
「寂しいけどしかるべき」っていう展示の話は今聞いていてめっちゃゾワゾワっとした。めぐさんも同じですね。活動休止って寂しいとか残念なのはそりゃそうやけど、これからお互いに前を向いていくための選択。
ほんまやめっちゃリンクしてる!
その時々の100%があって、そこを目指して一所懸命やっていくのが一番大事
音の質感はそれぞれの曲で違いますが、テーマとしては非常に統一感ある作品になっていると思います。そうやって生活の中で見て触れて感じたものを曲にするのがダイバーキリンだと思いますが、自分たちの音楽の個性やオリジナリティってどんなところにあると思いますか?
難しいな……そこまで大層なことは考えてない。オリジナリティを求めて曲を作ることはないし、新しい音楽を目指してもない。その時々の出来事、感じたことを曲にしたいというだけですね。それ以上も以下でもない。今これが面白いと思ってる!こんな曲を作りました!以上!それで十分。
なるほど。
とはいえ意識しているのはギターとベースが同じフレーズを弾くっていうのは必要不可欠なところ以外は避けている。いわゆるギターロックと言われるジャンルのスリーピースにありがちなギターボーカルはバッキングで、ベースはそこに乗っかっていくというのはしたくない。ギターボーカルなのにバッキングの音がめちゃめちゃ音歪んでいたり、ギターソロめっちゃ弾いていたり、はみ出した感じがすごく好きで。マインドとしてはZAZEN BOYSが憧れやね。ライヴはアルバムと同じアレンジでは絶対やらなくって、一生曲が変わっていく感じ。アルバムはあくまでもその時期のパッケージであって、現在進行形の俺たちがやるならこうやるっていう、過去の再現ではなく変化し続ける姿勢がすごく好き。
クラムボンもどんどん「Re-」がついていって変わっていくのが面白いよね。うちはジョンジョンが「この音楽面白い!」って思うことがダイバーキリンにとって重要やと思っている。ジョンジョンは影響されやすいし、いいと思った音楽の要素を取り出すのが上手やから。気に入ったらまた新しい要素がダイバーキリンに入ってくる感覚。
歌詞とか曲に対する思い入れって完成した時点で消失するんですよ。ライヴでようやく出来たこの歌を聴いてほしい!この思いを伝えたい!っていうのが全くなくって。
ではダイバーキリンにとってライヴをやる意義はなんなのでしょうか?
楽しいから(笑)。
この2年くらいで気づいたけど、ライヴでちゃんとしようとしても無理。だからこそ練習でよりしっかり詰めるようになりましたけど。でもライヴで完璧なものを見せようとしたら、全然ライヴが楽しくなくなっちゃう。だからしっかり自信持てるように練習をして、ライヴは「とにかく楽しもう!」っていう気持ちでいた方が楽しい!
今回の作品にも言えることやけど、完璧な状態のものを見せたいという意識が我々ダイバーキリンにはないんやと思う。今出来ること、今のコンディション、今の環境、全部水物だから面白い。調子が良くても悪くても、その時々の100%があってそこを目指して一所懸命やっていくのが自分たちにとって一番大事ですね。
作品情報
ダイバーキリン『忘れてしまうようなこと』 価格:¥1,500+tax 1.カシオペア 2.そっちはどう 3.レインコート 4.明々後日 5.夏至 6.炎天下 7.遠い記憶
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
過去執筆履歴はnoteにまとめております。
min.kochi@gmail.com