日常に散らばった、ささやかな幸せを愛でるー大石晴子 1st EP『賛美』インタビュー
その歌は、行き場がなく彷徨う想いを確かな愛へと昇華する。その詞は、心のケロイドを癒す拠り所のように、凛とした力強さを携えている。大阪生まれ、横浜育ちのシンガーソングライター大石晴子が今、じわりと芽吹き出したことに心からの賛美を。東京を中心に、弾き語りやバンドセットでライヴ活動を行っており、昨年には<りんご音楽祭2018>にオーディション枠<RINGOOO A GO-GO>から出演を果たした。筆者が彼女を初めて見たのはその時。初の大舞台ともあってか、微かに上擦った声にはおぼこさや緊張が見て取れた。しかし重心がコロコロと揺らいでいく所在無げでいびつなメロディが、グイっとポップに落とし込まれていくシルキーでソウルフルな歌声の堂々たる頼もしさったら。単なるブラック・ミュージックに影響を受けた新星シンガーには収まらない才気に溢れていた。
そんな彼女が初作品となるEP『賛美』を完成させた。全編で象徴的な存在感を示すシンセサイザーの菊池剛や、折坂悠太(合奏)や蓮沼執太フルフィルにも参加する宮坂遼太郎(Per)、TAMTAMや阿佐ヶ谷ロマンティクスなどのレコーディングにも参加したYuta Fukai(Gt / レッツゴーハワイ a.k.a. Black Hawaii -愛のテーマ-)、いーはとーゔの菊地芳将(Ba)、mogsanの山内健司(Gt)など、これからの日本のポップスを担っていく顔ぶれに支えられた全5曲。高揚感を駆り立てるようなシャウトやジャイブはここにはない。日常に散らばるささやかな幸せを愛でる、地に足の着いたソウル・チューンが揃っている。
今回アンテナではメールで彼女にいくつかの質問に答えてもらった。彼女の回答の端々に溢れる、ワードセンスと繊細な琴線に大器の予見がほとばしる。折坂悠太、中村佳穂らが頭角を示す、新たな歌の時代が到来した2010年代もラストスパートだ。次のディケイドを迎えるにあたって、ダメ押しのように現れた歌い手が彼女だと言い切ろう。ミニー・リパートン“Lovin’ You”、宇多田ヒカル“花束を君に”にも通じる歌に込められた愛の矛先。大石晴子は遠くからあなたにも賛美を送っている。
冒頭写真:クボツヨシ
ミニー・リパートン“Memory Lane”に嗚咽するほど号泣した
最初に音楽にのめり込んだのはいつで、どのような音楽だったのでしょうか?
中学生でGRAPEVINEに出会って熱狂的に聴いていました。カラオケに行ってはシングル曲でもない“リトル・ガール・トリートメント”を歌ったり、友達と廊下で「目にぃチカラァ!!」(Sanctuary)と田中和将さんをマネしたり、放課後には学校の生徒ホールにあったグランドピアノを弾きながら……。だからコード進行や歌詞の面で大きく影響を受けています。そもそもあまり幅広く音楽を聴くタイプではなく、同じ曲ばかり繰り返し聴く方なのですが、その頃はキリンジ、清竜人、TRICERATOPSなどを熱心に聴いていました。また同じ時期に賛美歌と出会ったのも大きいです。中学~高校と一貫で、6年間毎朝色んな賛美歌を歌うような学校でした。クリスマス礼拝では全校生徒1000人ほどで“Hallelujah”を歌うのですが、全員が同時に息継ぎする瞬間に「ああ、神様っているのかもな」と思いました。その時無意識に歌の持つ凄みを感じたのかもしれません。
晴子さんの歌にはソウルやR&Bなどブラック・ミュージックからの影響を感じますが、プロフィールによると、きっかけは早稲田大学のソウル・ミュージック・サークルだと。
GRAPEVINEのバンド名の由来はマーヴィン・ゲイの曲(I Heard It Through The Grapevine)ですし、小さい頃からパラッパラッパーのゲームで遊んでいたし、ダンス☆マンは聴いていたし。知らず識らず触れていたかもしれません。しかし本格的には大学のサークルからですね。アイズレー・ブラザーズやミニー・リパートン、コリーヌ・ベイリー・レイなどをカバーしていました。ミニー・リパートンの歌は自分にとって衝撃的で、大学当時バイトを終えて、恵比寿駅から渋谷駅へ歩きながら“Memory Lane”を聴いて突如、嗚咽するほど号泣した記憶があります。
ミニー・リパートンのどういうところに号泣するほどの衝撃を受けたのでしょうか?
彼女の強くて優しい声が自分にだけ歌っているようにすっと入ってくる心地がして、「音楽ってこんな風にどこかに連れて行ってくれるものなんだ」と圧倒されたんだと思います。また彼女が乳がんで片方の乳房を除去した後のステージで言った「私のコップの水は半分で。半分空っぽなのではなく、半分満たされている」というメッセージを知ってから、もっとミニーを好きになりました。
そんなサークルに入ってカバーを歌うところから、自分で曲を作ってミュージシャンとしての音楽活動を志した理由を聞かせてください。
中高の頃から例えばGRAPEVINEをイヤホンで聴いて歩きながら、頭の中ではまぎれもなく自分がなりきって歌っていて。その頃から将来について想像すれば、漠然と、そこに歌っている自分がいました。それから学校の行事で「自分の使命は何か?」というのを同級生と話すという機会があって、確かそこでも、私にとってのそれは歌うことだと恥ずかしげもなく言っていましたし。高校の個人面談でクラス担任(音楽専任)だった先生には「音楽で仕事するのは難しいことだ」と柔らかく諭されながらも、心の中ではやっぱり飄々としていたんです。ただ、その時はまだ自分で曲を作って、それをアレンジして演奏してというタイミングではなかったような。
だから大学を選んだ理由の一つには、音楽サークルが多そうということがありました。そこで偶然出会ったブラック・ミュージック・サークルに入って英語の曲をカバーする中で、こんなに魅力的な曲があって、こんなに感動する。なら自分の言葉とメロディで歌えたらもっと素敵かも知れないし、そうすることが凄く自然なことに感じて、自分で作曲して活動するようになりました。そうして過ごす中でこれまでたくさん音楽を聴いてきた人と出会う度、自分は大丈夫なんだろうかと思いました。裏付けみたいなものはなく、ただ歌うのが好きなだけで。それでも結局、自分にとって自然だと思う方を選んで今に至っている、という感じでしょうか。
色んな人と距離が近くて、何だかグッとくるポイントを「えいっ」と突きたい
晴子さんの歌を聴いた時にシルキーな声と、独特の揺らぎを持ったグルーヴが新鮮に感じました。歌手として強く影響を受けた方はいらっしゃいますか?
3年前くらいにCoccoに出会ってから表現としての歌を強く意識するようになりました。それまでは今よりも大人しく、行儀よく歌っていたと思います。ちょうど進路や色んなことを考えてしまう不安定な時期で、突然思い立って一人で福岡まで旅行したり、初めて長編の小説を読みきったり。そんな時にカラオケに行ってCoccoの“焼け野が原”を歌ったのがボイスメモに残っていて、最近また改めて聴いてみると鋭利なんですけどなんだかすごくグッときて泣いちゃいました。その頃くらいから歌の力にもう少し乗っかってしまってもいいのかもなと思えて、自分の歌が変化したような気がします。
「歌の力に乗っかる」とはどういう感覚なのでしょう?また自分の歌はどのように変化しました?
大学の時もサークルでどうしてもチャカ・カーンやアレサ・フランクリンが上手く歌えなくて自分はどんな歌が歌えるのだろうとか悩んだり、この歌をもっと解釈して伝えないと!とか、歌うことに関して考えすぎてしまうことが多かった。でも酔っ払ってカラオケに行った時とか、もう音程とか無茶苦茶だけどそれが意外と悪くなかったり。だから曲自体が既に存分に力を持っているんだから、ちょっとくらい外れても思いっきり歌っていいよなと思えるようになりました。曲の胸を借りようというイメージでしょうか。
晴子さんの曲と言葉にも凛とした力が強く感じられます。また「勘が悪い私はまた 何を祈りそびれただろう」M2“怒らないでね”や、「眠たくはなくて 夜を燃やす 役目も無く彷徨うのろしにむせてしまう」M4“Strings”など、歌詞を見ていると心地よい異物感があって感情が揺れ動いた瞬間が見透かされているような気分がするんです。曲作りはどのように行っていますか?
降ってくることは滅多にないので、ピアノかギターを触りながらメロディ、歌詞、コード進行を三角食べみたいにしながら曲を作ることが多いです。特に歌詞はこれまでのことをなぞりながら、というよりほじくり返しながら書いています。色んな人と距離が近くて、かつ何だかグッとくるポイントを「えいっ」と突きたいと思っていて。やはりみんなが知っている言葉というのは凄いですよね。例えば「そり立つ壁」とかパワーワードだと思います。それから「岡本信人」とかもいい。
「岡本信人」がパワーワード?全然わかんないのですが……。
ふふ(笑)。言葉の響きも好きなんですけど、「そり立つ壁」というとあの<SASUKE>のステージの画が思い浮かぶ。「岡本信人」っていったら<渡る世間は鬼ばかり>のテーマ曲だとか野草がよぎる。そのものの持つイメージが凄く鮮明で、だけれどストレートではない、いいところをついた表現を目指しています。「水谷豊」で<相棒>を思い浮かべるのはちょっと真っ直ぐすぎて…。これは例え話ですが、そのワードというより歌詞全体で直接的すぎず、でも共感できる、無理のない表現というのを意識しています。私、あるあるが好きというのもあるかもしれません。ふかわりょうの一言ネタも好きです。「えっ、割り箸も洗うの?」とか。
「あなたのこんなところが魅力的です」「これって凄いことなんです」と伝えたくて
晴子さんは普段ライヴでは弾き語りやバンドセットで活動されていますが、曲のアレンジはどのように考えていますか?今回の作品『賛美』で参考にしたサウンドなどはありましたか?
バンドでアレンジを作る時、私が言うことはいつも抽象的で。今回の作品の制作については参加いただいた方にイメージを伝えて、いくつかやってもらってイメージに合う方を選ぶなど、彼らの力を存分に借りました。レコーディング、ミックスの経験もこれまでほとんどなかったので、こうしたいという希望やイメージはあるけれど、それに至る道が見えない局面も多かったです。なのでエンジニアの中村公輔さんの意見をかなり参考にして進めていきました。器用ではないやり方になってしまったかも。
『賛美』の曲ではどのようなイメージがありましたか?
例えばM5“食卓”はイメージとなる風景が鮮明にあって「荒廃した土地を歩いていて、ふと視線を上げると、寺院を見つけてゴーンと頭を打たれる」とか。M3“肌”は曲が出来上がった時点でかなり清涼感があって、アレンジするときにはポップになりすぎないように、爽やかになりすぎないようにしたいとみなさんに伝えたり。どの曲も何だかいびつさが残るように、特定のサウンドとか印象に振りすぎないようにしたいという思いが強かったです。
作品全体のコンセプトや伝えたいメッセージはありましたか?
今回のEPはまず、この5曲をまとめるということが前提で。この5曲に共通する思いについて考えた時に『賛美』という言葉が合うなと思いました。私はちょっと引いたところから「あなたのこんなところが魅力的です」「これって凄いことなんです」と伝えたくて、熱が込もりすぎないような仕上がりになっているので、曲調も落ち着いたものが多いのかもしれません。この5曲を聴いて自分自身も、自分の身の周りで起こっていることも、実は結構すごいのかも?と思ってもらえたら嬉しいです。それで少し体と気持ちが軽くなって、ゆっくり揺れてくれたらなと。
5曲通した聴き心地も素晴らしいですよね。特にM4“String”のラストのフェードアウトからトランペットの音だけが残る余韻から、M5“食卓”に引き継がれる流れには胸にグッと来ました。
やっぱりアルバムとしてひと続きで聴くと、「おっ」と思ってもらえるようなことを織り込みたくって。堀京太郎さんが凄く魅力的なトランペットを吹いてくれました。
私は感動屋なのかもしれません
この5曲に『賛美』と名付けたところも、賛美歌からスタートした晴子さんらしさが表れているなと思いました。「祝福」とか寄り添うことは、双方の信頼や関係性に依存してくる部分が少なからずあると思います。先ほど「ちょっと引いたところから」とも仰っていましたが「賛美」はより相手への無償の愛や心遣いが表れているような気がしていて。
日頃から、ちょっと引いた位置から、すぐに何かを好きになります。ファミレスにいて隣の席におばあさんが一人で来たと思ったら土曜の昼なのにジョッキでビールを頼んでいて、「ああ、好きだなあ」とか。高速道路や246号線を車で走る時にいつも「やっぱりこれを作った人、舗装した人すごすぎ!」と思ったりとか。あと幸運なことにお米が好きなので、なんて美味しいんだろうって、毎日感動できる。私は感動屋なのかもしれません。
一方で双方の関係性と仰いましたが、人は交わり合っても、どこかで結局はひとりなんだと思っている部分もあります。M5“食卓”で「ふたりをかき混ぜようと 空にとけることはなく互いをみてる」、「明日を迎えるために、私のために」という歌詞があるんですが、交わっているように見えても、最終的には自分のための行為で。全て自分がそうせずにはいられないから、しているんだと思います。
一歩引いた視点からあらゆる事象に感動し賛美を送るのも、もっと言えば歌っていることも、自分がそうせずにはいられないからという気がします。そういう意味でも本作は晴子さんの等身大の姿や生活が表れていると感じました。落ち着いたトーンでジワっと染み入るような人間味が溢れている。
ありがとうございます。もちろんアップテンポな曲を聴くのも歌うのも好きですし、今回は日本語の歌詞表現にこだわった部分がありましたが、先行配信したM2“怒らないでね”でYouTubeやサブスクリプションサービスを通して海外の人にも聴いてもらえる実感もあって。日本語がわからない人にも「コレ、ナンカイイジャン!」と踊ってもらえるような音楽をやっていきたい。だから変に特定のサウンドやメッセージにこだわることなく、今後はもっと色々試してみたいですね。
収録曲 | 1.浜辺 2.怒らないでね 3.肌 4.Strings 5.食卓 |
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1991年生まれ。大阪北摂出身、東京高円寺→世田谷線に引っ越しました。
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ANTENNAに在籍しつつミュージックマガジン、Mikikiなどにも寄稿。
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