歌い手としての自分を見つめ直した、3枚目の1stアルバム
シンガーソングライター松井文(まついあや)の新譜『窓から』はアルバム3作目を数える。出身の横浜から大阪に移り住み、AZUMIはじめ関西の先輩ミュージシャンたちと共に作り上げた1stアルバム『あこがれ』(2012年)。首都圏に戻り、折坂悠太、夜久一と《のろしレコード》を立ち上げ、互いに刺激を受けながら折坂のプロデュースで制作された2ndアルバム『顔』(2017年)。自分が身を置く環境で目にした景色や耳にした会話、受け取った感覚をじっくり曲に反映していくフォークシンガーという印象は、10年以上のキャリアを重ねた現在まで変わらない。
近年ではカセット『ひっこし』(2020年)、7インチシングル『NOT MY DAY』(2021年)のリリースもあったが、アルバムとしては実に6年半ぶりとなる本作。全ての演奏を一人で行っており、制作過程においてもサウンドオペレーターの垣内英実と二人だけで制作された、弾き語りアルバムだ。ただ、このアプローチには意表を突かれた。ここ数年、松井の創作はバンドサウンドに向かっている気がしていたからである。
何より2021年からバンド形態「松井文と他人」を始動したことが大きい。折坂悠太(重奏)にも参加するハラナツコ(Sax)、ベテランの藤原マヒト(Pf)や福島ピート幹夫(Sax)も擁した心強いメンバーだ。この他人編成での初音源となった“NOT MY DAY”は、マヒトの軽快なニューオーリンズ・ピアノから始まるソウルフルなフォークロックである。またこのバンドでのろしレコードの楽曲“コールドスリープ”を演奏する際は、ワンステップのビートにアレンジされていたり、さらに遡ると2019年作のろしレコードの『OOPTH』に収録された松井の楽曲のセルフカバー“ダイジョーブ”は大胆にセカンド・ラインのリズムが導入されている。だから次作は他人編成によるバンドアンサンブルとリズムへの試行錯誤が結実したアルバムになるのでは?と勝手に想像していたのだ。
話を『窓から』に戻そう。制作の発端は2023年9月末。「今年できた新しい曲を今年の内に」と思い立ち、そこから約1カ月半で完成とかなりクイックに作られたそうだ。目標に向かって長らく準備を重ねていくのではなく、生まれた楽曲に導かれてアルバムという形式に行きついた。この「歌の風来坊」なスタンスこそが松井文なのである。
収録された全10曲の中には、『あこがれ』にも収録されたディオンの日本語訳カバー“サンシャインレディー”や、7インチ収録の“NOT MY DAY”、“他人”の新録もあるが、ライブの定番曲“窓辺”、“ECHO”、のろしレコードでのレパートリーでもあったボブ・ディラン“I Shall Be Released”の日本語訳“河をこえて”と、初音源化も多い。また高田渡が歌っていたことでも知られる朝比奈逸人の“ウィスキーの唄”のカバーも収録。この曲だけアコギではなくギターバンジョーを用いているのも、酒場の浮ついた空気とその背後にあるポツンとした孤独や無常観が立ち昇るのに一役買っている。つまり長らく歌ってきたが、まだ録音されていない愛すべき曲たちの総決算卸しという意味合いもあったのかもしれない。
制作の発端となった新曲の中では、最後に収められた“うぶごえ”が特に本作を象徴している。ガットギターを鳴らすストロークは柔らかで最小限。松井の歌はあっけらかんとしているが、遠くから歌う対象に眼差しを送るような優しさと大らかさを携えている。歌詞では暮らしの中での心の機微や想像が広がるさまが描かれているが、その奥にはこの先も歌って生きていくことの喜びとくたびれ、ロマンや観念もある。もう少し端的に言えば、自分にとっての生きることとは歌うことだと悟り、どっしり腰を据えた歌なのだ。窓からの景色がまるでいつもと違って見えるような、この曲ができたことでの気付きこそが、松井にとって最大の収穫なのかもしれない。
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アルバムタイトルの『窓から』も本曲の歌詞「きみの窓からでておいで」からきたものだ。そしてこのフレーズ自体は、西岡恭蔵“君の窓から”の歌詞を引用している。決して器用ではなく淡々としているのに、幾重もの表情を含ませる懐の大きい歌を数多く残した恭蔵のイズムを、密かに継承している歌ともとれるだろう。(先日のライブでは“君の窓から”に加えて、RCサクセションの“多摩蘭坂”のカバーも披露していた。こちらの歌詞でも象徴的に「窓から」が登場する)
“窓辺”で始まり、この“うぶごえ”で終わる構成も粋な、シンガーソングライターとしての自分を見つめ直す「窓」をテーマとしたコンセプトアルバム。これまでにないテイストとなったが、本人が「3枚目の1stアルバムのよう」と表現しているのも言い得て妙である。この次はいよいよ他人編成でのアルバムか?それもまた4枚目の1stアルバムと言えるほど、まるで違うものになりそうだ。
窓から
アーティスト:松井文
仕様:CD / デジタル(内3曲のみ)
発売:2023年12月20日
価格:¥2,000(税抜)
レーベル:stmac records
収録曲
1. 窓辺
2. サンシャインレディー
3. ウイスキーの唄
4. トンネル
5. 他人
6. 幻影
7. 河をこえて
8. NOT MY DAY
9. ECHO
10. うぶごえ
Web Store:https://stmacrecords.stores.jp/
松井文
何げない情景から、人と人との関係性を鮮やかに描き出すシンガーソングライター。大胆なのに繊細、頑固かと思えば軽やかで、そっけないのに愛が深い。嘘の言えないその歌で、聴く人に確かな足跡を残す。
平成元年、横浜生まれ。2012年、1stアルバム『あこがれ』をリリース。その後、折坂悠太、夜久一とともにレーベル&ユニット《のろしレコード》を立ち上げ話題に。初めての7インチシングル『NOT MY DAY』をきっかけに、2022年からバンド「松井文と他人」を本格始動。2023年末、自身の原点であるギターの弾き語りだけのアルバム『窓から』をリリース。
Webサイト:http://piggyma.jugem.jp/
X(旧Twitter):https://twitter.com/matsuiayaya
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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