INTERVIEW

音楽のアーキビスト、金野篤が体現する「売りたいモノは自分で作る」という生き方

MUSIC 2022.06.21 Written By 峯 大貴

外資系レコード店のバイヤーからキャリアをスタートし、インディーズ系流通会社を経て、2006年にディスクユニオンに入社。現在まで600を超えるCD・LPタイトルを制作・販売してきた金野篤。彼のレーベル〈SUPER FUJI DISCS〉で手掛けてきた数々のリイシュー作品を見て感じるのは、歴史の中で埋もれている日本の音楽を掘り起こし、現在に再び流通させる姿勢である。『1974 ONE STEP FESTIVAL』(2017年 / 21枚組)、『1977ROLLING COCONUT REVUE JAPAN CONCERT』(2018年 / 14枚組)などのBOXセット作品を筆頭とする、丁寧な取材を伴ったライナーノーツとあわせて当時の音源を網羅的にパックしていく仕事ぶりは、さながら歴史的価値を見極め、今に伝わる形で情報を編み直し、保存していく「音楽のアーキビスト」なのだ。

 

またリイシューと並行して〈MY BEST!〉では三輪二郎、川本真琴、NRQ、昆虫キッズ、姫乃たま、壊れかけのテープレコーダーズなどの新作も手がけている。ミュージシャンからの信頼も厚く、金野とはヴァージン・メガストア時代の同僚だったという〈なりすレコード〉の平澤直孝を支援するコンピレーション・アルバム『Sense of Life Musicians Side』(2021年)では、スカートの澤部渡、佐藤優介、佐久間裕太が「金野篤」名義で参加したことも、一部で話題を呼んだ。

 

筆者も、彼が世に残した作品に大きな影響を受けた一人だ。中でも『1972 第2回春一番コンサート』(2006年 / 10枚組)の、詳細な取材を重ねた120ページのブックレットからどれほどのことを学び、当時に想像を巡らせたことか。しかしあくまで裏方に徹してきたため、これまで金野の存在にスポットがあたることはなかっただろう。そんな彼が2021年に定年を迎え、ディスクユニオンを退職。今後も仕事内容はそれほど変わらず、フリーとして新たなスタートを切ったという。この節目となるタイミングで、これまでのキャリアやリリースしてきた作品の背景を伺うインタビューを行った。現在進行形の功績と、制作に取り組む思考の源泉を本記事から知ってほしい。

 

写真:三浦 麻旅子

協力:永田純(有限会社スタマック)

レコード店バイヤー時代に学んだ「売りたいものは自分で作る」姿勢

──

金野さんの音楽キャリアはいつどんな形からスタートしたんですか?

金野

1988年にレコード屋のWAVEに転職したのが始まりですね。80年代の半ばのWAVEはとにかくキラキラしていて。自分はパンク・ニューウェーヴに影響を受けた世代なので、特に一番すごかった六本木店にはしょっちゅうレコードを買いに行ってました。そこでバイヤーの募集を見て応募したんです。配属は川崎駅前の西武百貨店と丸井が入った川崎ルフロンの西武の3階にあった川崎店。担当がいなかったワールドミュージックとジャズをいきなり任されて。知らないジャンルだったから、もう毎日勉強です。WAVEは社販が給料の天引きだったんで、手取りが3万円になるくらい買いまくっていました。

──

WAVEではどれくらいの期間働いていたんですか?

金野

4年くらいですね。翌年には今もある梅田茶屋町のロフトがオープンしたので、そこに入った新店舗の立ち上げで転勤。また1年後には六本木店に転勤。そして外資系の日本進出に沸いた1991年、自分にも声が掛かってヴァージン・メガストアに転職します。

──

憧れだった六本木WAVEだったのに意外と短かったんですね。

金野

でも六本木店にいた先輩のバイヤーたちに自分は強く影響を受けています。それは自分が売りたい商品は自分で作るということで。1990年前後はレコードのカタログがどんどん初CD化されていった時期。先輩たちはレコード会社に対して「次はこのCD出したら売れますよ」と働きかけていました。日々お客さんと相対しているのは店に立っている自分たちだから、ニーズを拾い上げながら提案していった。それを自分は真似しようと思ったんです。

──

金野さんが現在までリイシュー作品を手掛けていることにも繋がる話ですね。

金野

そうですね。今もレコード屋さんは仕入れたものを売るだけじゃなくて、自分で売りたい商品を作る動きをするべきだと強く思っていますよ。ディスクユニオンでは売り場の人がCDやLPで再発してほしいタイトルを提案する社内メールも回ってくるんですが、そこから製品化されることも多い。その方がお店に立つ人もモチベーションも上がるでしょ。

──

確かに自分ごととして売る意欲が沸きます。ではWAVE時代から金野さんも制作にも関わるようになったんですか?

金野

自分がやるようになったのはヴァージン・メガストアに入ってからです。ヴァージンは丸井資本で当時にしては労働基準が結構厳しかったんですね。残業が全くなく、休みも多いから時間もあったので、自分が力入れてCD化したのがこの『ノー・ニューヨーク』。

──

1978年のブライアン・イーノがプロデュースした、コンピアルバムですね。CDとしては1997年に再発されました。

金野

『ノー・ニューヨーク』の原盤を持っているアイランドの日本窓口が当時ポリドールで。その営業と仲が良かったから、相談したらとんとん拍子にCDが出せることになった。でもいわゆるOEM(Original Equipment Manufacturer)とか特販と言われている形で、制作費は全てこちら持ち。買い取らないといけなかった。全部で250万円くらいかかったけど、ヴァージンも出してくれるわけないし、親にお金を借りて自腹で作ったんです。

──

装丁もすごく凝っていますね。

金野

そう。オリジナル盤は歌詞が内袋の内側に印刷されていて、ものすごく読みにくいんですよ。でもそこが画期的だったので再現したかったし、ライナーと歌詞も一枚ずつ円形のカードにした。あと、コンピに入っているティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスのベースだった、フリクションのレックさんに当時のシーンについて聞いたり、この作品に影響を受けたというPhewさんにもインタビューした宣伝用のパンフレットを作って購入者に配っていました。実際2000枚は注文が入ったし、かなり売れましたよ。親にお金も返せたし、売り上げにも貢献したと思う。

──

借金を背負ってまで作ったり、いろんな工夫も率先してやるくらい、ご自身にとってもこの作品への想い入れは強かったんですか?

金野

確かにこのCDがないなら作らなきゃとは思いましたね。オリジナルが出た1978年に自分は高校生。ちょうど大学入試に共通一次試験が導入された2年目で、問題の傾向が変わったのか当日全然できなかったんですよ。だから試験が終了した瞬間からこれは終わったと思って、帰りに寄り道してレコード屋さんに行ったらこれが壁に並んでいたの。だから買った(笑)

──

やけくそな気持ちですね(笑)

金野

受験に失敗してしまったという精神状態で聴いたら、なんとも言えない心地になったんですよね。演奏はひどいし、歌もひどいし、曲もひどい。一般的に「いい」とされるものが完全に排除されている。見た目がいいのもジェームス・チャンス(ザ・コントーションズ)くらい?でもかっこいいんですよ。今までの価値観と全然違うものと出会ったという意味で大きな衝撃を受けましたね。

一人で全部責任を取るDIWの制作が自分に合っていた

──

金野さんが手掛けた作品の中で私が最も影響を受けたのは、1972年の〈第2回 春一番コンサート〉を初CD化した10枚組なんです。そこでは企画・制作進行として「金野篤(bridge)」とクレジットされています。

金野

ブリッジはヴァージン・メガストアを辞めた1998年からその『春一番 1972』を作った2006年までいました。いわゆる自主制作やインディーズ制作の流通会社なので、担当は営業。といっても「売りたいものは自分で作る」ということを営業の立場でレコード屋とやり取りしながらやっていたという感じです。予算管理もしていたので、来月再来月は売り上げが凹むな、なんて時は自分で制作もしていかないとならない。

──

バイヤーとして行っていた制作から、どう商品を卸すかなど売り方を考えることに視点が変わった感覚ですね。

金野

はい。ディストリビューターとしてやれることをずっと考えていました。成功例としては、〈OZ disc / Electoric Hole Eye〉の田口史人さん(円盤)が仕掛けた『SO FAR SONGS』(2000年)があります。渚にて、LABCRY、羅針盤(本作では山本精一 with RASHINBAN名義)とかが参加しているコンピレーションアルバム。これの流通をブリッジでやったんですが、同時にキャンペーンを展開しまして。ライブハウスやレコード店に推奨作品を並べたフライヤーを撒いたりしたんですが、ここから“うたもの”として結構盛り上がった。この作品に影響されたという話はいろんな人から聞きましたよ。

──

そして2006年から昨年まではディスクユニオンに在籍されていたんですね。流通会社から、再度レコード屋さんという流れになります。

金野

ディスクユニオンはもちろん店舗運営がメインなんだけど、僕はDIW(DIW PRODUCTS GROUP)というレーベルの部署。だからそこからは制作一本になりました。

──

なるほど。ではWAVEとヴァージンでバイヤーとして制作、ブリッジでは営業として制作にも携わる中で、ユニオンでようやく制作一本と徐々にキャリアが定まっていくんですね。

金野

でも普通のレコード会社は予算管理から企画立案、契約手続き、営業、宣伝とそれぞれ担当がいるでしょ。DIWは、それらの工程を全て一人で面倒見るんです。返品とか在庫処理まで自分でやる。だから他のレーベルの制作とかA&R担当とは少し違うと思います。でもそれが自分には合っていた。

──

なぜそう思うのですか?

金野

「売りたいものは自分で作る」と同じで、作ったものは自分が最後まで責任を取りたいんです。だからDIWの部署は全然チームって感じではない。デスクの隣の人が何の仕事をしているのか全然知らなくて、HPに情報が上がっているのを見て、「あなたこんなCD出したの?」って(笑)

アーカイブし、聴きたい人が聴ける状態にしておくことは大事

──

DIWではリイシュー作品をレーベル〈SUPER FUJI DISCS〉からリリースしていますが、この名前の由来はなんですか?

金野

最初はDIWの先輩が持っていた〈FUJI〉っていうレーベルを一緒にやっていたんだけど、そこでの最初の仕事が、赤塚不二夫の『まんがNo.1』6冊を1つにまとめたものでした。これが売れて調子こいてたら、予算管理の都合上、独立した担当レーベルをDIW内に持ちなさいと言われたので〈SUPER FUJI〉。横浜に住んでるんで近所のフジスーパーから取りました。

──

シンプル!(笑)。〈SUPER FUJI〉の作品はただ廃盤になっているものを再発するだけではなく、未音源化のものを掘り起こしたり、詳細なライナーノーツがついているなど資料性が高く、今に届かせるための試行錯誤をすごく感じます。

金野

最初は〈ベルウッド〉※の紙ジャケ化とかもしていたけど、今はただ再発するだけのタイトルはやらなくなってきています。未発表音源やこれまで形になっていないものを商品化するのがメインですね。またそのほとんどが、僕自身何も知らない、というところから始まるんです。仕事しながら、そうだったのか、こういうことだったのかの連続。それがたまらなく楽しいわけです。2015年に出した『京浜兄弟社ボックス』※なんてホント何も知らないゼロの状態からで、毎日が勉強でした。

※ベルウッド・レコード:1972年発足のキング・レコード傘下のレコード会社、レーベル。〈SUPER FUJI〉では加川良、ディランⅡ、高田渡、南正人、あがた森魚などの作品を2007年に再発。

※京浜兄弟社:1980年代~90年代に活動していた、テクノ歌謡バンド「東京タワーズ」のファンクラブを母体に発展していった、音楽家、映像作家、デザイナーなどクリエイターの集団。1991年には法人化。初代代表取締役は岸野雄一。

──

商品化する作品はどう選んでいるんですか?

金野

たまたまの連続としか言いようがないですね。〈ベルウッド〉だって、自分は全然フォークを聴いてこなかったし、むしろ嫌いだったんですけど、売り場から「今、紙ジャケで出したいんです」と言われたので、聴いてみたら高田渡ってすごいんだなと初めて知りました。

──

ヴァージン時代の『ノー・ニューヨーク』は金野さんにとっても思い入れのある作品でしたが、DIW以降は自分の趣味嗜好に関わらずリリースされていて、タイトル数もものすごいですよね。

金野

〈SUPER FUJI〉の品番はもう400番台ですし、全てはその時のタイミングです。去年出したスピード・グルー&シンキの1971年のライブ作品(『MAAHNGAMYAUH / マンガンヤウ』)は、20年前に人から預かっていたカセットテープが自宅の押入れから見つかりました。この2年前から始めた70年代の横浜ロック・シリーズは、日本のロックは中国人から始まったという仮説を証明していく試みで、テープを預かったときはスピグル自体知らなかったんですが、出て来た音源を聴いたらびっくりしました。陳信輝(Gt)のリズムがとんでもなく凄くて。

 

あとTYPHUS(チフス)というGAUZEの前身バンドのテープも押入れから出てきたやつです。80年代のハードコアには全く興味なかったけど、時間が経って聴いてみたら、かっこいいパンクとしてシンプルに聴けるじゃないかと。しかもたまたま別の再発タイトルのメンバーにチフスの後期メンバーがいて、繋いでもらっていたら、ベースのシンさんに連絡が取れた。だったら監修についてもらえば、ちゃんと意義のある作品になるなと思ったので出しました。

──

そのように過去の音源を発掘して商品化していくことのモチベーションはどこにあるのでしょうか?

金野

モチベーションというか、本当は自分なんかがやるべきことではないというのが基本的な考え方ですよ。原盤を持っているレコード会社や、当時関わっていた人たちが、責任を持ってやるべきことだと常々思っている。関係のない自分がこれをずっとやんなきゃいけない現状というのは、日本の音楽産業や文化として大丈夫かと不安です。

──

誰もやらないから、せめて自分がやるしかないと。

金野

アメリカではスミソニアン協会がやっている〈スミソニアン・フォークウェイズ・レコーディングス〉という非営利レーベルがあって、そこでは1920年代のアメリカーナとか、いろんな歴史的音源を収集して、保存し、誰もが聴ける状態を整えているんです。そういうものが日本にもあるべきなんですけど、特にポピュラー音楽領域では全然資料収集が進んでいない。1960~70年代ですら当時を知る方や、ライブやラジオを録っていた方が徐々に亡くなる時期にきているので、アーカイブしておきたいんですよね。文化庁とか大学機関が資金を投じてやってほしい。聴きたい人が聴ける状態にしておくことは大事ですよ。

うたものの継承から始まった、新たな才能を拾い上げるレーベル〈MY BEST!〉

──

今お話しいただいた〈SUPER FUJI〉と、ゴダイゴ関連作品を専門に扱う〈G-matics〉に加えて、〈MY BEST!〉という計3つのレーベルを主宰されています。〈MY BEST!〉では三輪二郎、川本真琴、どついたるねん、壊れかけのテープレコーダーズなど個性的なミュージシャンたちの新作をリリースしています。

金野

〈MY BEST!〉を始めた経緯については、その前に〈ハヤシライスレコード〉(以下、ハヤシライス)というレーベルの話からしなくちゃいけなくてですね。2007年ごろ、お茶の水駅前店のアルバイトにすごく熱量のある人がいて、レーベルをやりたいと手を挙げたんです。ちょうどその頃、前野健太とか松倉如子が高円寺の〈無力無善寺〉周辺で活動し始めて、その人が自主制作のCD-Rをお茶の水駅前店で積極的に売り出していた。また「都会の迷子さん」というライブイベントも主催したり、なんとかシーンを作ろうとしていたんです。そんな彼がレーベルをやりたいというのなら任せたんだけど、店舗のアルバイトなので実務部分を担う担当社員に自分があてられました。そして彼が1発目として連れてきたのが三輪二郎でした。

──

おお。現在まで三輪さんの作品は全て金野さんが手がけていますが、最初はアルバイトの方が連れてきたんですね。

金野

でも『おはよう おやすみ』(2008年 / 「三輪二郎といまから山のぼり」名義)を聴いた時点では全く売る自信がなくてね。どこか変わっている部分がないと新人って売りにくいんですけど、あまりに正統派だった。だからブリッジ時代に『SO FAR SONGS』のコンピレーションで盛り上がったキャンペーンの2回目をやろうと思って。三輪くんだけじゃなく、前野健太、松倉如子、箱庭の室内楽、見汐麻衣がいた埋火たちを集めて『若者(うたもの)たち』と打ち出して展開したんです。大橋裕之さんにキャンペーン・キャラクターやジャケットを描いてもらった特典コンピCDをつけたり、関連作のカタログパンフレットを作ったりして、何とか結果を残せた。

──

その後〈ハヤシライス〉はどうなったんですか?

金野

前野健太の『さみしいだけ』、壊れかけのテープレコーダーズの『聴こえる』(共に2009年)、そして住所不定無職の『ベイビー! キミのビートルズはボク!!!』(2010年)とかを出していって好調だった。でもその後、肝心の彼が辞めちゃったんですよ。だから〈ハヤシライス〉はそれで終わり。

──

だから金野さんが引き継ぐ形で〈MY BEST!〉を新しく立ち上げたんですね。

金野

三輪さんとかテープレコーダーズなど一部はそうですね。自分も〈ハヤシライス〉を通して原盤の制作に関わって、若い人たちと一緒に音源を作っていくのが楽しくなってきたんです。その『若者(うたもの)たち』キャンペーンを通して、これはやらなきゃいけないと一番才能を感じたのが松倉如子。声かけたらまず、一緒にいた渡辺勝(元はちみつぱい)のアルバムから出すことになった。そうしているうちに川本真琴とも出会ったので『音楽の世界へようこそ』(2010年)から自分が担当することになったりして、広がっていきました。

 

気を付けていたのは〈ハヤシライス〉はそのアルバイトの彼の個性を出して、レーベルのブランド化を目指していたけど、〈MY BEST!〉ではその反対をやろうとした。だからレーベル名も検索にひっかからないような名前にしたし、とにかく自分のカラーは前に出さない。

──

それはなぜですか?

金野

当時、他社や多くのインディーズがレーベルのカラーを出して、これからの人たちを抱えて頭角を示していた時期でした。そことの差異化というか。なるべくアーティストを囲うようなことはせず、レーベルの色が付かないようにしたかった。

──

どういうアーティストを扱おうという方針はあるんですか?

金野

うーん……ないかな。決めていたのは、アーティスト側からの売り込みは断っていました。作りたい作品は自分から声をかけてオファーする。

──

そこはこれまで仰ってた金野さんの姿勢と通貫していますね。

金野

そう。ブリッジの頃から何度も痛い目にあっていて、向こうからの頼みを受けて出しても、売れないと自分の責任。もちろん当たり前なんだけど、気持ちよく責任をとるためには自分が作りたいと思ったアーティストに声をかけたい。そこの筋を通したいんですよね。

──

確か、スカートの澤部渡さんも『エス・オー・エス』(2010年)のリリースを金野さんに持ち込んだようですが、断られたので自主レーベル〈カチュカ・サウンズ〉を作って出したと別のインタビューで仰っていました。

金野

澤部さんはその時、大学を卒業したばかりで曲は当時からすごくよかった。でも若いのに年寄りくさい歌い方だなと思っていたから「君の作る音楽はすごくいいけど、歌が澤部さんじゃなかったら完璧」って言った気がする。我ながらひどいこと言いますよね。でもまずは自分で作品を出すという経験をしておいた方がいいとも言ったと思う。結局、彼はその後しばらく全部自分でやって成功したでしょ。素晴らしいと思いますよ。

金野

で、このときの澤部さんとの会話の中で、「後輩にカメラ=万年筆っていうのが……」って言うから、音も聴いたことのないその固有名詞に反応して、すぐに佐藤優介さんを紹介してもらったのは我ながらヒットでした。鈴木慶一さんや野宮真貴さんをゲストにアルバム『COUP D’ETAT』(2012年)を作って、その後も佐藤さんには何かと無理な仕事をお願いすることになりました。名前だけでアルバム作ることを決めたのは、ぱいぱいでか美(現:でか美ちゃん)もそうですね。(『レッツドリーム小学校』2014年)

──

金野さんがこの人の作品を出そうと声をかける人のポイントはありますか?

金野

それは一概には言えない。でも自分の周りには面白い人を教えてくれる知人が何人もいるので、おすすめされるとその気になることは多いですね。例えば藤井洋平さんなんかはNRQの牧野(琢磨)さんから「今、藤井洋平やんなきゃダメだよ」って電話かかってきたのがきっかけ。それまで高円寺〈無力無善寺〉でよくライブをやっている人ということしか知らなかったけど、薦められて聴いたらすごい人だと思ったから作ったのが『Banana Games』(2013年)。この時はレコーディングに入る前の練習のためだけにバンドと合宿に行ったり、多めの予算を取って、2枚組のLPまで出しました。

──

先ほどレーベルとしてのカラーは出さないと仰っていましたが、そういう繋がりから広がっているから、カタログを見ると通底するものはありますよね。藤井さんも、でか美さんや姫乃たまさんに楽曲提供したり、レーベル内で新たな関わりも生まれています。

金野

そうですね。なにかしらの縁がないとやろうとは思わないので。

ディスクユニオンの名物CDマン、定年退職後も制作は続いてく

──

昨年にはディスクユニオンを定年退職され、フリーとなりましたが、DIWの制作を始め、仕事は続けていくとのことですね。仕事内容に変化はありますか?

金野

やることはそんなに変わりませんが、DIWでの予算管理の責任はなくなりました。だから音源制作とパッケージ制作、そして宣伝周りに注力するようになりましたね。まだ片付いてない案件があるうちはやろうと思います。

──

DIWだけではなく、古巣ブリッジからブレイクダウンやソー・バッド・レビューの70年代に行なった未発表ライブ音源作品を発売するなど、新たな動きも始まっています。今後やってみたいことはありますか?

金野

予算の上限なく原盤制作とかしてみたいですね。音楽業界が景気いい時代に制作を経験していないんです。スタジオ作業の時のコンビニ弁当をまい泉のカツサンドや叙々苑の焼肉弁当くらいにしたいですね。あとパッケージのデザイン作業も今は全部PCで完結させることが多い。この前たまたまWORKSHOP MU!!※の写真集をパラパラ見ていたんですよ。こんな感じのイラストやコラージュを駆使したアートワークとか作れたらいいなあ。お金をかけたものづくりが経験できたら満足です(笑)

※WORKSHOP MU!!:眞鍋立彦、奥村靫正、中山泰によって1970年に結成されたデザイン集団。サディスティック・ミカ・バンド、はっぴいえんど、細野晴臣、加藤和彦、YMOなど多数のアルバムジャケット・デザインを手がけた。1976年に解散。

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